翌日、穂乃果軍団の初お披露目が、音ノ木坂学院の講堂で行われようとしていた。この新入生歓迎会が翌日に控えていたから、前日の名前決めで妥協しようという空気が生まれていたのである。奇跡的に素晴らしい名前が海未の口から飛び出して来たから良いものの、下手をすれば、とんでもない名前になっていたのかもしれなかった。
もしかすれば、そんなとんでもない名前を名乗っている穂乃果達がこことは別の世界に居るのかもしれないが、その世界の彼女達は廃校と言う名の巨大な敵の前で木端微塵となってそよ風に流され、欠片も痕跡を残すことなく消し飛んでいる事は、想像するに容易い。
名前一つとっても危うい所に居るから、油断も出来ないし隙も見せれないのである。
「それではアイドル研究部の皆さん、壇上へお願いします」
現生徒会長の声に導かれて、裏手の方で準備をしていた九人は壇上に姿を現した。新入生歓迎会なのに、歓迎する側に歓迎される側が三人も居るのはおかしな光景で、真姫、凛、花陽が壇上に姿を現した時は、同級生たちが目を見開いていた。途中で居なくなったと思ったらこんな所に。連れションではない事が判明した。
九人は壇上に横一列で並ぶ。さっきまでソフトボール部がこの場に立っていた、という情報は特に必要ない情報である。
壇上の中央に立った穂乃果が、横並びの中から一歩前へ出て、檀下でフレッシュに瞳を輝かせる新一年生達を見回す。
その行為を幾度も繰り返していると、期待に胸を膨らませて少しざわついていた若き一年生達は徐に口を閉ざし、沈黙を作って穂乃果に注視した。
話をする場に置いて、沈黙が武器になる事を知っている。わけじゃないのは当然の話で、仮に知っていたとしても希の入れ知恵を疑わざるを得ない。
ただ、希も希で文を書くのは上手でも話はそこまで上手くないから、もしかしたら海未とか絵里の教えかもしれないが、仮の話なので今、この場においては関係ない話である。
シーンと言う音が聞こえて来るぐらいに静かな空間で、穂乃果の息を吸って吐く音が響き渡る。生徒会長に手渡されていたマイクのスイッチが入りっぱなしだった。
そしてもう一回大きく息を吸って、
「私は、私達は」
せーの!
『音ノ木坂学院のスクールアイドル、μ'sです!!』
ピタリと、決まった。
思えば九人揃って初めてやった練習が、この名乗りを合わせる事(名前決めてからずっとこれだけやってた)であった。最初に躓いてしまえば、後はそこから転び続ける可能性もあったわけで、一先ずの成功を見て感慨もひとしお。数人のメンバーは安堵を息に変えて吐き出す。
瞬間、穂乃果の目からドバドバっと熱い液体が飛び出した。
「ええっ!?」
壇下の一年生の誰かが、思わずと言った調子で声を上げた。
然もあらん事で、名前を言っただけでいきなり泣き出すなど誰が想像出来ようか。だけども誰一人として不快な感情は抱いておらず、理事長を含めた諸先生方も、この穂乃果の情熱が迸った美しい涙に目と心を奪われていた。
一年生達はもう既に穂乃果に取り込まれたと言っても過言ではない。熱いものが胸の内から溢れ出ようとしているのを、誰しもが感じていた。
穂乃果以外のメンバー達も、穂乃果の涙には込み上げて来るものがあり、目頭をグッと抑えるのであった(希はこういう時三国志の人間らしく一々オーバーなので、涙が滔々と頬を伝っていた)。
穂乃果の嗚咽がマイクを通る度に、一同ジーンと心を揺さぶり見入る。
「……陛下」
希の視界では、穂乃果の姿が劉備の残像と重なっている。この催眠術か洗脳のように人の心に感激を与える様は、まさに劉備を彷彿とさせていた。彼の志の高さ、仁義に則った姿に何度も魅せられた日々を思い出す。
やはり、穂乃果を今世の主君に選んだ自分の見る目に偽りはない。希は確信を抱くのであった(なお、希(孔明)の人を見る目は、時々曇り曇って取り返しのつかない過ちを起こしたりもしているので、あまり信用は出来ない)。
「ここまで来るのに苦労しました」
場の雰囲気に酔った海未の一言。客観的にこれまでを判断すると、さほど大した苦労はしていない気がするのだが、多分気のせいだろう。彼女達は血のにじむような努力を重ねてこの場に立っているのである。
隣で聞いていたことりが大きく頷いた。
「海未ちゃん……、うん、これまで大変だったよね」
ことりの脳裏では、これまでの苦労が鮮明に映像化していた。
極寒の地で行われたロシア人の血を引く鋼鉄な女との壮絶な戦い、天候を操作し、言葉一つで相手を死に追いやる悪魔の軍師との血で血を洗う激闘、その他の強敵達とのバトル、それらを制して迎えた今日の何と清々しい事だろうか。
強敵達も今や同じ旗印を仰ぐ戦友であり、これからは一致団結し、さらなる敵との戦いに臨まなくてはならない。ことりは、夢で見たお話を然も現実にあった出来事かのように振り返り握った拳に力を込めた。ことりもどうやら酔っているらしかった。もしくは寝ぼけているのか、ただただボケているのかもしれない。
「ハラショー」
絵里は穂乃果の嗚咽の度にハラショーと言う機械と化していた。最近絵里はハラショーとしか言っていないので、元々そういう機械なのかもしれない。
「イミワカンナイ」
真姫は感激に打ち震える自身の胸に疑問を覚えながらも、その謎の心地の良さにうっとりと浸っており、
「高坂先輩っ」
「何なのよ、もうっ」
「感動ですっ」
昨日、今日、穂乃果軍団に加入を果たした上に、穂乃果とさして接点のない凛、にこ、花陽もゆっさゆっさと心の揺さぶりが止まらない。
感動の渦が収まらない講堂で、その渦の発生源である穂乃果は泣くだけ泣いたのだろう、俯いた顔を上げて、キリリと表情を引き締めると、
「皆、音ノ木坂は好きか!?」
空間が震えるような声量で言った。
穂乃果に魅せられている一年生達は無意識の内に、
「好き!」
「大好き!」
「愛してる!」
と、思い思いの言葉を発した。
穂乃果は全身をぶるぶる振るわせて溜を作ると、一気に両手をガバッと横に広げた。
「音ノ木坂は私達が守る!!」
一瞬何の事かと思ったが、理事長により既に音ノ木坂学院が廃校となる事は知らされている。理解した一年生達は、
「うおおおおお!!」
と、女子とはとても思われないような声を張り上げた。獰猛な獣達の唸り声にも似た勇ましい叫びは、腹の底から喉を通って口を飛び出して来る。今は男だとか女だとか関係ない、抑え切れない衝動を爆発させろ、と声を轟かせる。
そうして自然的に、μ'sコールが発生するのであった。
「μ's! μ's! おおおおおお!!」
このμ'sコールで穂乃果は燃え上がった。元から高いテンションがさらに振り切れ、野原の如く壇上を走り回る。どたどたどたどた、走って、回って、暴れ尽くす。そしてそれを止めもせずにやんややんやと囃し立てるメンバーと先生達。集団意識の暴走と恐怖、ここに極まれり。講堂は無法地帯と化している。
「我が君、天下が見えて来ましたな!」
天下の英傑と雖も希だって一人の人間、場の空気に毒され血迷った事を真面目に言い出した(普段から言ってる?)。普段だったら何を言ってるんだ、となってしまうが、今だったらどんな事を言っても良いのである。
希の声を聞き取った穂乃果は、
「天下を獲るぞ!!」
と、勢い任せに宣言。そんな宣言に対し、
「おおおおおおおお!!」
返って来たのはこの喊声である。
一体ここはどこで、今は何時代なのであろうか。女子校にあるまじき目を疑いたくなるような光景がそこにはあった。武士が跳梁跋扈している時代であれば、日本の歴史は大きく変わったかもしれない。史上初の女性征夷大将軍にして高坂幕府の爆誕か?
鳴り止まない喊声は何時までも何時までも講堂を埋め尽くし、老いも若きも関係なく人々の心を一つにしていく。これがμ's伝説の幕開けとなるのであった。