その手紙の内容は、何処までもありふれた内容だった。
普通の少女が、好きな人へ向けて作った手紙。
本当に、普通の……ラブレターだ。
「……ぁ……ぁああ……」
それが、俺には……痛いほど突き刺さる。
「……なんっ……でっ……」
この、想いが……一体誰に向けられていたモノなのかを。
『……私……ヒイロ……さんの事が……好き……なんです』
それはある夜のこと。
俺が……深い絶望にあった日のこと。
『……私の……ヒーロー……』
彼女が、俺を立ち直らせてくれた。
血塗れの笑顔で……俺をヒーローと、呼んでくれた。
『ヒイロさん、手、繋ぎませんか!』
何時も、俺に手を差し伸べてくれた。
『私は……私は生きて……生きて生きて、足掻いて、それでも死んでしまうその時まで……生きたい。生き延びたい。……ヒイロさんと、一緒に』
一緒に生きたいと、言ってくれた……俺が、救えなかった少女。
俺が愛した人。
その名前を……思い……出した。
「……ひび…き…」
零れ落ちるように彼女の名前を呟き、俺が忘れたモノの……失ったモノの大きさを理解する。
そして同時に、ガンツに居たときの記憶を取り戻しても、何故あれほどの虚無感があったのかを……理解した。
あんなモノ、俺にとってはちっぽけなモノでしか無い。
俺には……。
俺には、
俺はその全てを……全部……全部……忘れて……。
「ッ……ああぁあああァッ!」
抑えきれぬ慟哭が喉を突き破り、みっともなく泣き喚く。
──その慟哭は……夜が明けるまで続いていった。
◇
「……ふぁーい」
朝の7時頃、ヒイロはセバスチャンの探偵事務所を訪ねていた。
呼び鈴を鳴らして待っていると、セバスチャンが眠そうに出て来た。
そしてヒイロの顔を見ると、怪訝な表情を浮かべながら頭を掻いた。
「え? 陽色君?
「……」
「……どしたのこんな朝早くから」
セバスチャンは首を傾げながら、訝しむようにヒイロを見やる。
「……あんたは……」
「ん?」
「あんたは……セバスチャン……だよな」
「え? ど、どういう意味……?」
次いで飛んできた謎の質問で、更にその首を傾げていく。
「……いや、僕は普通に僕だけど……」
「……そっすか」
セバスチャンは一応その質問に答えるも、ヒイロの反応は芳しくない。
「じゃあ大丈夫です。朝早くからすんません」
「は……はぁ……」
そして終始訳が分からないまま、ヒイロは足早に何処かに向かって歩き出す。
「……あぁ、そうだ」
……と、途中で何かを思い出したような声を上げたかと思うと……ヒイロは立ち止まり、振り返った。
「思い出しました、記憶」
「え?」
セバスチャンはその予想外の言葉に驚き、ヒイロのその表情に息を呑む。
「……」
まるで、何か憑き物が取れたような表情を浮かべていた。
その表情に、ヒイロの言葉が嘘で無いことを察する。
「……そうかい。どうだった? 自分の記憶は」
「……最悪でしたよ。最悪も最悪で……」
「……」
「……でも、大事な想い出……でした」
セバスチャンは、その言葉に……優しく微笑む。
一年……彼の依頼を受け続け、彼を傍で見守ってきた。
失ったモノを探し続け苦悩するばかりだった彼が、どんな形であれ『答え』を得られた。
感慨深い思いもあった。
しかしそれに浸るよりも先に……伝えねばならぬ事がある。
「……おめでとう陽色君。君は何より辛く、険しい道のりを走りきった」
「……」
セバスチャンはヒイロへと近づき、抱きしめる。
「これからの君に……祝福がありますように」
それは祝辞であり、これからの彼への祝福だった。
ヒイロはその抱擁を受け入れ、恥ずかしげに笑みを浮かべる。
「……酒臭いっすね」
「ははは! そいつはすまない! 実を言うと朝まで飲んでたんだ!」
セバスチャンはそう言って背中をポンポンと叩きながら抱擁を解く。
「……ありがとうございました」
「良いさ、気にしなくても」
「……それでも、ありがとう。今の俺が居るのは……あんたが居たからだ。だから、ありがとう」
「はっは! 随分と大げさだね」
そうしてジッとヒイロの瞳を見つめたセバスチャンは、ヨシっと肩を叩いてヒイロを送り出す。
「この後……何か用事があるんだろう? 行ってきなさい。何かは分からないけど……僕はそれを応援するよ」
セバスチャンはこれまで多くの人間を見てきた。だからこそ分かる。
ヒイロのその瞳の奥に、何か大きな覚悟が有ると言うことを。
セバスチャンにはそれが何に対するモノなのかは分からない。
けれど──セバスチャンは、覚悟を決めたヒイロを送り出した。
◇
ヒイロは一人、展望台にて待つ。
沈みかかった太陽が、赤く輝いて街を照らしている。
その陽光に照らされた陽色の顔には、覚悟を決めた表情を浮かんでいた。
──と。
「……お、お待たせしたデス!」
「いや……俺も今来た所だ」
後方から、切歌が駆けてくる。
互いに様々な考えがあるのだろう。
覚悟を決めた表情のヒイロと、どこか緊張の面持ちのキリカ。
しばし、沈黙が場に下りる。
「……」
「……」
学校帰りであろう制服を着た切歌は、モジモジと太股を擦らせながらチラリチラリとヒイロを盗み見ていた。
求めているのだ。
先日の告白の……答えを。
ヒイロは佇まいを直し、切歌に向き合う。
「……キリカ」
「っ……はい」
びくりと切歌の肩が跳ねる。
頬は陽光に照らされていても赤くなっているのが分かるほど火照っている。
じんわりと全身に汗が滲み、ぎゅっと手を握りしめている。
「……」
ヒイロは……口を開──。
「
こうとした瞬間、二人しか居なかった筈の空間に声が鳴り響いた。
「……え?」
切歌が思わず振り返ると……そこには、
「対象を確認。処理に移ります。許可を」
彼らの先頭に立っていた男は、仮面越しに何やら携帯で話していた。
「……はい。はい…目撃者が居ますが…はい、リディアンの制服を着た……はい。ええ」
その異様な雰囲気の男達に、切歌は怯んだように後ずさる。
「……え? 彼女も……? ……出来れば? ……ええはい。分かりました。ではそのように……」
そして携帯を耳から離し、先頭に立っていた男はこちらを睨み付けた。
「……だ、誰デス──」
切歌の口を押えるように、ヒイロが切歌の前に出た。
「っ、ひーろー!?」
「……何者だ……あんたら」
そしてそのまま、切歌の前に立ちながら会話を続けた。
「私達は……『管理人』。君を、招待しに来た」
「……『管理人』……だと」
「……?」
切歌には何のことか分からなかったが、ヒイロには何か心当たりが有るかのようで。
冷たい目で黒いスーツの男達を睥睨した。
「『Apocalypse』の時が近い。より戦力が必要になった……」
「……」
「そう言えば分かるかね。暁ヒイロ君」
「……」
瞬間、両者の間の温度が数度下がったように思えた。
殺気と殺気のぶつかり合い。
それは切歌にも感じ取れるほどのモノで、彼女はヒイロを見上げた。
「……ひ、ひーろー……?」
自身の知る男とは全く違う表情を見せられ、彼がどこか遠くに行ってしまうのでは、という焦燥に駆られる。
彼女が思わずその手を握りしめると、ヒイロ一瞬驚いたように手を震わせたが……しかしすぐにその手を握り返す。
そのことに切歌が多少の安堵を覚える間もなく、ヒイロは黒スーツ達に話しかけた。
「……俺に、部屋に行けと?」
「ああ……そう言う事だ。部屋はそのままにしてあるので安心したまえ」
「はん! 自分たちでいじれねぇだけだろーが」
「……」
内容はよく分からないが、彼らの間では通じ合っているのか……黒スーツは黙り込んだ。
その姿をヒイロは煽るように鼻で笑うと、チラリと切歌を見やる。
「……で? コイツも……連れてけと?」
「
「……」
「君と我等で、交渉の余地はあると思うがね」
そしてまた睨み合いが起こる。
先頭の男は面倒くさそうに溜め息を吐いたかと思うと、太股に差してあった銃のようなモノに手を伸ばし──。
──瞬間、ヒイロは瞬時に切歌を抱き上げ、駆けだした。
「! ひーろー!?」
「黙ってろ! 舌噛むぞ!」
そして、展望台から身を乗り出すと──。
「えっ?」
そのまま重力に従い──地上へと落下していった。
「ええぇぇェェェ!?」
切歌の悲鳴が空に響き、胸元にあるペンダントに手を伸ばそうとする。
しかし。
「はあっ!」
掛け声一閃。
ヒイロは堅いコンクリートへと踵落としを繰り出し──コンクリートを粉砕して、落下の衝撃を緩和させた。
「っデデッ!?」
「ちぃっ!」
ヒイロは一瞬苦しそうな表情を浮かべるも、しかしすぐに態勢を立て直すと切歌を抱えたまま走り去る。
「……」
展望台の上。
そこでは、先ほどの黒いスーツの男達が下を眺めていた。
「……えぇ……」
そして皆、口々にドン引きの意を示していた。
「……リーダー。女の子要ります? アイツだけで良いんじゃ?」
「……うむ……」
少しその威勢が削がれつつも、しかしリーダーと呼ばれた男は手元のコントロールを弄り、ヒイロたちの足跡を追跡する。
「……だからこそ……彼だけは確実に、部屋にお戻り願おうか」
そして、リーダーは携帯をもう一度取り出すと、何処かに電話を掛ける。
「すみません、はい……転送をお願いします。はい、そうです。座標は標的の近くで……はい……はい…よろしくお願いします」
電話の直後……彼らの転送が始まった。
◇
暫く走っていると、ポツポツと人の姿が増えてくる。
すると当然、お姫様抱っこをしながら猛烈な速度で走って行くヒイロたちの姿は注目を集めていた。
「──お、下ろしてくださいデス!」
「……」
だからか、切歌は顔を赤らめながらそう懇願した。
ヒイロは辺りを見渡したかと思うと、裏道の方に入ってから切歌を下ろした。
「……な、何デスか……さっきの人達!?」
「……」
「し、知り合いデスか!?」
──そして、地面に下りた切歌は、開口一番にヒイロに詰め寄った。
しかしヒイロはその問いかけを無視するように周囲を警戒していた。
「ヒイロ!」
「……」
切歌は怒鳴るようにヒイロに語りかける。
するとヒイロはようやく周囲では無く切歌を見やる。
「……まずは、すまん」
「……え?」
そして開口一番に、ヒイロは切歌に謝罪した。
「巻き込んでしまったこと。怖い思いをさせたこと。申し訳ないと思ッてる」
「……」
「質問に答えよう。知り合いかどうか、だったな。一言で言うなら……あんな奴等知らん」
そして、次いで続けた答えに切歌は少なからず安堵の表情を浮かべた。
あの男達からは何か危険な……自身の知る悪い大人の雰囲気を感じ取ったから。
そんな奴等とヒイロが知り合いだなどと……考えたくなかったから。
だからこその安堵だったが、しかしそれはその安堵をぶった切るようにヒイロはこう続けた。
「……だが、心当たりはある。とは言っても……
「え?」
「だが……クソ。殺しに来るってそう言う……本当に直接殺しに来るのかよ……」
ヒイロはブツブツと愚痴るように物騒なことを言い出した。
「……相手は、誰デス?」
「……」
ヒイロは一瞬、切歌の目を見つめた。
しかしすぐに視線を切ると、無視するように語り出す。
「ともかく一旦家に帰る。それから──」
「……それよりもどこかに逃げるデス」
「逃げる? 警察じゃ無理だぞ、彼奴らは……」
「……良い場所を知ってるデス! そこに逃げられれば──!?」
瞬間、ヒイロが切歌の口を塞いだ。
「んむ!?」
「シッ」
そして口の前に人差し指を立てながら、物陰に隠れるように切歌を抱き寄せる。
「!?」
直後、ヒイロ達のすぐ傍に光の線が立ち上った。
ジジジッ、という電子音が鳴り響き──そこから黒いスーツが映し出されていく。
それを転移と呼ばずになんと呼ぶだろう。
彼女の知る転移とはまた違う手法のそれに思わず目を見開く。
──そんな切歌を置いて、ヒイロは出て来た黒スーツに痛烈な蹴りを繰り出す。
「ッらぁ!」
「──!?」
映し出されていく男の腰がくの字に折れ、壁へと叩きつける。
直後、周囲の黒スーツ達も警戒するように腿のホルスターから武器を取るも……しかし壁に叩きつけられた男から即座に武器を回収していたヒイロは、既にその場を消えていた。
「なっ何デスかアレ!?」
「……」
「っ、ひーろー!? 何か知ってるんデスか!?」
切歌の手を引くヒイロは、しかし答えなかった。
……いや、答えたくなかったのだろう。
苦虫をかみつぶしたような表情を切歌に見せないように俯いたヒイロは、一転足を止めて切歌に話しかけた。
「キリカ。その逃げる場所って……何処だ?」
「え? あ、その……わ、私の知り合いの……」
一瞬、切歌は戸惑ったように誤魔化した。
──だが、それは悪手であった。
「……そうか」
ヒイロは自身の携帯を取り出すと、幾ばくかの逡巡の後にある番号に電話を掛ける。
「……
◇
様子がおかしかった。
今日は会ったときからずっと……何時ものヒイロとは違って、どこか冷たい表情をしていた。
──それが、あの『管理人』とか言うのが出て来てから……より冷たくなってしまった。
「……はい。よろしくお願いします」
そして今も、何故か
「切歌。今国連の……災害……特異災害? ……アレだ。偉い人に電話した」
「……」
「すぐに迎えの人を出してくれるって。その人の所に行けば取りあえず安心だ」
そう言って私の頭を撫でたヒイロは、何時もの優しいヒーローの顔で。
なのにそれが、無性に怖かった。
ヒイロが何処かに消えてしまうような、そんな気がして。
そしてその嫌な予感を叶えるように、ヒイロはこう続けた。
「彼奴らは俺が押える。だからこの住所に向かってくれ」
「……何で……ヒイロが……」
「彼奴らは……多分、俺を捕まえようとしている。俺が囮になればお前の方には行かないはずだ」
「……」
ヒイロはとても……とても申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「すまん。関係ないのに……巻き込んで」
──私は、その言葉が……無性に哀しかった。
「……ある」
「え?」
「関係……あるデス!」
「……」
「なんで……なんでそんな事言うデス! 私を……私をもっと頼って欲しいのデス!」
ヒイロは驚いたような、呆然としたような表情でこちらを見ていた。
「っ、頼りないかもだけど……でも……! 私だって、戦う力くらい──」
胸のペンダントを取り出そうとする。
けど、それを止めるようにヒイロは……私の頭に手を置いた。
「……逃げてくれ。キリカ」
「……なんっ、で……私が……そんなに信じられないデスか?」
私の言葉にヒイロは少し困ったような表情を浮かべて、まるでいつかの再現のように優しく微笑んだ。
「……違うさ。俺がキリカの兄貴だから、守るんだ……それに俺は……」
……彼は、私の頭を撫でながら、こう続けた。
「
「──」
「だから……頼む。俺にお前を……守らせてくれ」
──それは優しい言葉で……しかし、決定的に私を突き放した。
「……行け、キリカ」
「……」
二つの想いがせめぎ合っていた。
ヒイロが好きだって想い。
お兄ちゃんが好きだって想い。
ヒイロが好きで好きでたまらないから、戦えという想いがあった。
お兄ちゃんを頼りたい、お兄ちゃんの願いを果たしたい。そう言う想いもあった。
──だから。
シンフォギアは……輝かなかった。