「ううん……
とある週末の夜。
夕食と風呂を終え、リビングで湯上がりのエナジーカイザーで喉を潤していると、目の前に座った瑠美が何やら唸りながら懊悩している。
手元の端末と俺との間を視線を彷徨わせては困ったように眉間に皺を寄せるその姿を怪訝に思っていると、瑠美はやがて何かを諦めたようにため息をひとつ吐き、ぽつりとひとりごちた。
「…………素材だけは、及第点なのよね」
「お前、さっきからどうしたんだ?」
褒めているのか貶しているのか判断に困る独り言に、先ほどからの疑問が口をつく。
そんな俺からの質問に対し、瑠美からは答え代わりに別の質問が返ってきた。
「ねえお兄ちゃん、明日って暇?」
「明日か?幕末にインするか……あとは街に買い物にでも――」
「よかった、暇なのね」
「おいこら」
「お兄ちゃんの買い物ってどうせゲームのワゴン漁りとかでしょ」
何という言い草。
いやまあ、確かにまだ見ぬクソゲーを探すのも目的の一つではあるのだけれど。
俺の軽い抗議など気にすることもなく、瑠美は続けて口を開く。
「実は、明日読モの雑誌撮影があるんだけど……来る予定だったモデルさんが一人怪我で来られなくなっちゃったらしくて」
「へー、大変だなぁ」
「現場の方もてんてこ舞いで、私たちに手の空いてる知り合いが居ないかって連絡が来たんだけど…」
「そうそう代わりも見つからない、と」
なるほど、雑誌の撮影スケジュールなど詳しいわけではないが、穴が空いたからといって気軽に「じゃあその人の分はまた後日」で済ませられるものでも無いだろう。
「うん、そこでお兄ちゃんにお願いがあるの」
「へっ?俺にモデルの知り合いなんて……一応いるけど、あいつは無理だぞ」
某カリスマモデル様の存在が脳裏をよぎるが、彼女もリアルではその名声に違わぬ忙しさだと聞いている。
撮影そのものは早く済むため他の同業者よりは暇な時間もあるとのことだが、明日いきなりというのは幾らなんでも無茶振りが過ぎる。
言い淀む様子で俺が誰を想像しているのか察したのだろう、瑠美が憤懣やるかたなしとばかりにまくし立てた。
「こんなことで永遠様のお手を煩わせるわけが無いでしょ!そもそも、来られなくなったモデルは男の人なの!」
「なんだ、そうなのか」
しかし、そうなるといよいよ俺に手伝えることがあるとは思えない。
強いて言うならカッツォならばメディア露出にも慣れているだろうが、企業所属のあいつではスケジュール的にも契約的にもペンシルゴン以上に難しそうだ。
話の先行きが読めず疑問符を浮かべる俺に、瑠美は予想外の「お願い」を口にする。
「というわけだから……お兄ちゃん、ちょっとモデルになってくれない?」
「…………はい?」
◆
翌日、俺は瑠美に連れられて街中の撮影スタジオを訪れていた。
オートロック越しに瑠美のIDで受付を済ませ、エレベーターで昇ること四階分。柱が少なく思った以上に広々と感じるフロアをモデルやスタッフたちが慌ただしく動き回っている。
「おはようございまーす」
「おはようございます陽務さん!……隣の彼が、例の?」
「はい、準備はいつもの場所で?」
「ええ、もう他のスタッフが入ってますので」
「分かりました……ほら、お兄ちゃん早く行くわよ」
「お、おう」
瑠美は何度か来たことのある現場らしく、通りすがりに関係者達と元気に挨拶を交わしながら勝手知ったる場所とばかりにずんずん奥へと進んでいく。
事前に話は大元通してあったようで、俺は紹介もそこそこに着替えとメイクのための控え室へと放り込まれた。
スケジュールが押しているのか、自己紹介もそこそこに鏡の前の椅子に座らされる。
「あらぁ、いいオトコねぇ!これはメイクのしがいがあるわ」
「ど、どうも……」
「瑠美ちゃんのお兄ちゃんって聞いてたから期待してたんだけど、想像以上のイケメンさんで嬉しくなっちゃう」
語尾にハートマークが付きそうなほど声を弾ませお茶目にウィンクを飛ばす
エリュシオン氏や青聖杯を使った秋津茜を彷彿とさせる筋骨隆々のナイスガイな彼はこの道では有名なスタイリストらしく、小一時間ほど経った頃には自分でも驚くほどの変貌を遂げていた。
「うん、我ながら上出来ね!」
「おお、これがプロの技……」
鏡に映った己の姿に思わず感嘆の息を漏らす。
瑠美と違って平々凡々な高校生に過ぎないはずの俺が、雑誌からそのまま飛び出してきたかのような好青年と化している。
自分の仕事に満足したのか、或いは目を瞬かせて驚愕する俺のリアクションがお気に召したのか、にこやかに微笑みながらしきりに頷く彼と鏡越しに目が合った。
「その様子だよ私の仕事は気に入ってくれたみたいね」
「いやあ、モデルになってくれなんて妹から無茶振りされた時はどうなることかと思ったんですけど、化粧と服装でここまで変わるものなんすね」
「お褒めにあずかり光栄だわ……でも、元々の素材が良いからこそよ?」
「いやいや、俺なんて万年ジャージの高校生っすよ」
おかげで普段は瑠美からは呆れられるばかりだ。
素直にそう伝えれば、彼は信じがたいものを見る目で俺を見つめてくる。
「なんて勿体ない……ねえ、せっかくだしこのまま本格的にモデル業を始めてみない?」
「ははは……お言葉だけ有難く受け取っときます」
半ば本気の目の色をした彼からの提案を苦笑交じりにやんわり断っていると、控室の入り口から瑠美が顔を覗かせた。
「お兄ちゃん、そろそろ撮影始めるから来てほしいって」
「おう、今行くー!」
◆
意外にも撮影そのものはスムーズに進んだ。
モデルの経験などなかった俺であるが、いつぞやの
あれやこれやと指一本の位置に至るまで口煩く指示を出された時には辟易としたものだが、今だけはあいつに感謝してもいい。
「そこはもう少し目線を下に……うん、いいよ!」
指示に合わせて軽く顎を引き、視線を落とすとシャッター音が連続して響いた。
撮影データを確認したカメラマンからOKが出ると、詰めていた息を吐き出して姿勢を崩す。
自分の撮影を終え、いつのまにか見学していた瑠美が驚きと関心の入り混じった声で俺に話しかけてきた。
「お兄ちゃん、意外と様になってるじゃない」
「へいへい、そいつは何よりだ」
「お疲れ様でした!いやあ、流石は瑠美ちゃんのお兄さん」
「あ、お疲れ様です」
俺と瑠美の元にやってきたのは、今回の現場責任者のお姉さんだ。
彼女のにこやかな笑顔を見るに、プロの目からしても一応は俺の仕事も及第点をもらえるらしい。
「正直、急なお願いだったからどうなるかと思ったけど、期待以上よ!」
彼女は名刺を一枚渡しながら、興奮気味の口調で続ける。
「今日は本当にありがとう……陽務くん、貴方にまた仕事をお願いしてもいいかしら?」
「ええっとその……忙しくない時でしたら」
「期待してるわよ?今回の本が出来たら瑠美ちゃん経由で送るわね」
既視感のあるやりとりをやんわりと躱しながら、俺と瑠美はスタジオを後にする。
単発のバイトとしてはかなり割が良かったものの、慣れない役目ですっかり気疲れしてしまった。できれば今後はもう勘弁願いたい。
何はともあれこれで
帰路につく傍らで、ついでとばかりに俺は瑠美にとある相談を持ち掛けた。
「なあ瑠美、この後ちょっと買い物に付き合ってくれないか?」
「ええ……ゲームくらい一人で買いにいけば?」
「いや、今日買いたいのはゲームじゃなくてだな――」
◆
――そして、撮影から一月ほどが経ったある日のこと。
「はよーっす……って、あれ?」
「楽郎、どうかした?」
その日、剣道部の朝練が休みだった京極と連れ立って登校した楽郎は、教室に入った瞬間に空気の変化を感じて首を傾げる。
彼らが教室の戸を開けた時、一瞬室内の会話が止んでクラスメイト達の視線が楽郎に集中した為だ。
「いや……何か妙に見られてるような」
「そう?いつもこんなもんじゃない?」
人気者である京極ならばこの程度の注目も日常茶飯時なのだろうが、今日は何やら様子がおかしいと、楽郎は尚も怪訝な顔をしている。
一瞬の静寂の後にざわめきを取り戻した教室で、居心地が悪そうにしながら自席へと座ると、幾人かの女子の集団が見覚えのある雑誌を片手に楽郎に話しかけてきた。
「あの……これ、陽務君だよね?」
「へっ?…………ああ、成程さっきからの視線はこれのせいか」
先日瑠美に頼まれてモデルを務めたファッション誌を差し出されたことにより、楽郎はおおよその事情を把握した。
ご丁寧に該当ページを開いてあったため、着飾ってキメ顔をした自分の姿を直視する羽目になり聊かならず気恥ずかしい。
暗に先の質問を肯定するその楽郎の反応に、女子達の間できゃあきゃあと黄色い悲鳴が上がる。
「やっぱり本人なんだ⁉」
「えっ、陽務君モデルだったの?」
「いや、これは妹に人が足りないからって急に頼まれて……」
「そういえば妹さん読モなんだっけ」
楽郎本人にお洒落をする気が無いため普段はあまり目立たないが、瑠美と同じ血を引いているだけあって元々の素材は良い。
彼の隠れた魅力に気が付いた女子達がにわかにざわめく中、楽郎の隣で雑誌に目を落とした京極は、驚きのあまりぽかんと口を開けたまま硬直している。
「ら、楽郎……こんなことしてたの⁉」
「これ一回だけな、バイト代も結構良かったし」
「……ふうん」
「京極?どうし――」
「おーいお前ら、ホームルーム始めるぞー」
楽郎のその返答に、どこかつまらなさそうに鼻を鳴らして京極はぷいと視線を逸らす。
彼女の反応を怪訝に思って声をかけようとした楽郎だったが、ちょうどそのタイミングで教室の戸が開き、担任がホームルームの開始を告げる。
足早に自分の席へと戻ってしまった京極に幾度か視線を向けたものの、彼女の目が楽郎と合うことはついぞ無かった。
◆
「なあ、何をそんなに怒ってるんだよ」
放課後、いつものように京極と肩を並べて帰路に付いていた楽郎は、周囲に他の人影が無くなったタイミングを見計らって率直に尋ねた。
朝のホームルームが終わった後も京極は妙に不機嫌で、こうして二人きりになっても未だむっつりと押し黙っている。
昼休みなどにも声をかけようとしたのだが、楽郎が載ったファッション誌は思った以上に女子達の間では人気の雑誌だったらしく、ひっきりなしに質問攻めにあって今に至るまで落ち着いて話すことも出来ずにいた。
「……別に、怒ってないから」
「いやいや、その眉間の皴で怒ってないは無理があるだろ」
幕末で不意打ちしたり対ランカーの囮に使った時でもここまで怖い顔はしていなかった。
京極は困惑気味に首を傾げる楽郎を一瞥すると、呆れたように深いため息を一つ吐いて重たい口を開く。
「はぁ……ねえ楽郎、どうしてモデルなんて引き受けたのさ?」
「へっ?」
唐突な質問に、思わず間の抜けた声が漏れる。
「いや、あれは他に宛てが無いからどうしてもって瑠美に頼まれて」
「……でも、別に楽郎が名指しで指定された訳じゃないんでしょ?」
「それはそうだけども」
どうやら京極は俺がモデルのバイトをしたことにご不満らしい。
一体何がそんなに気になるのか判然としないまま言葉少なに歩くこと暫し、京極はバツが悪そうな顔をしながらおずおずと素直な心情を吐露した。
「……楽郎、女の子たちに囲まれてデレデレしてた」
「いやいや、そんな顔してないって」
「してたの!……それに、あの子たちだって急に格好いいとかイケメンだとか騒ぎ出して……」
教室での光景を思い出して怒りを再燃させる京極だが、隣でそれを見ている楽郎はにやけてしまいそうになる表情筋を抑えるのに必死だった。
つまり彼女はモデルをしたことそのものではなく、それにより女子に囲まれる楽郎にやきもちを焼いていたらしい。
可愛い恋人の嫉妬に微笑ましい気持ちになりながら、楽郎はその場に立ち止まると、鞄の奥に大事に閉まってあった小箱を取り出した。
本当は数日後にロマンチックなシチュエーションで渡すつもりだったのだが、京極をこれ以上ご機嫌ナナメなままにしておくのも忍びない。
「なあ京極」
「なあに、浮気者」
「誰が浮気者だコラ」
尚もふくれっ面をした彼女と軽口を叩きながら、何気なく
「……何、これ?」
「ちょっと早いけど、お前の誕生日プレゼント」
「へっ?」
「選んだのは俺だけど、一応瑠美にも相談したから中身には自信あるぞ」
結構高かったんだからな、と悪戯が成功した子供のようにケラケラと笑って告げられた言葉に、京極は先ほどまでの憤りも忘れて呆然とその場に立ち尽くした。
「…………えっ?」
「今年のプレゼント悩んでたところに瑠美がバイトの話を持ってきたから丁度良くってさ……まあでも、誰かさんを怒らせたくないし、これっきりにしておくよ」
「うう……馬鹿、プレゼントなんて、何でもいいのに……」
「俺が渡したかったんだよ……それじゃダメか?」
「……ダメじゃない」
じわじわと遅れて喜びが沸き上がり、嬉しさと恥ずかしさと諸々の感情が綯い交ぜになって京極の頬が熱くなる。
楽郎の顔を直視できず、ぷいっと顔を背けたものの、赤くなった耳が楽郎からも丸見えだった。
「楽郎……その、ありがとう」
「どういたしまして」
「あとね……その、モデルをしてた楽郎も」
――格好良かったよ、という素直な彼女の呟きは、初夏のそよ風に紛れて消えた。