◆だって今日は寒いから
「うー、寒っ……」
身を切るような風の冷たさに、早朝の通学路で一人肩を震わせる。
なんでもこの冬一番の寒気が近づいているようで、場所によっては既に雪も降っているらしい。
普段ならばもう少し布団の熱に身を委ねていられるのだが、こんな日に限って日直で早めに登校しなくては行けないのだから我ながら運が無い。やはり乱数は悪だよ悪。
学校に着いたらカフェインの摂取がてら自販機で温かい缶コーヒーでも…なんてことを考えていると、突然背中に軽い衝撃が走った。
「おはよう楽郎!君がこんな時間に歩いてるなんて珍しいね?」
「おっと…京極か、今日は日直だったんでな」
振り返るとそこには俺を見つけてわざわざ駆け寄ってきたのか、軽く息を切らせた京極が竹刀袋を背負い直しているところだった。彼女が深呼吸をする度に白い息が吐き出され、朝の空気に溶けて消える。
俺は京極が息を整え終わるのを見計らい、先ほどまでより心持ち歩幅を小さくしながら学校へと向かって再び歩き出す。
「そういうお前は剣道部の朝練か?」
「まあね、別に家で鍛練してもいいんだけど後輩に指導を頼まれちゃってさ」
「ほー、人気者も大変だなぁ」
「なあに、どんな世界でも門戸を叩く者を導くのは先達の務めだよ……それに、今日はその後輩に感謝かな」
そう言って京極は悪戯な笑みを浮かべる。
最後の方は声が小さくて聞き取れなかったが、この様子から察するに彼女は彼女なりに後輩への指導も楽しんでいるようだ。
しばらくそんな他愛の無い話をしながら歩いていると、鼻先に何やら冷たいものが当たるのを感じた。
何気なく空を見上げてみればそこには…
「げ、とうとう雪まで降ってきやがった…」
「ああ、これは冷え込む訳だ。この調子だと少しは積もるかな?」
「どうだろうなー…ってか京極、お前その格好で寒くないのか?」
今気がついたが京極は上にコートこそ着ているものの、マフラーや手袋といった防寒具は一切身につけていない上にスカートの下は素足という有り様だ。見ているこっちが寒くなる。
「鍛えてるからね、このくらいはへっちゃらさ」
「そういう問題なのか…?」
「一応お母様からはあんまり体を冷やすなって言われてこんな物も渡されたけど…よかったら君が使うかい?」
そう言って差し出されたのは手のひら程の大きさの使い捨てカイロだ。
正直に言えば手袋越しでさえ指先がかじかみ始めた今、喉から手が出るほどに有難いアイテムなのだがここまで寒そうな格好をした京極から一方的にそれを貰うのも気が引ける……よし、こうするか。
「サンキュー、それじゃ俺は代わりにこれを進呈しよう」
「…って、手袋を片方だけ渡されてどうしろと?」
「いいからいいから、早くそれつけろよ」
「まあ着けろっていうならそうするけど、これ二人とも寒くなるだけじゃ…」
ぶつくさと言いながらも京極は右手に俺の手袋をはめた。男物なので少しサイズが大きいのはご愛敬だ。
その間に俺はカイロの封を切って上着の右ポケットに入れる。そして素手のままになっている京極の左手を握り…
「……あ」
「ほら、こうすれば寒くないだろ」
カイロを入れたポケットの中にその手を招き入れる。
そこは二人分の体温とカイロの熱で少し暑いくらいで、氷のように冷たくなっていた京極の手もうっすらと汗ばんできたのを感じる。
「…楽郎、何だか顔が赤いよ?」
「今日は寒いからな…しもやけだよ」
「…そっか、寒いなら仕方ないね」
「そういうお前は寒くないのか」
「だから僕は平気だって……いや、やっぱり寒いかな」
人のことを言えないくらいに頬を赤くした京極が横に半歩ほど近づいてくると、ポケットの中を手を解いて指と指とを絡めるように繋ぎ直した。
京極のファンに見つかるとまた面倒なことになりそうだが、この時間であれば登校している生徒はそう多くない。運が良ければ余計なトラブルを招くことなく学校に着けるだろう。
そんな束の間の平穏を、乱数の女神に祈った。
──クラスメイトにこの姿を目撃された俺が尋問される羽目になるのは、この日の昼休みのことだった。
◆サンタが幕末(まち)にやってくる
ガキン、ガキンと鈍い金属音を響かせながら、レイドボスさんの錆光とトナカイの角が火花を散らす。
子供の胴体程の太さがあり悪魔の角のように曲がりくねったそれは、先ほどから数多のプレイヤーの攻撃に晒されながらも未だ罅一つ入る気配もない。
少なくとも錆光という武器の特性上レイドボスさんの攻撃のダメージは通っている筈なのだが。
北鏖聖伐飛将軍サンタクロース。
毎年クリスマスになると幕末に現れるこのエネミーはサンタクロース本体は勿論のこと、その愛馬たるトナカイの戦闘力も尋常ではない。
京ティメットと紅蓮寧土の尊い犠牲と引き換えに長屋一帯諸共爆破しどうにかサンタとトナカイを引き離したのは良いものの、俺達は未だ攻略の糸口を掴めずにいた。
あいつ(くいっ)やデュラハンがサンタの方を請け負っているがそれもいつまで持ったものか。
申し訳程度にクリスマスカラーにデコレーションされた赤兎馬のごときトナカイの様子をうかがっていると、奴はリアルならば鼓膜が破れてしまいそうな程の大音量で嘶いた。
「Booooooooo!!」
そしてそれから四肢を曲げて重心を下げ、踏み込みを確かめるように左後ろ足で地面を二回蹴る。この予備動作は不味い…!
「突撃が来るぞ!避けろ!」
叫ぶよりも早く予測進路上から飛び退くようにして待避する。
その一瞬の後。今まで俺がいた道を奴の巨体が駆け抜ける。その巨体は最早トナカイではなくヘラジカの突然変異か何かと言われた方が納得がいく。
逃げ損なったプレイヤーが何人かミンチになったようだがそちらに構っている暇はない。
奴は既に二度目の突撃に移るべく地面の踏み鳴らしている…!
と、その時向かいの屋根の上から何か棒状の物が放たれたのが見えた。あれは団子の串か!
「Gaaaaaah!!??」
「左目は貰ったぜ!」
「よくやった針千本!」
千載一遇の好機に志士達がこぞってトナカイに群がっていく。
俺もそこに続こうとしたのだが、直感システムに反応が。殺気!
「天誅!」
「うおっと!京ティメット!?リスポンしたのか!」
大上段から振り下ろされる刀を寸でのところでかわす。
繰り返し遅い来る斬撃をいなしながら一応の説得を試みるも、憤懣やる方無しといった様子の京ティメットは聞く耳を持ってくれない。
「あとで相手してやるから今はあのトナカイを…」
「うるさい!うるさい!せっかくのクリスマスだってのに楽郎は…!」
「痴話喧嘩はあとに取っときな!奴さんおいでなすったぜ!」
つばぜり合いをしながら京極と言い争っていると突然俺達の勇者が駆け込んできた。
その言葉に促されるように勇者の視線の先を見て俺は事態を理解した。
トナカイを囲んでいたプレイヤー達がいつの間にか全滅している。
代わりにその傍らに立つのは真っ赤な服に白い髭を蓄えた、誰もが知ってるあんちくしょう。
──サンタクロースが、やって来た。
◆出会いは何を齎すか
三が日も明け、世間が正月ムードから徐々に日常へと戻り始めたある日の事。
そうは言っても高校は未だ冬休み。俺は残る休みを有意義に過ごすべく、年末年始のゲーム断ちと引き換えに手に入れた
「あけましておめでとうございます。今年も良さげなクソゲー期待してます」
「はいはい、あけおめ……全く、君は今年も相変わらずねえ」
岩巻さんと新年のあいさつを交わす。新年早々クソゲーを求めてやって来た俺を呆れたような目で見ているが、俺からすれば積んでいた乙女ゲー攻略の為にクリスマスの翌日から昨日まで店を閉めていたこの人も大概である。
「それでですね、今年も例の物を…」
「安心なさい、ちゃんと用意してるわよ…はいこれ、一万円ポッキリね」
「ありがとうございます!」
そう言って岩巻さんはレジの裏から中が見えないよう口を閉じた朱色の紙袋を持ってきた。
俺は熨斗袋から折り目一つついていない完全美品の諭吉の肖像画を取り出してその袋と交換する。
「まいどありー。毎年のこととはいえこんな在庫処分みたいな物でお金を取るのはちょっとだけ気が咎めるのよね……せっかくのお年玉、もう少し使い方を考えなくていいの?」
「これ以上ないくらい有意義に使ってますよ。ここまで偏ったものは他じゃ中々お目にかかれないですからね」
そう言って俺は受け取った紙袋——クソゲーだけを厳選した福袋——を掲げる。
普通ならば良ゲーと凡ゲーとクソゲーがバランスよく配合されてしかるべきそれを、俺は毎年岩巻さんの厚意によって純度100%のクソゲー詰め合わせとして売ってもらっていた。
ちなみにお年玉を渡される際に付随しがちな「無駄遣いしないように」という決まり文句だが、うちの家系に限ってはまず聞くことは無い。
何しろ親族一同ほぼ全員が己の欲望に忠実過ぎる趣味人の集まりだ。子供の金遣いを諫めるどころか率先して自分の趣味に引きずり込もうとする有り様である。
そんな陽務一族ののどかな正月風景を岩巻さんに解説していると、ロックロールの扉が開いて一人の少女が入ってきた。
恐らく俺と同い年くらいだろう、肩程で切りそろえられたショートカットの髪型のその女子は物珍し気にきょろきょろと店内を見回しながらカウンターでこちらへと向かってくる。
「いらっしゃいませー、あなたこの辺じゃ見ない顔ね?」
「ああ、うん。家は京都なんだけど親戚の集まりでこっちに来てて、従妹がこのお店の事を教えてくれてね…」
商売の邪魔をしても悪いと思いカウンター前のスペースを彼女に譲って店の端で戦利品を確認する。
おっ、これちょっと気になってたんだよな。ほうほう、こっちはあの噂の……うーむ、かゆいところに手が届く流石のラインナップだ。
「…ラク。ねえサンラクってば!」
「うおっ!?な、なんだ!?」
突然耳元で名前を大声で叫ばれる。それによってこれからの楽しいクソゲーライフに思いを馳せていた俺の意識が現世に引き戻された。
というか反射的に返事をしてしまったがサンラク?なんでゲームの名前で俺を…?
振り返ると先ほどまで岩巻さんと話していた少女がいつのまにか俺の後ろに立っていた。
別に隠しているわけではないのだが、リアルではその名を呼ばれることは滅多にない。そんな名前で俺を呼ぶ彼女の正体はなんなのかと考えて…一人、思い当たる人物がいた。
髪型が違う、顔も違う。しかしその声とその表情に、俺は確かに覚えがあった。
「お前…まさか京ティメットか!?」
「正解!いやあ玲から君がここによく来るとは聞いていたけど、まさか本当に会えるなんてね」
驚きに固まる俺に向かって京ティメットが快活に笑う。幕末で見る殺意に彩られたそれとは違う無邪気な笑顔はとても綺麗で、不覚にも少しだけときめいてしまう。
「大人たちの付き合いに連れ回されて飽き飽きしてたんだ。これも何かの縁ってことで、僕をどこか面白い所に案内してよ、サンラク」
この日の出会いが俺——陽務楽郎と、京ティメット——龍宮院京極のゲームを超えた長い長い付き合いの始まりだった。