防音室の効果は実証された。
入り口の機密性が高いこともあってか、音漏れは非常に少ない。エバンスが部屋の中で歌っていても、ドア越しではほとんど聞こえないほどであった。
ここから楔型の吸音体を設置してゆくことで無響室へとなるのだが、それにはまだ物資が足りない。なので最後の調達はルジャとパトレイシアが請け負い、エバンスとレヴィは防音室で歌声の効果を実感することになった。
エバンスにとってはライフワークであり、レヴィにとっては貴重な娯楽である。
エバンスの歌は密かに対ヴァンパイアの切り札として期待されている。
目の見えないヴァンパイアに通じるものがあるとすれば、それはもう音しかなかったためである。剣で戦えない以上、残り少ない手札を見ればすぐに浮かぶ発想だ。
エバンス自身も己の歌が重要となり得ることは知っている。
こうしてレヴィの前で試し試し歌うのも、常に真剣だ。
生前の歌。明るい歌。暗い歌。エバンスは様々な歌を知っているが、レヴィはどの歌も楽しそうに聞いている。
どうやら魔力を込めずに歌う分にはどの歌もほとんど効果はなく、感情を激しく揺さぶることもなかったようだ。
逆に魔力を込めた歌は、劇的な変化が見られる。
明るい歌であれば感動が増し、暗い歌ならば気分が沈み込むのだという。そのためにエバンスは二つの種類の歌を交互に歌う必要があった。
「エバンスさん、歌……すごい、上手いですね」
『ふふ、ありがとう。……これから激しめの曲にするから、ダメそうだったら言ってね?』
そして魔力をより多く乗せた、刺激的な曲。
乱暴な曲調と絶え間なく響く声は、防音室をビリビリと震わせる。
真正面で聞くレヴィは思わず耳を塞ぎ、蹲ってしまうほどの威力が秘められていた。
歌はすぐに取りやめられ、エバンスは狼狽えた。
『ご、ごめんね! 痛かったかな……』
「大丈夫です……びっくりしちゃって」
『……どんな感じだったかな。動ける? それとも、嫌な感じがするだけ?』
「ええと……なんだか、ズンってきて……奥の方までくるみたいな感じで……それと、全身が驚いちゃったみたいで、こう……」
説明は要領の得ないものだったが、どうやらエバンスが強い魔力を乗せた歌であれば、レヴナントを圧倒するだけの力が秘められているようだ。
あとは乗せる魔力の量と選曲などを吟味する必要があるだろう。
「おーい、開けるぞー」
そして部屋にルジャがやってきた。
「最後の歌、結構音が漏れてたわ。それだけ伝えにきたぜ」
『そ、そうですか……ありがとうございます。ご迷惑を』
「ああ、気にすることはねーって。実験だしな」
どうやら本気の歌声は防音室を突き抜けるほどのものだったようだ。
パトレイシアは最初に防音室だけでも問題ないという目論見を立てていたが、現状を考慮するにどうもそれだけでは足りないらしい。
エバンスのより効果的な歌を模索するには、無響室を作る必要があるらしかった。
リチャードは無響室のための吸音楔を量産していた。
彼は最も手先が器用であったし、精度は無響室の質に直結するので、本人も納得の上での作業である。
しかし吸音楔に必要なスカルベの巣材は常に枯渇状態で、苦肉の策として似たような発泡体として様々なものがつめこまれている。
特に焼いて脆くさせたスケルトロールの骨などは適しており、砕いて使えばそこそこの効果が見込めそうである。
どうやら最近は魔物系アンデッドの数が増えているらしい。
パトレイシアはその原因が、坑道を塞いでいたヴァンパイアがこちら側へ移動してきたためだと考えているようだ。
リチャードとしては材料が増える分には構わない程度の気持ちでいるが、より流入が悪化すれば坑道にまで闖入者が現れるかもしれない。
魔物由来のアンデッドは特に騒がしいものが多いので、スケルトロール程度で留まるのが理想だが、こればかりは運だろう。
『リチャードさん』
楔を作っていると、パトレイシアがやってきた。
彼女は定期的に哨戒に出ては、大きな布材を持ってくる。坑道のメンバーの中でも最も精力的に働くアンデッドの一人だ。
『折り入ってお願いしたいことがあるのですが、よろしいですか』
リチャードは無言で頷いた。
『……率直に申し上げます。坑道内の意思無きアンデッドたちを、全て破壊しませんか』
それはリチャードにとってもやや驚くほどの提案だった。
無反応をどう思ったのか、パトレイシアは慌てて“レヴィさんたちのことではありませんよ”と付け加えた。当然リチャードもそのくらいのことはわかっている。
『理由はいくつかありますが、まず彼らが完全な無害ではないことです。彼らは物音を立てて歩くので、バリケードがあるとはいえ、音が外にまで聞こえてきます。それをヴァンパイアに察知されたくない』
尤もな理由である。未だ自我を取り戻さないスケルトンたちは、現状最も不注意な音源と言えた。
『そして区切りをつけるためです。私はリチャードさんの作品には力があることを疑っていませんが、古いアンデッドである彼らにはそれが通じない。自我を取り戻すのは困難であり……ならば、我々は力の糧とするべきでは、ないかと……』
坑道の野良アンデッドたちはリチャードの作品を恐れる素振りを見せるが、それだけだ。彼らは自我を芽生えさせることなく、今日にまで至っている。リチャードとしても多種多様な作品を作ってきたが、最近ではパトレイシアの意見に合意する方向に考えを変えていた。
なので、リチャードは特に逡巡するまでもなく、木片に返事を書き記した。
“破壊したあとの骨は素材に使うので、一箇所に集めておいてほしい。”
『……ありがとうございます。ええ、どうせならば有効活用しましょう』
パトレイシアもリチャードならば忌避感はないだろうと思っていたので、これは予定調和だった。
きっとルジャも賛成してくれるだろうが、少しでも葛藤する相手のためを思えば、あらかじめ賛成票の数を増やして後押ししておくべきであろう。
特にレヴィなどは、心を痛めるかもしれなかったから。
『ルジャさんに綺麗に壊していただくのが一番ですね。後でお願いしてみます』
戦力は少しでもルジャに集中させる。
何より、彼にはまだまだ忌避感が残っているので、今からでも少しずつ意識を変えてしまいたい。
そうでなければ、きっと間に合わなくなる。
パトレイシアは埋没殿の各所に存在する不死者たちが目減りしている事を、なんとなく察していたのだった。