埋没殿のサイレントリッチ   作:ジェームズ・リッチマン

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人頭税納税義務

 

 塔に響く王の声は消え、静寂が訪れた。

 すると不死者たちの身にのしかかっていた重圧が解け、体に自由が戻る。

 

「……今のは……ああ、くそ、操られそうになっていたのか、俺は……」

 

 ルジャは未だ頭蓋に残響する声を振り切るように頭を叩くと、周囲を見回した。

 そこには身体を掻き抱いて震えるエバンスと、天を見上げて恨めしそうに歯噛みしているパトレイシアの姿がある。

 リチャードは普段通りで、特に苦しむ様子もない。同じ骨の身でありながら先程の“声”による負荷を感じていないのは、種族の差であろうか。

 

 見ればエバンスも酷く怯えているだけで、決して操られているようではない。

 自分達の中で最も強く声の影響を受けたのは己かもしれないと、ルジャは少しだけ生まれの差を苦く思った。

 

『今の声は、かつてバビロニアの頂点に君臨していた狂王ノールのもの……そして、ええ、わかりました。この塔の内部や周辺にいた奇妙な徒党を組んでいたアンデッドたちは、既にノールの支配下にあったのでしょう。……意思さえ奪って操るだなんて。奴の悪辣さは、今も変わらない……』

 

 パトレイシアは種族としての魔力の適性から、今の“声”に秘められた力を正確に理解していた。

 声に秘められた性質は“支配”。ノーライフキングのアンデッドを統べる特性を純粋に利用したただけの、それ故に強力なものである。

 

「……待て。レヴィはどこだ?」

 

 ルジャは自分が操られかけていたことを自覚していた。

 その感覚は、同時に自分よりも弱い種族であるレヴナントに対する危機感へと繋がった。

 

 辺りを見回しても、レヴィがいない。

 ついさっきまでそこにいたはずの彼女が、消えている。

 

『レヴィさん!?』

『あれっ、いない……!?』

 

 遅れて二人も気がついた。

 元々口数が少なく、人の後ろを歩くタイプだったせいもあり、いつ消えたのかも定かでない。

 

「操られたんだ……今の声にッ……ノールに!」

 

 ルジャが瓦礫の丘を駆け登り、周囲を見回す。

 声によって操られた亡者たちは隊列を組んでどこかへ歩きだしたり、その場で置物のように待機している。レヴィの姿はない。

 

「レヴィーッ!」

 

 声を上げても返事はない。命令を受けたアンデッドたちは反応を示すことなく、粛々と与えられたタスクをこなしていく。

 その光景を目の当たりにして、パトレイシアはハッと冷静さを取り戻した。

 

『……不死者としての反射より、命令が優先されている……? で、あれば……』

『パ、パトレイシアさん! ど、どうしましょう。レヴィさんは、どうすれば……』

『……』

 

 先程まではパトレイシア自身も慌てていたが、自分よりも慌てた様子のルジャとエバンスを見て己を客観視できた。

 すると更に状況が、これからすべきことが鮮明に見えてくる。

 

 リチャードがステッキの石突で鳴らす硬質な音で、パトレイシアは思考の海から引き上げられた。

 寡黙に過ぎる彼を見れば、彼は今でさえ何も語ってはくれないが、パトレイシアにはこう言っているように見えた。

 

 “考えるのはお前の役目だろう”と。

 

『……エバンスさん。“せせらぎ”の二番、出だしから。歌ってください』

『え、“ラ”……そ、そんな場合ですか?』

『いいから。出だしだけでいいので』

 

 エバンスはその時、レイスの真剣な眼差しの中に真摯な光を見た気がした。

 そして歌えという短い言葉。それは混乱しているとはいえ、彼を突き動かすのに十分な起爆剤だった。

 

『“――古い柱の溝の中 今日も故郷の音がする 遠い記憶の奥底で 朝陽に煌めく川のせせらぎ”……――』

 

 エバンスは歌った。聞く者の心を穏やかにするその歌を。

 静かな旋律は響き渡り、すぐに止んだ。しかしそれだけで、皆の心を平坦に戻すには十分であったらしい。

 

 ルジャは歌が止んでようやく、自分が無意味に盾と剣を構えていたことに気がついた。

 

「……すまねえ。独断行動するところだった」

『落ち着かれましたか、二人とも』

『はい。……自分の歌ですが、なんとか』

『良い歌でした。穏やかで、私の思い入れが……いいえ、今はそれより、作戦について説明をしなければなりませんね』

 

 パトレイシアは無意味な咳払いを挟み、語り始める。

 

『レヴィさんは今、ノールによって操られています。塔に響き渡ったあの声に抵抗できなかったのでしょう……レヴナントは、特に死霊術師に操作されやすい種族ですから』

「どこに行っちまったんだ……姿が見えなかった」

『周囲にいなければ、二つにひとつでしょう。つまり、塔の外に出たか、塔の上に登ったか』

 

 それはどちらにせよ芳しくない動きであった。

 塔の外には危険なアンデッドであるグリムリーパーが徘徊しているし、塔の上にはわかっているだけでも狂王ノールやドラゴンゾンビがいる。

 

 グリムリーパーに遭遇すれば、レヴィは呆気なく殺されるだろう。

 上に登れば何があるかわかったものではない。

 

『ですが、悩む必要はありません。おそらくレヴィさんは、塔の上に向かったのだと思われますから』

「な、わかるのか。一体どうして」

『今動いているアンデッド達から推測するに、ではありますが。ほら、スケルトンたちは宝物を運び出しに外へ向かっていますが、ゾンビなどは塔の上に向かっています』

 

 人間には数メートルも見渡せないであろう闇の中、パトレイシアは遠方を指し示す。

 塔の上へと続く階段は、行く者と来る者が律儀に左右の道を使い分けている。

 注視するとそれは彼女の言う通り、スケルトンは出口を目指しているし、その他のアンデッドは上を目指しているように見えた。

 

『きっと、役割を分けているのでしょう。場所、役目、それらを種族単位で分担させ、効率よく動かそうとしているのです。レヴナントたちも上を目指しているので、おそらくレヴィさんもそちらに。あの王は悪辣ですが、恐ろしいほどに論理的ですから』

「……上、か」

『う、上に何があるのでしょうか……』

『きっとろくなことではないでしょう。……私にはわかります』

 

 絶対権力による支配。それは力によって成し遂げられる。

 ならば、ノールは必ずその手段を模索するだろう。嫌悪するが故に、パトレイシアは彼の取る行動が手に取るようにわかった。

 

 この世界(モルド)においては同族でさえも、殺せば力の糧となる。

 スケルトンソルジャーならば身体能力が上昇するし、レイスならば魔力総量が増加する。

 であれば、ノーライフキングなら?

 それがわかった時、ノールは何をする?

 

 決まっている。

 

『彼は殺そうとしているのです』

 

 殺す。大勢殺す。

 己の支配を盤石にするために、とにかく己の手で不死者たちを殺そうとする。

 

 そして人を誘い込む。宝を各地にばら撒いて、人を呼び込む。それも殺す。

 

 彼は間違いなく力をつけようとする。誰も逆らえないほど絶対的な力を。

 数え切れないほどの屍を盤石の基礎として、次こそは絶対に崩れ落ちない牙城を打ち立てる。

 

『……レヴィさんの身に、危険が及んでいます』

「……」

 

 リチャードは天井を見上げた。

 そこには、不死者でも見通しきれないほどの深い闇が広がっている。

 

 


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