その①
自分の命は間もなく尽きてしまう。不思議と自分の身体の事は自分がよく分かるし、何よりも星が教えてくれるのだ。死が刻々と近付いてきた時、孔明は先帝劉備の事を思い浮かべた。彼に出会わなければ、自分は何をやっていたのだろうか。
性は諸葛、名は亮、字は孔明。劉玄徳こと劉備に出会ったのは、建安十三(ニ0八)年、自身がただの農夫の若造だった時の事だ。劉備は何の実績もないどこぞの馬の骨である孔明を幕下に迎え入れようと、三度足を運んでくれた。一度目、二度目は会うことが出来ず、三度目にようやく顔を合わせるのである。
三度目劉備が家を訪れた時、孔明は昼寝をしていた。すると劉備、孔明を起こさずに姿勢を正して孔明が起きるのを待っていたのである。これだけでも驚愕ものだったがそれだけでなく、いざ対面してみれば、親子ほど歳の離れた孔明を先生と敬い礼を尽くし、教えを乞うてきた。没落する漢王室復興の志を胸に、誠意を孔明に見せ続ける劉備。
この日の衝撃を孔明は終ぞ忘れなかった。士は己を知る者のために死す。孔明は劉備の家臣となる事を決意した。
(それからは苦難の道のりでした)
孔明が劉備の家臣となった時、劉備を取り巻く現状は決して良いものではなかった。未だ確固たる基盤を持たず、既に天下統一目前の曹操から要注意人物として狙われ、さらに劉備自身の善人気質から取れる手段も限定される。それでも孔明は自身の終生の主の為東奔西走、奮闘した。そして、劉備に蜀という一国の皇帝の座をもたらしたのである。
そうして劉備の信頼を得て、その信頼に応えた孔明は、劉備亡き後、その子供である劉禅を支えて蜀の宰相という地位を以って、劉備の夢である漢王室復興の戦いを続けた。
敵である魏国は強大で、同盟国の呉国は全幅の信頼に値せず、劉備と共に戦い続けていた有能な人材も次々と亡くなり、それでも孔明は戦い続けた。
そして今、長きにおけるその戦いも、自身の生と共に終焉を迎えようとしていた。
(先帝陛下、申し訳ありません)
孔明は亡き劉備への謝罪の言葉を思った。寝台と天井の間に、劉備の顔が浮かび上がる。お前はよくやってくれた、私であればとっくに諦めていた、とおどけながら言ってくれてるようだった。劉備にはこういうひょうきんな所もあり、そんな劉備も孔明は好きだった。
思わず笑みがこぼれる。そうですね、私はよくやった方ですよね、孔明はそんな気持ちになった。
(それにしても、陛下と、劉備殿とお会いしなければ、私は何をしていたのでしょうか)
ふと、そんなことを思った。
ただの農夫として一生を終えていたのだろうか、戦乱で命を落としていたのだろうか、もしかしたら兄を頼って呉国に仕えていたかもしれないし、まかり間違って魏国の臣下となっていたかもしれない。自身で国を興そうなどとは考えなかっただろう。そんなことを出来る環境でもなかったし、そもそも自分にそんな器はない。
(ならば、戦乱のない平和な世であれば)
どうなっていただろう。考えても想像がつかない。
気になる。
孔明は戦乱のない世に思いを馳せた。気になる事があれば、とことん気にして追及したくなるのが孔明の癖の一つだった。こういうところは、意外と大雑把な所もある劉備と合わない面である。劉備なら、別に知らなくても良い、関係ないから、で終わらせそうだ。
何をしていたのだろうか……。
考えてみようとした時、孔明の思考は覚束ないものとなった。意識が朦朧としてきており、どうにも上手く頭が働かない。とうとう終わりの時のようだ。
(申し訳ありません)
もう一度、劉備に謝罪。
(何をしていたのでしょうか)
もう一度、そう思った時、身体がふわりと浮き上がる様な感覚に見舞われた。
(私は、何を――)
孔明は完全に意識を飛ばした。
◆
絢瀬絵里が初めて希を知ったのは、高校一年生の登校初日、クラスで行われた自己紹介の時間である。この自己紹介、一人か二人は時たま妙な事を口走る人がいるが、希はその妙な人間の一人であったのだ。
「性は東條、名は希、字は孔明と申します。一年間と言う長い様で短い時間でありますが、皆様、是非によろしくお願い致します」
優美さとたおやかさを兼ね備えた様な容姿、動きであったが、クラスの関心はそこにはなかった。いや、あったのかもしれないが、それ以上の事があったのである。勿論、絵里も例外なくその一員だった。
字って何? 孔明って何? どっかで聞いたことがあるような、ないような。ああ、三国志の諸葛亮孔明! 何で?
自己紹介の日は疑問に思うだけであったのだが、後日、絵里は希と話す機会があったので、そのことについて訊ねてみた。返って来た答えはこうだった。
「私が私であることの証です。スピリチュアルというやつですよ」
「ハラショー」
望んでいた答えが返って来なかったというか、結局何が何やらさっぱりだったので、絵里は取りあえずそう呟いた。多分、聞いても答えてくれないと言うか、考えても分からないやつだ。考えるのは止めたチカ。絵里はそれ以上聞かなかった。
これ以来、絵里は希と度々話をして、友好関係を結ぶようになった。話してみれば、割と常識的なのだ。それに頭も良い。入試の試験で、希が一位だという事を絵里は知った。
さらに頼りになる。ある日、絵里はこんなことを希に相談した。
「私、生徒会に誘われたのだけれど、入った方が良いのかしら?」
「止めた方が良いでしょう」
即答だった。
「これまでの付き合いで、私は貴女の性格を多少なりとも理解しているつもりです。貴女は頼られれば嫌とは言い難い性格です。しかし、貴女自身は生徒会にそこまで興味があるように思えない。ですので、入るべきか否か迷っているのでしょう。だからこそ言います、止めておいた方が良いと。それに責任感も強い。貴女の事ですから、義務感で生徒会に縛られて己を押し殺すのは目に見えています。仕事ではないのですから、やりたくない、やる気がないのなら無理にやる必要はありません。生徒会の方も貴女をそこまで強くは求めてはないでしょう」
希に言われて、絵里は生徒会に入らないことを決意した。そのことを誘ってくれた生徒会役員に話すと、分かったの一言だけで話は終了した。確かに、絵里が絶対に生徒会に必要というわけでもないらしい。希の言う通りにして良かったと思った。
余談だが、希も生徒会役員候補だったらしいのだが、声を掛けづらいという事で流れたらしいかった。確かに面識がなければ、希は絡みづらいかもしれない。というか、仲良くなったから言えるが、ちょっとばかし胡散臭い。
何はともあれこの一件があると、絵里は困った事、相談事は親や妹よりも真っ先に希に相談することになった。ただし、自分でもしっかり考えた後に。端から希の考えに頼るのは違うと思うし、大体希はそういう事が嫌いなのだ。希が絵里の事を把握するように、また逆も然りだ。
絵里が希と友達になってから、暫くの時が経った。既に新一年生たちも高校生活に慣れ始めて、友達を作って遊んだり、勉学に励んだり、やりたいことをやり出したりと新生活を満喫し始めている。そんな時だった。
「アイドルをやりませんか?」
放課後の教室。生徒会ではなく、今度はアイドルに誘われた。正しくはスクールアイドルに。どうやら、学生がアイドルのような活動をするものらしい。誘って来たのはアイドル研究部という、今度新しく創設された部活で、そこの部長であり絵里と同じ一年生の矢澤にこだ。今度は絵里だけでなく、希も一緒に誘われた。にこは熱意をぶつけて二人を勧誘する。
曰く、二人はキャラ立ちしている。容姿も端麗だし実にアイドル向き、というものだ。
「やってみようかしら」
絵里は生徒会の時とは違って興味を持った。元々、バレエをやっていたのだ。訳あってやめてしまったのだが、踊るという事に関してはまだまだ熱が冷めてない。アイドルならば、踊りは決して外せない要素。まだまだやりたいというほどではなかったが、やってみたいとは思った。だから今度は、やることにした。
「そうですか、頑張って下さい。私はやりません。動くことはあまり好きではありませんし」
絵里は仕方がないと思った。無理強いはしたくない。
にこも無理に勧誘を続けようとはしなかった。絵里がやってくれるだけでも儲けものだ。
ただ、希はやらない代わりに、とにこに助言のような事をした。
「矢澤殿、貴女のアイドルに対する思いは、この希、感服致しました。ですが、そこの絵里を見ていればお分かりかと思いますが、彼女はそこまでアイドルを好きなわけでありません。この時点で、両者には明確にアイドル研究部に対する考えの違いがあります。貴女は部を率いる者で導いていく者ですが、一人で早急に事を運んで行くのは止めた方が良いでしょう。よくよく、皆で相談をし合いながら、やって行くことをお勧め致します」
にこの強い熱意と志が悪い方向に作用するのを防ぐ、希の言であった。
「分かったわ」
にこは素直に頷いた。希が自分の思いを受け取ってくれた上で、揶揄うわけでもなく真面目に助言してくれたからだ。傍で聞いていた絵里も、希の言葉を頭に留めた。
こうしてアイドル研究部に絵里は入部した。この一連の出来事があって、絵里、希、にこは個人的な友情をはぐくむことになる。
それから二年が経過、希の下にある少女たちがやって来ることで物語は進む事になる。