家に転がっている本を見て、その表紙を読み上げる。
「灘神影流剣術……」
当時の俺は何を思ってこんなの定期購読してたんだ……。
しかも教材の萎びれ具合を見るにだいぶ使い込まれたモノの様に見える。
「……剣道とか……そう言う系の奴だよな……」
丁度家を出ようとした時だった。服を漁っていたら、タンスの底の方にこの本が埋まっていたのだ。
このシリーズの本は俺の部屋から大量に見つかったが、ここまで読み込まれてるモノは珍しい。
前までの『俺』の形跡に気付いてしまい、パラパラと中身を確認してみる。
「……まぁ、普通の教本だな」
とはいえその内容は至って普通のもので、特に書き込みがあるとかそう言うわけではない。
目次を見るに、この本はいくつかの章に分かれているようだった。
『僕は痛いのとか苦しいのとか嫌いなんです。それでも剣術は出来ますか? 編』
『僕は模擬刀も木刀も持ってないし、竹刀を振ったこともありません。それでも剣術が出来るようになりますか? 編』
『あなたよりも強くなれますか? 編』
『え? 今日から練習を始めたい? 編』
などなど。
このようにいくつかの章に分かれていて、内容的には初心者から中級者向けの教本のようである。
……と言うか。
「……家に竹刀とかも無いし……何使って教本こんなにするまで練習したんだよ……」
それは前から思っていた疑問だった。
それに……ここに書かれてること、この部屋じゃ出来そうにないんだが。以前の俺は一体何処でこの教本を使ってたんだよ。
まさか外で大っぴらに竹刀とか振り回してたのか……? いや流石にそんなこと……ないよな。
ただ、一つの疑念というか、当時の俺の想いというか……執念が伝わってくる。
この教本の読み込み具合は相当で、そこまで勉強とか本を読む人間ではなかった筈の俺がこんな使い込むなんて、相当必死だったと思える。
しかもこの本だけじゃなくてシリーズで定期購読とか。
「……なんかの事件に巻き込まれて、か……」
思い出されるのはセバスチャンの言葉。
少なくとも日常生活はおくれていたようだが、周りにバレたくない類の事件に巻き込まれていた可能性があるとか無いとか。
「……」
そんなヤバい事件に巻き込まれていたら……こんなに必死になって読み込む……か?
もし本当に命に関わる事だったら本気でやるかも知れない。
そこまで考えて、首筋がぞわりとする。
今の今まで特に考えていなかったけど……そんな事件に関わっていた可能性がある俺が記憶喪失になってるって……ヤバくないか?
「……」
急に不安になって辺りを見渡すも、当然ながら何の問題も無い至って何時も通りの我が部屋である。
どうも昨日見た夢のせいで変に不安を感じてしまう。
「……時間まで、少し読んでおこうかな……」
昔の俺と今の俺を重ねるように、教本を開いた。
◇
「……リディアンね」
そう言って陽色は手元にある紙に目を通す。
それは先日……剣術指南書を見つけたあの日、セバスチャンに妹が居る場所を聞きに行った際に受け取った現時点で判明している情報である。
そこには、現在陽色の妹が通っている学校についての情報などが書かれていた。
それ以外の情報はハッキリ言って皆無に等しいモノで、妹の現在の写真すら載せられていなかった。
とは言え、妹が通う学校だけでも判明したのは僥倖だ。
陽色はすぐにでもリディアン音楽院に電話をかけて妹について訪ねたのだが……。
「んで電話じゃ対応してくんねーんだっつの……」
当然というか何というか。
駄目ですの一言しか帰ってこなかった。
「……はぁ」
そう愚痴りつつも、まぁ自称在校生の兄貴じゃ電話で対応は無理だよな……と理解はしていた陽色は、大人しくリディアン音楽院に足を向けた。
というのも、セバスチャンに協力を仰いで、取りあえず教師とでも対談を出来るように取り付けたのだ。
「……」
現在の陽色の格好は黒いスーツを着ている。
恐らくは成人式の時にでも使ったであろうその格好にしては妙に黒が目立つが……セバスチャンに確認して貰った所、フォーマルな格好をしていることが重要と教わった。
そう言った理由で陽色はこのスーツを着ているのだが……どうも服に着られているような気がして少し恥ずかしい想いを抱いていた。
「……」
そうして黒スーツを着てリディアンへと歩いて行く途中、陽色は気付く。
(……本当に……女子高生しかいねぇ……)
街の女子高生率の高さに。
分かっていたことだが、緊張に体を硬直させる。
そもそもこのリディアン訪問に陽色は非常に緊張している。
なにせ陽色の主観(中学二年生相当)からすれば、リディアンというのは年上の女性しかいない女子校である。そこに足を踏み入れるというのは非常に勇気がいるモノだった。
とは言えなるべく早く妹と再会したかった為、リディアン音楽院について分かった瞬間即、リディアン音楽院との面会を取り付けたのだが……1番早くリディアンに行ける日はセバスチャンの予定が詰まっていたため共に行くことは出来なかった。
つまりセバスチャンの同行よりも速度を選んだ結果、このような事態となったのだが……。
(……やべぇ……今更帰りたくなってきた……)
リディアンに近づくたびその想いは大きくなっていく。
しかし、陽色は……。
「……いや、行くしかねぇ……よな」
嫌だなぁ……という顔をしながらも。
覚悟を決めたように歩みを続ける。
(……そうだ。こんな事で逃げ出して……過去に向き合う事なんて無理だ。何より……俺はキリカに会いたい)
ふとそう思った瞬間……胸の縁からどんどんとその思いが溢れてくる。
(……そうだ。訳も分からないまま家族はバラバラで……だからようやく見つけられた繋がりを、離したくない)
その思いが陽色の足を前に進ませる。
「……?」
そして、足を前に進ませるたび……何かがおかしくなっていく。
──人が居ないのだ。
あれほど活気だって居たはずの街に……ヒトの気配が無くなっていく。
「……」
思わず背負っていたバッグの紐を握りしめる。
そのバッグの中には……木刀が入っていた。
これは護身用……というよりも、
……というのも、陽色はあの日……『灘神影流剣術』を読んだその時より。
──剣術にドハマリしてしまったのだ。
その日、セバスチャンに話を聞きに行った帰りに練習で使う為の木刀を買いに行ってしまうほどには。
「……」
今日その木刀を持ち運んでいたのは、リディアンとの話し合いが上手くいかなかった時に暴れるため……な訳がなく、上手くいったいかないに関わらず、帰り際に一般開放されている道場に寄って練習するためである。
というのも、今の陽色の身体能力は記憶に有るモノとは大きく異なり……どれだけ運動しても殆ど息が上がることが無いのである。
つまり陽色はいくらでも練習に打ち込める。また、動いている間は現状……前に進めずに悶々とする自分のことを考えずに済む為気晴らしに丁度良く……また自衛の手段が増えるのは安心感が増す。
そうした複合的な理由から、リディアン訪問にまで木刀を持ち出していたのだが……。
そう、本来であれば……練習に使う為のモノ……なのだが。
「……」
歩みを進めるたび……嫌な臭いがする。
それは物理的に香るモノでは無く……陽色の直感が告げるモノだった。
自ずとバッグを握る手に力が入り。
そして──とうとう決定的なモノが見えてくる。
「……人……倒れてんだけど…………ん?」
何人、どころでは無い。
十人を超えるほどの人が倒れていて……その中央で、異様な雰囲気を放っている少女が見える。
その少女は青を基調とした服を着ており、一見通常の存在のように見える。
だが。
「ッ!?」
その少女が視界に入った瞬間、陽色の体がとっさに動き──道の外れの路地へと逃げる。
「……なんっ……何ッ……だッ……!?」
心臓が早鐘を打ち、無意識下で脳が警鐘を鳴らし続ける。
逃げろ、と。
陽色の全身に脂汗が浮かび、その少女の佇まいからは信じられない存在感を全身に受ける。
「……何……何だ……アイツ……」
陽色には初めての経験だった。
その衝撃はすさまじく、もう一度その少女の姿を路地裏から見る。
「……」
彼女は相も変わらず何かを待つかのようにその場に立ち続け、足下に倒れた人間達など歯牙にもかけずにいた。
そして何より……こちらには気付いていなかった。
今なら間に合う。回れ右をすれば何の問題も起こらずに障害を回避できる。
(……いや、それよりも救急車……? でもそれって被害者増やすだけじゃ……)
駆けつけてきた救急隊員達が蹴散らされる姿は驚くほど鮮明に予想できた。
つまり、
「……」
それを即座に理解した陽色は、倒れている人たちに何もしてあげられないことに罪悪感を覚えつつも……その場を離れようと歩もうとした。
その時だった。
「……え?」
リディアンの制服を着た数人の女子生徒達が、こちらに向かって歩いているのが見えてしまった。
そして、その女子生徒の中に……。
「……立花……さん……?」
彼の知る、少女が居た。
◇
心臓が跳ね上がる。
ともすればそれは、あの謎の少女を見た時以上の衝撃で……俺を惑わす。
俺は無意識に持って来ていたバッグを開き、そこから──。
「……」
待て。
俺は今……何を考えた?
思わず乾いた笑いを浮かべる。
あの倒れている人達は見捨てようとしたのに?
「……」
そう、見捨てる。
そりゃそうだ……あの倒れている奴等はもう助からない。
生きている気配が無い。
既に死んでいる人間を助ける方法なんて、無い。
「ッ……」
ズグリと鈍い痛みが脳裏に走り、蹈鞴を踏む。
そうだ。助ける方法は無い……だが。
だがまだ生きているのなら、助けることが出来る。
「……立花……さん……それに小日向さんって事は……他の三人はお友達か……?」
遠目でも恐怖した様子が見て取れる彼女たちは、しかし確実に……生きていた。
既に死体として謎の少女の足下に転がっている奴等とは違って、まだ。
そう、『まだ生きている』だけだ。
あの謎の少女が少しでも殺そうと思えば即死んでしまう様な、危うい状況に置かれているのが……立花さん達だ。
「……」
手元に目を落とし……半分まで引き抜いた木刀を見やる。
冗談が過ぎる。
こんなのでどう立ち向かうってんだ。
精々やれて時間稼ぎ程度……。
「……ああ、糞……」
時間稼ぎ程度なら……出来る……のか……?
半端に自信がある。出来る気が半端にする。
最悪だ。
頭痛は止まらず、思考を歪め続ける。
糞……命をかけて全力で行けば……時間稼ぎなら出来──。
いや、まて、早まるな。
変な方向に向かい始めた思考を戻すように、自身に語りかける。
そもそも俺は何故ここにまだ残っている?
さっさと離脱してリディアンに向かうべきだ。妹に会えなくなるんだぞ。
立花さん。彼女は良い子だ。けれど……あくまでも俺の手伝いをしてくれているだけの
一際大きく痛み、声が漏れる。
「……ゥッ!?」
それに、俺にはキリカが居る。
俺がここで死ねば……アイツの家族はもう、誰一人だって居なくなってしまう。
俺は死ねないんだ。
妹との再会か、見知らぬ他人とそのお友達か。
「……」
そんなの、どっちを取るかなんて決まっている。
「……ごめん。立花さん」
歩みを翻し、影が差す路地裏へと歩みを進め──。
「……あっ、これ夢か」
ふと、そんなことを考えた。
「……そうか。いやおかしいと思ってたんだ。いきなりキリカがリディアンに居るなんて分かるわけ無いよな」
そうだ。最初からおかしいと思ってた。
そんな、今まで分からなかったことがいきなり分かるようになるなんて、有り得ないよ。
「……あっ……じゃああの謎女も俺の趣味って事……? はははっ……俺マリアみたいなのが好みだと思ってたのに……意外だわ……」
昔の俺がどーだったかは知らんが、今の俺の推しはマリア。
「……そうだなぁ……どうせ夢ならマリアが出てこいよな。謎教本とセバスチャンしか登場人物ないとか、夢の材料がおかしーって」
そうそう。折角好きに出来る夢なんだぜ?
マリアが出て来てくれたら最高だったのに。
「そう……夢」
思わず、路地裏へと向かっていた歩みが止まり……明るい、表の道へと視線を向ける。
「夢なら……夢なら、助けに行っても良いよなぁ……」
そう、夢ならそういう事も可能。
死ぬようなことでも出来る。
「……そう、夢なら……ああッ……これは、夢……」
夢。
夢。
夢だコレは。
「……ああッ、クソッ……夢だぞコレは…………頼む夢であってくれ……」
歩みが反転し、歩を進める。
しかし。
「……」
路地裏から出る直前、自身に掛けた暗示が解けるかのような感覚に陥る。
もしかしたらこれは現実なのでは? と。
「………………………………」
大きく息を吸い、そして吐く。
あと一歩。
あと一歩進めば、もう後には引けない。
「……関係ねぇ……夢でも現実でも……俺は………………」
天を仰ぎ、目を瞑る。
ああ、くそ。
「………………よし」
やるか。
一歩、光へと踏み出した。