無響室を作る事が決定した。
それはエバンスを中心に据えた施設増設計画であったが、話はパトレイシアとリチャードが決めた時点で実質確定は揺るぎないものであった。
『無響室っていうのは使ったことがないですけど、自由に歌える場所ができるのなら楽しみです』
エバンスは自分の歌に何か期待される事は嫌いではなかったし、設備を整えると聞けば胸は躍った。
「はぁ……」
レヴィは彼の屈託のない笑みを不思議そうに見つめている。
『な、何かな? レヴィちゃん』
「エバンスさんって、女の子じゃないんですか……?」
『はい……僕は男だよ。公演の客寄せとか、そういうこともあって今みたいなヒラヒラな服を着ることは多いけど、わざとだから』
「お洋服、かわいいです」
『うーん……ありがとう!』
死の直前、エバンスは着る予定のなかった舞台衣装を身に付けていた。
幸か不幸か、そのようなこともあって今のエバンスは歌姫に相応しい姿なのだが、今後常にこの姿でいなければならないのかと思うと、エバンスとしては複雑な気持ちであった。
『まず、無響室に必要なものですが……とにかく大量の綿状のものが必要になります』
「わたじょう……?」
施設の建設が決定し、まずやるべきは資材集めであった。
いつもの広場に全員が集まり、パトレイシアの話を聞いている。今日は珍しくリチャードも聞くだけの姿勢で着席していた。
『綿、発泡体、とにかくそのような軽くて中空の素材ですね。海綿などでも代用できるかもしれませんが……それらが音を消すための主素材となります。壁がもたらす音の反響を最小限とするには、それらが不可欠です』
「綿ってことはつまり木綿とか、そこらへんの綿だよな? ……あるかなぁ」
『埋没殿は崩壊や経年劣化、瘴気の影響により大変物が傷みやすくなっていますからね……なので、普通の綿を得ることは難しいでしょう』
レヴィの着用しているボロ切れも大概限界がきているし、頑丈に作られているはずのリチャードの罪人のローブもまた草臥れている。柔らかな綿が瓦礫の下敷きになっていないとして、無事かどうかは疑問だ。
『なので代用品を用意します。ここ埋没殿では一般的な資源は壊滅的ではありますが……骨蜘蛛の糸を集めれば、きっと代用品になってくれるはず』
「骨蜘蛛って、時々坑道の中をうろちょろしてるスカルベのことか?」
『はい。坑道にいるということは、どこかに骨虫スカルベの巣があるはず。そこにはスカルベが営巣のために吐き出す骨蜘蛛の糸が溜まっているはずですよ』
「巣……うう、気持ち悪い……」
骨蜘蛛の糸は、主成分を石や骨とする細い糸状の鉱物繊維だ。
脆く決して頑丈なわけではないが、綿や発泡体の代用としては使えないこともないだろう。
『もう一つが布。テーブルクロスほどの大きくて薄手の布が必要になります。発泡体を包み、纏めて塊にするためのものです』
「布ねぇ……薄ければなんでもいいのか?」
『薄ければ薄いほど良いです』
「つまり、あれか。たまに空を飛んでるやつ」
『はい。布を被って飛び回る幽体、クロスゴーストを倒して入手します。これも数を倒さなければなりません……なのでダメそうなら、他から布を調達することも視野に入れねばなりません』
クロスゴーストは布を被って飛び回るゴーストだ。
獲物を見つけると上から覆いかぶさって首を締めようとする悪霊だが、現時点で首を締められることが致命傷となる人物はここにはいない。布を掴んで辺りに叩きつければ勝手に霧散するか、布を残して逃げて行くだろう。
『それ以外の材料としては、針金か……角材、木材が必要ですね。布に詰めた発泡体を、楔の形に形成、壁面などに設置する時に使います』
吸音効果のある楔を敷き詰め、部屋から発せられる音を跳ね返すことなく吸収する。それが吸音室の仕組みだ。
『もちろん部屋自体に防音効果がなければ無意味なので、まず先にそういった作業をリチャードさんにはやっていただくことになりますが……』
リチャードは大きく頷いている。彼はいつも以上に乗り気だった。
「じゃあ俺は蜘蛛の巣探しと、機会があれば他の素材集めってとこか」
「わ、私も頑張ります」
『……僕はどうすればいいでしょうか?』
『エバンスさんもルジャさんと一緒の探索に行かれると良いでしょう。護衛が必要ですし、エバンスさんであれば突発的に現れたゴーストにも対抗できるかもしれません。お願いしますね』
『は、はい』
『それと、もし蜘蛛の巣が見つからないようであればスカルベそのものの骨でも構いません。焼いて砕けば、多少は素材になるかもしれませんから』
こうして、大まかな方針が決定した。
とはいえ無響室を作るにも相当な労力が必要だし、パトレイシアは材料が簡単に集まるとも思ってはいなかった。
最低限、無響室の原型となる防音室がリチャードによって作られればそれで良し。それさえ出来れば、ひとまずの目標は達成できるからだ。
“私も資材集めに参加する。”
『え? あ、はい。しかしリチャードさんには、部屋を……』
“すぐに終わらせる。”
しかし彼女にとって予想外だったのは、誰よりもリチャードがやる気に満ち溢れていたことであろう。
“完全に音のない世界というものを、体験しなければならない。”
リチャードは音の芸術には興味がなかった。
しかし、完全な無音。完全な静寂には、並々ならぬ興味がある。
彼は一番に広間を飛び出し、早速仕事に取り掛かった。
部屋に残された彼らは顔を見合わせ、苦笑している。
「……まぁ、ああいうお人だよ。やるって時には誰よりも集中して仕事する、大真面目な職人さんだ」
『なるほど……僕の周りにも似たような大道具さんがいたので、わかるかもしれません』
もちろんその大道具担当の職人にしてもリチャードほど偏屈ではないだろうが。
そんな頑固職人たちでさえ、今はもうこの世にいない。ふとそんなことを再確認するたび、エバンスはまた寂しい気持ちになってしまう。
「……さあ、行こうぜ! 道中は俺が護衛するから、何か見つけたら言ってくれよな」
『はい!』
「あ、わ、私も護衛……やります。はい」
「いやいや、レヴィは無茶しなくて良いんだぜ」
そうして三人も一緒になって探索へ赴いた。
パトレイシアは一人残された部屋で、静かに瞑目する。
『……この採取作業の中でいくらか敵性アンデッドを倒せば、私たちの戦力は僅かながらも増強されるはず。スカルベ退治とクロスゴースト退治……一歩一歩、埋没殿の脅威を取り払っていかなくては』
無響室の製作は長い目で見れば役立つだろう。
しかしパトレイシアは、それよりも先にアンデッドの掃除が必要だと考えていた。
以前、ルジャはグリムリーパーと遭遇した時、防戦一方の闘いを強いられたという。ルジャは武芸の心得を持つ唯一のまともな戦力だ。
また同じ場面になった際、グリムリーパーになすすべなく敗北したのでは困る。彼自身も己の弱さを痛感していたが、そうであればなんとしてでも強くなってもらわねばならないのだ。
『……さて。人にやらせるだけでなく、私も頑張らなくちゃ』
こうして、本格的な無響室の製作が始まった。