死んだ目をしたTSロリ転生者と妖怪甘やかしロリババア   作:TSロリに百合乱暴するマン

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前編 転生

 物心を覚えた頃、父親と魚を釣りに行ったことを覚えている。

 本格的な釣りではなく、堀のような場所で養殖された魚を釣るという、よくあるレジャー施設での釣りだった。

 

 それでも辺りは自然に溢れていて、樹々の間から差す光や、水のせせらぎ、笑顔の人々、遠路遥々きた家族との触れ合い、それは豊かな思い出として残るべき時間だった。

 しかし、私の記憶の中の思い出は決して良きものではなかった。

 

 魚を釣れた楽しさよりも、それを食べた美味しさよりも、私に笑顔を向けながら魚に串を刺した父の姿だけが印象に残っている。

 

 そういう施設であることも、食事という行為がそうした事であることも、知っていたはずだったのに、しかし軽々しく命を奪った父に言葉に出来ぬ何かを感じたのだ。

 今になっても言葉に表すことはできないが、それは私の中に確かな痼りを残した。

 

 幼少の頃より、感性というか、良くも悪くも私は少し人よりズレていたのかもしれない。

 

 ただ、命というものの儚さを覚えた幼少期だった。

 

 

 それは、夏の通学路だった。

 ジメジメとした熱さも、照り付けられた太陽の光も、まあ良い天気だったと言えるだろう。私は好きでは無かったが。

 

 そんな中で、私の顔を目掛けて飛んできたセミに驚き、咄嗟にそれをはたき落とした記憶がある。

 ジジ……ジジ……と鳴きながら、徐々に動かなくなったその亡骸に言葉では尽くせない感慨を覚えた。

 

 熱さを忘れるほどだった。涼しさを覚えるような嫌な汗が止まらなくなった。

 

 結局その日は来た道を辿り、気分が悪いとズル休みをした。

 思えばあれは初めて学校を休んだ日だった。

 

 それほどに、私にとっては大きな出来事だった。

 

 やはり、私は繊細な子供だったのだろう。

 

 体が大きくなるにつれて、生き物との触れ合いが減ったせいか、あるいは精神が成長したせいか、そのような心持ちになることなんてなくなっていったが、しかし、命を奪う瞬間というのは、少なくとも私の感情に2回の変革をもたらしたのだ。

 

 だからだろうか。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 肉を切った感触は今でも覚えている。

 刃が肉に入り込む感覚、動脈が傷ついたのか熱く勢いよく飛び散る血液、ずるりと粘性を持って落ちた首、何が起きたのか理解できないまま、純粋にこちらを見つめる濁った瞳。

 

 熱を失い、眠るように地に伏せ終わった屍は、しかして、私に罪ということをいっそう刻み込んだ。

 

 恐ろしかった。

 

 転生だのチートだなんだと、甘い言葉に誘われるまま、遊びのような心地で命を奪うべきではなかったのだ。

 

 熱に犯されていたのだ。馬鹿だった。こんなになるなんて思ってもみなかった。

 

 新たな生の中で夢心地だったのだ。生の実感が薄かった。自分のことすら掴み切れていなかった。

 

 そうだ、ゲーム感覚だったのだ。

 敵を倒して、倒して、力を証明する。それくらいの考えしかなかった。

 だからこそ、敵がそのあとどうなるかなんて考えもしなかったし、あるいは一つの命である実感もなかったのだ。

 ゲームのように敵はポリゴンになって消えやしない。こびりついた血と油は、ぬめりを伴ってへばりつき、簡単に消えなどしないのだ。

 だからこそ、むせるような異臭を放ちながら、臓物を撒き散らす姿に恐怖した。

 

 呼吸を失った死体の前で、ヒュー、ヒューと荒い呼吸の音が響く。

 地に染み込む赤色が私の足の側まで広がっていく。

 怯み、後ろに引いた足の先にはねとりと、赤い感触がした。

 

 自分勝手に命を弄んだことに、驚くほど後悔した。

 

 

 

 

 私が殺した生物は、人に害するものであった。

 私は誰かの危機になるかも知れなかったものを未然に防いだのだ。

 そう開き直ることも出来たはずだった。

 それに、たとえ私が殺さなかったとしても、他の誰かがきっと、それこそ無感情に駆除しにくるのだろう。

 なら私が殺しても良かったのではないかと。

 しかし、面白半分で、ただの力試しのような浮かれた心で殺してしまったという事実は消えない。

 理由をつけて、心を軽くしようとすればするほど、その浅ましさが私の罪悪をより深く強くする。

 

 

 暮れかけた森の中で、赤く色付いた光が屍に差す。

 風に草木が、枝葉が揺れる。

 それは私の罪過をせせら笑い、決して忘れるなと言っているようだった。

 

 そんな意識に苛まれながら、私は亡骸を埋めるでもなく、食すでもなく、ただ亡骸の前に立っていた。

 何もしなかった。何もできなかったのだ。

 

 しばらくの間そうしていたが、結局は逃げるようにそこから踵を返した。

 弔うでもなく、糧にするでもなく、ただそこに捨て置いた。

 だからこそ、現在まで続くほど、私の罪は深く刻まれたのだ。

 

 既に日は落ちていた。

 

 

 

 その後は、どうやって帰路に着いたかも覚えていない。道すがら、沢山の人に話しかけられた気もする。街の住人は気のいい人ばかりだったから、きっと心配してくれていたのだと思う。

 しかし、その時の私には、後ろ髪を引かれるような仄暗い罪過や後悔のせいで、人々が私を非難しているように見えたのだ。

 

 逃げるように帰った家の部屋の中は、静かで暗くてそれでいて心地よかった。

 

 現実感が乏しかったのか、あるいは強すぎたのか、何故か自分が何処かに飛んでいってしまう気がして、体に痛いほどシーツを巻き付け、枕を握りながらずうっと泣いていた。

 

 強烈な嫌悪感だった。死にたいとすら思ったほどだ。

 贖罪か。いや違うだろう。ようは許されたいのだ。同じことをされることで、自分のしたことを肯定して欲しいのだ。

 我ながら傲慢だと思う。自分で自分を殺すことすらできないのだから。

 死ぬ勇気すらないのだ。

 私が弄んで殺した命のように、悪戯に、それに意味などないように、無残に殺されたいのだ。

 それはどこまでも自分勝手で、他人任せだろう。

 

 私はひどい人間だ。

 

 そうして一晩中部屋の中で過ごした。

 自己嫌悪で潰れそうだった。

 

 

 

 

 

 眠りから醒めても後悔は収まらず、それどころか授かったチートそのものに恐怖を抱くようになった。

 私のチートは木の枝ですら命を引き裂く事ができるのだ。

 だから、刃物もまともに握れなくなった。

 箸すら震えて持てないのだ。

 店先に行ってもわざわざひと口サイズに食べ物を切ってもらわないといけないし、カトラリーを使わずに手でそのまま食事をする許可まで取らないといけない。

 礼儀知らずに思われるし、それだけではなく、1度スラムの子どもと間違われたのか暴動に発展したこともある。

 刃物が目に入っただけで、我ながら繊細で馬鹿馬鹿しいと思うが、震えが走るのだ。

 もはやどうしようもない。

 

 そんな状態で1年か、2年ほど過ごしていた。

 

 剣を捨てようと、魔法使いの真似事を始めたのはこの頃だ。

 罪過の象徴から離れたかったのかもしれない。

 しかし、私が覚えることができた魔法は命を奪うものだけだった。

 悲しいことに私は誰かを殺す才能だけは人一倍あったのだ。

 どちらにせよ罪から逃れることは出来なかった。

 

 その合間に私はいくつもの職場を転々とした。

 ギルド──そう呼ばれる派遣場のようなもの──に紹介してもらった酒場では食器を壊し尽くし、店先の客引きでは衛兵の持つ武器に怯え、ついに何にも出来なくなってしまった私は、最終的にはドブさらいに行き着いた。

 

 

 

 王都の大型下水道の中は酷い有様だった。

 打ち捨てられたゴミ、饐えた匂い、飛び回るハエ、不衛生な化け物たち、謎の死骸。

 何もかもが劣悪な状態だったが、他のどの場所よりも長く続ける事ができた。

 

 絶対に必要な仕事であると言う安心感か、捨てられて忘れられたものたちとともにあるという孤独な共感か、誰もが自分を出さず黙々と作業をする暗い沈黙のせいか、此処では私は自分の存在を認められたのだ。

 

 そして、何より私の心を支えてくれたのは、汚泥で固めた棒ならば、私が振るっても致命傷寸前までしか傷を負わず、死に至る事がないということに気づいたことだ。

 

 そこにはきっと、化膿したか、打ちどころが悪いかで亡くなってしまった命もあったはずなのだろうが、生きるためという免罪符と直接の死因でないというある種の線引きは、私に安心を与えてくれた。

 

 それは魔法という武器でも同じことのはずなのだが、結局のところ、罪過の象徴などと蔑みながらも剣という、自分を守るために絶対的な信頼を預けられる武器というものを捨て去ることはできなかったのだ。

 

 それは一種のダブルスタンダードなのだろう。己の命を守るためだから仕方がない。

 弁解にも似た自己陶酔は新たな自己嫌悪の一つとなった。

 

 そうして、下水道労働は全てが順調だったわけではなく、罪の意識、自己嫌悪によってか、何故か無性に悲しくなって、ずっと泣いていた日もあった。

 

 しかし、ドブさらいという天職を見つけてから、私は少し前向きになったのも確かなことだった。

 

 

 ◇

 

 

 生き物を殺すということに何かしらを感じられるというのは、一種の文化の熟成とも取れる。

 倫理の成熟だ。

 それほどまでに人は豊かであり、生き物を殺さずとも人々が幸せな生活を享受できる証であるのだ。

 逆説的に、本能の勧める他殺を理性が拒むことが常識として罷り通っているということでもある。

 

 それが、私の罪悪の証明であり、またギルド内部が昼間から居酒屋のような熱気に包まれている理由の一つである事は間違いない。

 

 剣やら盾やら鎧やら、物騒な出で立ちの人々は、戦場という非日常で生まれたストレスを鎮めるため、人との付き合いという日常の中で敢えて酒を体に入れ、高揚を得ることによってバランスを取っているのだ。

 

 私はこの雰囲気は好きではない。

 楽しげであれば、喧騒であれば、ようは周りの人々の感情の振れ幅が大きければ大きいほど、自分の場所がここにはないような、そんな心持ちになるからだ。

 

 彼らは私が罪だのと呼んでいる感傷を、報酬のため、あるいは誰かからのSOSであるという大義名分で、自分の中で消化して前に進む事ができる人々だからだ。

 

 だからか、雰囲気だけではなく、ここに滞在する人々も私は好ましく思えない。

 

 私が初めてきた時に親身になって話を聞いてくれた受付も、未だにアドバイスや面白い店なんかを教えてくれる先輩にあたる人物も、何故か私の周りには優しく、人が出来たと形容するしかないような人物が集まる。

 そうした優しさを受け取り、感謝の念が強くなればなるほど、同時に自分の醜さを実感して、何もかもが嫌になる。

 

 そう、この場に好ましくないのは私だ。

 

 手を差し伸ばされても、手を取らず。

 自分から助けも求めない。

 

 嫌いなのは私。私だけだ。

 

 そうした感情のせいか、壁に貼り出された依頼書──多くは討伐の依頼で、誰が受けてもいい求人は壁に張り出される──を流し見して、そそくさと逃げ帰るように足を返すことが常だった。

 

 しかし、明るくなったかせいか、浮ついていただけか、もはや私自身ですら、自らの心の機微に区別が付かないが、そう、ギルドで一枚の貼り紙を見つけた時、漠然と何かを感じ取った。

 使命、天命、それは啓示か、暴走した感情か。

 良く分からないが、ようはそれに自らの運命を見出したのだ。

 

 若い人物にありがちな迷いだと言われるかもしれないが、私はこの張り紙が私のために用意されたものであると信じてやまなかった。

 

 それは古い廃村跡に住み着いた妖狐を駆除してくれといった内容の貼り紙だった。

 妖狐というのは尾の数によって強さが変わる化け物だ。記載されていたのは三尾の狐で、それでもそこそこの冒険者──討伐を専門、もしくは好んで受けるギルド員の蔑称──が束になって相手をするようなやつで、剣を使わない自分では容易に勝てるような相手ではなかったが、気づいたら貼り紙をちぎっていた。

 

 受付の人であったり、ギルド内にいた人々が口々にそれはあなたに相応しい仕事ではないと、私を留めようとしたが、運命という熱に当てられた私には雑音としてしか耳を通らなかった。

 

 

 

 

 

 制止の声を振り切って、件の廃村に辿り着いたのは夜だった。

 空気の綺麗さのせいか、空を見上げれば星々が瞬き、少し欠けた月が辺りを照らしていた。

 幻想的ともとれる自然の光景は、人に味方をすることはない。

 夜は化け物の時間だ。

 人は目を失い、足を失い、まともに活動することなどできない。

 

 普段なら廃村に入る前に野宿などをして、日を改めるところであったが、奇妙な高揚に当てられたのか、しばらく呑気に徘徊をしていた。

 

 それから随分と長い間、探索をしていたが、妖狐どころか、獣もいない。

 異常な静かさだけがそこにあった。

 

 熱に犯されていた私は肩透かしであったかと考え、ため息を吐くほどには気持ちが弛緩していたが、普段の私なら、虫の声、風の音すら失った廃村は明らかな危険地帯だったことに気が付いただろう。

 

 そうして、何も見当たらず帰ろうかと考えていた時、まるで初めからそこに居たように、欠けた月を背景に妖狐は現れた。

 

 九つの尾を伴って。

 

 

 

 

 

「あら、こんな夜更けに独りかしら、お嬢さん」

 

 動物型ですらなく、人型。

 

 艶やかに着こなし纏うそれは、明らかに布ではなく異常な妖気を発している。

 

「その服装は、魔法使いかしら。でもわざわざ欠けて虫食いの杖を使うのは何故かしらね」

 

 本能に任せて動く下位の化け物ではなく、知能を有している。明らかに上位の化け物。

 

 その赤く深い瞳は私の反応を伺っている。どんな考えをするのか、それを読み解くように。

 

「ふふ、あなたは剣を使うのでしょう? 杖の握り方がおかしいわ。でも、何故剣を握らないのかしら、不思議ね」

 

 こてんと傾けた顔には無邪気が彩られていたが、僅かに釣り上げられた口の端は、その深い残虐性を表していた。

 

 これは話が違う。そう思ったが、しかし、つまるところあの貼り紙をみて感じた運命が示していたのはこういうことだったのかと、奇妙だが納得できるものもあった。

 

「理由があるのかしら、それとも私は舐められているのかしら。そう、私、知りたいわ」

 

 私の意識が彼女から一瞬離れたことに気がついたのか、彼女から恐ろしいほどの威圧感が発せられる。

 殺気。

 息をすることを忘れるほどの殺気であった。

 

「ねえ、あなたが死んじゃう前に、あなたのことを私に教えて?」

 

 ここでなら、私は罪を精算することができるだろう、と頭に過ぎったのは一瞬だった。

 

 生存本能か、気づけば、体が勝手に杖を動かし、魔法陣を空に描き出していた。

 

 染み付いた反射のような動きだったが、選んだ魔法は生物に向けて撃ったことのないような、殺傷力の高いものだった。

 

 陣より飛び出した、赤熱した閃光は妖狐を焼くことなく、妖狐に触れた部分より熱を失って、どろりどろりと地に落ちていく。

 

「あら、火の魔術を使うのね。私とおそろい。火というのは古来より人が畏れ崇めてきたもの。なれば、私が操れるのもまた道理ということよ」

 

 見せつけるように手の平に灯した蛍火を妖狐が握り潰した瞬間、この廃村の家屋という家屋が炎上し始め、村の外縁には、私を逃さないためか炎で出来た壁が燃え上がり始めた。

 

 チリチリと肌を焼く異常な熱気も、肺に与えられた灼熱感とも感じられる息苦しさも、これでは普通に生存することすら難しい。

 このままではきっと逃げ出すことすらできないだろう。

 

 昇る炎に向け、空に魔法陣を描き出す。青色に輝く光の線は水を呼び出す、あるいは生み出すためのもの。

 

 今から起こす魔法は、雨乞いというには超自然的だが、雨雲を呼び出しそれ全てを水に変換するものだ。

 規模も威力も燃え盛る火炎を喰らうに相応しい。

 

 放たれた水流は炎の壁を喰らい、炎に呑まれた家屋ごと呑み潰し、炎を掻き消した。

 

 しかし、

 

「多芸ね。水というのは繁栄を約束するとともに災害を約束するものでもある。つまりはもちろん私も操れるのよ」

 

 微笑む妖狐が、手の平の水玉を握り潰すと同時に現れたのは津波だ。

 恐るべき水の量か、辺りに与えられた異常な暑さは、瞬時に肌寒く感じるほどに還された。

 私の雨雲すら呑み込む異常な規模の津波は質量だけ見てもどうすることもできない。

 まさに洪水。まさに災害。

 こちらに届けばなす術もなく私を潰していくだろう。

 

 なれば、するべきは未然に防ぐのみだ。

 幸い妖狐は一つの術しか維持しない。術のコントロールが完璧なせいか、残滓すら残らず、私の水流でも燃え残っていた妖狐の炎は消え失せていた。

 私を嬲るつもりか、それともただ維持出来ないのか。

 維持が出来ないと見るには希望的観測すぎるが、それにかけるしかない状況であるのは間違いないのだ。

 

 生み出すは雷。威力もさることながら疾さも確かなものだ。

 杖の先より描き出される魔法陣が紫に輝き、バチバチと帯電し始める。

 極限まで疾さに特化したこの魔法は、唱えてから相手に届くまでラグなんてほとんどない。

 それこそコンマ1秒の世界だ。

 瞬きすら許さないほどの速度。

 

 だというのに。

 

 私の魔法など見ずに、ただ私の目だけを見つめている妖狐は、こちらに薄く微笑みながら、何でもないように雷をはたき落とした。私の魔法など存在しなかったように、妖狐は薄く口端を歪ませ私を見ている。

 

「あら、凄いわね。稲光。雷というものは、一部では神の怒りなんて表現もされることもあるらしいわね」

 

 そうして、微笑む妖狐は手の平に電気で出来た球を生み出した。

 まさに絶望だ。

 

 しかし、妖狐の後ろに見えた水の壁は消えた。

 空中で霧散した水の魔力は塵や他の魔力と混じり合い、異常な雨降りとなって、この大地に降り注いだ。

 それは私の甘い考えを咎めるようだった。

 魔法は維持できないのではなく、維持していないのだと。

 魔力をまとった水のせいか、すぐに服が水を吸い、一瞬で体温と体力が奪われていく。

 

「ねえ、雷。私は扱えるかしら」

 

 能面のように貼り付けられた顔のまま、吐き出された白々しい言葉とともに、妖狐が小さな雷球を握り潰した瞬間、黒く陰る空より光がいくつも光り輝いた。

 

 反射なのか、私の生意地の汚さなのか、私の意識が防御を命令する前に、大地を盾にする魔法は発動していた。

 

 異常な爆音が辺りに何度も響く。

 その度に、盾とした大地から砂がポロポロと落ちてくる。

 

 咄嗟の魔法だったからか、防壁は私のパーソナルマークと化した魔女帽を真っ二つにしたが、しかしついに、電撃はこちらに届くことはなかった。

 

 このまま、立ち去ってはくれないか。

 そんな弱気が仄かに浮かぶ。

 しかし、祈りは虚しく、ひび割れた防壁の隙間から妖狐の赤い目が光る。

 

「本当に凄いわ。魔法使いとしても一流とは思わなかったもの。ところで、もう説明は要らないわよね。私は大地すら操れる」

 

 足元が波打つ。

 私の魔力の宿っていた土の防壁は、瞬く間に妖狐の魔力で汚染され、そのコントロールを奪われた。

 まるで、自分が湖の上に立っているのかと錯覚を起こすほど滑らかに、土で出来た濁流は私を呑み込み、地中深くへ埋め込もうとする。

 

 口に泥が入り込み、苦い味が広がる。息ができない。

 泥流に手足を掬われ、逃れることもできない。

 私の足掻く力よりも、土の質量の方が強いのだ。

 

 このままでは死ぬ。死んでしまう。

 

 思うが先か、私は残った魔力を起爆剤として私を呑み込む大地を魔力の奔流で抉り返していた。

 

 私の魔力、元々あった大気中の魔力、妖狐の魔力、すべてを反発させ暴走させたのだ。

 

 爆発音。熱。痛み。視界を埋め尽くす白色の閃光は周囲の大地ごと、妖狐の魔法を消しとばした。

 

 辺りは土色一色となった。

 木々、廃屋、泥塊、全てが弾け、消え去ったのだ。剥き出しの断層は被害の規模を示している。

 

 代償は大きい。

 

 体の中がズキズキと痛む。魔力の回路に傷が付いたのだろう。魔法はもう上手く使えないと考えた方がいい。

 

 息が上がる。

 息を整えようとすればするほど、逆に呼吸が乱れていく。

 吐いた息からは土の香りがする。

 魔力を失ったからだろう、異常な頭痛と発汗が止まらない。目も上手く開かない。

 杖を持つ手は震える。

 

 土煙の晴れた跡より、妖狐は私を見つめて、笑う。

 

「ここまで感動したのは初めてかも知れないわ。だってあなたは純粋な魔法使いではないのだもの。」

 

 そう言ってから、妖狐は4つの災害を生み出した。

 

「でも、そろそろ稚拙な術の繰り出し合いには飽いてきたわ。こんな手慰めじゃ満足できないの」

 

 もはや壁となり肥大化した炎。

 私の水流とは比較にならないほどの質量を持った水塊津波。

 あまりの莫大な電力によって真っ黒な雲を太陽と見間違えるほど輝かす雷。

 まだ威力を解放していないのにもかかわらず、余波によって立っていられないほどの揺らぎを起こす地震。

 

 それぞれが反発し合い威力が削られている筈だが、それでも人を1人殺すには余剰な力だった。

 

「さあ、本当に死んでしまうわよ。その前に剣を取りなさい」

 

 期待か失望か、それとも他の感情を隠すためか、浮かべられた微笑みは酷く歪んで見えた。

 

 

 迫る死を前に、心がざわめく。

 

 ──いつか願ったことを思い出す。

 

 迫る炎は肺を焼き、私の呼吸を殺す。

 

 ──私は死にたいのだ。

 

 炎に混じり蒸発したのか、水蒸気となった水は皮膚を焼き、視界を殺す。

 

 ──無残に散ることを望んだ。

 

 雷の破裂音が水蒸気を辿り、私に届くはずの音を殺した。

 

 ──そのはずなのに。

 

 もとより退路はないが、大地の興隆は私から移動を殺した。

 

 

 なのに、ああ、私は醜い人間だ。

 

 この期に及んで、この期に及んで。

 

 私は、死にたくない。

 

 まだ、死にたくないのだ。

 

 

 だから。

 

 

「やっと見せてくれるのね。どれほどの──

 

 

 だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お前が死ね。

 

 

 

 

 魔法陣を描くためだけに買ったボロボロの杖は、剣を持つように振るう、たったそれだけの動作で、4つの災害を切り裂き、妖狐の体をバラバラにした。

 

 

 ◇

 

 

 空より月の暖かな光が地に降り注ぐ。

 見渡せば、先程の戦闘などなかったかのようにあたりは静まり返っていた。

 

 しばらくの間呆けていたが、身を焼く灼熱感と折れた足の骨が私を現実に引き戻した。

 

 そして後悔した。

 死ぬべきは私だったのにと。

 

 このままでいれば死ぬだろう。それくらいの傷だ。火傷も骨折も、視界も霞み、耳は聞こえない。機能が死んだ。もはや生活を過ごす力はない。

 

 ならば、妖狐を殺さずとも私だけで死ねば良かったのにと。

 

 

 こんなはずじゃなかったのに。

 

 殺すつもりなんてなかったのに。

 

 死にたかったはずだったのに。

 

 私が死ぬべきだったのに。

 

 

「ごめんなさい……」

 

 私はまた罪を重ねたのだ。

 自分が生きたいがために。生き足掻いたために。

 

「ごめんなさい……」

 

 ぐちゃぐちゃになった妖狐は何も語らない。

 当たり前だ。死んだ者に語る口などない。

 

「ごめんなさい……」

 

 妖怪だ。化け物だ。もしかしたら集めたら生き返るかもしれないと、折れた足を引きずり肉塊の側まで寄ってみたが、もはや命として存在出来ない程に切り刻まれていた。

 

「ごめんなさい……」

 

 それでも形を整えれば生き返るかも知れないと、肉をこねくり回していたが、やはり動くことはなかった。

 

「ごめんなさい……」

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、私の死を哀しんでくれるの。嬉しいわ」

 

「でも、ごめんなさいね。人は死を恐れるものだから。つまり、私は死なないの」

 


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