埋没殿のサイレントリッチ   作:ジェームズ・リッチマン

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静寂への想い

 

 エバンスも前もって注意は受けていた。

 リチャードは会話を嫌い、話しかけられることを嫌がると。

 作業中は特に顕著で、機嫌を損ねてはならないと。

 

 しかし相手は恩人でもあり、自分を救ってくれたらしい本人でもあるのだ。エバンスはそれまで培ってきた倫理観から、初対面で挨拶をするのは当然だと考えていた。誰も彼を責めることはできないだろう。

 

『まさか、あれほど会話を嫌っていたなんて……』

 

 エバンスは落ち込んだ。

 リチャードの無愛想な態度に思うところもあったが、単純に自分が失敗したことについて気を落としていた。

 

「すまねえエバンス。俺たちももう少し詳しく伝えておくべきだったよ。本当に悪かった。だからな? あまりそう、思いつめないでくれよ」

『そうです。私たちの不備でした。ごめんなさい。……まぁ、それはそれとしても、リチャードさんの対応も極端だとは思いますけど』

「本当にもう完全に偏屈な爺さんじゃねえか。気にするなよ、爺さんの癇癪だと思っておけ」

『はぁ……僕、これから大丈夫なのでしょうか……』

 

 エバンスは弱気だった。そして、バンシーになってしまったせいなのか、ただでさえ気弱で泣き癖のあった性格が、さらに極まってしまったかのように思える。

 

 しかし実際のところ、リチャードが音を嫌うということはエバンスにとって難しい問題を抱えていた。

 彼は歌を好み、歌を歌って生きてきた。自身の歌には自信があり、歌うことこそが自己の証明であったのだ。

 正気を取り戻したことは嬉しい。だが、リチャードの近くで歌うことは、この調子だとかなり厳しいだろう。

 

「……エバンスさんの歌、良かったな」

 

 レヴィは墓前の造花についた汚れを拭きながら、静かにそう零した。

 たった一曲だけであったが、レヴィはエバンスの歌に心動かされたのである。リチャードの作る作品も魅力があったが、常に深いテーマを見ていると心が疲弊してしまう。

 その点、エバンスの歌は癒しでもあり、シンプルに楽しい気分になれる。歌は娯楽として優れていたのだ。

 

『……ありがとう、レヴィちゃん。……でも、リチャードさんが歌を好きじゃないなら、この近くで歌うのは難しいよね』

「ん……リチャードさん、音が嫌いだから……」

『……しかし、自分の芸術のためだけに他の芸術を排斥するなど、あんまりでしょう。私は彫刻も歌も演劇も絵画も、それぞれ等しく保護されるべきだと思っています』

 

 パトレイシアは少し怒っていた。

 もちろんリチャードに対しては並々ならぬ恩も感じているが、芸術に貴賎はない。生前は様々な芸術に触れていたこともあり、今回の事情についてはエバンス以上に重く見ているようだった。

 

「しかしパトレイシアさんよ。リチャードさんはほとんどの時間を作業に費やしてるだろ? 言っちゃあれだが、あの人、頷いてくれるかねえ」

『直談判してきます』

「えぇ……」

 

 そう言って、パトレイシアは坑道の中へと飛んでいってしまった。

 

『だ、大丈夫なのでしょうか……』

「あー……さぁなぁ。パトレイシアさん、リチャードさんとはよく衝突するからなぁ。お互い、嫌っているわけではないんだろうが」

 

 

 

 パトレイシアは作業中のリチャードの前に降り立った。

 リチャードは視界を掠める青白い光を見て一度だけ顔を向けたが、すぐに床の穴あけ作業に戻る。

 

『話があります。今以上に効率よく外敵を遠ざけるための提案です。床に地道な穴を開けるよりも、場合によっては効果が見込めるかもしれませんよ。それに、今後リチャードさんを騒音で煩わせる機会が減るかもしれません』

 

 リチャードは率直な話を好む。

 そして内容が作業の効率などに関わるのであれば、聞かないこともない。彼はうっそりと顔を上げ、話の続きを促した。

 

『ありがとうございます。提案というのは、エバンスさんや私たちのための無響室。作っていただけないか、ということです』

「……」

 

 無響室。リチャードはそれを知らなかった。首を傾げる。

 

『無響室というのは、音が響かない部屋のことです。反響室の逆とでも言いましょうか。何十年も前になりますが、魔導研究の際、様々な魔石の発する微細なノイズ音を聞き取るために開発されました。研究目的でしか使われない施設だったので、リチャードさんもご存知でないかもしれません』

 

 バビロニアには様々な施設が備わっているが、上層の専門的な施設ともなると一般人は近づくこともできないので、立ち入る機会はないだろう。

 

『その無響室の中では、音がほとんど漏れなくなります。騒音が出なくもなります。私たちが内部で会話するのも良いですし、エバンスさんが歌を練習するのにも良い。リチャードさんが静かに瞑想したければ、そういった使いみちもあるでしょう。構造について私も詳しくはありませんが、原理は知っています。リチャードさんであれば似たような施設を作ることも、不可能ではないかと』

 

 挙げたメリットの何かしらを気に入ったのかもしれない。リチャードは少しだけ楽しむように続きを促した。

 

『特にエバンスさんの歌は、アンデッドに対しても何らかの作用があります。私はそれを検証すべきだと考えています。どういった歌をアンデッドが好むのか、あるいは嫌うのか。私たちを観客として、実験体として、それを一通り調べてみるべきです。これは安全な場所で行いたいので、無響室でなくとも防音室は欲しいところですね』

 

 本音を言えば防音室で十分なのだが、なんとなくパトレイシアは無響室の方がリチャードにとっては好みそうだと考えた。

 実際、リチャードは無響室に惹かれているようだ。話を聞いている間も、何かを考えている様子である。

 

『エバンスさんの歌が広範囲に効果を及ぼせるのであれば、探索が楽になります。あるいは防護柵無しにスケルトンハウンドを追い払うこともできるかもしれません。音楽は、動物や魔物に対しても効果がありますからね。腕の良いバードはその証明と言えるでしょう』

 

 リチャードは頷いた。

 そして立ち上がると、懐から木片を取り出し、そこにサラサラと文字を書き記した。

 この時点で既に、パトレイシアは勝利を確信していた。

 

 “無響室について詳しく教えてほしい。”

 

 どうやら交渉はうまくいったようだ。

 

『ええ、喜んで。きっと気に入っていただけますわ』

 

 


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