天帝戦とは、囲碁の神のランクを決める戦いである。つまり、囲碁の強さを順番づけられる大会だ。この囲碁界で、天帝戦は二年に一回、一ヶ月かけて行われる。この世界の神は皆、この天帝戦に向けて2年、力を注ぐ。
皆、この天帝戦に向けて力を注ぐのは、理由がある。もちろん、純粋に、囲碁が強くなりたい、勝ちたいというのもそうだが、一番は、ランクがつく、というのが大きい。
負け続け、最低ランクまで行くと、神を剥奪され、転生対象になってしまう。また、低ランクの神は、ある一定のランクを越えるものと、囲碁をうつことさえできなくなってしまう。
この戦いで、身分が決まるとなっては、皆が必死になるのも無理はないだろう。特に、低ランクの神にとっては、下克上のチャンスでもあるし、また、神剥奪の危機でもある。
天帝戦が、2週間後に迫っているということもあって、囲碁界は慌ただしくしていた。特に、佐為は対戦相手への準備に向けて忙しそうである。さすがのヒカルも、そんな佐為に囲碁をうってもらうのは申し訳なく、一人、詰碁集と向き合っていた。
「ん?誰か来た?」
佐為に仕える下女が、そうヒカルに伝えた。どうやら佐為に会いたいとのこと。
「俺行くよ。」
ヒカルが門を開けると、そこには見知った顔の老人が存在した。
「ああ、ヒカル君か。忙しいところ悪いけど、佐為殿はいるかね?」
「いるよ。どうぞ、入って。佐為、今、対戦相手の研究で忙しそうだけど、呼んでこようか?」
ヒカルは、その老人を客間へと招く。その老人とヒカルは、かなり仲のいい友達のような人だ。よく、佐為と対戦しにやってきて、そのついでに俺ともうってもらう。その老人もやっぱり相当強い。佐為の方が一枚上手だが、佐為に勝ち越すこともよくある。ヒカルは一度たりとも勝てたことなどない。
「いいよ。佐為殿が休憩にもどってくるまで待ってるとするよ。この忙しい時期に来てしまって申し訳ないからね。」
「え、じゃあ、待ってる間俺とうつ?最近、佐為が相手してくれなくてさ。」
ヒカルは、目を輝かせながらそういう。最近強い人とうてていないのだ。そろそろうちたくてしかたがなくなってきた頃だった。
「いいですよ。私も、ヒカル君がどれほど強くなったのか気になりますからね。最近、学校でライバルが出来たらしいじゃないですか。」
ヒカルは、どうしてそれを知っているのか不審に思った。恐らく佐為がばらしたに違いない。そう思うと、余計なことを言うなと佐為にいいたくなった。
「別に、ライバルなんかじゃないよ。」
老人は、微笑ましそうにヒカルをみる。
「そうなのかい?佐為殿が言うには、ずっと、その塔矢という人物の話ばかりしているそうじゃないか。」
ヒカルは、老人の言葉に赤面した。なんとなく恥ずかしい気持ちになったからである。
「違うよ。ただ、塔矢がしゃくに障ることばかり言うから。」
ヒカルは、なにをいっても無駄だと思い、話を変える。
「お茶入れてくるよ。ちょっと、碁石の準備してて。」
老人は、「ライバルはいいぞ。いいぞ。」と頷いている。ヒカルは何ともいえない気分になり、慌ててその場から去った。
ヒカルはお茶をくんでくると、老人のほうへ差し出す。もう、さっきの話題は、忘れているみたいだった。
「いつも通り、置き石は無しですか?」
「当たり前だろ。手加減するなよ。」
老人は、「はいはい。」といい、先番はヒカルに譲った。
この老人は、佐為のうち方とよく似ていて、読みの深く、流れるような碁を打つ。だから、佐為とうつときは、いつも見ほれるほど美しい碁を打つのだ。ヒカルは、なんだかそれが悔しくて、どうにかひっかき回してやろうと頑張るのだが、結局うまくかわされてしまう。
(くそー。俺だって強くなってるはずなのに。どうにかして一泡吹かせてやれねーかな。)
ヒカルは、いわゆる、はめ手、というものに近い技をよく使う。最近、塔矢と対局するようになって、ひさしぶりに、自分が勝つという体験をした。もちろん負けることもよくあるが、それでも、全く歯が立たないというわけではない。ずっと、佐為やそれに近いような人とばかり対局しているせいで、ヒカルは負けることに慣れてきていた。しかし、塔矢と対局する事が増え、勝ちたいという、当たり前の欲求を改めて抱くようになっていた。
塔矢とは大体五分五分ぐらいの実力である。しかし、塔矢に勝ったときは、総じて、はめ手がうまく働いたときである。相手の裏をかき、誘導し、嵌める。それは、とても難しいことだったが、ヒカルはそれ快感を覚えていた。
今まで佐為と同じようにうっているつもりはなかったが、この戦法にヒカルは、自分らしさを見つけたような気がしていた。
(気づくかな?)
ヒカルは、ばれないよう、いくつも小さな罠や仕掛けを作っていく。いわゆる、美しい碁とはまた違う、むしろ、迷宮へ誘うようなそのうち方に、この老人も、「ふむ。」と手を止める。
ヒカルは、自分がうっていて、「こううちたい。」「ああうてばどうなるのか。」という、いくつものアイデアが浮かんできて、胸の高鳴りを抑えきれなくなりそうだった。ヒカルは、相手に、自分の企みがばれているのかそうでないか、ドキドキしながらうち進めていく。
ヒカルは、今この瞬間、まさに自分が、覚醒しているのではないかと思うほど、神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。
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「ああー。結局負けか。」
ヒカルは、やっぱりこの老人の深い読みについて行けず、6目半で負けてしまった。しかし、負けても、ヒカルは充実感であふれていた。確かに、はめ手のほとんどが看破されていたかもしれないが、幾つかは、やっぱり、この老人を少し考えさせるぐらいの効力は、発揮したのではないかと思う。
「どう?自分でもかなりよかったと思うんだけど」
ヒカルは、そう老人に興奮げにいう。老人は、内心、このヒカルの若々しい発想に、つい、自分の昔を思い出し、懐かしく感じていた。
(こういう若い人の才能の開花を見るのは、本当にうれしいことだのう。)
老人は、指導者としてこういう場面に立ち会えることは、またとない喜びだろうなと思う。それと、同時に、今この場に、その指導者である、佐為がいないことを惜しく思った。老人は、この碁を佐為に見せなければ、と思う反面、碁との出会いは一期一会であるとも感じていた。佐為にこの碁を見せれば、どういう反応をするかとても気になったが、やはり自分の胸にしまっておこうと決めた。
(佐為殿も、ヒカルの才能にいずれ気がつくだろう。いや、もう気づいているのかもしれんのう。)
自分達の知らない環境で、ライバルと出会い、強くなっていくヒカルに老人は、嬉しさとどこか切ない気持ちを感じた。
「驚いたよ。数週間みない間に、かなり上達しているね。」
「だろ!自分でもそう思った!俺今なら佐為にでも勝てそうな気がするぜ。」
「調子に乗りすぎですよ。私に勝ててないのに佐為殿に勝てる訳ないですからね。」
老人と先ほどの囲碁の研究をしていると、間もなく佐為が現れた。佐為は、老人の訪問に驚いていたようだった。
「来ていたんです?呼んでくれればすぐにきたのですが。」
「いえいえ。この忙しい時期に来てしまい申し訳なかったからね。それに待っている間、ひさしぶりにヒカル君と対戦させて貰ってね。」
佐為は、いそいそと老人をもてなす準備をする。
「いや、いいよ。佐為殿に少し、話があってね。」
「そうなんです?それでは奥に来てください。」
2人は、そう言って奥の部屋へ移動していった。ヒカルはさっきの碁の熱がまだ収まっておらず、体をうずうずさせた。
(まだまだ、うちたい形がある。)
試合中、試してみたいことが、いろいろあった。ヒカルは、もっとたくさん囲碁をうちたいと、そう思った。