埋没殿のサイレントリッチ   作:ジェームズ・リッチマン

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火にかけられた鍋

 

 埋没殿に潜む不死者たち。

 かつて栄華を誇ったバビロニアの残骸は、ミミルドルスの腹の中で今も尚辛うじて巨塔の一部を遺している。

 

「跪け」

 

 塔の最上階、玉座の間。

 色褪せた十三階段の上、今も尚そこに鎮座する不動の玉座には、バビロニアが没落する以前と変わらぬ者がそこにいた。

 

 眇の狂王ノール。

 今は莫大な魔力を湛えるノーライフキングとして、生前より引き継いだ異形の白骨の身となっている。

 だが不死者になった彼は、己の理性と自我を失うことはなかった。

 知能あるアンデッドならば生前の記憶を引き継ぐことも珍しくはない。それが智謀に長けたノールであったならば、当然ですらある。

 

 今、ノールの前には一体のスケルトンが跪いていた。

 スケルトンには暗い不吉な靄が纏わりつき、スケルトンの動きを完全に掌握している。

 

 これこそがノーライフキングと呼ばれる至上のアンデッドが持つ能力。下等なアンデッドを己の意のままに操る、人間にとっては災厄でしかない王の力。

 

 スケルトンはまるで自我を持つ従順な家臣であるかのように頭を垂れ……やがてその頚椎が剣に砕かれ、不死者としての生を終えた。

 

「我が糧となることを許そう」

 

 剣を振り下ろしたのは他ならぬノーライフキング、狂王ノールだ。

 彼は己の力を気まぐれに試しているうちに、他者を滅ぼすことで力が増幅することを学んでいた。

 ノーライフキングとしてのアンデッド支配の能力は、距離や対象の力量によって左右される。発現したその時でさえ強力無比な効果ではあったが、ノールはそれよりも更に上の力を望んでいた。

 

「我は遍くを支配し、再び国を興す。人間も、不死者も、世界に蔓延る魑魅魍魎も、全てをこの玉座の前で跪かせてやる。不死なる絶対君主による永遠の統治。クカカカ……貴様もその礎となるのだ。嬉しかろう? ん?」

 

 異形の頭蓋骨はケタケタと嗤い、その正面に跪く新たなスケルトンは、暗い靄の中で恭しく頷いた。

 

 玉座の間には、ノールとの謁見を望まされた者の列が連なる。

 それはノールの糧として選ばれた者たちの葬列。

 絶対支配者の緩慢な死刑執行を待つ、バビロニアの民であった者たちの最期の旅路。

 

 ノールはかつての民であった不死者たちを、一人一人を丹念に、ゆっくりと処刑してゆく。

 破砕された骨が砕かれ、玉座の間に骨片が満ちてゆく。

 

 ノーライフキングは力を貪ることに夢中だ。少なくとも、今はまだ。

 

「グォオオ……」

 

 玉座の背後では、腐肉を纏ったドラゴンゾンビが微睡んでいる。

 今はまだ……。

 

 

 

 

 塔の外、埋没殿の荒野では、一人のアンデッドが当て所もなく彷徨っている。

 かつて親衛隊の儀礼服として鮮やかだった赤は今や色褪せ、手にしたオリハルコンの長剣は鎌のように曲がり、歪んでいる。

 

 その男はグリムと呼ばれ、狂王ノールのもとで親衛隊を務めていた。

 昔は女を魅了してやまなかった美男子としての顔も、今は白骨と成り果てている。

 だが彼が生前より鍛え続けてきた天性の剣技は、未だ少しの錆を見せることもなく斬れ味を保っていた。

 

「カカカカ……!」

 

 グリムリーパーは魂を喰らう。

 生者であろうと死者であろうと関係ない。彼は全てのものに終焉を齎すために、その歪んだ剣を振るっていた。

 

 グリムリーパーとしての苛烈な攻撃性。

 そして生前より持ち合わせていた、あらゆるものを斬り殺したいという残虐性。

 その二つが噛み合った現在の彼は、埋没殿の広大な荒地における無二の強者たらしめていた。

 

 彼に自我はない。残っているのは純粋な害意と悪意。しかしその単純にして醜悪な本能こそが、地中に呑み込まれたこの世界において悲劇的なほどに合致している。

 

 グリムリーパーは力を喰らい、獲物を求め続ける。

 まるで、いずれ対峙することになる強者に備えるかのように……。

 

 

 

 

 埋没殿の縦穴の壁面に、白い人影が蠢いている。

 それは一見すると全裸の男であるが、彼の爛れた顔と剥き出しの牙を見た時、それを単なる変質者と認めることはできないだろう。

 

 かつて貴族であったその男がこの地へやってきたのは、ただの視察のためであった。

 無尽蔵に財宝が湧き出てくる埋没殿。その完全なる掌握のために、対アンデッドとして無難であった長槍を持たせた私兵を引き連れ、バビロニアの遺構群へと踏み込んだのだ。

 

 しかし運の悪いことに、彼らは強力なアンデッドに襲われた。

 埋没殿が発する負の力に惹かれてどこかからやってきて住み着いたらしきヴァンパイアと遭遇してしまったのである。

 

 強大な力を前に長槍部隊は壊滅。人々は殺されるかグールと化し、悲鳴だけを遺して散り散りになった。

 長槍部隊は奮闘したのだが、咄嗟に逃げることもできずに真っ先に噛み付かれた貴族を救い出すことはできなかった。

 

 それから何年もの月日が流れ、その時の被害者であった貴族の男は今、こうして壁を這うように蠢いている。

 そこにはかつての傲慢さも、嫌々ながら受けていた高等教育の名残もない。

 長きに渡る鮮血への飢餓感は理性を壊し、飢えた獣としての本能だけを遺して蒸発した。

 

 在りし日の名はパイル。

 今は名もなき盲目のヴァンパイアである。

 

「コカカ……カカカカカカ……」

 

 やがてパイルは壁の下方向に何かを感じ取り、その身をカサカサと素早く動かした。

 盲目の彼にはもはや何も見えないが、彼の真下には間違いなく、何かがいて、蠢いている。

 

 動くもの。それは獲物だ。

 

「グァアアアアアッ!」

 

 瞬間、パイルは獣のような咆哮をあげてそれに喰らい付いた。

 振りかざした手は壁面をハンマーのように砕き、僅かに抵抗したらしい獲物も相当な力持ちではあったが、ヴァンパイアとしての比類なき膂力を遮るには値しない。

 

 パイルが襲いかかったのは、壁際に槍で縫い止められていた憐れなグールであった。

 それは以前にパイル自身が噛み殺してグールとした相手であったが、今の彼にはそんなことすらわからない。

 

 あるのは衝動。それだけだ。

 

「ゥロロロロ……」

 

 やがてそのグールは無茶苦茶に引き裂かれ、腐肉を噛み砕かれ、原型を留めない血のシミとなって消えた。

 隷属化した無力なグールさえ、そうとは気付かずに屠る暴君。

 

 理性なきヴァンパイアは獣のように辺りを見回し音を発すると、やがて緩慢な動きで、再び壁を登りはじめた。

 次なる獲物を探すために。

 

 

 

 

 不死者で満ちた埋没殿は、僅かずつではあるが、煮詰まり始めていた。

 やがてドロドロに固まり始めたスープは、自ずとその中身を顕にすることだろう。

 

 不死者は数多いが、無限ではないのだ。

 

 

 


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