昼休み終了の五分前、何食わぬ顔で教室に戻って来た希を待っていたのは、今にも踊り出しそうなほど気分の良さそうな絵里である。その様子は、まるで欲しかった玩具を買ってもらった子供の姿そのもので、一体何事かと思ってしまう。
廃校阻止の妙案でも考え付いたのであろうか。希は絵里の傍らで、反対に不機嫌な様子のにこに話を伺った。にこは希を見ると、よくものこのこと帰って来たな、と言いたげに目を細めてから、渋々、
「早くもお仲間が見つかったのよ」
と、吐き捨てるように言った。
お仲間と聞いて希は直ぐに理解した。絵里と同じように廃校なんて受け入れないと、気炎を発する人物が他にも居たようだ。それは良かったですね、と希は絵里に一声かける。
絵里は幼子のような眩い笑顔を浮かべながら、
「三人よ、三人! 一気に三人! 幸先の良いスタートを切ったわ。天は私に味方をしているようね」
と、己が幸運を噛み締めているようだった。
続けて、絵里は忘れていたとばかりに言葉を付け加える。
「そう言えばその娘たち、希に用があるみたいだったわよ」
「私にですか?」
「ええ、廃校を阻止したいと思い立ったのは良いものの、一体どうすれば良いのか分からなくて、この音ノ木坂一の才女と名高い希の力を借りに来たらしいわ」
にこが絵里の言葉を引き継いだ。
「そこで同じ目標を持つ者同士、エリーと意気投合して協力関係を結んだってわけ」
なるほど、それならば絵里の上機嫌も別段おかしな話ではない。いるかいないか定かでもない同志が、一時間もしない内に三人も見つかったとあれば、喜びも当然のことだ。だが、気に掛かることが一つある。それは、元々希に用があったというところだ。
何やら面倒事の予感がする。希は二人に詳しい話を求めた。
そうして二人に聞くところ、絵里と同志になった三人の娘たちは、それぞれ、高坂穂乃果、園田海未、南ことりというらしい。名前は聞き覚えがある。希の一個下の二年生で、老舗の和菓子屋の娘、日本舞踊の家元の娘、音ノ木坂の理事長の娘であった筈だ。三人常に行動を共にしており、ふとした折に話の話題になる程度には目立っている。
「次の休み時間にまた会いに来るって。希、あんたも面倒な奴らに目をつけられたわね。三人のリーダー格の高坂穂乃果って奴、相当しつこそうよ、あれは。まっ、頑張んなさい」
にこがこう話を締めくくった。
この時、希の頭の中では、どう逃げ切ろうか考えが張り巡らされていた。希にしてみれば、廃校などしようがしまいが自分の大勢に大した影響はない。どうなろうが構わないので、そこに労力をつぎ込もうとは思わないのだ。絵里に関しては友達なので相談に乗るぐらいの事はする。しかし、全面的に協力する気はなかった。絵里がやりたいと言ってやろうとしている事なので、極論するなら、やりたければお好きにどうぞ、と言ったところ。
何としてでも逃げ切らなくてはならない。
希は絵里達に頼んだ。
「休み時間に用事が入りましたので、留守にしているとお伝え下さい。それから、お誘いは嬉しいですが、非才故何かの役にはとても立てない、と希が申していたともお伝えを」
希らしからぬあまりにも露骨すぎる拒絶だった。絵里とにこは希の考えが透けて見えるようですらあった。顔を合わせようとすらしないのは、避けられていると相手に認識させ、一切の希望を持たせず諦めさせようとするものであろう。
絵里は、せめて顔ぐらいは合わせたら、と思った。希は親友で、穂乃果達は同志で、両者共に大切な存在なので、それなのに仲がよろしくないというのは考え物である。出来れば気軽に雑談ぐらいはする仲であってほしい。まあ、間に挟まれた自分が面倒くさい事になるという気持ちも勿論あった。
だから、説得をしてみようとしたが、やっぱり止めた。人の説得で考えを改めるような人ではないし、逆に相手の考えを改めさせるような話術の持ち主だ。希との付き合いの中で、口で勝ったことは一度もないし、希が負けた所を見たこともない。
「分かったわ」
絵里とにこが揃って返事をすると、同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
そして昼の最初の授業が終わり休み時間になると、宣言通り、希は行き先も告げずにどこかへと行ってしまった。
果たして、希が居なくなって一足遅くに、穂乃果、海未、ことりの三人が訪ねて来る。対応は、既に長年の交友を持った幼馴染のような仲になった絵里が行った。希に頼まれた通り、留守である事と、力にはなれないという事を伝えると、肩を落として帰った。帰り際、また休み時間に来るという事を絵里は告げられた。
「暫くご迷惑をお掛けします」
休み時間が終わる頃に戻って来た希は、絵里とにこに謝罪した。どうやら、徹底抗戦をする腹積もりであるらしい。
こうして希は休み時間になる度に席を外し、穂乃果達は休み時間になる度に訪れた。このいたちごっこは翌日まで続けられる。
回数を重ねれば穂乃果達も避けられている事に気付き、片指の数を超えた辺りには申し訳なさそうに絵里に取次を頼む姿が見られた。それでも会えなかったので、せめてこれだけでもと絵里に手渡されたのは手紙であった。
「今度は放課後に来るらしいわよ」
言いながら、絵里は希に手紙を渡した。
早速、希は手紙に目を通す。
当初はこれを飛ばし飛ばしに読んでいくつもりであった。何が書いてあるのかは大方の想像はつく。この学校の事を如何に愛してるかをつらつらと書き連ねて、現状を打破出来るのは希しかいないという自尊心を刺激する様な言葉を書いて、締めに協力を要請するというものであろう。だが、この想像は大きく外れた。
『ごめんなさい』
書き出しが謝罪からであった。二日間であるが、嫌がらせのように通い詰めた事を謝っていたのだ。それから、学校の存続を望む人たちがいる、一年生にはこれから後輩も出来ず、寂しい高校生活を送らせるのは忍びない、と続き、最後には一度でいいから会って話がしたい、そこで断られるなら諦める、として書き終えられていた。
字を見れば分かる。決して上手な字ではないが、心の内をさらけ出した本当の言葉が、この手紙には書き綴られていたのだ。
「あんた、どうするの?」
横から手紙を覗き見ていたにこの声は、静かだった。絵里も言葉が無いとばかりに、大きく息を吐く。両者とも希の答えを待った。
希はもう一度最初から読み直し、瞼を閉じる。カッと胸が熱くなり、高鳴るのを感じた。この感覚は初めての事ではない。前にも一度だけあった。同じだった。何年経とうが決して忘れることの出来ない、運命の瞬間、その時の感覚と同じだったのだ。
(会わねばなりませんね)
顔を合わせることすらしないと決めていた希だったが、ここに至って顔を合わせなくてはならないと改めた。会って話をしないといけない。まるでそれが天命であるかのようだった。
希は瞼をゆっくりと開き、変わらない何時もの声音で言った。
「会いましょう」
決意を固めてから、一日の授業を終えると放課後は直ぐにもやって来る。教室で、希は来客の到着を待った。
希は一人で会うつもりだったので、絵里とにこはこの場にいない。他の生徒たちも、希が頼んで出て行ってもらった。そうやって場を作ってから、時計を確認し待つこと十分ほど、人影が三つほど希の視界に入って来る。教室のドアが開いたのを見計らうと、希は立ち上がって深々と頭を下げた。
「ようこそお運び下さいました。感激の念が堪えないと同時に、度重なる非礼を犯しましたことは、真に申し訳ありませんでした」