にこの姿が別荘の外にあったのは、草木も静まり返る夜更けの時間だった。寝付けないために星でも見て気分を転換しよう、というわけではない。
(こんな時間帯に呼び出しだなんて、希は何を考えているのよ。夜更かしは美容の大敵なのに、あいつは自分がマネージャーだってこと分かってんのかしら。もう、さっさと話だけ聞いて寝よ)
こういう事らしかった。二人きりで秘密のお話がしたい、と何やら意味深に誘って来た希に従い、こうやって眠たいのも我慢して出て来てやったのだった。忘れていたことにしてバックレてやろうとは思わなかったらしく、友達甲斐のある良い奴である。
にこが外に出ると、希は星を眺めていた。趣味の天体観測であろうか。
希の場合はただの天体観測ではない。星の動きや輝き方を読み解いて、人や物事の未来、結果を予測するという怪しげなものである。にこが近寄ると、
「にこ、あの星をご覧ください」
頭上を指さした。あの、と言われてもどの星かは分からないが、形だけ見上げる姿勢を取る。
「私は毎夜、星を眺めているのですが、A-RISEの星は日ごとに輝きをましております。我らμ'sの星もまた、その輝きを強めてはおりますが、口惜しいことにA-RISEには遠く及びません」
どれがA-RISEの星で、どれがμ'sの星なのかは、にこの知るところではない。というかそんな星が存在するのか、希が適当なことを言っているだけなのではないか、などと常識的な疑問をぼんやり考えていた。こっちは眠たいのを我慢して付き合ってやってるんだから、さっさと本題に入れと、
「何が言いたいの?」
にこの眦がぎろりと上がる。
「このままでは、ラブライブ! でA-RISEを打倒することは無理だと申したいのです」
希の口調は世間話をするようであったが、どうも雑談ではないようだ。
ふざけるな! 戦う前から負けを認めるとはこの敗北主義者めが、と怒鳴るようなことをせず、にこは素直に認める。
「そりゃ、そうでしょうね」
言われるまでもない。宇宙ナンバーワンの自尊心を誇るにことて、不可能なことは不可能と言える程度の謙虚な心もある。現状、μ'sがA-RISEを打倒するのは夢物語に近い。叶えるには、A-RISE撃破と記した紙を枕の下に置いて眠る以外にはなかったが、この方法は一時的なものに過ぎず、直ぐに現実を知らなくてはならなくなる。
にこは姿勢を整えた。希の話が思いのほか真面目だったことから、まともに話を聞く気になったのである。
「にこは、三本の矢、という故事をご存知でしょうか」
聞いたことはある。
「あれでしょ。なんだったかしら、一本や二本の矢だったら簡単に折れてしまうけど、三本の矢を束ねれば全然折れないっていう」
「そうです」
戦国の謀神、毛利元就が三人の息子に伝えたとされる話だ。
元就が病床に伏していた時、三人の息子である隆元、元春、隆景を枕元に呼んだ。三人を呼んだ元就は、矢を取り出すと、先ず一本を隆元に折らせる。次いで二本束を元春に折らせ、三本束を隆景に折らせようとしたが、隆景は折ることが出来なかった。隆元、元春も三本束は折れず、悔しがる三人を見て元就は言った。
「一本、二本の矢は簡単に折ることが出来るが、三本に束ねると折ることが出来ない。お前達と一緒だ。これからは三人が常に協力し合っていけば、誰にも負けることはない。努々このことを忘れず、毛利家を守ってくれ」
この話は現代の研究で嘘だったことが判明している。モデルとなる話はあったりするのだが、その辺りは重要なものではない。話が事実だろうが嘘だろうがどっちでもよく、重要なのは内容である。
話を聞き終わると、にこは希が何を言いたいのか理解した。
すると希は、
「覚えていますか? 私と貴女が初めて会った日のことを」
急に優し気な目をしながら、思い出話を始める。
(ははーん、さては、昔話で感傷に浸らせてその勢いでわたしとの仲を戻そうという魂胆ね。良いじゃない、乗ってあげるわ)
そのビッグウェーブに! ということでにこの胸に浮かび上がる友情のストーリー。物語は、にこが希と絵里をアイドル研究部に誘ったことから始まった。にこの熱意に応えて、真摯に助言をしてくれる希、アイドル研究部が空中分解した後も、希はそれとなく支えてくれた。
昼休みのお弁当交換会では、希の料理が意外にも健康的で美味しかったし、放課後街に繰り出してのショッピングは楽しかった。にこが風邪を引いた時には看病に来てくれたし、妙に妹や弟達の世話も手慣れていたものである(だが、珍妙な話を吹き込むのは止めて欲しい。妹達が『孫子』だの『呉子』だの『孔明様』だの言い出した時は、希を始末すべきかどうか本気で悩んだ)。
二人でカレーのルーをチョコレートと偽って絵里に食べさせた時なんかは、腹を抱えて笑ったものだ。その日から二日間、絵里に口を聞いてもらえなかった(二日後、寂しくなった絵里が話し掛けて来た)。
思い起こせば、夜風がどうということはないほど、にこの胸が熱くなる。
ひょんなボタンの掛け違いから、今や軽い冷戦状態に突入している二人だが(そんな風には見えないが)、少なくとも唯一無二の大親友なのだ。一緒にご飯を食べて、一緒に絵里を揶揄って、一緒にお買い物をして、一緒に絵里を騙して、一緒に夜を過ごしたマブダチ(悪友)である。
不思議だ。あれほどわだかまりの感情があったというのに、分かってはいるが嵌らざるを得ない希の誑かし術。
やはり、にこは希の事が好きなのである。どれだけ罵詈雑言を浴びせかけ合おうが、意見が合致しなかろうが、なんとなく無性に腹が立って来る時があろうが、にこは希が好きだ。一人の親友として大好きだ。恋人にしたいかと言えば、それは天地がひっくり返ってもあり得ない。
そろそろ潮時なのではないだろうか。希がアイドル研究部に入ってからは、飽きもせずカミツキガメのように希をがぶがぶしていたにこ(その度に軽くあしらわれた)。今でも隙あらば噛みついてやろうと虎視眈々機会を狙っていたが、それも終わりを迎える時が来たのではないだろうか。
「三本の矢で折れないなら、九本の矢だったらもっと折れない」
「単純な計算ですよ。三より九の方が数字は大きいのです。A-RISEは三人、μ'sは九人、どちらが勝つのか、結果は火を見るよりも明らかとなるでしょう」
単純に計算し過ぎである。でもそのツッコミは無粋なのかもしれない。
「にこ」
希の視線の先には、月の輝き。
「月が綺麗ですね」
「ええ」
本当に美しい。
にこは黙って月を見ていた。
言葉は不要だ。綺麗だなんてわざわざ声に出す必要もなく、月は綺麗だった。にこは夏目漱石を名前ぐらいしか知らない。吾輩はにこである、じゃなくて猫である、の作者ということは辛うじて。でも、月の美しさ、綺麗さは知っている。
「ふふっ」
当てが外れちゃったよ、とでも言いたげな希の薄い笑い。
これでもしにこが、
「死んでもいいわ」
だなんて返してきた時はどう収拾をつけるつもりだったのかは定かでなく、その場合、希とにこの影が次第に重なり合い、月は二人を何時までも優しく見守っていた、なんて展開になっていたのかもしれない。
そうならないところが、この二人なのだが。
「ごめんなさい」
にこが謝った。唐突ではあったが、雰囲気的にはそんな感じだったのかもしれない。
「いえ、謝る必要はありませんよ」
希は気にするなとかぶりを振った。
だって悪いのは希だし。
ここでにこ、長女として妹達の模範となるべく鍛えてきた人格者ぶりが顔を出す。
「どっちの方が正しいとか、どっちの方が悪いとかじゃないの。喧嘩してたんだから、仲直りをする時はごめんなさいなのよ。それが喧嘩の終わり方」
「なるほど。そういうことでしたら、にこの謝罪を受け取りましょう。そして、私の謝罪も受け取って下さい。申し訳ございませんでした」
「堅い奴ね。でも、それでこそ希だわ」
これで仲直り、ということらしかった。
このままめでたしめでたし、明日から心機一転頑張ろうとなるのが普通なのだが、そうは問屋が卸さず、ここから話が続いていくのが希とにこだ。
「今ほど、私とにこの心が通じ合っている時はないでしょう」
「何をこっぱずかしいことを言ってんのよ」
「現に、私はにこが望んでいる言葉が手に取るように分かります」
「言ってみなさい」
希は直ぐに言わず、その場を離れて勿体ぶるように別荘の方に歩き出す。途中で半身だけ振り返ると、羽扇を口元に備えて言うのだった。
「ぎゃふん」
にこは名前通りにっこりと笑った。
「にこ、今日はありがとうございました。また明日からお願いします。今日は良い夢を、お休みなさい」
「ええ、お休みなさい」
(永遠にね)
この後、二人の間に何が起きたのか知る者は本人達を除いていない。ただ明日以降の合宿を無事に終えて音ノ木坂に帰って来た時、μ'sは変わらず九人だと言うのは、確かな情報である。