――伏衆神クーア
出発の日
無響室にヴァンパイアが閉じ込められ、数日が経過しても尚、そこから出てくる気配は見られない。
また再び音を立てればどうなるかはわからなかったので、内部の様子を確認することはできず、不用意に物音を立てるわけにもいかない。
そのため、坑道に棲まう理性的なアンデッド一同は居を移すことに決めた。
『皆様のおかげで、どうにか復調することが叶いました。このお礼は必ず……』
「おいおい、パトレイシアさん。その話はもういいって。謝られるのも勘弁してくれよ」
『……しかし』
「な、レヴィ? お前さんもそう思うよな?」
ルジャがレヴィに訊くと、彼女はパトレイシアの顔色を気にしながら遠慮がちに頷いた。
「パトレイシアさんは献身っつーか、自己犠牲がすぎるんだよ。大変だったり辛かったりするならもっと俺たちを頼ってくれていいし、寄りかかってくれ」
『僕らも一緒に頑張りますから。あまり無茶はしないでください』
『……皆さん……ありがとうございます』
ヴァンパイアとの死闘を経て、四人の絆はより深まったらしい。
四人というのは当然、レヴィ、パトレイシア、ルジャ、エバンスのことである。
リチャードはそれに含まれていない。
彼は今も会話を聞き流しつつ、坑道より持ち出された工具類を研ぎ直している真っ最中である。
坑道から拠点を引き払うのは五人の総意だ。
音を立てれば再び目覚めるかもしれないヴァンパイアの潜む坑道内で再び日常を送ろうと考える者はいない。既に坑道内での製作活動に慣れきったリチャードであっても、それは同じだった。
しかしそれですっぱりと諦めて次に切り替えられるほどリチャードも柔軟ではない。惜しい気持ちはあるし、環境を変える面倒臭さに辟易している部分はかなり大きい。
率直に言えば、彼は今ふて腐れていた。他人に当たってもどうしようもないことなので不機嫌さを表に出すことはないが、その落胆はレヴィを始め坑道の住人たちにはしっかりと伝わっている。
『……まずは、新たな拠点を探さねばなりません。我々は屋根も寝食も必要ない不死者ではありますが、精神性は人間に近いですからね』
リチャードの機嫌を宥める意味でも、自分たちの心の安寧を作る意味でも、新たな拠点は必要だ。
『なので提案をさせていただきたいのですが……次の拠点は埋没殿の中心……バビロニアの斜塔に構えるというのはどうでしょう』
「えっ……」
提案を聞いて肩を震わせたのはレヴィだ。
口には出さないが、エバンスもあまり気乗りする様子ではない。
「パトレイシアさんの考えは悪くないと思うぜ。前はスケルトンハウンドも多かったが今はほとんど見ないし、エバンスの歌があれば不死者を遠ざけて戦わずに進むことも難しくはない。俺も、まぁ最初の頃よりは強くなったしな」
ルジャは提案に賛成の立場だ。
実際に現状の彼らは時を経て力を高めているし、エバンスという様々な力を持つ歌によって大勢のアンデッドを相手取っても切り抜けるだけの切り札もある。
幸い、今は埋没殿は斜塔の袂に群がる不死者も少なく、切り込むのであれば今が最上であるようにも思われた。
何より、外壁の坑道も安全なわけではないことが判明したのが大きい。
ヴァンパイアのような外からやってくるアンデッドに襲撃される恐れはあるし、長年の収集活動によって近辺の資材も枯渇した。
“形が現存している塔の内部であれば、優れた素材も多く得られるだろう。”
そしてリチャードが賛成の立場に立っている。
彼は口数も少なく、鶴の一声というほど声を上げることもないのだが、彼の意向は不思議と採用されやすかった。
「り、リチャードさんがそう言うなら、はい……」
『僕も頑張ります。……僕の歌に皆さんの安全がかかっていると思うと、責任が大きくてちょっと怖いですけど……』
『満員の大ホールで歌うようなものです。あまり緊張なさらず』
『いえ、あの……僕も決して舞台で緊張しないわけではないですよ……?』
「へー、そういうもんか」
『そうですよ……ルジャさん。いざという時は、守ってくださいね?』
「……はぁ。エバンスが女の子だったらなぁ」
『僕にそんなこと言われても……そもそも、お互いアンデッドじゃないですか……』
『はいはい。皆さん、馬鹿をやっていないで出発しましょう。私が安全な道を見つけて先導しますから、心を切り替えてください』
目的地は埋没殿の中心にして本体であるバビロニアの斜塔。
その頂上にはドラゴンゾンビがいると思われ、その他は一切が不明。
しかし多くの資材が眠っていることは確実であり、上手く拠点化できれば坑道以上に堅牢な塒を確保できるだろう。
「……あっ、ごめんなさい。パトレイシアさん、少し待っててもらえますか」
『? はい、忘れ物でしょうか? 大丈夫ですよ』
レヴィは慌てた坑道前まで引き返していき……入り口側に安置されたネリダの墓の前で、祈りを捧げた。
その様子を見たパトレイシアたちは互いに顔を見合わせ、不気味に忘れかけていた習慣を目覚めたように思い出すと、彼らもまたレヴィに倣い、同じように墓前で祈りを捧げた。
リチャードはその様子を遠目から眺めるだけで、祈りはしなかった。
墓石を丁重に扱う彼らの姿を見て、不死者の感性についてまた一つ理解を深めたことに満足するばかりである。