「最近、京極に避けられている気がするんだ」
「内密の話がある」と言って私に相談を持ち掛けてきたサンラク君が、未だかつてないほどに真剣な声音でそう切り出した。
「え、サンラク君付き合いだして一か月でもうフラれたの?ご愁傷様…今日は祝杯だね!」
「フラれてねーわ!当たり前のような顔でワインの準備をすんな!」
邸宅付きのメイドに命じて伯爵秘蔵という設定のワインを持って来させた私に向かって革命騎士サンラクが吼える。
ひどいなあ、せっかく人が傷心の痛みを慰めてあげようとしているのに。
グラスに真紅の液体が注がれるのを見つめながら、よよよとわざとらしく嘆いてみせる。
最近のメインであるシャンフロではなくわざわざ『円卓』のファランクス邸を指定してくるほどの念の入れように一体どんな爆弾を落とされるのかと不安一割期待九割で赴いてみれば、その中身は青臭い恋愛相談と来たものだ。
この私に自分からそんな弱みを見せるなんて、からかわれないわけが無いと分かっていただろうに。
或いはそんなことが些事に思えるくらい、彼にとって京極ちゃんとの関係は大切な物なのだろうか。
「まあフラれたってのは冗談にしても、君は一体何をやらかしたのさ」
「それが分からないから恥を忍んでお前に相談してるんだよ…」
そう言って頭を抱えるサンラク君はどうやら本気で困っているようで、返す言葉にも覇気がない。
頭にクソゲーカセットが刺さってるんじゃないかと密かに疑っていた彼が、こんな真っ当な青少年らしい悩みを抱えている姿を見る日が来るとは思いもよらなかった。
「よーし、女心ならこの永遠様に任せなさい…と言いたいところだけど、何で私?京極ちゃんとは阿修羅会時代からの付き合いではあるけど、別にあの子のリアルにまでは詳しくないよ?」
それこそ二人のクラスメイト辺りに相談すればいいのではないだろうか。
或いは年頃の女の子のことなら彼の妹の瑠美ちゃんを頼るという手だってある。あの子はうちの愚弟のように思春期と反抗期を拗らせては居ないのできっとそれなりに力になってくれるはずだ。
率直にそう尋ねると、サンラク君は肩を竦めて疲れたようにぼやいた。
「……京極は女子からの人気が絶大でな。ただでさえやっかみが多い所に火種になりそうな話をぶっこみたくない」
「あー…女の子の結束って面倒臭いんだよねぇ…」
「あと瑠美にはまだあいつと付き合ってることは話して無いんだよ。俺に彼女が出来たなんて知ったら絶対に根掘り葉掘り事情を聞いてくるに決まってるからな…」
「遅かれ早かれバレる事なんだし早くゲロっちゃえばいいのに」
隠せば隠すほどバレた時が大変なのは世の常だ。
特に思春期の女の子にとっては身近な人物の恋バナなんて垂涎の的だろう。
骨の髄までしゃぶり尽くされる前に自分からまな板に上る潔さも時には必要なんじゃないかなあ。
「まあ私に白羽の矢が立った理由は分かったよ。それで、避けられてるって具体的にはどんな風に?」
「文字通り物理的に逃げられる。話しかけようとしたら急にそっぽを向いて走りだしたり…」
「念の為確認するけど別に喧嘩した訳では無いんだよね?」
「無い……幕末で騙し討ちしてブチ切れられたりはしたけど、それはまあいつもの事だし」
「普通ならそれでも十分喧嘩の原因になるんだけど君たちだしねえ……」
あのゲームに適応できる人間にまっとうな倫理観など適用できるはずもない。
しかしそうなると他に思い当たることは…
「ちなみに君の誕生日とかなんかの記念日が近かったりとかは」
「俺の誕生日はまだ三か月以上先だ。その辺のギャルゲーのお約束的な展開は大体考えたけど、特にサプライズされそうな心当たりもない」
クソゲーがメインであってもそこは腐ってもゲーマーか、お約束の展開は予想済みだったらしい。
その調子で女の子の心理も少しは学んでいてくれればと思わなくも無いが、そこはクソゲーの限界か。
「ちなみに避けられるようになったのはいつから?」
「ここ一週間くらいだな。最初は何か用事でもあるのかと思ってたんだが…」
「その長さで偶然ってことは無いだろうね…って、あれ?でも君たちシャンフロでは普通に話してたよね?」
二人共ゲームとリアルを区別して考える性質ではあるけれど、それにしたってリアルで何かあったにしてはそのやり取りは普段通り過ぎた。
「いや、それが四六時中避けられるわけでもないんだよ。たまにまるで尻尾を踏まれた猫みたいに飛びあがるようにして逃げ出すんだけど」
「ふむ?……ちょっともう一日の流れを最初から話してくれない?」
サンラク君の話だけだとどうにも要領を得ない。彼は別に特別鈍いという訳ではないのだけれど、いかんせん人として軸がぶれているので主観的な感想があてにならない。
サンラク君自身が全く意識していないところで虎の尾を踏んでいる可能性も無きにしも非ずだし、これはもう多少効率が悪くても一から彼の生活を追っていった方が速そうだ。
「それじゃ今朝の事でも…俺、京極の朝練が無い日はいつも一緒に登校してるんだよ」
「ひゅーっ!青春してるねえ」
「一々揶揄うなよ…それが、今朝はルスト達とネフホロで対戦してたら待ち合わせのことを忘れちゃって」
「はいイエローカード」
ゲームとはいえ別の女の子と遊んで約束をすっぽかしたなんてひっぱたかれても文句は言えない。
これ、やっぱりサンラク君が無自覚に京極ちゃんを怒らせてるだけじゃ…?
「うぐっ、悪かったとは思ってるよ…そしたら京極に物理的に強制ログアウトさせられて」
「それで済んだならあの子も随分と君に甘い………って、あれ?」
「おっ、何か分かったのか?」
「分かったというか気になることが増えたというか……サンラク君、確か今一人暮らしだったよね?なんで京極ちゃんがゲームに夢中な君のお部屋にいるのかなー?」
「あっ」
「なになに?まさか親御さんの監視の目が無いのをいいことに彼女を連れ込んでしっぽりしけこんでるとか?」
「その下品な指を止めろ!これは、俺と入れ違いになった時に面倒だから合鍵を寄こせってあいつが言うから仕方なくだな…」
あくまでも仕方なくといった風を装っているが、そこで言われるがままに鍵を渡してしまうあたりサンラク君も満更では無いのだろう。
その辺りの機微を弄り倒したい衝動に駆られるけれど、それをするとますます話が進まなくなるので涙を呑んで我慢する。
「はいはいご馳走様。それでそれから?」
「もう朝飯食ってる時間も無かったし二人して駆け足で学校に行ったよ」
「その時はまだ避けられてなかったと」
「ああ、学校についてからも午前中は普通だったんだけど…」
「『午前中は』ということは…?」
「昼休みに一緒に飯食おうと思って声かけたら弁当だけ押し付けてダッシュで教室から出ていった…」
「当然のようにあの子がお弁当を作ってるのは置いとくとして…でも確かにその様子だと君が何かして怒らせた可能性は薄いかな?」
悩みを聞かされてるのか惚気を聞かされているのかそろそろ怪しくなってきた。
顔も見たくないほど怒っているときにわざわざ弁当を手渡しはしないだろうし、これは別の方向から考えてみるべきか。
「ちなみに午前中に何か変わったことは?」
「特に何も。そもそも今はあんまり席も近くないし、四限目に至っては男女別の体育だったから話すらしてねーよ」
「うーん一体何が…ってあれ?体育があったの?」
「ああ、昼食前の運動は流石に腹が減ったぜ」
「…ちなみに女子はなんの競技を?」
「女子は水泳。こっちは炎天下での長距離走だってのにいいよなー」
おっと、これかな?
ここに来てようやく有力な新情報が現れた。
能天気にプールの冷たさを羨ましがっているクソゲーマーは放置して、私は半月ほど前の京極ちゃんとの会話を思い出す。
◆
『あ、あのさ…ペンシルゴンって一応モデルなんだよね』
『今をときめくカリスマモデル様を捕まえて『一応』とは言ってくれるじゃないのさ。れっきとしたモデルさんでーす』
『ご、ごめん!…あのさ、折り入ってお願いがあるんだけど…化粧の仕方、教えてくれないかな?』
『!?口紅代わりに返り血で唇を赤く染めてそうな京極ちゃんがお化粧を…?君は絶対モモちゃんの同類だと思ってたのに!』
『いくら僕でもあそこまで女を捨ててはいないよ!…いやまあ、最近までずっと化粧なんて気にしたこともなかったんだけどさ…』
『ははーん、サンラク君と付き合うようになったからには少しでも綺麗になりたいと』
『べっ!別にそんなことは……ある、けど…』
『おーおー、すっかり乙女になっちゃって。仕方ない、そういうことならこの私に任せなさい!』
◆
以上、回想終わり。
うん、やっぱりこれっぽい。
「ねえサンラク君。ひょっとして君、部活の後とか道場での稽古の前後にも逃げられてるんじゃない?」
「!!ああ、確かにその通りだけど…何で分かったんだ?」
どうやら私の想像は当たっていたようで、サンラク君はアバター越しにも分かるくらいに驚きをあらわにする。
「なるほどなるほど、いやぁ京極ちゃんもすっかり恋する女の子をしててお姉さんなんだか嬉しいよ」
「どういうことだ?その反応、理由が分かったってことでいいんだよな」
「まあ分かったかなー、とりあえず君はイエローカード二枚目ね」
「は?…いや、すまん説明を頼む」
ここまでの自らの行動を振り返ってもサンラク君は全く原因に思い至っていないようで、私がこれみよがしに肩を竦めて「貴方には呆れました」というアピールをする。
一瞬イラっとしたような声が漏れ聞こえたが、彼は自分が相談している身であることを思い出したようで、悔しそうにしつつも矛を収めて殊勝に頭を下げてきた。
そんなサンラク君の態度に満足した私はここぞとばかりにドヤ顔をかましながら解説する。
「プールに部活や稽古のあと…さてここで問題です。京極ちゃんが君を避けたこれらの状況の共通点は何でしょう?」
「えっとどれも運動のあとだよな…運動…そうか、汗臭い!」
「はいレッドカード。お帰りはあちらでーす」
「いや違うのかよ!?」
たとえそれが正解だったとしても、女の子相手に汗臭いなんて言う男は滅びればいいんじゃいかな。
「サンラク君、今の発言を京極ちゃんに聞かれようものなら本当に愛想つかされるよ」
「いやだって、つまりみんな運動したあとってことだろ?それで思いつく共通点と言えば…」
「運動後って着眼点は悪くないけど、プールの後は塩素くさいだけで汗は臭わないでしょ」
「あ」
「はあ…多分だけど、京極ちゃんは君にすっぴんになった顔を見られるのが恥ずかしかったんじゃないかな」
「へっ?」
「それだけのことで?」とでも言いたげな顔をしているサンラク君はやはりまだまだ女心と言うものが分かっていないと見える。
女の子はいつだって好きな人の前では素敵な自分でいたいと願うものなのだ。
「いやだって京極のすっぴん姿なんて今までにも散々…そもそもあいつ最近までは化粧自体を全然して無かったのに」
「おっ、でも最近お化粧始めたことには気づいてたんだ、関心関心」
「妹がその辺こだわるから一応は分かるようになったんだよ。実家に居た頃は新作コスメを試した時とか感想言わないとうるさかったし」
「なるほど、瑠美ちゃんの薫陶の賜物かぁ」
いい妹を持ったようで何よりである。うちの愚弟に彼女の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
そこまで気が付いてるのにどうして京極ちゃんのいじらしい乙女心が分からないのかなあ。
「なんにせよ私に言えるのはここまで、どうしても不安ならサンラク君が直接京極ちゃんと話してみなよ」
「…そうだな、ありがとうペンシルゴン。おかげで少し気が楽になったよ」
また改めて礼をすると最後に付け加え、サンラク君はログアウトした。
そわそわとした雰囲気から察するに、きっと今頃は京極ちゃんに電話でもしているのだろう。
グラスに残っていたワインをぐいっと一気に飲み干せば心なしかさっきよりも甘くなっているような気がして、砂糖を吐くような気分とはこのことかと一人苦笑する。
「悩め若人たち、おねーさんはこっそり応援しているよ」
あーあ、私も恋がしたいなぁー!