俺に背を向け、京極が悠然と佇んでいる。
「…………」
カリスマモデルであるペンシルゴンや読モとして活動する瑠美と比べるのと流石に見劣りするものの、日々の鍛錬によって鍛えられた体幹と良家の子女として躾けられた姿勢の良さも相まって、その立ち姿は中々堂に入ったものだ。
「ふっ……どう、楽郎?」
「……どうと言われても」
京極の言わんとすることは分かる。
俺に何某かの感想を──それも恐らくは称賛を──求めているのだろう。
しかし過去に瑠美のファッションショーに散々付き合わされた経験のある俺をして、今の彼女の服装について迂闊に形容することは憚られる。
というのも……
「謎の格言がプリントされたTシャツを見せられてどうしろと…?」
達筆な筆文字で『東西敵無し』とでかでかと書かれたシャツの背中側を見せる京極に、至極真っ当なツッコミを入れる。
これが普通のお洒落着の類であるのなら、無難に褒め称えてお茶を濁すところなのだが。
そんな俺の反応は当然ながら京極はお気に召さなかったようで、やれやれと呆れたように首を横に振りながら俺の方へ向き直る。ちなみにシャツの正面側には『京極』の二文字が燦然と輝いている。
ふむ、これはあれだな。
「肌着に名前を書く小学生みたいな」
「ははは、斬新な辞世の句だね」
「いや、他に何を言えばいいんだよ!」
「格好いいとかクールだとかよく似合ってるとか色々あるでしょ!」
「待て、それが似合ってるというのは誉め言葉なのか?」
正直ドッキリか何かの可能性も考えていたんだが。
「まったく、この服の良さが分からないなんて楽郎もまだまだだね」
「クソゲーTシャツを着てる俺が言えた義理じゃないけど、その良さは分からない方が良い物だと思う」
「失礼な!これにはちゃんとした意味があるんだよ!しょうがない、ここは一つセンスの無い楽郎の為に僕が一肌脱いであげようじゃないか」
「脱がなくていいから勉強始めようぜ……」
そもそも今日は理数系が補習寸前の京極の勉強を見る為に龍宮院家にやって来たのであって、彼女の奇抜な服についての解説はまたの機会にお願いしたい。
ついうっかり「斬新なシャツだな」なんて口にしてしまった15分前の自分を恨む。鉛筆に女の子の私服は程よく誉めろと言われていたのを思い出したのは失敗だった。
京極は俺の控え目な反論など歯牙にもかけず、ドヤ顔でシャツに書かれた文言についての解説を始める。
「実は、僕のこの『京極』という名前は「京の西から東まで敵無し」って意味を籠めてお祖父様が付けてくれたものでね。昔からお祖父様のような最強の剣士に憧れていたからこれを聞いたときは本当に嬉しかったんだ」
「いいお祖父さんだったんだな」
「ありがとう。祖父としても師匠としても、僕の一番尊敬する大好きな人だよ」
龍宮院富嶽。
俺は彼の人のことはトレースAIを搭載したVR範士としての姿しか知らないが、京極にとってはきっと心から敬愛する祖父だったのだろう。
思い出話をする彼女の優し気な表情が、何よりもそれを雄弁に語っていた。
「つまり、このシャツはこの上なく僕に相応しい最高のデザインだという訳さ」
「その結論はどうなんだ…?」
理由を聞けば、彼女が京極という己の名や東西敵無しというワードに並々ならぬ思い入れを抱く気持ちも分かる。
分かるが、それをシャツに刻むかどうかは別問題ではないだろうか。
「本人がそれでいいなら俺からはもう何も言うことはないよ」
「むう、どうにも引っかかる物言いだなぁ。こんなに格好いいのに」
「お前のファンの連中がそれを見たら百年の恋も冷めると思うぞ」
「そんなことないさ!……まあ、そもそもここまでラフな姿を見せるのは家族以外だと楽郎くらいだから意味の無い想定だけどね」
「俺の前でももう少しちゃんとしてもいいんだぞ」
「嫌だよ面倒臭い」
「へいへい、それじゃいい加減勉強始めるぞ。まずは数学からな」
「うう……三角関数なんて知らなくても僕の人生困らないのに……」
「今まさに赤点の危機で困ってるだろ、ほらまずはここから──」
──教科書を開くなり情けなく呻き声を上げる京極の姿に呆れつつ、俺はこんな気の置けないやり取りを密かに心地よく感じていた。
◆
「あれ、確かあと一枚あったような…?」
空には雲一つない青空が広がり、流れる春風が心地よい、そんなある土曜日の昼下がり。
ベランダに干していた洗濯物を取り込んでいた俺は、回収したシャツが記憶よりも一枚少ないことに気が付いた。
まあ、こういう時の犯人に目星は付いているのだが。
「おーい京極、俺のTシャツが一枚見当たらないんだけど知らないか……って、やっぱりお前か」
部屋の中に入れば、俺のベッドの上で京極がうつ伏せになって端末を操作していた……何故か俺のクソゲーTシャツ姿で。
「あ、ちょっと借りてるよ」
「お前はなんで毎度当たり前のように俺のシャツを着てるんだ。京極の服も置いてあるだろ」
大学生になり一応お互い一人暮らしをしている身なのだが、京極があまりに頻繁に俺の家に寝泊まりするため着替えのシャツや下着類、歯ブラシや食器の類に至るまで、生活に必要な物はほぼ全て彼女の分まで常備されている。
最初の頃は京極もきちんと自分の服を着ていたと思うのだけれど、いつ頃からか彼女は寝間着や部屋着として俺の服を拝借するようになっていた。
「いいじゃん、別に減るもんじゃ無し」
「俺の着替えが一枚減るんだが」
「ケチなことは言いっこなしだよ。楽郎の服ってなんだか落ち着くんだよね」
そう言って京極は伏せた姿勢のまま足をバタバタさせ……
「おい、パンツ見えてるぞ」
「……楽郎のえっち」
「パンツどころかその中身まで何度も見てるのに何を今更」
「それとこれとは別問題なの!」
俺の指摘で急に恥ずかしくなったのか、京極はようやく体を起こすと俗に云う女の子座りをしてシャツの裾を下におろす。
それはそれで履いてないように見えて却って蠱惑的な気が……
「……楽郎、なんか目つきが本気でいやらしいんだけど」
「ソンナコトナイヨ?」
流石にこんな陽の高いうちから盛る気はない。
白々しい俺の否定にジト目を向けていた京極だが、何かを思いついたように手を合わせると話題を服の話に戻した。
「まったくもう……あ、そうだ」
「どうした?」
「着替えの枚数がどうこう言うなら、楽郎が私のシャツを着ればいいんじゃない?『東西敵無し』のシャツとかオススメだよ?」
「いや、サイズ的に無理だろ」
京極も別に特別背が低い訳ではないが、それでも男の俺とは結構な体格差がある。
「えー……ね、それじゃあ今度楽郎のサイズに合わせて同じデザインのシャツ作ろうよ」
「そうまでして俺にあのシャツを着せたいのか。お揃いなら他のデザインの市販品でよくないか?」
ペアルックというのもバカップル感が強くて中々気恥ずかしいのだが、彼女がどうしてもと望むのであれば否やは無い。
しかし京極はどうにも煮え切らない様子だ。
「うーん、別にお揃いにしたい訳じゃ……いや、それも魅力的だけど」
「だったら何で?」
「ほら、楽郎って意外と女の子から声かけられるでしょ、しかも断るの下手だし」
「……口下手で悪かったな。どっかの誰かみたいにファンに囲まれる生活に慣れて無いんだよ」
「うん、まあそれは仕方ないとして……ここらで君が誰のものなのか、はっきり名前を書いておこうかなってさ」
──そう言って彼女が洗濯物の山から取り出したシャツには、大きく『京極』の二文字が刻まれていた。