「わぁ、これは凄い……!」
目の前に広がる光景に思わず感嘆の声を漏らす。
手を触れられそうな距離を通り過ぎるイルカ、舞うように優雅に漂うクラゲの間をイワシの群れが泳いでいく。
最新鋭のARシステムを併用して作られたという水槽は、まるで自分が海の中を歩いているかのような錯覚を見るものに与えてくれる。
クソゲー神ゲー問わず様々なゲームで海中散歩を嗜んだことのある俺をして、それらのどれよりも圧倒的なリアリティを湛えていた。
「落ち着け楽郎、水族館の魚は逃げないぞ」
背後から聞こえたその声にハッと我に帰る。
振り向いた先にいる百さんの幼子を見守るような視線がむず痒い。
「いやあ、実は水族館って生まれて初めて来たもので」
「そうだったのか?それなら誘った甲斐もあるというものだ」
今日は百さんが取引先から貰ったという水族館の優待チケットを使って久々のお出かけデートである。
時間に余裕のある大学生の自分と違い、社会人である百さんは多忙な身だ。まあ、その多忙さの何割かはシャンフロのクラン運営と自身の育成が所以であるのだけれど。
そんな廃ゲーマーとクソゲーマーのカップルであるからして、普段の休日は何かしらのゲームにインしっぱなしなことが常で、こうして普通のレジャー施設を訪れることはリュカオーンとのランダムエンカ並のレアケースである。
つまり有り体に言って、俺はこの日を大層心待ちにしていた。
「何分うちの父は魚と言えば釣りな人間だったもので」
「そういえば楽郎の父上はうちのお祖父様の釣り仲間だったか、いやはや世界は狭いな」
「釣りトークで場を繋いでたらいきなり父の名前が出てきて心臓止まるかと思いましたよ」
あれ以来両親の人間関係がどんなことになっているのか気になって仕方がない。
一応問い詰めてはみたものの、父も母も「同好の士だ」としか言わないので結局詳細は不明なままだ。
「まあいいじゃないか、おかげでお祖父様との仲も縮まったんだろう?」
「その点については確かに感謝していないこと
も無いですけど、誰にも話した覚えの無い幼少期のエピソードに突然触れられるのは精神衛生上よろしくないと言いますか……」
「……ほう、それは私も初耳だな」
「そりゃ言ってないですからね」
下手すると自分でも覚えてないくらい小さい頃のエピソードまで話しだされるとリアクションに非常に困る。
ヒラマサに釣られた時のように俺の記憶がはっきりしているのは寧ろレアケースで、小学校入学以前の方が面白エピソードが豊富らしいと気がついた時には頭を抱えた。
これが親戚の叔父さんならば適当な愛想笑いで乗り切るのだが、恋人の祖父が相手となるとどうしても対応に苦慮せざるをえない。
「そんな訳でお祖父さんと……百さん、何か怒ってます?」
「何を言っているんだ楽郎、怒ってなどいないさ」
「いや、でもその」
「ほら、こんなに笑顔の人間が怒っている筈が無いだろう?」
いや怖いわ!
笑うという行為は本来攻撃的なものである、とは何処で見た言葉だっただろうか。
その言葉の真贋はさておき、今俺は表面上はにこやかな百さんの笑顔から肉食獣と直面したかのような恐怖をひしひしと感じていた。
「……んんっ、そう怯えるな。別にとって食おうという訳じゃない」
そんな俺の恐怖が伝わったのだろうか、百さんは少し気まずそうに咳払いをして弁明する。
「せっかくの久しぶりのデートなんだ、わざわざ喧嘩をするのも馬鹿らしいだろう?」
「それはそうですけど…俺、何か変なこと言いましたか?」
「いや、本当に楽郎が悪いわけではないんだが……その、お祖父様だけズルいじゃないか」
「ズルい?」
いつもはっきりと物事を言う百さんにしては珍しく歯切れが悪い。そして、彼女が数瞬言い淀んだ末に漏らした言葉の意味を、俺は理解出来なかった。
「……笑うなよ?」
「笑いませんよ」
「…………私が知らない楽郎のことをお祖父様だけ知っているなんてズルいと言ったんだ」
「ええ……」
「む、なんだその呆れ顔は。恋人のことをもっと知りたいと思うのは至って当然のことだろう」
「そう言われると悪い気はしないですけど、さっきも言ったようにそもそも俺自身覚えてないことが多いのはどうしようも無いじゃないですか」
曲がりなりにも俺を想う故の不満と知って内心嬉しく思うものの、こればかりは……と宥めすかしているその時。視界を横切るARスルメイカの姿に、幼少期のとある記憶が呼び起こされた。
「あっ」
「どうした?」
「いえ、ご期待に添えるかは分かりませんが一つ子供の頃の話を思い出しまして」
「ほう?それはいい、幸い今日は時間はたっぷりあるんだ、館内を探索しながらゆっくりお前の話を聞かせてくれ」
俺の腕を取りながら不敵に笑ってそう言う百さんは、なんだかとっても可愛かった。