「くぁ…ねむ……」
徹夜明けの眠気をあくびをと共に噛み殺しながら、朝の通学路を歩く。昨夜は気まぐれでログインした幕末でレイドボスさんを含むランカー複数人が入り乱れてのお祭り騒ぎがあり、つい止め時を見失ってしまった。学校に着いたらホームルームが始まるまで少し寝よう。
この春ついに高校三年生に進級し、めでたく受験生の称号を手にしたわけであるが、だからといってすぐさま生活が受験一色になるわけでは無い。そろそろ勉強に本腰を入れるべきなのかもしれないが、ゲーム中心のこの生活サイクルを改めるのはもう少しだけ先のことになりそうだ。
そんな益体もないことを考えながら歩を進めていると、見慣れた道のりの途中でこれまたすっかり見慣れた人物を見つけ、軽く手を振りながら声をかける。
「あっ、玲さん」
「らきゅっ……楽郎君、おっ、おはようございます!」
「うん、おはよう……顔真っ赤だけど、大丈夫」
「だ、大丈夫です、万事問題ありません!」
いつもの事ながら熱に浮かされたように頬を紅潮させた玲さんの様子に少々不安を覚えたものの、返ってきたのは戦支度を整えたが如き力強い返答だった。今日は春先にしては温かい方とはいえ、そんなに暑いかなぁ……?
「その、楽郎君の方こそ、随分眠たそうですが……?」
「あー…うん、昨夜はつい徹夜しちゃって」
他愛もない会話を交わしながら学校への道を歩く。玲さんとこうして肩を並べて通学することは以前からしばしばあったが、進級時のクラス替えによって再び彼女とクラスメイトになって以降、更にその頻度が増していた。
これは特に示し合せてのことではないのだけれど、今では隣に彼女が居ないと少し物寂しく感じてしまうくらいで、自分でもちょっと驚くくらい、玲さんがいつの間にか俺の日常の中にすっかり入り込んでいた。
「楽郎君は、今度のネフホロのイベント、どうしますか……?」
「あー、ルストから鬼のように連絡来てたやつね、少しくらいは顔出してみるつもりだよ」
玲さんとの会話の内容は特に決まったものは無く、出された宿題の話だったり、シャンフロの攻略情報だったり、はたまた今のように別のゲームの話であったりと様々だ。
まあ、高校生の日常会話など概してそういうものではあるのだけれど、玲さんの場合は
たまにうっかりクソゲーを熱く語り過ぎてしまって申し訳なく思ったりもするのだが、俺の話を聞く玲さんがあまりにも楽しそうに笑ってくれるものだから、ついその優しさに甘えてしまっていた。
「そ、そうですか!その……わ、私もちょっと参加してみようかな、と思いまして……」
「玲さんも?こりゃまたルスト達が騒がしくなりそうだ」
「ですが……その、操作がまだ少し自信がなくて、ですね……」
玲さんの懸念もさもありなん。2になって相当改善されたとはいえ、ネフホロの操作難易度は他のゲームと比べれば未だに高い。彼女は無印版でも最低限の操作は出来ていた為、流石に棒立ちのままやられてしまうようなことにはならないだろうけれど……ふむ。
「もし良かったら、イベントまでの期間、一緒にネフホロで練習してみる?」
「いっ、いいんですか!?」
「うん、いつだったか操作法を教えるって約束してたし、今は他にやりたいゲームも無かったしね……あ、でもどうせネフホロで教師役するならやっぱりルストかモルドに頼んだ方が──」
「いえ!楽郎君で……楽郎君が、いいで……!?いえ、これはその、深い意味は無く!!」
「あの、玲さ」
「その!やはり、お友達として!気心の知れた相手の方がというもので、この機に乗じてなんてことは決して!」
「落ち着いて玲さん!分かったから、俺で良ければいつでも付き合うから!」
「付き合っ……!?」
あ、フリーズした。
昔は些か面食らった玲さんのバグった挙動にも、今ではすっかり慣れてしまった。直接言ったら怒られそうなので内緒だが、普段冷静な彼女がこうしてあたふたと取り乱す様は正直ちょっぴり可愛らしい。
そのまま数十秒程硬直していた玲さんは、どうにか再起動を果たすと気恥ずかし気に顔を伏せたまま口を開いた。
「お、お見苦しい所をお見せしました……」
「いやいや、気にしないで。それじゃ今夜にでもネフホロにログインしてみる?」
「お願いします……」
「よしきた、俺もしばらくインしてなかったからもしかしたらまた新しい機体増えてるかも……段々楽しみになってきたな」
それからも、最近のシャンフロでの近況などを報告し合ったりなどゲームの話題に華を咲かせていたのだが、玲さんから間近に迫ったゴールデンウイークのことについて尋ねられたとき、ふと一つの行事のことが俺の脳裏を過った。
「そういえば、ゴールデンウイークが終わればもうすぐ修学旅行だね」
「‼……そ、そうですね」
普通は高校の修学旅行といえば二年生の内に行くことが多いのだが、うちの学校はどういう訳なのか三年生になってから行くことになっている。おまけにその後には学校祭や体育祭も控えており、真檜高校三年生の一学期は学校行事が目白押しだ。
「北海道って俺は行くの初めてなんだけど、父さんが毎年のように鮭やホッケを釣りに行くから微妙に新鮮味に欠けるんだよね……」
「わ……私のところも、祖父がよく鮭釣りに行っているみたいです」
「ああ、そういえば前にお祖父さんに会った時は鮭のルアー拾ったっけ」
というか我が家の親父殿は謎に玲さんのお祖父さんと面識があったし、もしかすると二人で一緒に北海道に釣りに行っていたりするんじゃなかろうか。知らぬ間に家族ぐるみの付き合いが構成されている可能性になんとも不思議な感慨を抱いていると、玲さんがおずおずと口を開く。
「あの……楽郎君は、修学旅行の班ってもう決めましたか?」
「あー、どうだろ……とりあえず雑ピあたりとは同じ班になると思う」
真檜高校の修学旅行は、基本的には生徒が自由に四、五人で班を組み行動することになっている。
なんだかんだ三年間全てで同じクラスとなった雑ピであれば気心も知れているので、数日間にわたる旅程を共にする仲間としては丁度いい。
「玲さんはもう決めてるの?」
「ええっと……私は、その……ら、らく……ら……頼花さんと組もうと、一応約束しています」
なんだかやけに返答に間があったけれど、その回答は大凡俺の予想通りのものだった。
頼花……確か苗字は得間さんだっけ?三年生になって初めて同じクラスになったばかりで俺は話したことが無いが、玲さんが普段親し気にしている様子はしばしば目にする。
まあ、人気者の玲さんであれば男女問わず一緒の班になりたい相手は引く手あまただろう。男子たちの中でも進級時のクラス分けを見て、玲さんと同じクラスになったことに歓喜の叫びを上げていた面々に心当たりがある。もしかすると、その中の誰かが彼女と共に修学旅行で仲を深め……
「…………」
「あ、あの……楽郎、君……?」
「……ねえ玲さん、恵間さんの他に誰か組む相手は決まってる?」
「い、いえ……今のところは……」
玲さんが他の誰かと隣り合って歩いていく……そんな姿を想像した瞬間、考えるよりも先に「嫌」だという率直な感想が心の内から湧いてきたことに自分でも驚いた。俺に彼女の交友に口を出すような道理はない。そんなことは分かっているのに、
突然黙り込んだ俺の様子を怪訝そうにして窺ってくる玲さんに対し、俺は半ば衝動のままに尋ね、そして帰ってきた答えに安堵する。
未だ自分で自分の感情がうまく整理できずにいたものの、言葉は自然と俺の口から零れていく。
「──それじゃあ、俺と一緒の班にならない?」
「はい、喜ん……でぇぇっ!??」
……ええっと、これは了承されたと受け取っていいんだろうか。
元々赤らんでいた顔を更に朱に染め、今にも湯気が噴き出しそうになりながらあたふたと慌てる玲さんの姿にその真意を測りかねる。
いや、そもそも玲さん一人ならいざ知らず、既に恵間さんというメンバーがいる以上彼女の独断では答えを出すわけにもいかないだろう。
「急にごめんね、別に返答は今すぐじゃなくて──」
「だ、大丈夫です!……ふ、不束者ですが、こちらこそ伏してお願い申し上げます……!」
うーん、デジャヴ。
先程のネフホロ関連のやり取りでみたような……否、それ以上の勢いでまくしたてる彼女の姿についつい苦笑が漏れる。
得間さんに相談しなくていいのかとか、その挨拶はちょっと大げさすぎないとか、色々ツッコミどころはあるけれど、今はひとまず欲しかった言質を取ることを優先させて貰おう。
「ありがとう、修学旅行でもよろしくね」
「……はい、よろしくお願いします!」
「──っ」
「楽郎君?」
「……っと、なんでもない、時間も危ないしちょっと急ごうか」
綺麗だ、と。
まるで宝石や宝物を受け取ったかのような玲さんの笑顔に見惚れ、一瞬意識が吸い込まれる。彼女の声かけで我に返った俺は、気恥ずかしさを誤魔化すように歩くペースを少し早めた。
早鐘のように脈打つ心臓の鼓動に戸惑いながらも、来たるべき少しだけ先の未来に想いを馳せて、心が浮き立つ。
ああ、今から修学旅行が楽しみだ。