◇すぐおいしい、すごくおいしい
電気ケトルで沸かした湯を丼の中に注ぎ込む。麺の窪みに入れておいた生卵の白身が熱で白く固まっていくのを見ながらラップで蓋をして、三分後にタイマーをセットする。
あとはただ待てばいいのだからインスタントラーメンと言うものは実に便利だ。
(さて、これを食べたらシャンフロに戻って…レベリングも兼ねて素材集めでもするか)
戸棚から割り箸を取り出しながら、これからのタスクに思索を巡らせる。
今夜はクランメンバーのログイン率があまり高くない。まだ見ぬエリアの開拓に乗り出すには些か心もとない布陣故、ここは無理せず無難に周回でいいだろう。
pipipipipi——
大まかな見通しが立ったところでタイマーのアラームが夕食の完成を告げる。
満を持してラップを剥がせば鶏ガラスープの香りがふわりと漂い、それまで意識していなかった空腹中枢がくぅ、っと刺激される。
VRシステムの
仕上げにフリーズドライのネギを散らし、さあ食べようと箸を持って手を合わせる。
「よし、いただきます」
「よし、じゃないですよ」
…む?
「なんだ、楽郎来ていたのか」
「来てたんですよ、百さんがラーメン丼とにらめっこしてる最中に」
一応メールも送ったんですが、という楽郎の言葉にバッグの中から端末を取り出して確認すれば、こちらに向かう旨のメッセージが何通か届いていた。
待てど暮らせど既読すらつかないので私がシャンフロに熱中しすぎてまた食事を疎かにしているのではないかと不安になり、以前渡した合鍵で入って来たらしい。これは余計な手間をかけさせてしまったな。
「連絡を返さなかったのはすまなかった。だが心配するな、確かについ先ほどまでシャンフロにインしていたが、私はこうしてきちんと夕食を摂っている」
「…百さん、インスタントを食べるなとは言いませんけど、それだけじゃ栄養偏っちゃいますよ。せめて副菜にサラダをつけるとか…」
「楽郎が煩いから最近は少しは気を使っているぞ。ほら、ちゃんと卵とネギがあるだろう」
「くそっ、それだけのことに感心してしまう自分がいる…!」
慣れって怖い…!などと呟きながら何やら謎の葛藤をしている楽郎を眺めつつラーメンを啜る。
一人暮らしにもすっかり慣れた私だが、それでもやはり誰かと顔を突き合わせながら食べる食事というのはいいものだ。
「楽郎は夕飯は何か食べたのか?ラーメンの買い置きならまだあるから好きなのを食べるといい」
「あーじゃあ、百さんと同じやつ貰いますね…と、これも良かったら食べてください」
そう言って楽郎は鞄から幾つかのタッパーを取り出してテーブルに並べていく。
見ればそこにはさんまの生姜煮や鮭のホイル焼き、りんご入りのポテトサラダなどのお惣菜が詰め込まれていた。
「いつもありがとう…うん、美味しい」
「良かった、親父が釣ってきた大量の魚がうちの冷蔵庫を占拠してるんで、食べてもらえると助かります」
隣に座った楽郎が、以前彼用に買い足した丼に自分の分のラーメンを入れながら無邪気に笑う。
そういえば玲から聞いた話だと先日お爺様も
それから私たちは互いの日常の話をしながら箸を進めていった。といっても私たちの日常など半ば以上がゲームで占められており、話題も自然とそちらに偏る。
「最近あまりシャンフロに顔を出していないようだが、また何か別のゲームをしているのか?」
「今ちょっと幕末の方が盛り上がってまして、昨日は京極の奴がランカーの一人を天誅する大金星を挙げたんですよ…まあそのあとドヤ顔で勝鬨を上げてる最中に速攻で天誅されたんすけど」
「ふふっ、あいつもまだまだ甘いな…」
「百さんの方はどうです?なんか大きなイベントとかありました?」
「今はひとまず小康状態といったところか、いつかリュカオーンと相見えた時に備えてこちらも日々牙を研いでいるよ」
「いつもの事ながら凄い熱意ですね…」
「私はそのためにシャンフロをしていると言っても過言では無いからな。だから、楽郎ももし何かリュカオーンに関する情報を得た時には…!」
「近い近い近い!お、俺に出来る範囲であれば協力しますから!」
「っ…と、すまない。だが本当に頼んだぞ、その時には礼は惜しまない」
思わず身を乗り出して迫る私に、頬をほんのりと朱に染めた楽郎が仰け反りながら答える。
まるで楽郎を押し倒すような姿勢になっていることに私も多少の気恥ずかしさを覚えたが、そんな内心は努めて隠して改めて彼から言質を取った。
「よし、それでは早速私たちの周回に付き合ってもらおうか。実をいうと今夜は少々DPSが心許なくてな」
「早速っすね…まあ今は急ぎのクエストとかも抱えてないんでいいですけど」
仕方ないなと言いたげな口ぶりの楽郎だが、そんな態度とは裏腹に内心意外と乗り気なのだと察せられる程度には私も彼を知っている。
そうと決まれば善は急げだ。残っていたラーメンスープを勢いよく飲み干して、私達は共に
◇フレグランスは税込398円
それは連日のカップ麺生活に危機感を覚え、数日ぶりに台所に立ったある日の事。
使い終わった鍋や食器を食器洗い器に放り込んでいると、つい先ほど風呂に入ったはずの百さんが後ろから声をかけてきた。
「楽郎、上がったぞ」
「え、百さんもう出てきたんですか?数日ぶりの風呂なんですし、もう少しゆっくり入ってても良かったのに」
ペンシルゴン辺りが聞けば絶叫&説教間違い無しなことであるが、実を言うと俺達はここ何日か風呂にも入っていなかったりする。
人の事を言えた義理では無いが、百さんの風呂は男の俺と比べても尚早く、烏の行水もかくやといったところだ。
「ずっと冷房の効いた家でゲームをしていただけだからな、さほど汗もかいて居ないし問題ない」
「にしたっていくら何でも早すぎでは、風呂に入ってからまだ十分も……ああほら、ちょっとそこに座ってください」
振り返りざまに目に映った光景に、食器を洗う手を止めてベッド脇に置かれたクッションを指し示す。
この人は全く…
「?どうした?それより楽郎も早く風呂に入ってこい、今夜は素材集めの続きをだな…」
「はいはい、あとでいくらでも付き合いますからまずはこっちを終わらせましょう…百さん、また髪ちゃんと乾かさないで出てきたでしょう」
乱雑に拭っただけと思しき百さんの髪はまだしっとりとした重たい質感を残していて、毛先からは時折ぽたりと小さな雫が落ちている。
俺の指摘に「そのとおりだが?」と一切の躊躇いもなく頷く彼女は相も変わらず格好いいが、流石にこれはどうなのだろう。
ドライヤーの音も全く聞こえなかったし、どうやら本当に自然乾燥に任せるつもりらしい。
「ペンシルゴンとかうちの妹ほどにお洒落しろとは言いませんけど、もう少しお手入れしてあげましょうよ…」
「別に見苦しくない程度に整えておけばそれでいいだろう…」
渋々ながらも百さんがクッションに座ってくれたところで、俺は彼女の首にかかっていたタオルを抜き取って後ろからそっと頭に被せる。
タオルで髪を挟み込み、ぽんぽんと軽く叩くようにして水気を取っていくと、百さんはむず痒そうに首を竦めた。
…なんだか、濡れ鼠になった大きな猫を乾かしている気分だ。
「まあ俺も概ね同意見ではあるんですが、百さんせっかく綺麗な髪してるんだからもったいないですよ」
「……………そうか」
大体の水気が取れたところで、俺は役得とばかりに百さんの髪を整えながら手櫛で軽く梳いていく。
日頃乱雑な扱いを受けているにも関わらず百さんの髪はサラサラで、髪質故の癖はあれども全く引っかかることが無い。
俺と同じ安物のリンスインシャンプーを使っている筈なのに、俺とは全く違うこの甘やかな香りはなんなのだろうか。
「…はい、これでよしっと。終わりましたよ」
名残惜しく思いつつも百さんに髪を乾かし終えたことを告げる俺だったが、そこで彼女は思いもよらない行動に出た。
「なんだ、もう終わってしまったのか……ていっ」
「も、百さん!?」
ぽすりと俺に背を預けるようにしてもたれ掛かってきた百さんを慌てて受け止めると、自然と彼女を後ろから抱きしめるような姿勢になった。
肩越しに見える悪戯気な笑みは、まるで俺の内心などお見通しだと言われているかのようでなんだかとても照れ臭い。
せめてもの抵抗とばかりに百さんの腰に回した腕に力を込めれば、彼女はますます脱力してすっかり俺に身を預けてくる。
「夜は長いんだ、もう少しくらいこうしていてもバチはあたるまいよ」
「は、はい…」
早鐘を打つ心臓がやかましい。夏の気温とは別の理由で体中が熱くなる。
石鹸とシャンプーの甘い匂いに包まれて、俺たちの夜は更けていった。