徒然なるインベントリア:シャンフロの小話   作:イナロー

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硬梨菜先生曰く「ヤンデレ秋津茜は監禁まで「やる」よ」

※監禁、病み描写あり



ねばーぎぶあっぷ※

 

 ──諦めることが、嫌いだった。

 

 

「ただいま帰りました!」

 

 いつも通りの仕事とトレーニングを終えた紅音は、ハードな一日にも関わらず疲れを全く感じさせない快活な声で帰宅を告げる。

 女子陸上競技の日本代表としてそれなり以上の収入を得ている紅音であるが、華美な生活を好まない彼女は職場やジムに通うことの出来るギリギリの距離に慎ましく居を構えていた。

 都会の喧騒から幾ばくか離れた、自然豊かな土地にぽつりと佇むその家は小さいながらもセキュリティは万全で、静脈認証に網膜認証、その他様々なシステムによって紅音の許可無く出入りすることは適わない。

 それでも念のためにと時代遅れ(アナログ)なチェーンロックを欠かさないのは生来の真面目さによるものか、はたまた過去の痛い失敗に学んだが故か。

 紅音は期待した返事が返ってこないことに一抹の寂しさを覚えたものの、彼女の声に反応してガチャガチャと物音が聞こえたことで、たちまち表情を綻ばせた。

 外履きを脱いだ紅音は持っていた鞄や上着を廊下に放り出すと、一分一秒を惜しむように家の中心部に位置する部屋へ向かって駆け出した。『──ロックを、解除します』というゆっくりとした電子音声と共に部屋の鍵が開くやいなや、彼女は中に居た人物へと改めて帰宅の報を告げる。

 

「遅くなってすみません楽郎さん!ただいま帰りました!」

「っ……おかえり、紅音」

 

 紅音の姿を認めた瞬間、苦虫を噛み潰したような顔をした楽郎であったが、詰めていた息を吐き出すとどこか捨て鉢な笑みを貼り付けて彼女を出迎える。

 愛する人からの「おかえり」の言葉に天にも昇る心地になった紅音は、しかし次の瞬間に血相を変え、慌てて楽郎に詰め寄った。

 

「楽郎さんっ!血が!?」

 

 手錠をかけられた(・・・・・・・・)部分から血を流している楽郎に気が付いて、紅音は先ほどまでの愉悦を忘れてあわあわと慌てふためいている。

 幸いさほど深くは無いようだが、手首をぐるりと一周するように皮膚が裂けたその傷は見た目に大層痛々しく、ぽたりと垂れた血液がカーペットを紅く汚していた。

 こうならないようにちゃんと準備した筈なのに、と混乱しつつも紅音が周囲を見渡せば、手首を保護する為に着けていた紅音と揃いのリストバンドが摩擦で千切れ落ちている。

 部屋の状況を検めてその原因を察した紅音は、まるで悪戯した幼子に向けるかのごとき口振りで楽郎を叱りつけた。

 

「もう!駄目じゃないですか楽郎さん、また勝手に外に出ようとしましたね?」

「……なぁ、紅音」

「ああ、こんなに無茶をして……待っててください、今救急箱を持って──」

「紅音!!」

「はっ、はい!?」

 

 怒っているような、哀願するような……或いは、泣き出す寸前のような楽郎の叫びを聞き、紅音はびくりとその動きを止める。

 その素直な反応に、出会ったばかりの頃の純粋無垢な秋津茜の姿を垣間見た楽郎は一縷の望みを籠めて紅音の説得を試みる。 

 

「お願いだ、こんなことはもう止めよう」

「楽郎さん……」

「間違えることは誰だってある……きっと、今からでもやり直せる」

 

 どこで運命のボタンを掛け違えてしまったのか、楽郎にその自覚はない。

 けれどこれまでに培ってきた経験が、積み重ねてきた思い出が、どうしても目の前の彼女の善性を諦めさせてはくれなくて。

 そんな彼の眩さを直視して、ぞくりとした快感が紅音の背筋を走る。

 ちゅ、と今も尚血を垂れ流す楽郎の手首に口づけを落とし、紅音は熱に浮かされた瞳で彼を見据えて告げる。

 

「大好きです楽郎さん!だから私と、ずぅっと一緒にいましょうね!」

 

 

 ──諦めない人が、好きだった。

 

 

 隠岐紅音が闘士(ベルセルク)サンラクでも開拓者サンラクでもない陽務楽郎と初めて出会ったのは、彼女が高校生になって最初の夏休みのことだった。

 

「初めましてっ!あなたがサンラクさんですか?」

「おう、そういう君は……秋津茜か、本当にアバターそのままだなぁ」

 

 待望の旅狼のオフ会で楽郎に出会ったその瞬間、胸を満たしたときめきを、紅音は今でも覚えている。

 暖かな陽だまりのような彼の笑顔に照らされて早鐘のように激しく脈打つ心臓が、これこそが「恋」と呼ぶのもなのだと、何よりも如実に紅音の心に教えてくれた。

 初めて知った恋の味は甘くて、切なくて、愛おしくて。

 他の皆が居なければ、その場で彼に抱きついて告白していたかもしれない。

 ……否、他の人のことなど気にせずに、心の赴くままにありのままの想いを告げるべきだったのだろう。

 あの日踏みとどまってしまったことは、過去を悔いることの少ない彼女にとって、数少ない後悔の一つだった。

 とはいえ、もしも何かの奇跡が起きて紅音がもう一度あの瞬間に戻れたとしても、きっと結果は変わらなかっただろう。

 

 ──紅音が楽郎に向けるものと同じ気持ちを、楽郎が彼女(・・)に抱いていると、あの日気付いてしまったのだから。

 

 

「……んっ、むぅ…………あれ?」

 

 心地好い倦怠感を覚えつつ目を覚ました紅音は、一瞬現状を忘れて混乱し──目の前で産まれたままの姿で眠る楽郎を見て、昏い歓びに口元を三日月の様にして笑った。

 

「あはっ、楽郎さん……!」

 

 瞼に、頬に、唇に。

 欲望の赴くままに口付けを交わす。

 懐かしい夢を見た。

 一度は諦めかけた初恋の人を思うがままに愛する行為は、麻薬のような依存性を以て紅音の理性をぐずぐずに融かしていく。

 このままじゃ風邪をひいちゃうかな、なんて場違いな心配が浮かんだのは束の間で。

 素肌のままで彼と愛し合う誘惑に抗うことなく、紅音は貪るように楽郎の身体を弄ぶ。

 敏感な箇所を柔く擦れば、意識は無くとも若く健全な楽郎の肉体は紅音の望む通りの反応を返し、それが更に彼女の歪んだ劣情を誘う。

 生命としての本能が命ずるに従って再び行為(・・)に及ぼうとした紅音は、しかし楽郎の溢したうわ言にぴたりとその狼藉の手を止めた。

 

「──、……ごめ、ん」

「……まだ、あの人を呼ぶんですね」

 

 その名前を聞いたとき、紅音の胸に去来した思いは複雑だ。

 未だあの人を想う彼がもどかしい。

 未だ彼を縛り付ける彼女が腹立たしい。

 未だ彼の一番になれない自分が不甲斐ない。

 ……そして、そんな負の感情の全てを覆い尽くすほどの敬意と歓喜。

 

 紅音は諦めることが嫌いだ。

 紅音は諦めない人が好きだ。

 だから、四肢の自由も人としての尊厳も、凡そ考えうる全てを奪われても尚諦めること無く己の愛を持ち続ける楽郎は、彼女の理想の体現で。

 彼の想いを独占出来ないことを悔しく思うと同時に、折れることの無いその心根が愛おしい。

 

「だけど、私は諦めません」

 

 言うなれば、これは紅音と楽郎という諦めの悪い二人の人生を賭けた根比べだ。

 夢を叶えるということは素敵なことばかりじゃなくて、時に他人の夢を手折ってしまう。そんな残酷な現実を、紅音は重々承知している。

 

 勝者は勝ち誇ればならないと、彼女の憧れる人の一人が言った。

 だから、もしも願いが叶うなら。

 

 紅音が夢を叶え、楽郎を諦めさせたとき。

 私は彼の愛する人(勝利者)として、胸を張って楽郎の隣に立つのだと、紅音はとうに歪な決意を固めていた。

 

「大好きです、楽郎さん……これからも、いつまでも」

 

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