徒然なるインベントリア:シャンフロの小話   作:イナロー

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結婚式直前の紅音と楽郎のお話。


わたしの幸せな結婚

 ベースメイクは透明感を重視して、チークとリップはピンクとオレンジを主体にして血色よく。

 手際よく、それでいて繊細な動きで陽務瑠美は隠岐紅音──書面上は既に陽務(・・)紅音となっている──の顔(かんばせ)を鮮やかに彩っていく。

 一通りのブライダルメイクを終えると、最後に艶やかな黒髪をアップで纏め、瑠美は己の仕事を完遂した。

 

「これでよし……っと。紅音、目を開けていいわよ」

「……わぁ!これが私……ありがとう、瑠美ちゃん!」

 

 それまでされるがままでいた紅音は、鏡の中に映る花嫁衣裳に身を包んだ自分の姿に感嘆の声を上げると、万感の想いを噛みしめながら無二の友へと感謝を告げる。

 お洒落と美容のプロとしての瑠美がその腕前を遺憾なく発揮した結果、持ち前の愛らしさも相俟って今の紅音からはまるで一枚の絵画の様な神々しさすらも感じられた。

 

「紅音、本当に綺麗よ」

「お母さんもありがとう!……えへへ、楽郎さんも褒めてくれるかなぁ」

 

 隣で支度を見守っていた紅音の母である和泉も、ウェディングドレスを身に纏った愛娘の姿に心からの賛辞を贈る。

 紅音は敬愛する二人に褒められたことを無邪気に喜びながら、この姿を誰よりも見て欲しい人物を想って目を細めた。

 

「べた褒めに決まってるわよ、というか褒めなきゃブッコロスわ」

「あはは……でも瑠美ちゃん、こっちに来てていいの?楽郎さんの方は……」

 

 相も変わらず兄に厳しい瑠美の様子に苦笑が漏れる。

 彼女が口ではこう言いつつも、楽郎のことを嫌ってはいないということを紅音は長年の付き合いで知っていた。

 そしてだからこそ、瑠美に親族として(楽郎)に会いに行かなくていいのかと尋ねずにはいられない。

 しかしそんな紅音の杞憂を吹き飛ばすように瑠美はカラカラと快活に笑う。

 

「いーのいーの!あんなのはほっとくのは……ちょっと心配だけど、あっちはあっちで私なんかよりもっと確かな人が行ってくれてるから大丈夫!」

 自分がこの世で最も信頼し尊敬し崇拝する存在がきっと紅音に相応しくなれるよう徹底的な改造(メイク)を施してくれている筈だと、やや危うい熱の籠った目つきで瑠美が告げる。

 加えて、いくら普段の服装がアレな兄であっても流石に一世一代の晴れ舞台で横着するようなことはないだろうという思いもあった。

 

「本当は紅音も永遠様にスタイリングをお願いしようかと思ったんだけど……紅音のセットは私がしたかったから、わがまま言って譲って貰っちゃった」

 

 ごめんね?と両手を合わせて謝罪のポーズを取る瑠美に、とんでもないと言わんばかりに紅音はぶんぶんと首を横に振る。

 和泉は紅音の髪型が崩れないかとハラハラしたものの、彼女の動きの激しさをよく知る瑠美はそのことも織り込み済みだったようで、セットされた髪はびくともしない。

 

「ううん、そんなことないよ!私も、瑠美ちゃんにやってもらいたかったから!」

「もう!紅音は本当にいい子ね……うちの馬鹿兄には勿体ないくらい」

 

 両の手のひらを合わせながら、互いの友情を確かめ合う。

 親友同士の気の置けないやり取りを微笑ましく見守っていた和泉は、そんな紅音を見つめながら感慨深げにぽつりと呟いた。

 

「それにしても、あんなに小さかったあなたがもうお嫁に行くなんて……時が経つのは早い物ね」

 

 かつては病弱で日常生活すらもままならなかった紅音が、こうして健やかに育ってついには家を巣立つことに感じ入るものがあるようで、和泉の眦にはうっすらと涙がにじんでいる。

 ……ちなみに、父である輝朝(てるとも)は五分おきに号泣して完全に使い物にならないため、現在は親族用の控室でタオル片手に待機中だ。

 

「うん!私がお嫁さん、かぁ……」

「子はいつか親元を離れるものだって、分かってはいても……やっぱりちょっとだけ寂しいわ」

 

 紅音が生まれた日のことを、覚えている。

 紅音が初めて話した言葉を、覚えている。

 紅音が初めて恋した笑顔を、覚えている。

 

 和泉にとって、紅音と過ごしたこれまでの日々は数え切れない宝物で。

 そんな大切な宝物が巣立っていくことに、一抹の寂寥感を覚える。

 暖かで、だけどしんみりとした空気の中、紅音はそっと立ち上がって母に向き直り、深々と頭を下げた。

 

「……お母さん、私をここまで育ててくれて、本当にありがとうございました!」

「……っ!もう、これじゃお父さんを笑えないじゃない」

 

 娘からの混じり気の無い純粋な感謝の言葉に、ついに耐え切れず和泉の瞳から感涙が零れた。

 暫くして落ち着きを取り戻した和泉は、娘の親友であり、新郎の妹でもある瑠美に改めて礼を告げる。

 

「瑠美ちゃん、うちの子とずっと仲良くしてくれて本当にありがとうね」

「もう、おばさま。そんなに他人行儀にしないでください。私が好きで紅音と一緒にいたんだし、それにこれからは私たちも家族になるようなものなんですから」

 

 友人の母に畏まった礼を取られ、困ったように瑠美は和泉を制する。

 紅音との付き合いは今更であるし、何よりも兄と紅音が結婚すれば血のつながりは無くとも最早家族も同然だというのが、噓偽りのない瑠美の思いだった。

 紅音はそんな瑠美の言葉を聞いて、こてんと首を傾げながら……

 

「……瑠美お義姉ちゃん?」

「まって破壊力がヤバいわ。紅音、お兄ちゃんなんて放っておいて私の家の子にならない?」

 

 私はいつでもウェルカムよ!と半ば本気で瑠美は叫んだ。

 この可愛い生き物が義妹になるということを今更ながらに実感し、それだけで兄の内心の評価が三段階ほど上昇した。

 

「……っと、そろそろリハーサルの時間ね。私はお父さんたちと合流してるわ」

「うん!それじゃまた後でね!」

「ええ。式、楽しみにしてるわ……あ、それとね」

 

 持参したメイク道具一式を片付けながら、瑠美は式のスケジュールを思い返す。

 あとは新郎新婦で式の流れを確認して、その後に本番を迎えるのみだ。

 だから、陽務瑠美が隠岐(・・)紅音に告げる言葉はこれが最後。

 

「紅音、どうかお幸せに。もしも(アレ)に不満があったらいつでも言って。すぐさまぶっ飛ばしに行くから」

「ありがとう!でも大丈夫──私は、世界一幸せだよ!!」

 

 

 

「ほらサンラク君じっとして!メイクがずれたら台無しだよ!」

「お、おう……」

 

 ところ変わって、こちらは新郎控え室。

 花嫁である紅音ほどでは無いにしろ、楽郎もまたこの場にふさわしい装いに身を包むべく、天音永遠監修の元、最後の身支度を行っていた。

 

「うん、こんな所かな。サンラク君、普段お洒落には全く無頓着なくせに瑠美ちゃんの兄だけあって素材は悪くないんだよねぇ」

「紅音と付き合い始めてからは瑠美の監修も一段と厳しくなったからな」

「サンラク君は瑠美ちゃんに平身低頭して感謝の念を伝えるべきだと思うよ」

 

 いつものように軽口を叩いているうちに楽郎の準備は完了する。

 あとは花嫁(紅音)の支度が終わるのを待つのみとなり、手持ち無沙汰になった楽郎にそれまで地蔵と化してぼんやりと成り行きを眺めていた魚臣慧(カッツォ)が話しかける。

 

「いやぁ、それにしてもとうとうあのサンラクが結婚かあ。いつかはするだろうと思ってたけどさ」

「むしろ遅いくらいじゃない?あの子がルストちゃんからのブーケを受け取った時なんてそのまま逆プロポーズかますんじゃないかと思ったよ」

「まあ、あれが結婚を意識したきっかけの一つではある」

 

 旅狼で真っ先に結婚した二人の式が皆の脳裏に浮かび、自然と思い出話に花が咲く。

 あの時、幸せいっぱいなルストとモルドの……そしてそれを憧れのこもった眼差しで見つめる紅音の姿を見たことは、楽郎が「結婚」の二文字について真剣に考えさせるに十分過ぎる衝撃を与えていた。

 数時間後には自分たちがあの場の主役になると思えば、楽郎も自然と気分も高揚し、そして──

 

「……いかん、だんだん緊張してきた」

「全世界に向けてド派手な公開プロポーズかました人間が今更何を」

「ほら、そこは世界一になった興奮というか、カフェインの神の加護があったというか」

「そこは素直に愛ゆえにって言っとくべきじゃないのー?茜ちゃんが聞いたら悲しむよ?」

「あれ、サンラクもしかして照れてる?おいおい、お前にそんな情緒がまだ残ってたのかよ?」

「ぐぐぐ……カッツォ、お前の結婚式の時は覚えとけよ……!」

「と言われてもなぁ……俺は相手もまだ居ないし」

「「はぁ……これだから総受け魚類は」」

「おい待て!なんで俺今ディスられた!??」

 

 自分に立ったフラグに対してとんと無頓着な慧の様子に、楽郎と永遠は揃って呆れのため息を漏らす。

 チームメイトでもある夏目恵を選ぶにしろ、終生のライバルであるシルヴィア・ゴールドバーグを選ぶにしろ、肝心の当人がこの調子ではゴールはまだまだ先になりそうだ。

 

「サンラク君、君はこんな男になっちゃ駄目だよ。本当に茜ちゃんが悲しむからね?」

「おう、俺はどこぞのラブコメ野郎とは違って一途だからな」

「もしもーし、お二人さん?」

 

 話の内容の理解できない慧が騒ぐのを努めて無視しつつ、永遠は楽郎に 咤とも激励ともつかない言葉を贈る。

 しばしば「人の心が無い」などと揶揄される永遠であっても、友人たちの幸せを願う気持ちくらいは持ち合わせているようだ。

 

「さて、長々と新郎さんのお相手をしてる訳にもいかないし、そろそろ私たちはお暇しよっか」

「サンラク、本番で緊張して転ぶなよ?」

「おかげさまで緊張も解れたよ……二人とも、今日は来てくれてありがとうな」

 

 

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