※モブ少年が出ます。
あかねおねえちゃんが、すきだった。
「みんなー、おまたせ!今日は何してあそ──」
「おねーちゃん!おにごっこしよう!」
「ダメ!あかねちゃんはわたしとブランコするの!」
「そんなのつまんない!あかねねえちゃん、あっちでサッカーやろうぜ!」
放課後、小学校近くの公園に現れた紅音の元へ、彼女の来訪を待ち侘びていたちびっ子たちが我先にと殺到する。
小学一年生の彼らと違い、現在五年生の紅音はクラブ活動などもあり下校も遅く、共に遊べる時間は限られていた。
それ故、紅音が顔を見せるといつでも皆に引っ張りだこで、この時ばかりは普段仲の良いクラスメイト達であっても彼女を巡る油断ならないライバルと化す。
一歩間違えれば幼い友情を破壊する原因とも成り得る危うさを秘めているのが隠岐紅音という少女であるが、そんな状況を自然体で宥めすかし、笑顔で皆の仲を取り持つことが出来るのもまた紅音という少女の持つ特異性であった。
「わわっ!?みんな、ケンカしちゃだめだよ!いっしょに仲良く遊ぼうね!」
「だって、こいつらが……」
「なによ!男子はおとといもあそんでもらってたでしょ!」
「なにおう!」
「うーん……それじゃ、今日は最初はブランコして、それからみんなでおにごっこしようか?」
「うん!」
「はーい!おねえちゃん、はやくあそぼう!」
「えー…」
可能な限り皆の希望を叶えようとする紅音の提案に、少年少女たちは元気いっぱいの返事を返す。
そんな中、一人だけ不満気な少年が居ることに気が付いた紅音は彼の元へ近づくと、しゃがみこんで目線を合わせた。
「ね、サッカーはまた次ってことじゃダメかな?」
「………わかった」
「うん、えらいえらい!」
「かわりに、あしたまたあそんでくれる?」
「もちろん!やくそくだね!」
小指を絡めて明るい声でゆびきりげんまんを口ずさむ優しいお姉ちゃんのことが、少年は大好きだった。
◆
あかねお姉ちゃんに、なでてもらうのがすきだった。
「あら、紅音ちゃんこんにちは。今学校の帰りかしら?」
「こんにちは!そうです!今日は部活もお休みなので!」
「そう……あの小さかった紅音ちゃんももう中学生なのよね、体は大丈夫なの?」
「はい!今はもう毎日元気いっぱいです!」
学校帰りの紅音に、近所に住む顔なじみ主婦が声をかける。
一見するとどこにでもある穏やかなご近所同士の会話だが、紅音の病弱だった幼少期を知る彼女は、中学校の制服に身を包み健康的に日焼けした紅音を見て感慨深げに頷いていた。
「それは何よりね……そうだ!ねえ、紅音ちゃんさえ良ければちょっと家に寄っていかない?ちょうど頂き物のスイカがあるの」
「スイカ!……でも、急にお邪魔していいんですか?」
「いいのよ、それにうちの息子も久しぶりに貴女と話せたら喜ぶわ……っと、噂をすれば」
「母さん、だれか来て……あかねお姉ちゃん!?」
二人の会話を聞きつけて、家の中から一人の少年が顔を出す。
彼は玄関口に居るのが紅音だと気が付くや否や、その瞳を輝かせて大急ぎで彼女の元へ駆け寄ってくる。
そんな姿を見せられては面倒見のいい紅音としては「はい、さようなら」という訳にもいかず、お言葉に甘えてお邪魔させてもらうこととなった。
スイカを切ってくるからとキッチンに消えた母を見送ると、少年は久々の紅音との会話を楽しんだ。
「あかね姉ちゃん、中学校って、べんきょーむずかしい?」
「うん、やっぱりテストは大変だよ。宿題もいっぱいあるし」
「げー…おれ、ずっと小学生でいい…」
「あはは……」
「勉強きらい…あ、だけどこないだのテストは90点とったぜ!」
「わぁ!すごい、よく頑張ったね!」
「…べっ、別にこのくらい、たいしたことねーし!」
自分と同じく頭を使うより体を動かす方を好んでいたはずの少年の頑張りを聞いて、我が事の様に喜んだ紅音は少年の頭をぐりぐりと撫でる。
少年は照れてぶっきらぼうになりつつも、撫でるその手を拒むことはない。
彼が負の感情を抱いていないことが分かったのだろう。紅音は一層笑みを深くすると、まるで大型犬を愛でるかのように激しく髪を撫でまわす。
両親や祖父母に褒められたときとはまた違う、どこかむず痒く、だけど胸の奥がぽかぽかとするその感覚が、少年はなんだかとても好きだった。
◆
紅音ねーちゃんと、かけっこするのが好きだった。
「はっ、はっ、はぁっ…………ふう!私の勝ち!」
「ぜぇっ…はぁ……くっそー!今度こそ勝てるの思ったのに!」
川原のジョギングコースを陸上トラックに見立て、紅音が颯爽と駆け抜ける。
数秒遅れでゴールを切った少年は、相も変わらず縮まらぬ差に息を切らせながら悔し気に天を仰いだ。
「オレ、今年はリレーのアンカーだったんだけどなぁ……」
「これでも陸上部のエースだからね!簡単には負けてあげないよ!」
「ぐぎぎ……もう一回!もう一回勝負しよう!」
「……うんっ!」
男女の体力差があるとはいえ、小学五年生の少年と中学三年…それも部活で日々脚を鍛えている紅音ではまだ紅音に一日の長がある。
得意満面の笑みを浮かべて勝ち誇る紅音に闘争心を煽られた少年は、歯ぎしりしつつ再戦を要求する。
紅音は負けず嫌いな少年の姿に眩しいものを見るように目を細めると、様々な想いを噛みしめながら、喜んでその挑戦を受け取った。
「それじゃあ位置について……よーい、ドン!」
その後彼らは五回ほど勝負を繰り返し、その全てで紅音が完勝した。
「今日もダメかぁ、姉ちゃんはやっぱり速いなぁ」
「君もすっごく速くなってたよ!」
「でも結局一度も勝てなかったし……」
帰り道に立ち寄った公園のベンチにて、自販機で買ったスポーツドリンクで喉を潤しながら、今日の勝負を振り返る。
意気揚々と勝負を挑んだにも関わらず白星を挙げることの叶わなかった少年は落ち込み気味だ。
そんな少年の様子に、紅音は何かを恐れるようにおずおずと疑問を口にした。
「それは………ねえ、その……君は私と勝負するの、嫌じゃ、ないかな……?」
「は?何で?」
不安に瞳を揺らす紅音に対し、少年は何故そんなことを言われるのか分からないといった様子で首を傾げる。
「ほら、ずっと勝てないままだったら、走ることが辛くなったりとか…」
誰もが永遠に努力し続けられるわけでは無い。
強力な好敵手の存在が、時には人の心を折ってしまうことがあるのだと、そんな現実を知ってしまったからこそ抱いた不安。
しかしそんな心配は、深い事情を知らない少年からすると侮りとも感じられたようで、なめるなと言わんばかりに勢いよく反論する。
「はぁ!?別に今日勝てなかっただけだし!見てろよ、いつか絶対ねーちゃんより早くなってぎゃふんと言わせてやるからな」
「────ううん、私だって負けないよ!!」
その言葉が紅音にとってどんな意味を持ったのか、或いはどれほどの救いになったのか。
紅音の部活での出来事を知らない少年には知る由もない。
けれど自分を見る紅音の笑顔が今まで以上に綺麗で、胸がどきどきして……いつものように撫でられそうになるのを反射的に避けてしまった。
「ねーちゃん!オレもう子供じゃないんだからさぁ…!」
「ごっ、ゴメンね!もう撫でられるのは嫌だよね?」
撫でられるのが嫌いな訳じゃない。
だけど、それは紅音が自分を子供だと思っている証のような気がして、素直に撫でられるのは憚られた。
◆
「あれ?久しぶりだね!」
「…………紅音姉ちゃん?」
テスト期間で部活も休みなある日の中学校からの帰り道。
少年が突然声をかけられて振り返ると、真檜高校の制服に身を包んだ紅音がぶんぶんと大きく手を振っていた。
返事をするまでにやや間が空いたのは、記憶にある彼女と現在の彼女の姿のギャップに驚いていた為だ。
「会わないうちに大きくなったね!」
そう言うと紅音は背伸びをしながら右手を上げて自分と少年の頭の高さを比較する。
成長期を迎えて背が伸びた少年は、かつては見上げてばかりだった紅音の初めて見る上目遣いにどきりと胸を高鳴らせた。
「なぁに、この子紅音の知り合い?」
「うん!家の近所に住んでる子で、昔はよく一緒に遊んだの」
少年はこの時初めて、紅音の隣にもう一人少女が居ることに気が付いた。
その少女──陽務瑠美は、紅音と同じ制服を着ているのにも関わらず、その着こなしが何処か洗練されて見える。
これが高校生のお姉さん…!と何処かズレた感慨を抱く少年を他所に、紅音は久しぶりの少年との再会を純粋に喜んでいる。
「そっか、もう中学生なんだもんね。時が経つのは早いなあ」
「紅音、ちょっとおばさんくさいわよ」
昔は彼女のいうようにそれなりの頻度で会っていたが、紅音の高校受験が本格化した頃からは中々会う機会もなく、互いの制服姿を見るのもこれが初めてだ。
「紅音姉ちゃん、真檜行ったんだ。そんなに頭良かったっけ?」
「えっと、それはその……」
「紅音、ものすごーく頑張ったのよね」
「……うん」
中学の定期テストで悲鳴を上げていた記憶の中の紅音と進学校である真檜高校がどうにも結びつかず、少年は首を傾げる。
その問いに対し、瑠美は悪戯気な、紅音は恥ずかし気な表情を浮かべて意味深に顔を見合わせた。
「ふーん、でも真檜って別に陸上強く無いよね?もしかして好きな奴と同じ学校行きたかったからだったり──」
「なっ、なんで分かったの!?」
「……え?」
それは他愛もない冗談のつもりだった。
肯定されることなど微塵も想定していない、そんな言葉に食い気味で応える紅音の反応は完全に図星を突かれた人間のそれで。
「ええっと、まさかとは思うけど、そいつ紅音姉ちゃんの彼氏だったりは……」
どうか噓であってくれと、現実逃避気味の問いかけへの反応は、顔を真っ赤に染めた紅音の無言の首肯。
「……そっか、姉ちゃん彼氏居たんだ」
「…うんっ!楽郎さんっていって、とっても素敵で格好いい人なの」
「あー…この子もかぁ……紅音、そのくらいにしといてあげて」
胸が痛い。心にぽっかりと穴が空いたようだ。
堰を切ったように紅音の口から溢れ出す彼氏への賛辞も、気づかわし気に少年を見やる瑠美の制止の言葉も少年の耳には入らない。
胸が張り裂けそうなほどの悲しみと喪失感に、少年はようやく自らの心を知る。
(ああそうか、俺はずっと昔から……)
──紅音姉ちゃんのことが、好きだったんだ。