その①
希が穂乃果に臣下の礼をとって以降、二人の距離は見る見るうちに近付いた。元来、人との距離が近い質の穂乃果であるが、心を許した相手にはまるで子犬が飼い主にじゃれつくばかりの様相を呈する。希に対しては殊更深く、これではどちらが主か分からないほど。
穂乃果にとってみれば、希は特別な相手であった。自分に対して隠すことのない敬意を見せてくれる人は初めてで、好意を持つのは当然のことであった。
また希も、かつての主君劉備と似通う面を持ちながらも、別の魅力を兼ね備えた穂乃果に魅了されていた。この人の為ならばと思わせるなんとも堪らない魅力に、希は抗う術など知らない、知る必要もないとのめり込んでいる。
「我が君」
「希ちゃん」
君臣の間柄となった以上、年功序列なぞ知った事かと独自の関係を築いている二人。二人は、特に穂乃果は寝ても覚めても希の事でいっぱいであり、僅かな空き時間を見つけては希の下へと駆け寄っていく。学校の昼休みは勿論、授業の合間の休み時間も常に行動を共にし、休日には二人で丸一日を過ごした日もあった。学内でも噂になるほどの仲睦まじさである。
そうなってくると、面白くないのは絵里、海未、ことりの三人だ。絵里は希と、海未とことりは穂乃果と、今までそれぞれの時間を過ごして来たと言うのに、希と穂乃果の距離が縮まってから、どこか寂しさを覚える日が少なくなかった。一緒に居るのに、親友の目はこちらを向いていない。希と穂乃果の創った二人の世界に、なんだか入りにくい三人である。
「新参者が調子に乗ると、痛い目に遭うぞ」
と、思ってはいなかったが、内心で嫉妬の炎がメラメラと燃え滾る。
それでも、海未とことりはある程度の納得を以って自分を抑えていた。幼い頃からの付き合いだから、穂乃果の性格は嫌というほど熟知している。希に対して行き過ぎなまでになつくのも、予測は出来ていたことだった。それに、希が仲間になった事が嬉しくあるので、嬉しさと嫉妬とで感情が複雑になるのにとどめた。
しかし、絵里はそうもいかない。そもそもにして気にくわないのは、自分が廃校を阻止すると言った時には陰ながら手伝いぐらいはするというような事を言っていたくせに、穂乃果には全面協力をする事を誓ったのだ。言われた時は喜んでいたが、こうなると話は変わって来る。私は親友なのに軽んじられてる、と嫉妬とは別に怒りの感情を抱いた。遂には自制が効かなくなったので文句を言った。
「希、貴女ちょっと自重をした方が良いんじゃないかしら」
無論、この言葉は建前である。本音は、もっと私に構え、と言ったところ。
希は変わらない微笑を浮かべた。普段の絵里の様子を見て、そろそろ我慢が出来ずに言って来るだろうと思っていたし、何よりも隠しきれていない本音が可愛らしい。
むくむくと悪戯心が沸いて来たが、あまり追い詰めると爆発すると思い、
「生涯の主を得て、感激のあまり夢うつつのまま帰らぬ身となっていたようです。お陰で目を覚ましました。絵里にはご迷惑をお掛けしました」
と、それらしい言葉を吐いて絵里を宥めた。
これで絵里が完全に納得したのかと言うと、無論そんなことはないわけだが、殊更問題を大きくしたくはないので、
「次の休みはお泊り会よ」
と、希の休日の予定を勝手に決めることで問題は不問に付す事にした。そんな絵里を希はニヤニヤと眺めていたが、照れ隠しなのかそっぽを向いていた絵里は気付いていなかった。
同じ頃、絵里が希に文句を言うことを聞かされた海未とことりは、三年生の教室から帰って来た穂乃果を捕まえて、絵里と同じような事を言った。
すると穂乃果は、
「海未ちゃんとことりちゃんも、のぞみちゃんとお話ししたかったんだね」
そう、何やら間違った受け取り方をした。
海未とことりは、訂正するのも面倒だし、あながち間違ってもいないのでそういうことにした。したのだが、胸の内に妙なしこりが残っている。
何やら不穏な空気が辺りに漂い出したわけだが、初っ端からこの有様で大丈夫なのだろうか。天下の鬼才、東條希の今後にご期待である。
そんな麗しくない人間関係がすっかりと日常の一ページとなっているある日の事、希達は音ノ木坂廃校阻止の為の会議を開いていた。と言うのも、音ノ木坂廃校の原因の一つがUTX学園にあるという事は周知の事実だが、この学園の勢いを抑える妙案を希が考え付いたと言うのである。穂乃果が飛びついて、早速会議が開かれたのだ。
その妙案というのがこういうものだった。
「昨今はスクールアイドルの活動が隆盛を極めておりますが、UTX学園でも盛んに行われているようです。そればかりか、このスクールアイドルこそが、UTX学園の原動力であり求心力となっているようです。特にA-RISEというグループが鍵となっている模様。故に、私は一計を講じて、そのスクールアイドルを失脚せしめ、UTX学園の勢いを止めたいと思っております」
A-RISEはその人気の裏で、学園内に多くの敵を抱えている。この敵を取り込む、あるいは操ることで、A-RISEを一線から退かせようという策だった。こういう策こそ希の得手とするところ。穂乃果の許可が出れば、直ぐに行動を開始する気だった。
だがそういう事にはならなかった。穂乃果が許可を出さなかったのだ。
「駄目だよ、希ちゃん。なんか、そういうのは違うと思う。人を傷つけて廃校を阻止したって、誰も喜ばないよ。わたしも嬉しくないし」
「しかし我が君、彼女達を取り除かなければUTX学園の力はさらに強大となり、我らの道は苦難を極める事となります。敢えて茨の道を進もうと仰るのですか?」
「うん、元からそのつもり。わたし達は堂々と頑張って、胸を張って、そうやりたい。ううん、やる。やるったら、やる!」
希はしみじみと言った。
「ああ、我が君はまさに仁義を知る者。この希、益々忠勤を以って励みます」
気恥ずかしそうに、穂乃果は頭をかいた。
希の策が退けられると、だったらと手を挙げたのは絵里である。彼女も彼女で、何やら妙案が浮かんだらしかった。
「希は、A-RISEを邪魔に思っていて、穂乃果は正々堂々とやりたい。だったら、これしかないじゃない。私達もスクールアイドルをやって、正面からA-RISEを倒してやろうじゃないの。私、ダンスには自信があるの。彼女達の事は、にこに嫌と言うほど教えられたから知ってるけど、そうそう私が劣ってるとは思わないわ。どう? 良い案だと思わない?」
絵里はアイドル研究部の部員である。部長のにこに、古今東西のアイドル、スクールアイドルの事を教えられたから、勿論、A-RISEの事も知っていた。言葉にした通り、表情にも自信がうかがえる。
即座に反対意見を出したのは海未だった。
「今から私達がやったところで何が出来ると言うのですか? 口で言うのは簡単ですが、そうそう上手くいくとは思えません。私は反対です」
慎重派の海未はバッサリと斬り捨てる。考えるに、A-RISEに人気があるのなら、即ち実力があるということに他ならない。プロのアイドルと比べてどのレベルかは知らないが、少なくとも、今日明日始めるような素人と比べるのはおこがましいというレベルだろう。
一か八かの賭けにすらなりそうにない。無謀と言うしかないだろう。絵里一人が上手かったところで、という話だ。
「園田殿の言に一理がありそうですが」
希は海未の側に回った。
「ことりはやってみても良いか、なぁ~なんて」
ことりが賛成派になると、判断は穂乃果に委ねられる事になった。穂乃果は、うんうん、唸りながら考え、やがて答えを出した。
「やる前からあれこれ考えたって何も分かんないよ。取り合えず、やってみよう。なんだか皆となら、出来る気がする」
こうなってしまうと、穂乃果は止まらない事を知っている海未だ。やむを得ない、と絵里の案を受け入れる事になった。
「やるからには本気でやりますので、甘い考えは捨てて下さいね、穂乃果」
海未はため息交じりにそう言うのであった。