「~~♪」
麗らかな朝の日差しの照らす台所で、鼻歌混じりに味噌汁用のネギを刻んでいく。魚焼きグリルに入れた塩鮭もそろそろ焼き上がる。
僕と入れ替わりでシャワーを浴びに行った楽郎はまだ戻っていないけれど、あいつはいつも烏の行水で済ませるのでそう長い時間はかからないだろう。
冷蔵庫から作り置きの煮物とお浸しを取り出して小鉢に盛り付ける。その間に味噌汁が沸きそうになっていたのでいったんコンロの火を止めておいた。今日の味噌汁はあさりと赤だしだ。
そうして朝食の準備をしていると、ガタリと背後のドアが開く音がした。それに対して僕は振り返ることなく作業を続けながら声をかける。
「ああ、お帰り。また随分と早かった……」
「ただいまマイシスター!お兄様が居なくて寂しくなかったかい?」
予想とは違う人物の登場に思わず顔が引き攣ってしまう。よりにもよって何で兄さんがここに!?
「に、兄さん!?予定では帰ってくるのは今日の夕方の筈じゃ…?」
「可愛い妹を一人残していくのが心配でね。大急ぎで用事を片付けて来たのさ!」
「そ、そう……」
失敗した!!
この兄のシスコンぶりは身をもって知っていた筈なのに考えが甘かった。これは不味い…!
予定を半日も前倒しにしたのだからそれなりに疲れているだろうに、兄さんはそんな素振りは一切見せずに上機嫌に台所へと踏み入ってくる。
しかし、そこで僕が準備していた二人分の食器を見るとそれまでの満面の笑みをスッと消して、怪訝そうな表情を浮かべた。
「京極?僕の記憶が間違いじゃなければ今日はみんな出払っていてこの家には君一人の筈だと思ったけど……これは、誰の分だい?」
「えっと、これはその……」
最後の一言と共に室温が5℃くらい下がった気がした。
質問の体を取ってはいるものの、兄さんの頭の中では既に特定の人物が浮かんでいるのだろう。そしてそれは恐らく正解だ。
細められた目に静かな殺意を漲らせた兄さんをどう宥めた物かと思案するけれど、台所の戸が最悪のタイミングで再び開かれるのを見て僕は全てを諦めた。
「なあ京極、今日は急だったから替えのシャツ持って来てなくてさ。何か代わりに羽織るもの……でも…………」
「やあ、おはよう陽務君。こんなところで奇遇だね」
「オ、オハヨウゴザイマスオニイサマ」
「君にお兄様と呼ばれる謂れは無いよ」
よりにもよって上半身裸のままで現れた楽郎に、兄さんが表面上は和やかに朝の挨拶をする。しかしその内心は燃え滾る怒りで噴火寸前であろうことは、強く握りこみ過ぎて鮮血を滲ませた拳を見るまでもなく明らかだ。
「一応聞いておこうか……君は何故こんな時間にそんな姿で我が家に?見れば朝食までご馳走になろうとしていたみたいじゃないか。僕だって京極の手料理が食べたいのに!!!」
「いやこれはその……そう、稽古!ちょっと京極に朝稽古をつけてもらってて、それで汗をかいたから風呂場を借りてただけなんです!」
「稽古、ねえ……?じゃあその首元の痣も稽古の時についたってわけだ」
「えっ、痣…?」
兄さんの言葉に釣られるように楽郎の首元に目を向ければそこには鬱血したような痕が幾つか残っている。それは紛れもなく昨夜の僕がつけたもので……
「…………よし、それじゃ僕も稽古をつけてあげよう。君とはいずれ一対一で向き合うべきだと思っていたんだ」
「いや稽古ってそれどう見ても真剣でよね!?あの、おにい…國綱さん!??おい京極!この人止めるの手伝って…京極ぅぅ!!」
「うう……念願叶ったとはいえ私はなんて大胆なことを……」
体中の血液が瞬間湯沸かし器にかけられたかのように熱くなる。赤く染まった僕の顔を見た兄さんは、持っていた鞘袋から静かに刀を取り出しながら楽郎にそっと死刑宣告をつきつけた。
慌てた楽郎が何か言っているようだけど、僕はと言えば昨夜のことを思い出して今更ながらに羞恥心に襲われそれどころではない。
──引きずるようにして道場に連行される楽郎を見送ってしばし。兄さんの「天誅―!!!」という血を吐くような叫び声が、ご近所中に響き渡った