どれだけ、この瞬間を待ち侘びただろうか。
「……あ、アイツが……」
「……本当に……」
「……私……」
部屋はあの時の、あの戦いの跡がそのままに残っていて。
「──」
……その中央に、そいつはいた。
「……久しぶりだな──『くろのす』」
まるで世界と隔絶した様に宙に浮いている彼女は……目を閉じて、膝を抱えるように眠っている。
あの時と違って長く伸びた髪と、相反する様にその時のままの格好をしていて……まるで、目の前に居るのは本当に響きなんじゃ無いかとも思ってしまう。
──けど、違う。
「……誰だ」
そして。
そいつは俺の声に応えるように……ピクリと震えて目を覚ました。
「……何だ…………え? ここは……? ……? あれ……?」
目を覚ました彼女は、伸びた髪を揺らしながら周囲を見渡していく。
「……?」
だが。
視線を巡らせるたび、彼女は理解できないとばかりに困惑を強めていくばかりで……。
「……あ」
ふと……そいつと目が合った。
「……あ……あぁ……」
先程までの困惑に塗れた表情が嘘のように喜悦に変わっていく。
にんまりと口元を歪め、響なら絶対にしない顔で……此方を睨め付けてくる。
そして、彼女は──。
「……来てくれたんだ……俺の……私の……パパ!」
第一声から……俺の琴線に触れてきやがる。
だが、これで一つ確定した。
まだ信じたかった。目の前に居るのは響なんだと。
でも、全てはセバスの言うとおりで……。
「……」
コイツは……響じゃない。
「待ってたっ! 待ってたよっ! 私の……っ! 人類のパパ!」
「……」
俺の気持ちなどまるで理解していない『くろのす』は、クソみたいな言葉を垂れ流しながら地面に降り立つ。
地面に降り立つ瞬間、随分と伸びた響の髪がふわりと舞って……その光景は苛立つほどに神々しい。
「でもどうして!? おれ……私、状況がよく分からないんだ! ずっと眠ってたから……」
「……」
「それにソイツら誰だ? まさか浮気か!? まぁ私は優しーから許すが、せめて一人くらいにしといてくれよなっ」
「……」
『くろのす』は会った時の様な男勝りな喋り方で、けれど……響の声で、顔で、響が言わないようなことを喋りかけてくる。
姿はあの時の響のまま。スーツを下地として、その上からシンフォギアを纏った姿で……此方に詰め寄ってくる。
「よし! 少し早いが一緒にこづ──」
「待てよ」
「──ん? どうしたパパ」
「……」
ふつふつと……湧いてくる感情がある。
コイツが一言喋るだけで腸が煮えくり返る。冷静さを失いそうになる。
だがどうにか溢れる怒気を抑えながら……近くに居る装者達に合図を飛ばす。
「……」
彼女達も……『くろのす』が一言喋るたびにドン引きしていた。
何より。立花さんが何とも言えない表情でその光景を見ているのが横目入るたび、申し訳ないような妙な怒りが湧いてくる。
怒り。
そう、怒りだ。俺は今、響とまた会えたことに対する喜びと……それを汚す『くろのす』に対して壮絶なまでの怒りを抱えている。
だが、その様な様々な感情を抑え、彼女に語りかける。
「……お前」
「どうしたパパ!」
──ブチ切れそう。
「……お前はさ……」
怒りを抑える。
危ない危ない。ここで攻撃するのは……まだ少し早い。
これは事前に立てた襲撃計画。
コイツに不意打ちを仕掛けて、一瞬で決める。
……運が良いことに……良いことに? コイツは俺に対して友好的だ。
不意を突けば一瞬で終わる。
そうだ、一瞬だ。
我慢だ……我慢だ。
「……?」
疑問符を浮かべているそいつに、装者達に合図を送り不意打ちのタイミングを伝え──。
「……? あ! もしかして子供の名前の話か?」
「は?」
ようとしたところで、『くろのす』が訳の分からないことを言い始める。
「うーん……やっぱ記念すべき第一子だし、壮大な名前を付けたいよなー」
「いや何を──」
「……うーん。そうだなぁ……おっ! 何だ、パパってば
「……は?」
「……うん、私も良い名前だと思う! ここから始まるって意味でもさ──」
──『くろのす』は……チラチラと俺の顔を見て、頬を紅くさせて。
瞬間デジャブな様な何かを感じて……酷く嫌な予感がした。
そして……。
「『
「……」
……。
「あれ?」
「……ふー………」
息を吐き……目を閉じる。
そしてもう一度息を吸い込んで、どうにか気を静めようとして──。
「んん? も、もしかして何か怒ってる? だ、大丈夫? 私もハンバーグ? 作ろうか?」
──俺はキレた。
「どうやら死にたいらしいな……クソ子作り女」
「え?」
困惑したように此方を見ている『くろのす』へと一歩踏み出す。
「もう良い。お前は喋るな。さっさとその体を……」
「ちょっ、陽色さ──」
もう作戦なんか関係ねぇ。
「ど、どうしたんだよ……パパ!」
コイツが。
コイツが……響の顔で、声で! こんなクソみたいな事を喋っているって事実が……!
もう果てしなくムカついてくるッ!
不意打ち作戦なんてもう止めだッ。
即刻コイツをぶち殺して──。
「響を……返しやがれッ!」
響をッ取り戻すッ!
──それは地面への強力な踏み込みが生み出す瞬発力。
「──え?」
その一歩は一瞬にして『くろのす』と俺の距離を縮め、打突への力を生み出すッ!
そして渾身の右ストレートを『くろのす』の顔面へと……!
「──ッ!?」
直後、世界の法則が歪む。
速いモノは遅く。遅いモノは速く。そんな法則に則るように……俺の拳の動きがグッと遅くなる。
そして反転した時間の中、そいつは至極悲しそうな表情で……こう言った。
「──呪われた拳で……私を殺すの?」
それはまるで、響が喋ったかの様にも感じられた。
『神殺し』と呪われた俺を拒絶するような言葉に……俺は……。
「……」
俺は……。
「うるせぇ死ねぇええええええッ!!!!」
「えっ──ぶふうっ!?」
普通に右ストレートで『くろのす』の顔面を吹っ飛ばした。
◇
「ええっ!?」
装者達の驚愕した声が響き──『くろのす』が吹っ飛んだ。
「畳みかけるぞッ!」
「えっ、あ……はい!」
しかしそれも一瞬のこと。
ヒイロの言葉にハッとした装者達は、若干の困惑を覚えつつもヒイロへと追従する。
「ちょっ……普通に殴るの!? 痛いよパパっ!」
「うるせぇッ! 二度とその口開けなくしてやるッ!」
「酷いっ!」
殴られた頬を赤く腫らした『くろのす』は即座に自身の時間を操って身体を再生させていく。
その光景に目を見張ったのは装者達だった。
「っ、やはりその力……『神の力』では無いのかっ」
そう。
『神殺し』の一撃で負ったダメージは、本来であれば『神の力』を用いての再生は不可能の筈だ。
しかし『くろのす』はそれを可能として居る。
それは何故か。
「この間女共がッ! 私のパパを取るなッ!」
彼女の力は『神の力』そのものでは無く、『神の力』を燃料として発動する彼女の固有術式なのだ。
故に。
「ぐっ……身体がっ重いッ!」
「動きが……!?」
その時を操る術式は、『神殺し』である立花響にすらも作用する。
しかし。
「──反転だッ! 遅いモノは速く、速いモノは遅く動くッ! 適応しろッ!」
術がもたらす摂理そのものは非常に単純、かつ明快。
故に即座に対応される。
「パパッ! いきなり家庭内暴力は駄目だッ! ちゃんと話し合おう!」
「だからッ、誰がテメェのパパだっつってんだよッ!」
極限まで遅く動くことにより、速度が反転して高速移動が可能となる。
『くろのす』の懐まで飛び込んだヒイロは、何の躊躇も無く彼女の腹に一撃を加える。
「ごおっ!?」
──当然ながら、彼女は向かってくる物体の『時間』を反射する術式も展開していた。
だがその摂理は既に攻略済み。
圧倒的な身体捌きにより、ヒイロは『くろのす』を追い詰める。
「うっおっ……オエッ!?」
そして、見事に内蔵へと突き刺さった一撃は──『くろのす』の腹の中身をぶちまけさせた。
「……」
当然ながら、ヒイロより後方で装者達がそのあまりにも容赦の無い攻撃にドン引きしていた。
それは、
「──お、お前……
「……」
「な、なんでこんな……無茶苦茶に殴るんだよ!」
『くろのす』である。
彼女は、自身の身体となった響の記憶を通して……ヒイロと響の関係を先程知ったのだ。
当初は単に良い母体になると思い融合したのだが……この事実を知った時はとても喜んだ。
これで何一つ滞りなく全てをやり直せる、と。
故にこその疑問。
何故ヒイロがここまで怒っているのか。何故好きな相手の身体をこんなに殴るのか。
「……」
しかし。
その発言の全てがヒイロの神経を逆なでる。
「生憎とだが……お前に掛ける情けは無い。何より──」
そう、何よりヒイロは──。
「俺はッ……! 俺はもうこれ以上無いほどブチ切れてんだよ……! テメェ俺が何とも思ってないとでも……!?」
「……?」
『くろのす』にこれ以上無いほどブチ切れていて、何より彼女が許せなかった。
「──お前を殺す。ソッコーで響を助け出すッ! それだけだッ」
そしてヒイロは──『くろのす』へと突貫する。
「ッ……!」
今の彼は完全に頭に血が上っており……故に気付けなかった。
今彼が立っている場所を。
「──酷いよ」
──彼女の……『巻き戻し』の効果範囲を。
「じゃあ──半殺しにしてあげる」
その巻き戻しの射程距離。
およそ半径100メートルほど。
その巻き戻しの
──およそ∞。
この場所、この位置で起きたこと、発生した事象を……彼女は力の限り好きなだけ呼び起こせる。
故に。
「──ッ!?」
ヒイロが直前で、その背筋に走る悪寒に気付けたのは僥倖だった。
しかしもう遅い。
あの時の再現の様に、埒外な閃光が瞬き──ヒイロを飲み込んだ。