大学生の春休みは長い。
取っている講義にもよるが、来鷹大学は早ければ二月の頭、遅くとも二月の半ばにはおおよその講義やテスト、ないしは
実家に帰省するもの、バイトやサークル活動に精を出すもの、日夜ゲームや飲み会に明け暮れるものなどその過ごし方は様々だ。
進級や卒業といった節目の時期でもある春休みは、夏のそれと比して学内で活動する学生は少なく、一部の例外を除けばキャンパス内にはどこか閑散とした雰囲気が漂っている。
しかし、三月十七日午後二時十四分現在。
その一部の例外たる来鷹大学ヒューマンロボティクス研究会(旧:機械工学サークル、通称ロボ研)の面々は、誰一人として欠けることなく臨時に借り切った実習室へと集まっていた。
興奮に爛々と瞳を輝かせながら着々と準備を整えているのは現役の部員のみではない。
既にこの大学を卒業したOBOGの面々に、顧問を務める工学科の教授、更には外部協力のスポンサー企業のメカニックまでもが集結している。
「関節各部の動作確認OKです!」
「冷却装置、問題ありません」
「仮想プログラム、インストール完了まであと五分!」
「プログラムのチェックが完了し次第、歩行テスト開始します」
淀みなく進められる準備を彼──陽務楽郎は、固唾を飲んで見守っていた。
作業がひと段落すると、一連の工程の陣頭指揮を執っていた男──現ロボ研部長が、額に滲む汗を拭いながら楽郎に声をかける。
「やあ陽務君、準備は順調だよ」
「お疲れ様っす……いよいよ本番ですね」
諸事情により度々ロボ研の部室に出入りしていた楽郎は、実習室の中に置かれた
これまでにも簡単な動作確認で動かした姿を見てはいるが、今日のこれは次元が違う。
楽郎よりもずっと長くこの日を待ち望んでいたであろう部長は、楽郎の言葉に頷くと居住まいを正して、改めて礼を告げる。
「本当にありがとう、今日この日を迎えることができたのは紛れもなく君のおかげだ」
「いやいや、俺なんて大したことはしてないですよ」
万感の思いの籠められた深い一礼に、楽郎は苦笑交じりに謙遜する。
これは、どちらの言も間違ってはいない。
業務用VRのメンテなどで多少の心得はあれど、一介の経済学部生である楽郎にとって機械工学は専門外で、手伝いと言ってもそれは雑用の範囲に収まるものだ。
だがしかし、だからといって楽郎抜きで今回の実験の準備と環境を整えることができたのかといえば、それは明確に否である。
現在から遡ること八代に渡って歴代ロボ研のメンバーが心血を注いできたこのプロジェクト──家庭内秘書機能統合型ガイノイド、所謂「メイドロボ」の開発──は、楽郎がこれまでゲームの内外で築いてきた繋がりによって急速に進歩を遂げていた。
津羽目風矢を介した、スワローズネスト社からの技術協力。
武田氏を筆頭とする「界隈」の面々からの潤沢な資金援助。
彬茅コーポレーションからの人体構造に関するデータ提供。
そして何より、ユートピア社上層部からのシャンフロとのデータリンクの許諾。
天地律・継久理創世・木兎夜枝境の三人が同大学の出身であるという縁を差し引いても、この前代未聞の快挙は
彼女たちと楽郎との紆余曲折を経た交友に関しては、今は重要ではないため割愛するが、この開発に際して、メイドロボに搭載する高度な人工知能当人である
そんな背景があって迎えた今日の起動実験であるからして、部長から楽郎への謝意は決して大袈裟なものではない。
もしも楽郎が居なかったならば、同等の環境を整えるまでに優に数世代はかかったことだろう。
彼らがこれまでの苦労や思い出話を交わしていると、ボディの最終調整をしていたメカニック──スワローズネスト社からの出向社員──が報告する。
「歓談中失礼するよ、諸々のチェックと調整は完了だ」
「ありがとうございます!では行こうか、陽務君」
「……はいっ!」
実習室の中心には、業務用VRをベースに改造を施されたコクーン型の機器が据えられている。
その中に眠るのは、クラシカルなメイド服に身を包んだ青髪の少女──を精巧に模したアンドロイド。
人工物とはいえ、皮膚や頭髪は医療用の義肢にも用いられる技術を以て造られたそれは、一見すると生身の人間が眠っていると見紛うほどだ。
(余談だが、彼女の来ている衣装に関しては
ファーストコンタクトの栄誉を与えられた楽郎は、忙しなく準備を進める部員やスタッフたちをよそに、シャンフロ内からそのまま連れ出したかのようなその
程なくして全ての準備が整うと、室内の人々が固唾を飲んで見守る中、部長が白衣の裾をたなびかせながら実習室の片隅に据えられた、旧式のデスクトップPCのキーボードに指を添えた。
埋め込み式の壁面のコンソールやAR型仮想ディスプレイ、或いは薄型タブレットと比して型遅れと呼ぶのも生温いその骨董品は、メイドロボの開発に着手した八代前の部員達が私費を持ち寄り購入した物だ。
学生には過ぎた代物だった当時の最新機器も、悲しきかな現代では小学生用の個人端末にも劣るスペックである……本来ならば。
だがしかし、ロボ研に代々受け継がれてきたこのPCは、来鷹大学に在学中の継久理創世の手によって規格外のアップグレードを為されている。
自ら、ないしは祖父の創り出した世界の他には極めて無関心な彼女が如何なる気紛れでロボ研に手を貸したのか、それは未だに定かではない。
されど結果として歴代のロボ研メンバーの想いと願いの籠ったこのPCは、今この時も他の追随を許さぬ性能を以て彼らの悲願を達成しようとしていた。
数多の期待の視線を一身に受けながら、部長は色褪せたエンターキーに震える指を伸ばして──
◆
慣れ親しんだ
(動きが硬い、身体が重い……
サンラク達二号人類が死から復活する際に課せられる制約を思い出しながら、エルマ=317はぎこちなく手を握り、新しい自分の身体の状態を確かめる。
最前線での戦闘支援もこなせるほどの
サイナは事前に伝え聞いていた通りにコクーンの開閉スイッチに手を添え……しばし逡巡する。
(……この先に、
日頃から、女体化したり身体から火や雷を出したりとフォームチェンジに事欠かないサンラクの、本来の姿。
彼との対面を目前にして、サイナは期待と緊張で演算領域をフル稼働させる。
……この時、想定よりもメモリの使用量が多いことにモニターの前の面々が冷や汗をかいていたのだが、サイナにそれを知る由はない。
閑話休題。
躊躇う気持ちを振り切って、サイナはコクーンのカバーを開く。
白色のLEDが照らす、どこかリヴァイアサンやベヒーモスにも似た部屋の中、彼女の正面に立つ見知らぬ──けれど何故か親しみを覚える──青年が、世間話でもするかのような気安い様子で口を開く。
「おはようさん、目覚めの気分はどうだ、サイナ?」
「……悪くは、ありません」
0と1で造られたプログラムらしからぬ玉虫色の返事を返しながら、慣れない身体で立ち上がる。
彼女が言葉を発し、実習室の床へと一歩踏み出すと、周囲に喜びと感動のどよめきが広がる。
「声紋認証……貴方が
「おう、こっちじゃ陽務楽郎だけどな」
「ヒヅトメ、ラクロウ……」
まるで重大なパスワードを記録するかのように、サイナはその八文字を復唱する。
楽郎はそんな彼女を微笑ましく見つめながら、穏やかな声で調子を尋ねた。
「で、その身体に不具合は無いか?」
「
「そいつは何より」
「……ただ、一つだけ問題が」
サイナの零したその一言に、二人の会話を見守っていた周囲の面々が血相を変える。
プログラミングのバグか、或いはハード面での不具合か。
だが、息を詰めて次の言葉を待つ彼らの耳に届いた「問題点」は、予想だにしないものだった。
「頭部パーツの機能向上を要請します」
「はい?」
「……この身体では、
無表情のまま告げられるその言葉は、まるで人間そのもののように温かな親愛に満ちていて、虚を突かれた楽郎が思わず息を呑む。
サイナは膝を軽く折ってメイド服のスカートの裾を両手で持つと、流麗なカーテシーを披露しながら、
「──
このエピソードはりっちゃんや創世さんとのあれこれやディプスロさんの諸問題がなんか全部いい感じに解決したご都合ユニバースを前提に成り立っています