徒然なるインベントリア:シャンフロの小話   作:イナロー

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バレンタインに楽郎にハートのチョコを贈りたいヒロインちゃんのお話。


ハートのチョコは渡せない

 

 細かく刻んだクーベルチュールを湯煎にかけて、とろりとろりと溶かしていく。

 チョコレートが程よく温まったところで、今度はボウルごと氷水に当ててゆっくりと練りながら温度を下げる。

 凡そ一月ほど前から幾度となく繰り返されたその動作には一切の淀みも無く、テンパリングを済ませたそのチョコは、プロが仕上げたと見紛うほどの見事な艶を帯びていた。

 あとはそのチョコレートを気泡が入らないように注意しつつ、型に入れて冷やし固めれば大凡の行程は終了である。

 

(これで、よし)

 

 ボウルに残ったチョコを味見してひとつ頷く。事前の入念なリサーチと十数回に及ぶ試作の末に完成したこのチョコレートならば、きっと彼の――陽務楽郎の舌にも合うだろうと、斎賀玲は確信する。

 昨年作った和菓子風チョコはそれを食べた岩巻真奈曰く「ちょっと重い」とのことだったので、今回は彼の好みを徹底的に調べ上げた上での挑戦である。

 

(今年こそ…今年こそは、陽務君にチョコレートを……わた、わわわ渡して…!)

 

『ひ、陽務くん!これを受け取ってください!』

『ありがとう斎賀さん!君の熱い想い、確かに伝わったよ!』

『そそそ、そんな!想いだなんて……』

『俺をその気にさせたな?もう止められないぜ』

 

「ああ!そんな、ダメぇ!やめて……やっぱりやめないで!!」

 

 今度こそ本懐を遂げるのだという硬い決意と、ちょっと大胆にハートを象ったそのチョコを渡せば、もしかしたら彼との仲に何か進展が…などといった妄想で、体温が急激に上昇する。

 

「いけない!?チョコが溶けちゃいます!」

 

 手に持ったチョコにその熱が伝わりそうになり、慌てて…しかし丁寧に冷蔵庫の中にチョコレートを仕舞う。

 夜には固まっているだろうから、それからラッピングをして明日に備えよう。

 綺麗に美味しく出来ていますように。玲はそんな願いを込めて、優しく冷蔵庫の戸を閉めた。

 

 ――そして、その日の晩のこと。

 

「や、やっぱりこれは……これは無理ですぅ!!」

 

 熱したチョコレートの如く甘く蕩けた思考回路も、時間が経てば冷えるもの。

 冷静になった玲は、あまりにもストレートに自分の愛を示したその形を改めて目の当たりにし、極度の羞恥と緊張に襲われる。

 日頃の鍛錬で鍛え上げた拳を衝動のままに振り下ろした結果、ゴシカァン!っという派手な音と共に渾身の出来のハートのチョコは見るも無残に砕け散った。

 

「さ、流石にいきなりハートはやりすぎですよね……うう、なんだかとても不吉な姿になってしまいました…」

 

 粉々になったハートのチョコに恋破れた未来を幻視して、言い知れぬ不安が胸を過る。

 些かならず盛り下がった気分を持ち直すべく、砕いたチョコを再び湯煎にかけて別の形に再構築していく。

 

 彼にハートを渡す日は、まだまだ先になりそうだ。

 

 

 

「……よし!綺麗に焼けました」

 

 ガスオーブンから取り出したスポンジ生地がきちんと焼きあがっていることを確認してほっと安堵の息を吐く。

 セルクルからそっと抜き出した生地をケーキクーラーに乗せれば、あとは粗熱が取れるのを待つばかりだ。その間に他の作業を進めておこう。

 トッピングの苺はへたを取って洗い1/4にカットする。チョコペンやアラザンなどは最後の仕上げ用なのでまだ出さなくてもいいだろう。

 ならばこちらを……と、この日の為に厳選したビーントゥバーのダークチョコレート

を刻んでいく。

 

「~~♪楽郎君、喜んでくれるといいなぁ」

 

 段々と興が乗ってきて、独り言に自然と鼻歌が混じる。

 私の作る料理をいつも美味しそうに食べてくれる楽郎君のことだから、きっとまたみているこちらが幸せになるような笑顔を見せてくれるだろう。

 数時間後の幸せなひと時を想像して緩みそうになる表情筋に力を入れつつも、手元のチョコからは決して意識を離さない。

 チョコレートを刻み終え、小鍋にグラニュー糖と水を入れたところで冷めた生地をまな板の上に乗せる。

 

「コーティング用チョコの準備はこれで良し……こ、今年こそは、あの形(ハート型)に……!」

 

 一世一代の決闘に臨む心地で包丁を正眼に構える。

 描くべき太刀筋は生地の手前二ヶ所、生地がイチョウのような形になるように切り出していく。

 研ぎ澄まされた刃がふわりとケーキを断ち切ったのを確かめて、詰めていた息をそっと吐き出した。

 

「ふぅ……っと、いけない。思ったより時間がかかってしまいました」

 

 キッチンのコンパネに表示された時刻を見れば、予定よりも大分時間が押している。

 事前の買い出しの様子は知られているし、今更サプライズを狙うつもりはないけれど、出来る事なら楽郎君が帰ってくるまでにはこのケーキを完成させて冷蔵庫に仕舞っておきたい。

 今朝、出がけに「教授に頼まれごとをしたから遅くなる」と言っていたから多少の余裕はあると思うけれど、早めに完成させるに越したことは無い。

 

「夕飯の支度もしないとですし、急がないと……!」

「焦らなくても大丈夫だよ。なんなら夕飯は俺が作るし」

「いえ、今日という日は私に作らせて下さい!ディナーの構想はバッチリですから」

「そう?それじゃお言葉に甘えさせてもらうけど、手伝いがいるなら言ってね」

「ありがとうございます、でも、これは私の手で作ってこそ意味があるので気持ちだけ有難く受け取っておきますね」

「へえ……それってもしかしなくても俺へのバレンタインチョコ?」

「はい!今年も腕によりをかけ…て……ます………あの、楽郎くん?」

 

 当たり前のように会話を交わすこと暫し、私一人の部屋では決して聞こえるはずの無い声が聞こえることに遅まきながら気が付いて、ギギギ……と錆びた絡繰人形のように首を回して振り返る。

 

「?どうしたの玲さん、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

 

 私の妄想が産み出した幻聴であれば……なんて、一縷の望みを抱いたのも束の間。

無情にもそこには悪戯が成功したような顔で笑う楽郎君が立っていた。

 

「お、おかえりなさい。随分と早かったですね…?」

 

 内心の動揺を必死に押さえつけながら、率直な疑問をぶつける。

 あと一時間は帰ってこないと計算していただけにこの展開は想定外だ。

 

「実は教授のところに公安の捜査が入ってさ、手伝いどころじゃ無くなったから抜け出して帰ってきちゃった」

「あの方はまた何かやらかしたんですか……?」

「さあ?まあ、明日には平気な顔して講義してるんじゃない?」

 

 件の教授は講義内容は分かりやすく、人柄も別に悪人という訳では無いのだけれど、ゲバルト棒と共に曾祖父の強い思想もそのまま受け継いでしまったようで、しばしば国家権力と諍いを起こしてしまうのが玉に瑕だ。

 普段なら笑い話の一つとして片付けられるイベントなのだけれども、よりによって今日と言う日に被ってしまうとは……

 

「ところでその……楽郎君はいつ頃帰宅を?」

「玲さんが楽し気に鼻歌歌いながらチョコを刻んでた辺りから」

「もう三十分くらい経ってますよね!?」

 

 お菓子作りに集中しすぎて全く気が付かなかった。

 あの浮かれ切った姿を彼に見られていたと思うと顔から火が出そうだ。

 楽郎君も楽郎君です、帰ってきたなら声をかけてくれればいいのに……!

 

「いや、一応ただいまは言ったんだけど……あんまり熱心に作業してたから邪魔するのも悪いかなって」

「ううう……忘れて下さい……」

「えー、あんなに可愛かったのに?」

「かわっ!?……いっ、いえ!そんな言葉じゃ誤魔化されませんからね!」

「おお、珍しく玲さんが強気だ」

 

 ……ふぅ、危ない危ない。また流されてしまうところでした。

 楽郎君と一緒に過ごす時間が増えるにつれて、彼は私にちょっとした意地悪をすることが増えたと思う。

 それは決して嫌な変化ではなく、むしろ彼との心理的な距離が近づいたことを示しているようで嬉しかったりもするのだけれど、恥ずかしい物は恥ずかしい。

 このまま楽郎君と顔を突き合わせていると延々とからかわれ続けてしまいそうで、私は彼に背を向けてケーキ作りを再開する

 

「おお、今年も美味しそうだ」

「わひゃうっ!?」

 

 もっとも、すぐさま意地悪な楽郎君に邪魔されてしまったけれど。

背後からお腹に腕を回して抱きすくめてきた楽郎君は、私の肩に顎を乗せてどれどれと手元を覗き見てくる。頬と頬が触れてしまいそうなほどの近さに私は正気を保つのに精一杯だ。

 

「ち、近い!近いです‼」

「まあまあ、俺と玲さんの仲じゃない」

 

 楽郎君に甘えられている現状は天にも昇る心地なれども、これ以上は私の心臓が保たない。彼の温もりを名残惜しく思いつつ、どうにか現状を抜け出さなければと助けを求めて周囲に視線を巡らせる。

 とはいえここにあるのは作りかけのチョコケーキくらいで……

 

「むごっ」

「い、今はダメなんです!」

 

 やぶれかぶれになった私は、手近なケーキの切れ端を強引に楽郎君の口に押し込んだ。楽郎君が驚きに目を見開いた隙をつき、どうにか彼の腕から脱出する。

 火照った身体を冷ますようにぜえはぁと息を吐いて──私は、致命的なミスに気が付いた。

 

「ああっ!?」

「ど、どうしたの?」

「……失敗、しちゃいました」

「失敗?でもこれすごく美味しいよ?」

 

 ごくん、と口の中のケーキを飲み込みながら楽郎君が不思議そうに首を傾げる。

「美味しい」の一言を嬉しく思いつつ、私はハートの片割れ(・・・・・・)を食べられてしまったケーキを見下ろして肩を落とす。本来ならば、今楽郎君の口に入れたパーツを合わせてからチョコの糖衣でコーティングして完成の予定だったのだけれども。

 

「楽郎君っ!」

「は、はい!」

「つまみ食いはもうおしまいです!出来上がるまでちゃんと待っててくださいね?」

 

 まあ、無くなってしまったものは仕方がない。彼を強引にキッチンから締め出すと、私は改めてケーキ作りの仕上げに入る。ハート型になる筈だったケーキは雫のような形にリメイクした。

 

「……よし、これであとは冷やせば完成ですね」

 

 艶やかに黒く輝くケーキが崩れぬように、そっと冷蔵庫にしまい込む。形こそ予定とは違うけれど、我ながら味はばっちりだ。

 

「ハートはまた来年、ですね」

 たとえ今年は失敗しても、来年もそのまた次もまだまだチャンスは残っている。

 

 ──その日の夜。今年もハートは渡せなかったと報告の電話を入れた玲の声は、実に幸せそうなものだったと、後にロックロール店主、岩巻真奈は語った。

 

 

 

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