徒然なるインベントリア:シャンフロの小話   作:イナロー

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楽郎のベッドに侵入する紅音のお話。
「祝いと門出の誕生日」の一月ほど後の出来事。


安眠まくらで元気回復

 抱き枕には、快眠を促す効果があるという。

 単にその姿勢が睡眠に適しているからだとか、人間は何かに抱き着くと幸せホルモンを分泌するだとか色々と細かい理由はあるらしいのだが、正直なところ俺は当初はその効能には半信半疑だった。

 だが大学生になって一人暮らしをするにあたり、「放っておいたらお前はすぐに徹夜するんだからせめて寝具は良い物を使え」という親と妹と恋人からの有り難い言葉を頂戴したことにより、俺は新生活応援セールと銘打ったインテリアショップの商戦に乗っかって一人で寝るにはやや大き目なベッドと無地のシンプルな抱き枕を購入していた。

 結果から言うとこの買い物は大正解で、今では夜寝る際には必ずと言っていい程にこいつを抱きしめて眠っている。いやはや、ゲームに限らず何事も試して見るに限る。

 

「ん、むぅ……」

 

 春の大型連休の初日。夢とうつつの狭間を揺蕩うような心地良い微睡の中、俺はいつものように腕の中の枕を強く抱きしめた。引っ越してからの一月足らずですっかり習慣となったその動作は、一人暮らしでぽかりと空いた心の隙間を僅かながらに慰撫してくれる。

 進学前の一年ほどは事あるごとに紅音が抱き着いてきて、甘えたがりな彼女を微笑ましく思っていたものだけれど、いざこうして離れてみると、恋人に甘えていたのは俺も同じだったのかもしれないと今更ながら思い知らされた。

 毎日のように電話をして時にはゲームの世界で共に遊んでいるにも関わらず、現実(リアル)で隣に紅音が居ないことがどうしようもなく寂しくて仕方がない。

 

「むにゃ……らく、ろ…せん、ぱい……」

 

 嗚呼、とうとう夢にまで紅音が出てきた。

 中学、高校のどちらでも部活に所属することの無かった俺にとって紅音からの「楽郎先輩」という呼びかけは新鮮で、聞くたびにどこかむず痒くも暖かな気持ちで胸が満たされる。

 

「……んぅ…えへへ、だいすき…です……」

 

 そうだ、彼女はいつだって真っすぐだった。

 思わずたたらを踏んでしまうほどの勢いで抱き着いてきたかと思えばそのまま今のように(・・・・・)俺の首へと腕を回して、とっておきの内緒話をするかのように、耳元でこうして愛を囁かれたものだ。

 最初こそ驚きと照れ臭さに面食らっていたけれど、俺の方から抱きしめ返した時の紅音の幸せいっぱいと言わんばかりの笑顔が眩しくて、いつしか彼女の突撃を楽しみに待ち構えるようになっていたっけ。

 

「ふわ……んっ……」

 

 そう、こうしてさらさらの髪を手櫛で梳くように撫でてやると心地良さげに声を……出し、て……?

 

「……えっ」

 

 夢にしてはやけにリアルな手触りと体温に疑問を覚えて目を開ける。

 するとそこには、俺が会いたくてやまない──しかしここにいるはずの無い紅音が、すやすやと寝息を立てていた。

 予想だにしないその光景に一瞬思考が停止する。実家暮らしだった高校時代ならいざ知らず、今俺が住んでいるのはそこからリニアで一時間ほども離れた東京だ。現在高校二年生の紅音が気軽に立ち寄れるような距離ではない。

 事態が一向に飲み込めず混乱に包まれること暫し、俺の腕の中の紅音がゆっくりとその目を開いた。

 

「んん……あっ、おはようございます、楽郎先輩っ!」

「お、おはよう」

 

 寝ぼけまなこから一転、目が合った途端にぱぁっと表情を輝かせた紅音の姿に俺は未だ状況が掴めないながらもどうにか言葉を絞り出す。

 そんな俺を他所に、紅音は心底嬉しそうに笑いながら俺の胸元に顔を埋めた。

 彼女がここにいる理由は全く以て不明なままであるが、幸い今日は祝日だ。今はこの降って湧いた幸福を堪能するべく、愛しい恋人と睦み合った。

 

 

「で、紅音はどうしてここに?」

 

 結局、俺たちがベッドから抜け出したのは目覚めから一時間近くが経ってからのことだった。

 ピーナッツバターを塗ったトーストとインスタントコーヒーという簡素な朝食をとりながら、改めて紅音に現状に至る経緯を尋ねる。ミルクと砂糖をたっぷり入れたカフェオレをふーふー冷ましながら飲んでいた紅音は一度マグカップを置くと、悪戯がバレた子供の様に視線を宙に彷徨わせながらおずおずと口を開いた。

 

「ええっと、その……先輩がこっちに引っ越してから、覚悟はしていたんですけどやっぱりすごく寂しくて」

「まあ、それは俺もだよ」

「えへへ、お揃いですね!……だから、来ちゃいましたっ!」

「うん、ちょっとその過程をもう少し詳しく」

 

 物理的に離れ離れになったことの寂しさに共感したのも束の間、紅音のとったあまりにも単純な解決策に反射的にツッコミを入れた。

 学校や部活は大丈夫かとか、交通費はどうしたとか、案内も無しによくたどり着けたなとか、そもそもなんで突然布団に潜り込んでいたのだとか、聞きたいことは山ほどある。

 そんな俺の疑問に対し、紅音はなんてことの無いような顔をして一つ一つ説明していく。

 

「ええっと、連休の前半は学校だけじゃなくて部活もお休みなんです!」

「そうなのか?去年は確か合宿に行ってなかったっけ」

「はい!GWの最後の方に皆で合宿します!」

「ああ、そっか部活は五月に入ってからか」

 

 二年生に進級し、陸上部期待のエースとして活躍目覚ましいと聞いている紅音がここにいて大丈夫なのかと不安だったのだが、そちらのスケジュールは問題ないらしい。せっかくの完全なオフに遠路はるばる俺を訪ねて来てくれたという事実に胸の裡から喜びが湧き上がる。

 今すぐ彼女を全力で撫でまわしたい衝動に耐えている間にも、紅音はぽつぽつと話を続ける。

 

「それで、瑠美ちゃんに紹介してもらって早朝ランニングのついでに新聞配達のお手伝いをしてみたり、お休みの日に日雇いのアルバイトをさせてもらったりしてお金を貯めてたんです!」

「気持ちは嬉しいけど、あんまり無理するなよ?」

「大丈夫です!それに、実は先輩のおうちに行く為だって言ったらお母さんが少しお小遣いをくれたんです」

 

 「だから無理はしていません!」と朗らかに笑う紅音を微笑ましく思いつつも、この来訪がまさかの母親公認という事実に驚きを隠せない。

 いや、うちの学校だとバイトに親の許可がいるし、娘が遠出をするともなれば事情を親に説明するのは当然と言えば当然ではあるのだけれど。

 

「そ、そっか……にしてもよく家の場所が分かったな」

「住所は前に聞いてましたし、瑠美ちゃんがおうちの写真も送ってくれたので!」

「なるほど、あいつも一枚嚙んでたのか」

 

 なんだかんだと文句を言いつつも引っ越しの際には瑠美も手伝いに来てくれていたのでその時に外観や道中の写真を撮っていたのだろう。てっきり東京で服やアクセサリーを買うために着いてきたのだとばかり思っていたが、もしかするとこうして紅音に情報を流すことも計算の内だったのかもしれない。

 最近の瑠美はペンシルゴンとすっかり親しくなったせいか以前にも増して邪悪な計算高さを身に付けつつあり、我が妹ながら末恐ろしい物がある。

 

「それはそれとしてどうやって部屋に……は、いいか。紅音は鍵持ってるもんな」

「はいっ!楽郎先輩からのプレゼント、早速使わせていただきました!」

 

 そう言って紅音はテーブルの上に置いていたハシビロコウのキーホルダー付きの鍵を掲げて見せた。今年の三月末、上京直前の紅音の誕生日デートでプレゼントと称してこの部屋の合鍵を手渡したことは記憶に新しい。

 俺としては夏休みにでも遊びに来てくれればいいな、くらいのつもりの軽い提案だったのだが、まさかこんなにも早く活用される日が来るとは想像の埒外だ。とはいえこうも嬉しそうにする紅音を見るに、彼女に鍵を渡したのは正解だったようだ。

 

「で、これが最後の質問なんだけど」

「はい!なんですか?」

「紅音はなんで俺の布団に?」

「そっ、その……それは…ですね……」

「うん、それは?」

「ううう……あの、笑わないでくださいね?」

 

 俺が一番驚かされ、そして一番気になっていたことを尋ねると、紅音はそれまでの明朗な受け答えとは打って変わってあわあわと恥ずかしそうに言葉を探している。

 どうにか上手く言い逃れようと画策していたようだが、根が素直な紅音にはそんな器用なことが出来ることも無く、最後にはがくりと項垂れると観念したように予防線を張りつつ口を開いた。

 

「本当は、先輩をちょっとびっくりさせようと思ってただけなんです」

「ふむ、まあ確かにびっくりしたな」

「その、本当は普通に先輩を起こして、『来ちゃいました』って言うつもりで……でも……」

 

 紅音はそこで一度言い淀むと、小さい声で続きを話す。

 

「……ら…ましかったんです」

「え、ごめん今なんて……」

「──楽郎先輩に抱きしめられてるのが!うっ、羨ましかったんです!」

「はい?」

 

 一瞬、何を言われたのか理解が及ばず間の抜けた声が漏れる。

 首を傾げる俺を他所に、羞恥で首まで赤くなった紅音はいつの間にか床に転がっていた抱き枕を指差して叫んだ。

 

「先輩にぎゅっとしてもらうのは、私だけでいいんです!」

「…………なるほど」

 

 話を纏めると、瑠美や紅音のお母さんの協力の元このGWにサプライズ訪問の算段を付けていて、無事俺に気付かれることなく我が家に侵入を果たしたと。

 そして暢気に寝こけている俺を見た紅音は、紅音の代わりに俺に抱かれている枕を見てそのポジションが羨ましくなって実際にとって代わったと。

 俺がもし出かけてたらどうするのかとか、無機物に焼きもちって何だとか、そこまでされたら途中で気が付けよ俺だとか、色々とツッコミたいことはある。だがしかし、今はそんなことは重要ではない。

 全てを話して頭から湯気が出そうなほど恥ずかしがっている紅音に向き直ると、俺は両腕を広げて端的に告げた。

 

「なあ、紅音」

「は、はい……」

「おいで」

「……!はいっ!!」

 

 たちまち飛び込んできた紅音を受け止めると、先程よりも強く彼女を抱きしめる。

 紅音も俺の背中に腕を回してぎゅうぎゅうと力いっぱい抱き着いてきた。

 

「なあ紅音、今夜は泊っていくのか?」

「はい!楽郎先輩さえ良ければ明後日のお昼に帰ろうかと!」

「そっか、それじゃあ抱き枕はお役御免だな」

「お任せくださいっ!先輩の眠りは私が守ります!」

 

 陽だまりのような温もりを全身で感じながら、紅音と二人笑い合う。

 

 ──ああ、今夜はいい夢が見られそうだ。

 

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