スケルトロールは、人間よりも大きな体躯を持つ魔物を由来とするアンデッドである。
巨人種と呼ばれる幾つかの魔物は太く頑強な骨格を持ち、そのため死後も遺骸が残りやすく、比較的発生しやすい種族である。
人間から発生するスケルトンよりも単純に大きいため、比較した場合の力は強い。しかし行動原理はスケルトン以上に簡素であり、簡単な罠や陽動で動きを制限できるために脅威度はさほどでもない。
骨系のアンデッドに共通することだが、ゾンビなど肉体を持つ不死者よりも遥かに軽く、毒も持たないため、与し易いというのが一般的な認識であろうか。
『こちらがそのスケルトロールです。既に破損し、死んでいますが……』
パトレイシアの案内によって、坑道の不死者たちは件の場所へと足を運んできた。
そこにはリチャードの姿もある。彼もまた、見慣れないアンデッドの存在に興味を示しているのだろう。
果たして大空洞の片隅に打ち捨てられていたその骨は、間違いなくスケルトロールであるようだった。
ルジャは遠征中に何度も戦ったことがあるし、リチャードも似たような理由で駆除に従事した経験がある。
既に遺骸は脚と胴体部分が大きく砕け散っていたが、大きな頭蓋、長い腕の骨を見れば、それが人間よりもずっと巨大な種族であろうことは間違いない。
「ああ、間違いない。スケルトロールだ。死んで骨になっただけじゃあねえな。だとしたら骨の表面にこんな傷はつかねえ」
骨がただの死体か、スケルトン系アンデッドかを見分ける方法は簡単である。足の骨を見れば良いだけだ。
足の裏の骨に無数の擦り傷があれば、それは間違いなく骨系のアンデッドと言えるだろう。
アンデッドは瘴気を取り込むことで僅かずつ自身の損耗を回復させるが、歩行のために使われる足の裏は常に多少の傷が残るので、討伐の証明とするにも広く使われていた時代もあったという。
「……バビロニアに、トロールを飼うような物好きがいた……ってわけじゃあねえだろうな」
『はい。仮にいたとしても……きっとその骨は、その時代のものではありません』
「……まだ真新しい、のか?」
スケルトロールの死骸を検分していくうちに、それが比較的新しいものであることがわかった。
古い骨であれば独特の劣化や年季が表面に現れるものだが、ここに散らばったものは比較的若いスケルトロールであるように見える。
少なくとも、一年以内に発生したものであろうか。
「……バビロニアが崩落してから、もう何十年も経っているんだろ? なんだってここにトロールのアンデッドがいるんだ?」
「トロール……怖い……」
レヴィがリチャードのローブにしがみつくが、リチャードはそれを鬱陶しそうに振りほどいた。
どこか淋しげな顔をするレヴィをよそに、リチャードもまた辺りに散乱した骨を検分する。散らばった外側にある骨を観察したり、中央の骨をステッキで叩いたり、その地面を突いてみたりと、ルジャとは異なる作法で調べているようだった。
「リチャードさん。何かわかったかい?」
ルジャに訊かれ、リチャードは迷わず指を立てた。
しかし口の前に立てるいつもの“うるさい”とは違う。彼の指は、真上を指し示しているようだ。
『……はい。リチャードさんの仰るとおり、スケルトロールは上から落下してきたものと思われます』
「上……ああ。滑落して、それでこんなに派手に砕け散ったのか。足を滑らせでもしたのかねぇ。でっけえ穴だろうに、間抜けな奴だ」
ここは大空洞の壁際だ。真上は穴の縁であり、そこから滑落したと考えれば、骨が散乱するのも無理はない。
足や腰から落下し、砕けた。パトレイシアもリチャードも、そのような予想を立てている。
『スケルトロールは知能が高いアンデッドではありません。なので、不意の滑落で死ぬことはあるでしょう。ですが、少々おかしいとは思いませんか』
「……どういうことですか?」
「何かおかしいのか?」
『はい。死の底を始めとする埋没殿には瘴気が満ちているので、アンデッドが生まれてくるのは当然です。しかし大空洞の上、地上の世界では瘴気もそれほどではないはず。スケルトロールが発生し得ないとは言い切れませんが、生まれにくい環境ではあるはずなのです』
パトレイシアは青白い指先で、近くの壁面を指し示した。
そこには縦に変色した水痕があり、ずっと上まで続いている。
『……私の仮説はこうです。洞窟に棲んでいたトロールが死に、アンデッドとなり、洞窟と繋がっていた坑道を通り……ここへ落ちた』
「坑道だって?」
『この壁面の水痕を見るに、壁の上には大きな穴が空いているのでしょう。それも、水が流れるような穴です。そう……降った雨が内部を通り、ここまで至るような』
「……! この上にある穴が、地上へ繋がっているってことか!?」
ルジャは目をこらし、壁面の上部を見上げた。
しかし上は濃い瘴気に覆われ、はっきりとは見えない。
だが壁を伝う色濃い水の軌跡はそこに刻まれている。鉱物による影響か、赤っぽい変色も見られる。ただ外から流れ込んできた水と考えるには、少し奇妙だ。
『仮説です。私の浮遊でも、上の様子を見ることはできません。……ドラゴンを刺激するわけにもいかなかったので。しかし、この上に地上へと至る坑道が存在する可能性は高いと考えています』
「……上手くいけば、その入口から外に出られる……か?」
崩落した地底から、ツルハシ一本で地上までの道を掘り抜く。それはとても現実的ではない話なので、ルジャは極力脱出を考えないようにしていた。
しかし、途中に出口があるならばどうだろうか。上手く足場を組むなり、そこまでのはしごをかけるなりすればあるいは。
「……外、出られるの?」
レヴィはいつもと同じ曇天を見上げ、呟いた。
彼らは皆、アンデッドだ。
瘴気で満ちたこの地下世界は居心地が良いし、負の力が途切れることもないので衰弱死することもない。
だが、人間だった頃に培われた価値観が。自然や人との関わりの記憶が。
彼らをどうしようもなく、地上の世界に惹きつけてやまない。
『……脱出も、容易ではないでしょう。仮に脱出口が壁面上部にあったとして、ドラゴンの妨害が予想されます。大空洞のほぼ中央上部に居座るドラゴンがブレスを吹き付ければ、たとえ距離があったとしてもその影響は無視できません』
「足場を組んでも落とされちまうな……クソッ、眇の狂王め。ドラゴンなんぞペットにしやがって」
狂王ノールが囚えたドラゴンをペットとして飼っているという話は有名であった。
時折バビロニアに轟く竜の鳴き声は、多くの民を震えさせたものである。
「……とにかく、外からのお客さんがくるかもしれねえ。そう考えておけってことだよな? パトレイシアさん」
『はい。埋没殿は常に閉鎖され続けているだけではない……去る者はいないかわりに、来る者はいる。そう考えておくべきでしょう。』
今はまだ、スケルトロールの死体で済んでいる。
しかし、他のアンデッドが生きたままやってくることもあるだろう。
あるいは、アンデッドではない生者が訪れることも……。
「ここが“成功の財宝窟”か……皆、マスクは外すなよ」
「わかってますって、隊長。ちゃんと中にハーブも詰めてありますよ」
「スケルトンもゾンビも取る必要はない。お宝だけいただいたら、サクッと退散しましょうや」
地下に埋没し、世界図から消え去ったバビロニア。
長大なる地底の迷神ミミルドルスは、地底で死せる者を食らうという。
「モルドの恵みに感謝して」
「感謝して。……さ、出発しましょう」
「おっしゃー、掘るぜェー」
地下に横たわる無限の蚯蚓は、己の体内に異なる土の世界を持っている。
そこは土の中に置き去りにされ、葬られた者たちが集まる場所。
埋没殿の不死者は未だ知らない。
自分たちが既に、バビロニアの存在しなかった異世界に迷い込んでいることを。