埋没殿のサイレントリッチ   作:ジェームズ・リッチマン

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レヴナントのレヴィ

 一人の小柄なアンデッドが、狭い坑道内をさまよい歩いている。

 肌は青ざめ、各所が黒く変色している。

 今や艶の失われた長めの黒髪と、ボロ切れ同然の薄汚れたワンピースにだけ、微かに少女だった頃の面影を残している。ただそれだけの、ありきたりな不死者であった。

 

 スケルトンやゾンビとは異なり、生前の肉体をある程度残すタイプのアンデッドである。死霊術師によって操られやすく、不死者のヒエラルキーにおいては最下部に位置する存在。

 死の自覚を得る前に命を失った者が変ずることの多いその不死者を、人は“レヴナント”と呼んでいた。

 

 肉体を持ってはいるが、血は通っていない。魔力によって状態を保持し、動かしているだけの、肉人形のようなものである。

 生前の未練や執着、復讐心によって行動すると言われているが、彼女はまだ幼い少女だ。生前同様に非力であり、もしも彼女が復讐の対象を見つけたとしても、その無念を晴らすことは難しいであろう。そもそも復讐の相手が存在するかも怪しいのではあるが。

 

「ぁー、ぁああー、あー……」

 

 何故さまよい歩くのか。

 何を探しているのか。

 自分は一体何者なのか。

 

 レヴナントがそれを自覚することはない。

 低級アンデッドの自我は極めて希薄であり、生者に襲いかかること以外には行動指針を持たない。

 レヴナントは死霊術師(ネクロマンサー)の道具として操る他に使い道はないとまで言われる種族だからだ。

 

「あー……ぁー……」

 

 だから、彼女の徘徊は何の意味も持たないはずだった。

 そのはずだったのだが。

 

「……」

 

 とある坑道の入り口前で、彼女の足がぴたりと止まった。

 目線は分かれ道の片方に注がれたまま、じっと動かない。

 

 濁りかけた瞳が、穴の奥に潜む影をぼんやり見据える。

 そこにあるのは穏やかな気配。本能的に落ち着き、癒され、満たされる場所。

 

 認識した瞬間、少女はその穴へと歩みを進めた。

 進むごとに微かな予感が確かなものとなる、平穏への確信。もう二度とさまよう必要のない、自分だけの住処のような安心感がそこにある。

 

「……あ、ぁ、あ……?」

 

 違和感。だが、歩みは止まらない。鈍い判断力と緩やかな下りの傾斜がそのまま、大部屋の中へと彼女を誘ってゆく。

 そして部屋に出て、視界に全容が広がった。

 壁面いっぱいに緻密に彫られた、異様な芸術作品が。

 

「あ……ぁっ……」

 

 死。

 穏やかな時間の周りを取り囲むように広がる、闇のような死がそこにあった。

 不死者の心をざわめかせる滅びの造型は、とても直視できるものではない。終わりを一度経験したからこそ理解できる、終わりのさらに次に訪れる真なる終焉。

 

 それはまるで、決して崩れるはずのない柱が崩壊するかのような絶望感。

 大地のような天井が世界を押し潰しにかかり、急に足元が崩れ落ち、地下の果ての果てへと吸い込まれるような錯覚。

 

 いいや。

 果たしてその感覚は、錯覚だったのだろうか? 

 

 

 ──レヴィ、伏せろ! 

 

 

 兄代わりだった頼り甲斐のある少年は、自分の目の前で血溜まりになって死んだ。

 伏せていた自分は奇跡的に生きていたが、次の瞬間には地獄のような地下へと放り出され……。

 

 

「私……死んじゃった……」

 

 彼女はついに、生前の記憶を取り戻した。

 生前の名はレヴィ。最下層の孤児院に身を寄せる孤児であり、享年は8歳であった。その死は全身を縦穴の壁面に打ち付けることによる内臓の破裂であり、外傷は多かったものの、苦しみそのものは一瞬であった。

 

「死んじゃったよ……」

 

 もはや涙の流せない彼女は、縋るように壁面の彫刻を見つめるしかなかった。

 穏やかな中央のモチーフ。そこにはたしかに、自分の心の拠り所のような何かがある気がしたから。

 

「どこ……?」

 

 だが、この作品のテーマは不死者の心をかき乱すことにこそある。

 たとえ視界の中央に心を寄せようとも、周囲を取り囲む不穏なモチーフが心の休息を許さない。

 逃げ場のない焦燥の具現。

 

 

 製作再開歴4年、リチャード作。

 “必滅の孤島”。

 

 

「みんな、どこ……?」

 

 レヴィは作品から逃げるようにして、坑道の道を引き返してゆく。

 彼女は自身の内に湧き上がった感情が作品によってもたらされたことに気付いていなかったが、本能が避けたのだ。

 

「やだ……怖いよ……!」

 

 それは不死者としての本能であり、安全に飛びつく幼子の心理。彼女は坑道内で出くわす不気味な彫像から逃れるように、ほとんど最短距離で駆け抜けてゆく。

 

「みんなぁ……!」

 

 やがて、レヴィは大空洞へとたどり着いた。

 バビロニアが崩壊し、地中に呑まれた中心地点。

 

 巨大な空洞は天高くまで続き、その中央にはバビロニアの頑強な最上層部だけが小さな塔のようにそそり立っている。

 大空洞には多種多様なアンデッドがさまよい歩いており、見た目には恐ろしい空間だ。

 しかし今の不死者であるレヴィにとって、それは自分の孤独を紛らわしてくれそうな暖かさを感じさせる景色だった。

 

「いっぱい、いる……!」

 

 レヴィは折れた片足を庇うようにして、それでも必死に駆け出した。

 自分の心の内に巣食う恐怖が和らぐのであれば、白骨でも爛れた肌でも良かった。少なくとも今のレヴィは確かにそう考えていたのである。

 

「誰か……! あの、誰か……!」

 

 うごめく不死者。意思なくうごめく亡者の群れ。

 レヴィはそれらに嫌悪感を抱くことはなかったが、声をかけても反応が返ることはない。

 そこにいる人々が、確かに自分と同じ同胞であるにも関わらず。

 

「ぐキャッ……」

「……え?」

 

 不安げに辺りを見回していたその時、レヴィの足下に生首が転がってきた。

 脳が半壊したゾンビの首である。レヴィはそのグロテスクな生首そのものに嫌悪感を抱くことはなかったが、人混みの向こう側に見えたそれを見た時、恐怖を覚えた。

 

 

「……カカ、カカカカ」

 

 グリムリーパー。鎌のように折れ曲がった長剣を手にした、上級アンデッド。

 貴族の装いに身を包んだその白骨は、辺りにうごめく亡者たちの首を乱暴に刎ね続けている。

 そう、まるで遊びのように。

 

「い……嫌……!」

「……」

 

 グリムリーパーは声に反応した。あるいは、怯える少女の気配を察知した。

 グリムリーパーは同族であろうとも容赦なく狩り殺す、凶悪な不死者である。

 そして生前の彼は、あろうことかグリムリーパーと同様に嗜虐的なものであり……その相性は、極めて合致していた。

 

「カカカカ! カカカカカカ!」

「やぁっ!?」

 

 グリムリーパーが自分に狙いを定めたことを悟り、レヴィはすぐさま逃げ始めた。

 思い出すのは生前の記憶。通りかかった貴族に遊びとして矢を射かけられた時の恐怖。必死に避けた年上の女の子が“不敬”とされて殺された時のおぞましい想い出。

 

「助けて……助けてお兄ちゃん……!」

 

 グリムリーパーは辺りの亡者を壊しながら追ってくる。

 狩りを楽しむかのように顎を鳴らし、ゆっくりと追い詰めてくる。

 

 グリムリーパーに自我は無い。それでも生前の残虐性だけは、しっかりと骨にまで染み付いていたのだ。

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 レヴィは足が遅かった。

 転落時に折れた足のせいで、思ったように進めないのだ。

 

 どうにか坑道まで戻ってはこれたものの、グリムリーパーは既にそこまできている。種族差もあるし、子供と大人の歩幅では元より勝ち目がなかったのだ。

 

「あっ……ぐ、ぅあ……」

 

 レヴィは石に躓いた。

 埃かぶった地面に倒れ、無防備な姿が晒される。

 

「ごめ……なさ……」

 

 薄暗い坑道を這い、逃げる。

 貴族を見てはならない。見たとしても、頭はできるだけ低く下げなくてはならない。でなければ殺されてしまう。

 

 レヴィは小さな命乞いをしながら、服を雑巾のように汚しながら逃げる。

 グリムリーパーはその姿を見て満足そうに歩みを緩めていたが、レヴィにはそれが許しを与える姿には見えなかった。

 

「カカ……カ……」

 

 やがて、グリムリーパーが立ち止まった。

 恐ろしげに振り上げていた剣がピタリと止まり、威嚇するように打ち鳴らされていた顎が閉ざされる。

 

「……?」

 

 レヴィは思わず自分の背後を見上げた。

 

 そこには、どこか不気味な彫像がひっそりと闇の中に立っていて。

 

「ァ……ァアアアアアッ!?」

 

 グリムリーパーはそれをじっと見つめてしばらくして、叫び声をあげた。

 そのまま彼は来た道を引き返し、逃げ去って行く。レヴィを追い立てる狩など、既に彼の頭にはないように見えた。

 

「……これが……怖かったの……?」

 

 レヴィが不思議そうに、不安そうに見上げる石像。

 それはドラゴンの頭を持つ、奇妙な人型の彫像であった。

 

 確かに言われてみれば恐ろしいかもしれないが、じっと見ても……少なくともレヴィにとっては、叫び声をあげるようなほどでは無いように見える。

 

 

 製作再開歴11年、リチャード作。

 “暴君”。

 

 数ある魔物を象った作品のひとつであった。

 

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