ここ数日、アイドル研究部の空気は最悪である。汚染物質が我が物顔で空気中に蔓延して、呼吸をするのも一苦労な有様、と比喩しても当事者にとっては言い過ぎではなく妥当な表現なぐらいには最悪であった。原因は調べる前に解明している。
事あるごとに、希とにこが対立しているのであった。希の提案に対しにこが難癖をつけて、毎度毎度の話し合いでそんな事をするものだから、もうたまったもんじゃない(某ゲームの帝国陸軍と帝国海軍の関係に酷似)。いや、それだけならにこが体よくあしらわれて終わるのだが、にこは強力な味方を付けていた。
話し合いは元よりスクールアイドルに関しての話だが、希の意見に対し、にこの参謀役となっている花陽が猛然と反論、伝説の軍師を相手に一歩も引かぬ戦いぶりを示していたのだ。
これに勢いを得るにこで、凛も加えて一気に希を押し込めようとするのだが、ここで希の援軍として現れるのが海未と真姫だった。態勢を立て直した希は、戦況を五分にまで押し戻し、両者一進一退の激闘を毎度のように繰り広げるのである。話し合いが全部討論会であり、如何にして相手を打ち負かすかに苦心しており、本来の目的を完全に見失っている。一進一退と言いつつも敢えて白黒つけるなら、やはりと言うべきか今の所は希が優勢であり、臥竜の面目躍如という所だ。
そんな醜い争いに巻き込まれたくないと、いつも遠巻きに眺めている絵里は、
「もう、希もにこも皆も子供なんだから」
仕方ない子達ね、お姉さん困っちゃうわ、と大人の女性ぶってチョコレートを舐め舐めしているのであった。
が、そんな風に強がってはいても限界が来るのは早いもので、部活での対立を昼食の時間とか別の時間に持ち込んで来るから、絵里はもう辛抱堪らん、と急遽緊急会議を開催。
メンバーには絵里と立ち位置を同じくする穂乃果とことりを呼んだ。
「これは大問題よ」
絵里が深刻そうに言うと、穂乃果は、
「そうですよね。希ちゃんと矢澤先輩、わたし達の事を忘れてあんな楽しそうにやっちゃってさ。海未ちゃんに真姫ちゃん、花陽ちゃんに凛ちゃんも、酷いよ、皆してわたし達を仲間外れにして」
と、頬をぷっくり膨らましてぷんすかぷんと唸っている。彼女の幼童の如く純粋に輝く瞳から見れば、希とにこがじゃれついて遊んでいる様にしか見えないようだった。それに海未達も混ぜてもらっており、何で自分達だけ混ぜてもらえないのか、とお怒りなのであった。
「はは、穂乃果ったら」
絵里が温かい眼差しで穂乃果を見つめた。
どうやら場を和ますための冗談か何かだと受け取ったようだが、これが本心であることをことりには分かっている。ことりは穂乃果の頭を撫でり撫でりしてから、その思考を希と海未の関係へと飛ばした。
(二人とも急に仲良くなってて驚いたよ。互いに名前で呼び合ってるし。それに東條先輩は穂乃果ちゃんとも仲が良いから、ことりだけ疎外感を覚えちゃうな~)
そこでふと、こんな事を思った。
(待てよ、海未ちゃんと東條先輩にはこれからも二人で良きにはからってもらって、ことりは穂乃果ちゃんとチュンチュンするっていうのはどうかな? これぞ国家百年の大計にも劣らない神懸った作戦だね。名付けて『にこ共食の計(誤字に非ず)』! 海未ちゃんと東條先輩が矢澤先輩(餌)を仲良く食べている間に、ことりは……うふふ、穂乃果ちゃんを独り占め)
ここまで考えてから、
(でも、そうなると東條先輩は黙っていないだろうなぁ。海未ちゃんだって何か言って来そうだし、ここは下手な博打をしない方が吉かな。身の振り方を失敗しちゃうと痛い事になるもんね。ことり、痛いのは嫌いだもん。素直に海未ちゃん達の方に行こうかな)
考えが纏まったらしい。
ことりの頭の中には、にこ側に付くという選択肢は、そもそも存在すらしていないらしい。そんな事をすれば親友の海未を敵に回す羽目になるし、大体、にこが希に勝つなど天地がひっくり返ってもあり得ない。現在は花陽が奮闘しているが何時まで続く事やら。負けると分かってる側に付くのは勇気ある行いだが、長い物には素直に巻かれるのもまた勇気ある行いなのである。
ことりは常にそうやって生きてきた。穂乃果や海未と一緒に居るのだって、最初は打算的な所がそれなりに含まれているのだ。今はそういう次元を超越した関係となっているものの、ことりは元来そういう人間である。
一歩を引いた所に立って全体を俯瞰しより良い選択肢を取る。そう言えば聞こえは良くなるのだが、もっと別の言い方をすると弱きを挫き、強きに従うという事になる。周りを観察し誰が強いのかを見極め、それに従う事で自分の身を守るのだ。
海未とは別ベクトルで、人類に多くいるタイプの人種だ。
この行いを卑怯と言うのは、大きな間違いである。あの織田信長だって、一時期は武田信玄や上杉謙信に卑屈過ぎるほど頭を下げていたし、皆が大好きな真田幸村(信繁)の父親である真田昌幸に至っては、上杉景勝、豊臣秀吉、徳川家康と色んな長い物にぐるぐる巻かれ続けていたのであり、にもかかわらず戦国の名将ベスト十位にランクインする様な評価のされっぷりで、戦国知将ランキングをするなら、毛利元就辺りとワンツーを競うほど。
この毛利元就もやはり長い物に巻かれる事幾年の経験者だ。
日本を代表する英雄達でさえこれなのだった。
そもそもからして、武士という存在自体がその傾向にある。彼らは強きに従い力を蓄えて、その強きが弱きとなるや、別の強きに巻かれに行ったり、あるいは研いでいた牙を向けたりする事など珍しくもなく、日常茶飯事なのであった。
この事から、ことりは卑怯者とか小悪党なのではなく、非常に聡明で先を見る事に長けている、真に武士の適性を持った高校二年生と評しても問題無いのである。彼女なら突然戦国時代へと転生を果たしても上手くやるだろうし、何なら、蛮族と名高い鎌倉武士とさえそれなりにやれる事と思う。
ことりは早速、自身の身の安全の為に動き出した。
「穂乃果ちゃん、だったら、東條先輩達に言いに行こう。ことり達も混ぜてって」
こんな所で不貞腐れても何も変わらないよ、と遠回しに絵里にも発破をかけているようだった。穂乃果はそうだよね、と飛び跳ねて希の下に行こうとし、絵里も本人と話をした方が早そうだとことりの意見に従う意思を見せる。
ここでことりが、にこではなく希の名前を出したのがミソだ。希に対して混ぜて(貴女の陣営に)と言う事で、自分達の立場を表明する事になる。
ことりは考えたのだった。どうせ最終的には希が勝つのだろうし、ここは後の勝者である希に自分を売り込んでおこう。そうやってから自分の地位を確立するのと一緒に、さっさと両者の争いに終止符を打って、いい加減スクールアイドル活動に専念しなくては、と。
何よりも、衣装係として(有名無実化しているように見えるが、きちんとやってる)、皆に自分の作った可愛い衣装を着せたい。地位云々よりもこっちが本音かもしれない。
花陽やにこがアイドルに関してうるさい様に、ことりも衣服に関しては一過言を持つ。
「わたしも……穂乃果も皆と仲良くしたい! 仲間外れなんて嫌だよ! よ~し、希ちゃんに直談判だ!」
「あの子達ったら世話がやけるんだから。喧嘩するほど仲が良いってよく耳にすることわざだけれども、でも喧嘩するより普通に仲良くやってた方が良いものね。お昼ご飯の時ぐらい楽しくやればいいのに、ほんと、希とにこ二人揃って意地張っちゃって」
ほのかと絵里はことりの意図に全く気付かず、しかしながら意図通りの反応だった。そして恐るべきなのは、この展開が希の意図している事態であった事だろうか。希の推測通り、ことりは早々と希派になってしまったのである。
数十分後、穂乃果達は思いの内を希に話していた。ことりの姿を見た時から策に外れなしと思い、ついでに穂乃果と絵里の姿を見て止まらない笑いを内心に抑えながら、
「我が君、どうか我が不忠をお許し下さい。決して、我が君を蔑ろにしようなどとは夢にも思わず、絵里や南殿にもご迷惑をお掛けするつもりはなかったのです」
と、涙ながらに如何にもな悲痛の声で言ったかと思うと次の瞬間には、
「では、我が君に一つお願いつかまつる事がございまして、聞き届けて頂けると幸い、スクールアイドルとしても一歩二歩前進出来るものと考えております」
いつも通りの爽やかな声音に戻っていた。
ことりはその希の切り替えの早さに感心しながら、文字通りにことの役者が違う事を実感するのであった。何はともあれ、これで問題も一旦は収拾するだろう。
ことりはふむふむと特に意味もなく頷くのであった。
かくてことりが希派に加わり、穂乃果と絵里もどちらかと言えば希派になった。こうなってしまえばにこ達は絶体絶命の危機、このまま廃滅するか、服従するか。何だかついこの間も似たような選択肢を迫られていたが、にこは前世で何かやらかしたのだろうか。
兎にも角にも、やっとスクールアイドルらしい話になって来るだろうと安堵したいものだった。ところがどっこい、にこ達は存外にしぶといのである事をここに渋々と明記せざるを得ない。どうもまだまだ彼女達の抵抗は続くようである。