レヴィが無響室の扉を嵌め込み、数十秒が経過した。
内部の様子はわからない。暴れているのかも、奇声をあげているのかも、無響室の消音能力は全ての気配を遮断しているが故に。
だが数分が経っても何も起こらない様子を見るに、上手くはいったようである。
「音でしか世界を見れなかった不死者が、音を喪って……世界の終わりでも悟ったのかね」
ルジャはひび割れた身体を庇いながら、よろよろとレヴィの横に並んだ。
『恐ろしい、魔物のようなアンデッドでしたね……けど僕は、なんだかあの人のことが……少し、哀れに思えました』
エバンスに怪我はないが、命を賭けた歌の誘引で相当に気疲れしているらしい。彼は通路の壁に寄り添ってへたり込んでいる。
『皆様……ヴァンパイアは……』
「パトレイシアさん……!」
スカートの裾を引きずるようにやってきたのは、全身から炎のように揺らめく霊子を溢れさせた満身創痍のパトレイシアだ。
おびき寄せる間、何度もヴァンパイアの攻撃に晒されていた彼女は今もなお危険な状態にある。
「休んでください……無理したら、駄目です……」
『ですが、ですが私のせいで』
「お願いします……」
泣きそうな顔のレヴィに見上げられ、パトレイシアは言葉に詰まった。
自責の念はある。しかし、それは目の前の少女の気持ちを蔑ろにした自己満足ではないか。そう思うと、パトレイシアは少しだけ目がさめる気持ちになれた。
「俺からも頼む。今は……俺もそうだが、少し休みたい」
ルジャが閉ざされた無響室の扉を見つめ、肩を落とした。
あの向こうがどうなっているのかは気になるが、気にしたところでどうにかできる力はもう、自分たちに残されていない。
『……念のため、無響室から離れて休みましょう。なるべく静かに、音を立てないように……今はまだ……』
たった一体のヴァンパイアによる気まぐれな襲撃。
それによって半壊した自分たちのねぐら。気落ちする部分はあまりにも大きいがそれでもまだ、彼らは生きている。
少なくともあの哀れなヴァンパイアのように獣じみた存在に堕ちることなく正気を保ち、人間らしくいられている。
そんな考えを慰めに、彼らは坑道の片隅でひっそりと休息をとるのだった。
「……」
リチャードは一人、閉ざされたまま動きのない無響室の扉の前に立ち竦んでいる。
内部の様子はわからない。まるで扉越しに、この世界とは隔絶した別の世界があるかのように未知である。
音で獲物を捉えるヴァンパイアを無響室に閉じ込めるのは、ある種の賭けであった。
リチャードが自分なりの考えで、無響室をある種の死を想起させるものと解釈していたことが功を奏したのかもしれないし、また別の要因でヴァンパイアを封じ込めたのかもしれない。
上手くいったのであれば、それは素晴らしいことだ。
あのカチカチのうるさい不死者が黙っていてくれるのであればそれ以上のことはない。
しかし、であればこそ尚更に、惜しい気持ちも強い。
目の見えない不死者に沈黙を齎す真の静寂。今やそれを開け放つこともできなくなってしまったのだから。
リチャードは彼なりにヴァンパイアを嫌悪していたが、その点において無響室の中のヴァンパイアを羨ましく思う。
“再び造りたいものだが、今は身体を直すべきか”
ヴァンパイアの抵抗により、リチャードもその白骨の身体に傷を負っている。瘴気の濃い埋没殿であれば自然治癒も早いだろうが、しばらく作業できないのは退屈で、辛いものだ。
“音による芸術、か”
造形による美とは異なる、時間と響きの芸術。
静けさを好むリチャードにとってそれは受け入れがたいものであったが、今回の一件では静寂や歌声により大きく左右されるものが多いことも判明した。
自らの手で掘り下げたい分野には思えなかったが、彼は部分的にはそんな美のあり方にも、一定か一抹ほどの理解を示そうと思えたのであった。