「——コーヒーは頼んだし、席はここで良いか?」
「………うん」
「………まぁ、俺はなにも気にしてないし、もう照れなくても良いんじゃないか?」
「っ!ほ、掘り返さないでぇ………」
「わ、悪かったよ……」
「——よしっ。………もう大丈夫。もう平気です。モーマンタイ」
「なぜ広東語を……」
「えへへ、映画で覚えたのかな」
「やっぱり、結衣は映画への愛がすごいな」
「うん、それほど古い付き合いじゃないけどさ、いまでは『だいすきな人生のお伴』のような感じなんだよ……あっ……」
「……だいすきな、お伴………」
「……いっそのこところして」
「ま、まてっ結衣っ。早まるな!……あれ、このやりとり既視感があるような………?」
* * *
「——落ち着いたか?」
「う、うん……ご、ごめんね、きょうの映画の話をしよっか」
「だ、大丈夫だ。了解……——映画、ざっくり言ってどうだった?」
「そうだね。映画という人生の一部である娯楽を通じて、少年と老人の『愛情』を——んんっ。……なんでもない、いちいちこの単語に反応するわけにはいかないから——その『愛』がいかにも映画らしいうつくしさで描かれていて良かったな」
「劇中で映画を主軸にする映画っておもしろいよな。当時、映画館に行くことがみんなの大きなたのしみ、人生の一部を占めるような娯楽であって、そのなかで、映写技師と映画ファンの少年がフィルムを媒介にして友情を超えた愛情を培っていくプロセスは観ていて感動するし、結衣の言うとおり、その愛がすごく『映画らしい』うつくしさだったな」
「ただ愛を描くだけじゃなくて、主人公の人生の過程で愛が薄れる場面もちゃんとあって、ラストにそれを再確認するのって、映画にありがちな展開だけど、やっぱり感動的だよ」
「まだ俺は人生を長く生きていないからわからんが、人間ってあの映画の主人公ように、いろんな人間関係を経験したり、紆余曲折があって成長していくものなんだろうか」
「うーん……どうだろ。——わたしは、映画は人生のすべてを説明してくれるわけじゃないと思ってる。そもそも人生の一〇〇パーセントを反映している映画って存在しないんじゃないかな。人間には様々な生き方があるからっていうのも理由の一つだけど、やっぱり映画では伝えきれないくらい実際の現実が複雑だからだと思う。でも、なにも現実をそのまま投影するのが映画の本質じゃないと思うし……ごめん、答えになってないけど」
「いや、ありがとう。しっくりきた。……たしかに現実をそのまま反映させているなら、映画は必要ないからな。ドキュメンタリーにしたって、かならず制作側の意図が反映されるし、それ自体が間違っているわけじゃない。現実の方が複雑って意味では、人生は映画のように生きられないけど、だからこそ、たのしいこと、かなしいこと含めて、もっともっといろんなことがこれから起こるんだろうな」
「『人生は映画のようにはいかない』って、映写技師のおじさんも劇中で語っていたよね。映画のなかですらそう言っているんだから、現実はもっともっと複雑だろうね。でも、八幡のことばどおり、だからこそ映画以上に喜怒哀楽たくさんなことを経験していくのかもね」
「でも、人生に苦難が起こりすぎるのも考えものだな」
「だね。『生きるのはつらいことだらけだ』ってことばはよく引用されるけど、いつか実感させられる日が来るんだろうなぁ……」
「ま、無理して苦労する必要はいまはないと思う」
「うん。八幡とたのしくおしゃべりして人生を過ごしたい」
「………照れるな」
「あ、八幡照れてくれた。これでお互いの照れ度はおあいこだね」
「照れ度って何だ……でも、どう考えても結衣の方が照れていたような……?」
「あ、揚げ足取らないでっ……——」