※嘔吐描写注意。苦手な方はブラウザバック推奨です。
「ん、ううん……あたま、痛ぁ…」
目覚めと共に襲ってきた猛烈な頭痛に顔をしかめる。
脳内で銅鑼を打ち鳴らされているかのようなその痛みに耐えながら体を起こすと、いつの間にか掛けられていた毛布がパサリと床に落ちた。
「あれ、ここは…?」
と、そこで初めてここが住み慣れたいつものワンルームで無いことに気が付いた。まあ、ここも半分我が家のようなものではあるのだけれど。
状況から察するに僕はどうやら酔い潰れてここで朝を迎えてしまったらしい。二日酔いでふらふらする体をどうにか気合で動かして近くのソファに腰を下ろす。
一人暮らしにしては立派に過ぎるそのリビングに無造作に飾られたトロフィーや賞状、そしてクソゲーのパッケージ等を見るとはなしに眺めていると、ガチャリと音を立ててリビングから洗面所へと続く扉が開かれた。
「!…京極、起きてたのか」
「やあ、おはよう楽郎。ちょうど今起きたところ…って、その頭どうしたの!?」
この家の本来の住人であるはずの楽郎は、何故かドアノブを握った姿勢のまま固まっている。僕が目を覚ましているのがそんなに意外だったのだろうか?
僕はそんな恋人の様子に首を傾げつつも朗らかに朝の挨拶を交わそうとしたけれど、楽郎の頭に真新しい包帯が巻かれていることに気が付いて慌てて彼に詰め寄った。
「ええっと、これは…ちょっと足滑らせてぶつけちゃってさ」
「ぶつけたって…それ大丈夫?病院行く?」
「…少し頭の皮膚を切っただけだよ。見た目ほど大した怪我じゃないから気にすんな」
そう言って笑い飛ばす楽郎だが、頭の怪我は万一の場合があるのでどうしたって心配になる。
これは楽郎と付き合うようになってから気が付いたことなのだけど、彼は自分が傷つくことや痛みを感じるようなことに対する忌避感が妙に薄い。
「そういう京極の方こそ、その…大丈夫か?」
「僕かい?確かにちょっと飲み過ぎたのか頭は痛くて胸焼けも酷いけど、このくらい大したことじゃないよ」
今だって怪我をしているのは自分の方だというにも関わらず、何故か僕の方を心配している有り様だ。
昨夜は確か、仕事でちょっと嫌なことがあったのでスーパーで酒をしこたま買い込んでからそのまま楽郎の家に押しかけて……駄目だ、そこから先の記憶が曖昧だ。
もしや昨日の僕はそんなに不安になるような酔い方をしていたのだろうか?
正直に何も覚えていないことを伝えてみれば、彼は一瞬酷く安堵したような表情を見せてからカラカラと明るく笑って答えた。
「はっはっは!いやあ近年稀にみる飲みっぷりだったからお前の肝臓がお陀仏になってないかと気になってな」
「…それが分かってるなら大声を出すのはやめてくれないかな。実をいうと今も頭がガンガン痛むんだよ」
「悪い悪い、今コーヒーでも淹れるからその間に顔でも洗って来いよ」
「お言葉に甘えさせてもらうよ。それと僕は緑茶がいい」
「ん、了解」
促されるままに洗面所を借りて冷たい水で顔を洗えば、幾分か気分はさっぱりとして目も冴えてくる。勝手知ったるなんとやらでタオルや洗顔料の場所はとっくの昔に把握済みだ。
二つ並んだお揃いの歯ブラシの片方を手に取って乱雑に歯を磨いていると、洗面所の片隅に空き缶や空き瓶でいっぱいになったビニール袋が置かれているのが鏡越しに目についた。
何気なく中身を確認してみれば、そこには大量のエナドリの空き缶にそれに勝るとも劣らないだけの数のチューハイの缶、ビール瓶などが詰め込まれている。
楽郎は普段一人では酒を飲まないのでこれは僕らが昨日空けたものだろう。別に下戸ではないつもりだったけれど、これだけ飲めば流石に潰れもするか。
「我ながら随分飲んだなぁ…あれ、この瓶何か汚れてる…?」
よく見るとその中に一つだけ黒い汚れが付着したビール瓶が入っている。醤油でも溢したのかと思ったけれど、それにしてはこびりつき方がおかしいような。
何故だかそれが無性に気になって仕方がない。胸のざわめきの命ずるままに袋から瓶を取り出して指でその汚れをなぞってみると、渇いてかさかさになった黒い塊が崩れるようにはがれ落ちた。
微かな生臭さと鉄のような匂いのするこれは、血の、痕——っ!?
「っ、うぶっ…おえっ…」
その汚れの正体に気が付いた瞬間。僕は全てを思い出し…こみ上げてくる吐き気に耐え切れず胃の中の物を洗面台にぶちまけた。
僕は、なんてことを…!
◆
『京極?連絡も無しに突然どうしたんだ?』
『やあ、せっかくの週末なんだしちょっと一杯付き合ってよ』
『別に飲むのは構わんが…その酒の量、一杯じゃなくて【いっぱい】の間違いでは?」
事前にメールの一つもしないでいきなり押しかけた僕の事を、楽郎は呆れたような目で見ながらも追い返すことなく受け入れてくれた。まあ僕はここの合鍵を貰っているのでダメと言われても居座るつもりではあったのだけど。
『それであのクソ上司がさぁ…!らくろー!聞いてる!?』
『はいはい聞いてるよ、いつも仕事お疲れ様』
粗探しと嫌味だけが取り柄のクソ爺やお高く留まってろくに仕事をしないお局様など。酒の力も手伝って日頃の不満は次から次へと沸いてきた。
楽郎はそんな僕の頭を乱暴な手つきでくしゃくしゃと撫でまわしながら労いの声をかけてくれた。
『楽郎はいいよねー、大好きなゲームをお仕事にしちゃってさ』
『これでもトレーニングとか結構大変なんだぜ?神ゲーは突然分身したりパンチを飛ばしたりして意表を突くことも出来ないし』
『このクソゲーマーめ……でも、やっぱり君が羨ましいよ』
思えばこの辺りから雲行きが怪しくなってきていた。
実家の力は借りたくないと意地を張って大学卒業と共に上京したはいいものの、無情な現実は自分がいかに胃の中の蛙であったのかを突き付けてくる。
そして、特に大きくも小さくもない会社でしがない平社員でしかない僕と違って楽郎はプロゲーマー期待の星として華々しい活躍を重ねていた。
だからだろうか、そんな彼に醜い嫉妬を向けてしまったのは。いや、そんなのは言い訳にもならない。
『おい、京極。もうその辺にしとけって!』
『うるさいうるさい!楽郎なんかには私の気持ちは分からないよ!!』
『ちょっ、危なっ!?』
暴れる僕を宥めようとした彼に向かって僕は傍に転がっていた空き瓶で…
◆
「…う極!おい京極、大丈夫か?」
「っあ…ら、くろう…?っ…うぷっ」
「ほら、一回全部吐いちまえ……これに懲りたら酒は程々にしておけよ?」
いつの間にかやって来ていた楽郎がそう言って背中をさする。どうやら二日酔いで体調を崩していると思っているらしい。
違うんだ、僕は君に謝らないと。
そんな思考とは裏腹に僕の口は意味のある言葉を発することなく汚い嗚咽を漏らし続けている。
楽郎を傷つけてしまった罪悪感と、彼に嫌われてしまったのではないかという恐怖で吐き気が止まらない。
一体どれくらいそうしていたのか、食べたものも飲んだものも、胃液さえをも全て吐き尽くした僕はそこでようやく楽郎の方へ向き直った。
「ったくひでー顔してるぞ。とりあえず口をすすいで…シャワー浴びる元気はあるか?」
楽郎は不思議なくらいにいつも通りだ。一瞬あれは悪酔いした僕が見た夢だったんじゃないか、なんて儚い希望にすがりたくなるけれど、彼の頭に巻かれた包帯がそんな愚かな逃避を許さない。
「シャワーはやめとこうかな…その、シンクを汚しちゃってごめん」
「このくらい気にすんな。カッツォの奴なんて前に人の背中にゲロぶちまけやがったからな…」
そうじゃないだろう龍宮院京極。謝るべきことは決まっているのに、いざ彼に向き合うと自分の口が思うように動かない。
いっそ思いっきり罵ってくれればいいのに、僕が昨日の事を忘れたままだと思っている楽郎は僕に何も告げる気は無いらしい。
「あっ、あの!楽ろ…」
「二日酔いにはライオットブラッドだ!本当は酒飲むときにこれで割ってレジストした方が効くんだが…っと、なんだ?」
「…ううん、何でもない」
──嗚呼、私はこんなにも浅ましい女だったのか。
何も知らないフリをして、楽郎の優しさに甘えてしまえと私の中の悪魔が囁く。
嫌われなくて良かったと、これも彼からの愛の証なのだと僕の中の天使が嘯く。
彼の瞳に映る私は、歪な笑みを浮かべていた。