「……ん、む……ふわぁ……」
未だ太陽も地平線の先に沈んだままの、或る日の未明ごろ。
京極は自室の布団の上で寝苦し気にしながら目を覚ました。身体が汗でべとついて気持ちが悪い。
「暑……うわ、シーツまでぐっちょりだ」
欠伸交じりに上腿を起こすと、肌から薄手のタオルケットが滑り落ちる。
寝床がじっとりと湿っていることに気付いた彼女は自嘲交じりに苦笑しつつ部屋の冷房を強めた。
枕元の時計を見ると、今は朝四時を少し過ぎた頃。日頃鍛錬で早起きが多い京極といえども流石に二度寝の誘惑に屈する時間帯だ。
特に昨夜は随分と夜更かししたこともあり、今も気を抜けば意識が飛びそうなくらい瞼が重い。
このまま微睡に身を任せたい衝動に駆られる京極であったが、身体を包む不快感は如何ともしがたく、彼女はため息を一つ吐いてのろのろと布団から抜け出した。
「大浴場……まではいいか、とりあえずシャワーだけ浴びてこよう」
誰に言うでもなしに独り言ちると、下着の上にシャツを羽織っただけのラフな格好で部屋を出てシャワーに向かう。
行儀作法に厳しい祖母や母に見つかれば間違いなく雷が落ちるだろうが、幸いなことに今日は他の龍宮院家の面々は出払っている。
京極はそのまま人気の無い廊下を歩き、脱衣所で乱雑に服を脱ぎ捨てると、少しぬるめのシャワーを頭から浴びた。
勢いよく打ち付ける水流が、夜の残滓を清めていく。
(ふぅ、昨日はちょっとやりすぎちゃったかな)
他の家族がいないのをいいことに、我を忘れて深夜まで盛り上がってしまったことを思い返し、京極は内省する。おかげですっかり寝不足だ。
欠伸を噛み殺し、タオルで身体を洗いながら考えるのは昨夜のこと。
「あーあ……それもこれも、みーんな楽郎のせいだ」
自分も大概乗り気だったことも忘れ、すべてを楽郎に責任転嫁する。
彼から受けた数々の所業が脳裏を過り、身体の奥がじわりと再び熱を持ち始めてしまう。
苛烈な残像を振り払うようにかぶりを振ると、伸び始めた黒髪の先から雫がパラパラと散らばった。
湯気で曇りかけた鏡の中の自分と目が合い、己に誓うように低く呟く。
「次こそは覚悟してなよサンラクぅ……!昨夜の天誅の借りも絶対忘れないからね……!」
嗚呼、思い出すだに忌々しい。完全に共闘の構えを見せていたサンラクにまんまと騙された自分の間抜けさに頭が痛くなる。
幕末とはそういうゲームで、
「まったく、楽郎ってば本当に女心が分かってないんだから」
肉盾貫通型奇襲式天誅に利用された後、日付が変わるまで城下町を追い回し続けていたものの、途中から再び他のプレイヤー達との乱戦になってしまって結局彼へのリベンジは叶わなかった。
この恨み晴らさでおくべきかと楽郎への思いを募らせながら、汗を流して幾分すっきりした心地でシャワールームを後にする。
脱衣所で軽く身体を拭き、ドライヤーで髪を乾かしていた彼女はそこでふと気づく。
「しまった、着替え持ってくるの忘れてた」
洗濯籠の中にあるのは、汗で濡れたシャツと下着だけ。せっかく身綺麗になったところにこれを着直すのは気が進まない。
はしたないとは思いつつも、タオルを巻いて部屋に戻ろうとして……京極の目に、
「…………あの、バカっ!」
身支度も忘れ、早朝の廊下をドタバタと駆け抜ける。
スパァンっ!と勢いよく自室の襖を開いた京極は、怒りのままに掛け布団を引っぺがし、未だぐっすりと眠っている楽郎を叩き起こした。
「ちょっと楽郎!これ、どういうこと!?」
「んんっ……朝っぱらから何だよ……?」
京極と同様に寝不足だった楽郎は、突然の彼女の狼藉に眉根を寄せる。
布団を奪われて、ボクサーパンツ一枚の格好が露になる。冷房の風が直に触れ、彼は肌寒さにぶるりと身を震わせた。
状況が掴めず困惑している楽郎に、京極はぷんすこと怒りを主張しながた自分の首筋に残る紅い鬱血痕を指さして抗議する。
「バレると大変だから、痕は付けないでって言ったでしょ!」
「シャツ着たら隠れるからいいだろ……」
「体育とか着替えの時に困るの!稽古終わりには門下生の皆で大浴場にも行くし……!」
「あー……悪かった、次は気を付けるよ」
流石に分が悪いと判断したのか、気まずげに視線を逸らしつつ楽郎が謝罪する。
しかし京極は未だご不満なようで、ジト目で彼を見据えて口を開く。
「……楽郎、こないだもそう言ってた」
「ぐっ……いや、だってお前がいい反応するからつい」
「馬鹿!鬼畜!変態っ!」
「誰が変態だコラ、そんな格好で突撃してきた奴には言われたくねえよ」
「⁉こ、これはその」
楽郎に指摘され、京極はそこで改めて自分の状態を思い出した。申し訳程度に身に着けたタオルは廊下を駆けた拍子にずれていて、昇り始めた朝の陽射しが濡れた髪と剥き出しの肩を淡く照らしている。
怒りとは別の理由で顔を真っ赤にして慌てて落ちていたシーツを拾って身体を隠す。楽郎が目を合わせようとしないのはどうやらこのせいでもあったようだ。
彼もまた耳をほんのりと赤くして、奪われた布団の端を自分の方へ引き寄せた。
「…………」
「…………」
暫し、沈黙が部屋を満たす。
窓の外では空が白み、小鳥が楽し気に囀っていた。
二人はお互いに視線を送っては逸らしてを繰り返していたが、やがてどちらからともなくクスクスと小さな笑いが零れる。
「……ふっ」
「は、はは……」
楽郎が欠伸を噛み殺し、何気ない調子で口を開く。それに対し、京極もまたごく自然に軽口を返した。
「ふわぁ……もう一回寝るか」
「そうだね、誰かさんのお陰で寝不足だし」
「お前も乗り気だっただろ」
「さて、なんのことやら」
楽郎が身体を寄せ、布団の片側にスペースを空ける。京極はするりと潜り込むと、そのまま彼の胸板に顔を埋める。
昨夜愛を交わしてそのまま寝落ちてしまった楽郎の身体は未だべたべたしていて汗臭いのに、不思議と京極の心を落ち着かせた。とくん、とくんと穏やかに刻まれる命の鼓動が心地よい。
「……重い」
楽郎が小さく形だけの文句をつける。そう言いながらも腕は京極の背に回され、彼女の細くしなやかな身体を優しく抱きしめていた。
「重くない」
京極は顔を上げないまま、彼の言葉に反論する。
二人は互いの温もりに包まれながら、微睡に身を任せて夢の世界へと旅立った。