不意を突かれたと表現すべきか、出鼻をくじかれたと表現すべきか、とにもかくにも予定外の希の行動で固まってしまった三人を、希は丁重に教室の中へと案内した。
そして希は、姿勢を正して穂乃果、海未、ことりの三人と向き合い、
「改めまして、これまでの非礼をどうかお許しください。私こそが、性は東條、名は希、字を孔明と号する者。本日はよろしくお願い致します」
と、丁重な物言いで名乗りをあげた。三人からしてみれば、またも度肝を抜かれる行為。上級生であり年上の希にこれほど丁寧な挨拶をされると思っていなかったので、しどろもどろにそれぞれ名乗り、
「わたし達の方こそ何回もごめんなさい。東條先輩が凄い人だって聞いて、それで力になって欲しくて、あの、今日はよろしくお願いします」
穂乃果が代表で締めた。
挨拶もほどほどに、主客は机を挟んで座った。机には四人分の茶が用意されており、穂乃果達はまだ話も始まっていないのに驚いてばかりいる。
「どうやら過分なご期待を抱かれているご様子ですが、私などはとても才がある者とは言えず、皆様の力になる事は出来ないでしょう」
これに海未が反論する。
「そんなことはありません。東條先輩の御高名は何度も伺っておりますし、それに絵里先輩も凄い人だと褒めておられました。まだ絵里先輩と付き合いの浅い間柄ですけど、でも、あの方が人の評価を見誤るとは思えないです」
続けてことり。
「わたしたち、この学校がこのまま無くなって欲しくないです。東條先輩、お願いします、力を貸して下さい」
必死で胸に響く、偽りのない気持ちのある言葉であったが、希は端然と動揺なく受け止めた。次いで、穂乃果に視線を移す。今回の目的は、彼女に直接会う事であった。手紙に込められた気持ちを、直接彼女の口から聞きたいと思ったのだ。
視線に気付いた穂乃果が海未とことりの二人を交互に見る。二人は穂乃果に向けて首を縦に振って見せると、穂乃果は希の瞳を真っ直ぐに見て言った。
「東條先輩は、今回の廃校の事をどう思いますか? わたしは、最初何とも思っていなかったんです。だって、廃校するのはわたしが卒業した後で、関係のない事だって、仕方のない事だって……でも、色んな人の声を聞きました。お母さんは廃校になるって知って、寂しそうにアルバムをめくってて、雪穂は、妹は割り切っているようだったけど、でもやっぱりこの学校に通いたがってて、それに一年生。やっぱり、後輩ができないって知って、悲しそうでした。先輩の身近にもそういう人達がたくさんいる筈です。先輩だって色んな人の声を聞いてる筈です」
絵里を筆頭に、確かにそういう人達の声を希は聞いた。ただ、希は戦乱の世で生きた人間である。だからだろうか、国家の大事でもあるまいにそこまで悲嘆する様な話なのかと思ってしまったのだ。現代社会に慣れ親しんだとしても、根本は戦乱期の人間だった。
そんな希に鋭く穂乃果は言葉を突きつける。
「確かに、わたし達には関係のない事かもしれない。でも、わたし達以外の人達の中には、悲しいって、嫌だって思っている人がたくさんいるんです! 先輩はそんな人達の声を聞いても何とも思わないんですか! 仕方のないって言うんですか! そんな事でって言うんですか! そんな事なんかじゃない、悲しいって気持ちに、嫌だって気持ちに、大きさなんかない! あっ、ごめんなさい、大声あげちゃって。とにかく、わたしはほっとけなかったんです。無関係を装う事なんて、出来なかったんです。お願いします、力を貸してください。わたしの為なんかじゃなくて、皆の為に、どうかお願いします」
これ以上は言葉もない、と穂乃果は口を閉ざした。これだけ言葉を尽くしても駄目なら、もう諦めると覚悟を決めているのであった。
対して希は、荒くなりそうな息を必死に整えている。穂乃果の熱情こもる真摯的な言葉、飾らず思いの内をひたすらにぶつけてくる態度に、平静ではいられない。何よりも穂乃果の言葉、態度、熱意、それらは過去の記憶と重なり合う。
『孔明、義には大義も小義もない。そなたのように、小義を捨てて大義のみに走るとすれば、天下はこの劉備を何と言うだろうか。義を大小で以って語り、区別をする行為そのものが、既に義と遠く掛け離れた行いである。劉玄徳、義に生きる一人の男としてそのような事は断じて出来ない』
希が敬愛していた主、劉備が語った言葉である。孔明が劉備に家臣として迎え入れられた後、漢王室復興の大義の為に、同族の劉表他その一族から、領土である荊州を乗っ取る策を薦めた時に言われたのだ。劉表は同族であり、放浪の身であった自分を受け入れてくれた恩義がある、と。この言葉と、今の穂乃果の言葉が重なった。
「……陛下」
穂乃果を見ながら、知らず知らずに言葉が希の口から漏れた。劉備と穂乃果、希の瞳には二人の姿が映っていた。手紙を読んだ時からの心の揺さぶりが、どんどん大きくなっていく。希は軽く吐息をついた。
「高坂殿、貴女のお言葉には胸を打たれずにはいられません。これまでの非礼を詫びる意味でも、この私の愚論でよろしければ、語らせて頂きます」
一言一句も聞き逃してなるものかとばかりに、穂乃果は背筋を伸ばした。海未とことりもこれに倣って、緊張する。
「音ノ木坂学院に廃校の問題が出て来たのは、昨日今日の話ではなりません。数年前から、その予兆は出ておりました。また、廃校を阻止しようにも、もう時間が残されておりません」
「それじゃあ、駄目なのかなぁ……」
「いえ、南殿、可能性はまだあります。元々、この学校は長い歴史と伝統を誇り、未だ根強く人心を集めておりますが、何故廃校になってしまうのでしょうか。平凡で目立った所はないと言え、一応は国立という名前もあります、なのになぜ? 実は内の問題と同時に、外敵が控えており、その外敵がこの学校を飲み込もうとしているのです」
「穏やかではありませんね、外敵ですか?」
「はい。秋葉原にある、UTX学園。我が校と違って近年に出来たばかりの高校ですが、若い学校らしい活気に満ち溢れ、現代の若者の心を捉えて離さないのです。我が校は、卒業生を含めた地域に愛される高校で、UTXは、当代の若者に好かれる高校。本来ならば、音ノ木坂に来る学生までも、吸収されているのです」
「そう言えば、雪穂もそのUTX学園のパンフレット持ってたような」
「つまり、UTX学園に奪われる学生をこちらに取り戻す。貴女方はそれを目標にして、廃校阻止に臨むべきです」
ここで希は語るのを止め、茶を一服する。
穂乃果達は感嘆して、おお、と拍手をしていた。廃校を阻止しようにも一から十まで何も分からない状態だったのだが、大まかとは言え目指すべき道が見えて来たのだ。
それから、噂話や絵里が言っていた事も嘘ではない事が分かった。目の前の霧が無くなり、からりと晴れた様な心持になったが、一つの不安が現れる。
もしかしたら、これで希の助力が終わってしまうのではないだろうか、と言うもの。希も言っていたが、二日間、顔を合わせるのを避けた非礼を詫びる意味で述べられた言葉。非礼も詫びたことだし、これでおしまいと言われたら、本当におしまいなのだ。手紙にも、直接顔を合わせて断られたら諦めるときっぱり書いてしまっている。
穂乃果は額を机上にぶつける勢いで下げ、希を仰ぎ見た。
「東條先輩、わたしは……穂乃果は馬鹿だから、先輩が言っていた事をどうやれば良いのか分からないです。是非、これからも穂乃果達の傍で、力を貸してください」
不安そうな海未とことりの視線を受ける中、希は答えを出した。
(平和な世であれば、私は何をしていたのか。どうやら、何も変わらないようですね。陛下、亮は貴方の臣でありますが、希としては、別の主君を選び、力を捧げたいと思います)
こんなつもりではなかった。非礼を詫びる意味で一言、二言だけ意見を述べればそれで済ませようと思っていた。しかし、そうはならなかった。穂乃果という人間に、思い出させられ、惹きつけられ、魅せられてしまったのだ。心は決まった。
希は穂乃果に顔を上げるよう促してから、逆に仰ぎ見る体勢を取った。
「高坂殿、貴女の心の内を宿した数々のお言葉は、私の心に響き渡るものでした。人が抱く気持ちはその人のものであり大小はない。これほどまでに貴女のお言葉を受けながら、我関せずを貫くのは、まさに義に反する行いと言えるでしょう。微力ではありますが、犬馬の労をとって、貴女方に力を尽くしましょう。これからもどうぞよろしくお願い致します、園田殿、南殿、そして――我が君」
二瞬遅れて、希の言葉の意味を理解した穂乃果達は歓喜のままに万歳するのであった。