グリムリーパーの脅威はルジャ一人だけでは逃げることもできない。
そのため、探索は再びパトレイシア、ルジャ、レヴィの三人で行われることになった。
最悪グリムリーパーに発見されても、パトレイシアが斥候に回っていれば逃げ切ることは可能だ。ルジャやレヴィが発見された場合でも、空から魔法による援護があれば生存率は上がるはず。
そんな目論見もあり、三人は大空洞の長期探索に乗り出したのである。
リチャードは坑道で作業という名の留守番だ。
目的地は、バンシーの住処。
はっきりした場所についてはまだわかっていないが、おおよその場所はルジャが知っている。再びそこへ足を運び、バンシーの実態をより深く把握しようというのが今回の試みであった。
『皆さんは好きな歌などはありますか?』
レヴィも加わっていることもあってか、道中の会話は明るいものが多かった。パトレイシアもルジャも、その点においては人並み以上の気遣いができた。
「俺は最近の曲は知らなかったなー……隊のおっさん連中は覚えようともしないし、古い軍歌ばかりだったよ」
「私は……か、数え歌とか。あと聖歌を……」
「へえ、聖歌! そいつはすごいな! 俺も昔習ったんだけど忘れちまったなぁー」
「こ、孤児院だったので……」
歌は身近にあるものだ。
記憶媒体がなくとも、人は音楽を求めるもの。軍属であれば勇猛な軍歌を聞く機会は増えるだろうし、教会にとっても聖歌の響く聖堂はある種最低限のステイタスとなる。
何十曲も正確に覚えられる時代ではなかったが、それでも各々の生活の中には歌や音楽が根ざしていた。
「パトレイシアさんはどうなんだ? 貴族だと何かこう、豪華な音楽を聴くような機会にも恵まれるんじゃないのか?」
『はい、そうですね……立場上、多くありました。どこにいっても見たことのあるお抱えの演奏家がいるので、目新しいかというとそうでもないですけどね。良くも悪くも、形式を大事にした音楽が多かったので』
「ありゃ、それは俺には合わないかもな」
『ふふ、かもしれません』
宮廷音楽と安い酒場の歌とでは楽しみ方も大きく異なる。
ルジャも立場上、たまに仰々しい音楽を畏まった姿勢で聴くこともあったが、あまり彼の肌には合わなかった。
「あの、ルジャさん」
「ん? なんだレヴィ」
「これから会う、あ、お会いするバンシーって、どんな歌を歌っていたんですか?」
「……あー」
その時のことを思い出し、ルジャは空を見上げた。
息がつまるような煙色の空。
「愛の歌。いや、悲恋の歌だったのかな。宮廷音楽ではないし、酒場でやるようなもんでもねぇ……そうだな、あれは多分、劇団か何かの曲なんじゃねえかな」
「劇団……?」
『大きな舞台の上で、大勢の観客の前で行われる歌劇ですよ。中層には、そういった施設もいくつかあったはずです。レヴィさんやルジャさんでも、もちろん私でも一緒に楽しめると思いますよ』
とはいえ劇団の公演などは貧民の手に届くものではない。だからこそ施設は中層にあったし、入場料もそれ相応であった。
『いわば……吟遊詩人の歌に近いもの、と言えばいいでしょうか』
「ああ、それが近いよな。俺が死ぬ数年間は酒場からほとんど姿を消しちまったから、ほとんど聴けなかったけどよ」
バビロニアの晩年、吟遊詩人の多くは広場や酒場から姿を消した。
彼らは狂王ノールの政策によって捕縛され、多くが処刑されていたのである。
今となっては過ぎた話だ。しかしパトレイシアは当時の鬱屈とした市街を思い浮かべ、表情を暗くした。
「パトレイシアさん……?」
『ああ、なんでもありません。いきましょう』
バビロニア人全ての恐怖であった狂王ノール。
彼もまた、塔の崩落と共に死んだことに疑いはない。
彼もまた自分たちのように、不死者となって地底を彷徨っているのだろうか。
だとすれば、その種族は。
そう考えた時、パトレイシアはノールが凡庸なスケルトンやゴーストであってほしいと願うと共に、ノールがその程度の枠に収まらないであろうこともなんとなく感じていたのだった。
歌が聞こえてきた。
美しくか細い、乙女の歌声だ。それは遠くからでも三人の耳に届き、それがバンシーの歌声であることに疑いの余地はなかった。
「綺麗……」
初めて耳にする繊細な歌はレヴィを虜にした。
「そうそう、この歌声だ。俺が前に聞いたのもこのバンシーだったよ」
『……なるほど』
寂しげな旋律。心に染み入る声。確かにその歌は、ルジャが言っていたように心を揺るがすものだった。
しかしパトレイシアが言った、バンシーの歌声にそれほどの力がないというのもまた事実であり、本来ならばこれほど見事な歌を響かせられるアンデッドではないはずなのだ。
普通のバンシーは金切り声をあげるか、泣き声を上げ続けるか。概ねそのどちらかのはず。
ということはこのバンシーは、よほど生前の歌が上手かったか。
「あ……ここから登れます」
「お? 本当だ」
バンシーの歌声が響く場所は住宅の遺構の面影が残るエリアだ。
壁面や柱が多く、廃墟のような趣があるため、場所によっては通行止めが多く、上手く通り抜けるには移動を工夫する必要がある。
そんな中、レヴィは抜け道を探すのが得意だった。
三人はレヴィを先頭に、歌声の響く場所を目指して進んでゆく。
近付くにつれて歌はより憂いを帯び、先頭をゆくレヴィはその言葉の意味さえわからないのに、とても悲しい気持ちになっていた。
「あ……」
やがて三人が瓦礫の階段を登った時、それは見えた。
かつては巨大な柱であったのだろう。今はへし折れたその円形の断面に、一人の乙女が立っていた。
首元で切りそろえられた癖のない髪。起伏のない細身の体。
青白く輝くその乙女は小高い円柱舞台の上に立ち、世界に歌声を響かせている。
憂いを帯びた目からはとめどなく涙が溢れ、歌声は悲しみに歪み……その想いは、三人の精神を強く揺さぶるものであった。
「う、ぁう……」
『こ……れは……! 一旦、退却しましょう!』
「ああ! レヴィ、立てるか!? いや運んでやる、ここから離れよう!」
障害物に反射することなく直接投げかけられるその歌声は、決して大音声であるわけでもないというのに、頭がひび割れるような苦痛を三人に齎した。
悲しみが形となって頭の中に出現し、乱暴に跳ね回るような痛み。訓練を受けた騎士でも実体を持たないゴーストでも耐え難い衝撃。
再び物陰に隠れることで苦痛は収まったが、課題ができてしまった。
あるいは厄介な相手であれば、ルジャの魔剣でさっさと排除すべきとも考えていたのであるが。
『これは……想定外ですね』
何よりパトレイシアは、その歌声に聞き覚えがあり、あの幸薄い姿の乙女に見覚えがあった。
奇跡の少年エバンス。
貴族社会でも大いに話題となった、歌劇世界の新星。
そんな少年が悲しみを纏うアンデッドとしてこの地下世界で泣き叫び続けていた事実に、パトレイシアは遣る瀬無い気持ちを隠せなかった。