グッバイ、ケレンスキー!   作:神山甚六

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「死とは我々を取り巻く全ての秘密、陰謀、そして奸計から、そのヴェールを引き剥ぐものである」

『プロハルチン氏』(1846)


パーヴェル・ニコラエヴィチ・ミリュコーフの違和感
違和感(前編)


 例えばの話である。

 

 貴方が何の事前情報もなく、パーヴェル・ニコラエヴィチ・ミリュコーフと会う機会があり(当然ながら貴方は、目の前の恰幅の良い老人がロシア共和国大臣会議議長(ロシア共和国首相)であることを知らされていない)、その第一印象を語ってもらったとすれば、おおよそ次のように要約されるだろう。

 

 すなわち豊かな白髪は丁寧に撫でつけられ、髪と同じ色をした口髭は突き出すように左右にピンと伸びている。

 下がり気味に固く結ばれた口元は、頑迷なまでの強固な意志の強さの表れだろう。

 そして、まさか目の前の気力と精神力に満ちた老人の年齢が77歳だとは思いもしないはずだ。

 

 会話を交わせば、老人が長い人生経験と修養に裏付けられた知性と教養の持ち主であるという印象を強めるだろう。

 紳士然として威厳のある立ち居振る舞いから、「裕福な医者か学者ではないか」と予想するかもしれない。

 そして貴方が民選政治家特有の表面上の人当たりの良さに惑わされなければ、老人が鼻眼鏡の下から貴方を見つめる眼差しの中に、目的のためには冷酷さを美徳として許容するロシア貴族特有のリアリズムを認めることが出来るだろう。

 

 第三者に与える印象がどうであれ、パーヴェル・ニコラエヴィチ・ミリュコーフという老政治家は、自分が典型的かつ極めて平凡なロシア人であると認識している。

 おそらく彼の同僚達も、老人の自己評価に疑いを挟むことはないだろう。

 

 「ロシア人の深層には相反する二面性が常に内在している」という指摘は、文豪ドフトエフスキー以前から繰り返し指摘され続けてきたことだ。

 

 すなわち疑り深いが情に厚く、温厚かと思えば冷酷であり、勇敢に振る舞いながら卑劣に行動し、慈悲深く残忍になれる上に、慎重ながら軽率。

 なりふり構わぬ新進の気質を許容しつつも、排他的な保守性を帯びた世論が支配する社会。

 排他的なスラブ民族主義と、寛容を掲げるロシア正教会の特異な関連性も、あるいはこの二面性の文脈で説明が可能かもしれない。

 

 この二面性を単純化して説明するならば、古くて新しい「ロシアはロシアだ」という言葉に集約される。

 「ロシアは欧州でありアジアでもあるが、欧州でもアジアでもない」と同じ文脈において語られることが多いが、いかにもロシアらしい要領を得ない説明である。

 

 重ねて具体的な説明を要求したところで、「あらゆるものを寄せ付けない極寒のシベリアの大地に、遅い春を迎えたモスクワの穏やかな陽気を共存させた上で、両者の矛盾がもたらすであろう衝突も摩擦も、必要とあれば飲み込めんでしまう」などと、やはり解ったような解らぬような例えをしたり顔で返されるだけだろう。

 

 かくも不合理なロシア人。彼らを理解する鍵は何か?

 

 文豪ドフトエフスキーは、「ロシア正教こそロシア人の価値観を体現したものであり、ロシアの真理と普遍性は聖書の中にある」と喝破して見せた。

 

 だが、ドフトエフスキーの保守的なロシア観は、ミリュコーフを含めたリベラル派知識人の間では支持されるものではない。

 ロシア人は、誰もかれもが敬虔な正教徒ばかりではない。

 それ以外のロシア人-例えば社会主義者や労働組合至上主義者(サンディカリスト)、スラブ民族主義者や自由主義者、無政府主義者の存在はどうなるのか?

 

 聖書の普遍性は別として、ドフトエフスキーの言葉を借りるならば「ロシアの真理と普遍性」のひとつに、次のようなものがある。

 

 それは社会や自己を取り巻く環境がどうであれ、自分自身が到達した結論としての価値観には(自分自身がそれを否定しない限りにおいて)、どこまでも忠誠を貫き通すという美点(あるいは欠点)だ。

 ロシア人は、それが宗教的な教理であれ政治的な主義主張であれ、国家体制や社会通念に反することであろうとも、自らの信じる価値観を追求することへのあくなき情熱と執念を秘めている。

 

 ところが「自己の利益になると考えれば、価値観への殉教者という仮面を平気で脱ぎ捨てる」という矛盾する評価が、我々のロシア観を混乱させる。

 目的を達成するためには手段を選ぶ必要はないというタタールの軛以来の悪しき伝統、あるいは状況に応じて対応することが最善であるとするスラブ民族の楽観的な無計画さが影響しているという解釈はあるにせよ、根拠のない文化論を越えるものではない。

 民族性や文化的影響による国民性というものは、物理法則の数式のように反証可能性があるものではない。

 

 だがそれでも、ロシア人に二面性があるのは確かである。

 

 こうした二面性は、事前計画を予定通りに遂行することを崇高の価値観であるとするドイツ人からすれば、「計画も立てられない理性の欠落の証明」と嘲笑されるものだ。

 平凡かつ普遍的な自明の理を極限まで追求した理性を重んじるフランス人(地中海をはさんだ両フランス共に)からすれば、「人間を人間たらしめる理性という原点を軽視している」と激昂される理由となる。

 積み重ねた伝統という価値観の中に生きることを選択したカナダのイギリス人からすれば、品性のない野蛮人としか映らない。

 

 そしてロシア人は、彼らが「最善の手段」を選択しないことが理解出来ないと首をかしげる。

 

 パーヴェル・ニコラエヴィチ・ミリュコーフの政治活動は、モスクワ大学在学中から数えれば半世紀近くにも及ぶ。

 そして彼の政治活動の軌跡は、ミリュコーフが典型的、かつ平凡なロシア人であることの証左だ。

 

 1905年。露日戦争の敗戦と血の日曜日事件によりロシア社会が騒然とする中、ミリュコーフは同志達と立憲民主党(カデット)を立ち上げた。

 すでにモスクワ大学の名物教授であったミリュコーフだが、彼は歴史学者としての研究成果や著作よりも、内務省警察部警備局(オフラーナ)と対立することも辞さない武闘派の自由主義者としての名声により内外で知られていた。

 

 学問の師であるクルチェフスキー教授と同じく、自由主義こそが自らの殉じるべき崇高なる価値観であると確信していたミリュコーフの政治的な野心は、反動政治と官僚主義が支配する祖国ロシアに自由主義を根付かせることにあった。

 

 ミリュコーフが象牙の塔を飛び出し、カデット結党から31年が経過した。

 

 4度目となるロシア共和国大臣会議議長として、カデットと社会革命党(エスエル)右派を中心とした連立内閣を率いる老人に「自らの野心が達成されたと思うか?」と訊ねれば、おそらくミリュコーフは暫くの葛藤の後、首を横へと振っただろう。

 

 カデットの党首として、ミリュコーフは20世紀初頭のロシア政治のあらゆる事件に関与した。

 

 帝国議会における社会主義者との主導権争い、自由主義者間の路線対立、皇帝専制政治との権力闘争。

 170万人ものロシア人が犠牲となった世界大戦(1914-1921)。

 帝政廃止後の臨時政府への参加と下野、暫定政府における各勢力の主導権争い。

 その世界大戦の戦死者に匹敵する、あるいは倍する犠牲者を出した凄惨なロシア内戦(1917-20)、それに続くドイツ帝国の軍事介入。

 ブレスト=リトフスク条約承認をめぐる国論の二分、コルチャーク事件(1924)。

 

 あらゆる常識が目まぐるしく流転する激動の時代にあり、ミリュコーフは平凡なロシア人としての二面性を存分に発揮した。

 

 革命当初は立憲君主制を支持していたミリュコーフは、事態の進捗に伴い共和制もやむなしと方針を転換した。

 本来ならば自由主義と相容れない立場である社会主義者と手を結み、帝国主義ドイツとの戦争を継続した。

 その直後、独裁化したボルシェヴィキ政権と戦うために、仇敵ドイツの軍事介入を受け入れることに努めた。

 政権を安定させるために帝政復古派と政治同盟を結び、同じ共和主義者であるコルチャーク提督を追放した。

 

 かくしてカデットは1921年以降に発足した多くの内閣で与党を形成することに成功したが、無節操な合従連衡に対する不満から国民の支持率は低下した。

 ピョートル・ストルーヴェやワシリー・マクラコフは、社会主義者との妥協に反発する党内右派勢力を背景に、ミリュコーフへ挑戦を挑んだ。

 

 一連の批判に対して、ミリュコーフは「カデット(自由主義者)の原理原則で妥協はしない」と反論した。

 確かにミリュコーフは権謀術数に手は染めても、自由主義者が批判するところのロシアの悪しき伝統である、テロリズムや暴力を採ることは一度たりともなかった。

 これはストルーヴェやマクラコフも認めるところであり、ロシア政治においては特筆すべき「偉業」である。

 

 だが、この老いた自由主義者は、あるいはスラブ人特有のニヒリズムからくるものだったのかもしれないが、その点を称賛する追従者に対しては、彼の体に流れるロシア貴族としての慇懃なる高慢さを容赦なく発揮もした。

 

 ロマノフ帝室、ロシア臨時政府、ボルシェヴィキ、そしてコルチャーク。

 ロシア人であることよりも、自らの思想信条や政治的な整合性を優先した勢力はどうなったか?

 機会主義者と批判されようとも、自由主義勢力の旗をダウリーダ宮殿(ドゥーマ)に立て続ける重要性をミリュコーフは説き続けた。

 

 そしてミリュコーフは党内からの挑戦を退け続け、カデットはロシア最大の自由主義政党として存続している。

 

 典型的かつ平凡なロシア人の理想主義者として、現実政治の壁に阻まれながらも自由主義の野心を燃やし続けるミリュコーフには、自分と同じく典型的かつ平凡なロシア人を一人だけ認知していた。

 

 その人物は、ミリュコーフにとってはダウリーダ宮殿において対等かつ忌憚なく話せる唯一の相手であるが、一度たりとも打ち解けたことがない油断ならぬ相手である。

 

 その人物は、自由主義政党としてのカデットの理想実現を阻み続ける不倶戴天の政敵であり、同時に現在のカデットに政治的な成功をもたらした得難い同盟相手でもある。

 

 その人物は、約束を遵守するという点で交渉相手としては信用に値する政治家だが、機会主義者に徹して原理原則を平気でねじ曲げるという、人格的には到底信頼に値しない政治屋である。

 

 聴衆を熱狂させる雄弁家の素質を持ちながら、空疎で退屈な国会答弁を得意とする。

 誰とでも付き合う陽気な社交性を持ちながら、誰にも本心を明かそうとしない孤独な権力者。

 

 そしてたった今、秘書官から差し出されたメモにより、ミリュコーフは彼と再び話す機会が永遠に失われたことを知った。

 

『ピエロ死去』

 

 ミリュコーフは何気ない素振りでメモ用紙を何度も折り返し、そして再び広げて内容を再確認する。

 

 大統領警護隊において「ピエロ」と呼称される警護対象は誰か。

 

 体感としては時計の秒針が一周するほどにも長く感じられた老人の逡巡は、どうやら目の前の閣僚達には悟られなかったようだ。

 

「諸君」

 

 口角泡を飛ばして議論を続けていた閣僚達の視線を自分に集めると、ミリュコーフは出来る限り感情の色を抜き取った声で告げた。

 

「大統領警護隊の医師団が、ピエロ(ケレンスキー)の死亡を正式に確認した」

 

 老首相が事実だけを淡々と閣僚達に伝えると、冬宮殿の閣議室全体に形容し難い沈黙と静寂が、それも唐突に訪れた。

 

 アレクサンドル・フョードロヴィチ・ケレンスキーが死んだ。

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