怪獣失楽園:アニゴジ世界で怪獣プロレス。 作:よよよーよ・だーだだ
78、断章:ゴジラ東京湾へ ~『ゴジラ』より~
あれは西暦2046年の三月、おそらく羽田に避難したときのことだろう。
なにしろ十七年も前のことだし当時わたしは五歳と数ヵ月、あまりハッキリと覚えていないのだ。
……どーん……どーん……どーん……
断続的に大地を揺らす足音。
電気も点いていない暗闇の展望室、その片隅でちっちゃなわたしは背伸びして窓の外を覗き込む。
陸は明るく、海は真っ暗。だけど湯気が沸き立ち荒れ狂い、地響きのような足音が轟いているのは海の方だ。
キングオブモンスター、ゴジラ。
姿は見えないけれど、あいつはあのときたしかに海にいた。
ヒロセ一家と一緒に家を出たわたしは、その後紆余曲折を経てやっとこさ羽田空港に到着した。
テレビやラジオの報道によれば、当初ゴジラは北に向かっていた。
だから南側に逃げれば安全だと思っていた。
だけどそんなのはとんでもない間違いだった。
東京を北上していたはずのゴジラは、どういうわけか途中で方向を転換した。
あとで聞いたところによると、実際のゴジラは手始めにレインボーブリッジをブッ壊して
さらに秋葉原の電気街を踏み潰してから上野へ進み、浅草に出て、スカイツリーを真っ二つに焼き切ったあと、隅田川へ入ってそのまま築地に向かって南下、東京湾に戻ってきたらしい。
きっと隅田川に架かってる橋は一本残らず、有名な
……なんだか東京のランドマークばっかり。まるで観光に来たみたいだ。
まぁ、こんな迷惑な観光客なんか他にいないだろうけど。
かかった時間は約三時間とちょっと。ほんの短い時間だけれど、東京を一周して破壊し尽くすにはそれで充分だった。東京は意外と狭くて脆いのだ。
東京へ上陸したゴジラは、東京湾から羽田沖を通って海へと帰って行った。
そのときちょうどわたしたちも羽田に隠れていたのである。
わたしたちは大きな勘違いをしていた。
そもそもゴジラは生き物だ。地震災害のような自然現象とは違う。
だからゴジラの気分が変われば進む方向だって変わるのだ。
むしろゴジラが海から帰るなら、東京湾に面した羽田なんて一番危ないじゃないか。
……当時のわたしたちは、そんな当たり前のことにさえ頭が回っていなかった。
なんとなく人の流れに乗せられた結果、とりあえずゴジラの進行方向と逆の羽田に隠れていれば安全だ、なんて思い込んでしまったのである。
とはいえ、絶対安全な隠れ場所なんてものはなかったと思うけどね。
進行ルートでも何でもない新宿ですら放射熱線の一撃で火の海になってたらしいし。
あのときは似たような人が沢山いたんだろう。
わたしたちが避難した羽田の展望室は大勢の人々が逃げ込んでいて、そしてひりついた緊張感で満たされていた。
ほんのちょっとの刺激、突いただけで爆発してしまいそうな緊迫した空気。
そんな膨らませ過ぎた水風船よりも危うい雰囲気なのは、当時五歳のわたしにもわかった。
だから普段から『落ち着きがない』と叱られることが多いわたしも、このときばかりは息を潜めてじっと静かにしていた。
その空気感に圧し潰されてしまったのだろう。
どこかで子供が泣き出した。
それも、うわーんうわーん、と大声で。
張りつめた神経が、子供の泣き声という雑音でかき乱される。
とうとう堪えかねた誰かの大声が響いた。
「オイうるさいぞ!! そのガキだまらせろッ!!」
……まったくオトナげないと思う。
子供は泣くのが普通だ。
ましてや傍にゴジラがいる、そんな極限状態なら、泣いたって仕方ない。
そんな怒鳴ったってしょうがないでしょうに。
だけどそんな御立派な正論は、その場にいない他人事だから言える絵空事に過ぎない。
ほんの目と鼻の先にゴジラがいる。もしもこの子の声がゴジラを刺激して、イラついたゴジラが気紛れに放射熱線を撃ったりしたら。
……そんな馬鹿げたことを大真面目に考えてしまうくらい、みんな怯えていたのだ。
ゴジラが怖いのはみんな一緒だ。
だからこそ親は理不尽な罵倒に反論もせず、ただ一生懸命に子供をあやしていた。
だけどその子は大人の事情など知らない。
怒鳴られたことが引き金になって、ますます大声で泣きわめいた。
うわーん、うわーん、うわーん……!!
わたしは、その子が恨めしかった。
わたしだって泣きたい。けど、ヒロセのおじさんやゲンゴお兄ちゃんに迷惑がかかるからぐっと堪えていたのだ。
……五歳のわたしが我慢しているのに、ところかまわずギャンギャン泣いてるこの子はなんてワガママなんだろう。
わたしはその子の顔を覗き見た。
わたしよりもずっと小さな男の子だった。
『さぞ嫌な子に違いない、どんな子なのか見てやろう』
そんな意地の悪い気持ちは跡形もなく吹き飛んだ。
改めて見てみると、その子をあやしていたのは大人の男二人だった。
男たちは二人がかりであやしているが、男の子はなかなか泣き止んでくれそうにない。
……今思い出したけど、そういえば男は二人とも軍服を着ていた。
きっとこの二人は、旧地球連合軍の軍人だったのだろう。最前線でずっと戦っていて、子守りなんてものを実践する機会がなかったのかもしれない。
泣きわめく駄々っ子をオッサン二人であやす、そんなの土台無理な話なのだ。
……なーんてことは、当時のわたしは考えもしなかった。
五歳児だよ? そんな気配りできるわけないじゃん。
それにイクメンなんて言葉もあるしね、オッサンだから子守りが下手なんてのはただの偏見だ。
そのときのわたしは、その子にただ泣き止んでほしかった。
怖くて怯えて泣いているのに誰も助けてくれない、そんな可哀想な子を安心させたかった。
要するに真似をしたかっただけだ。
秋葉原でわたしを助けてくれた、あの素敵でカッコいいお姉さんの。
わたしは荷物の中からあるものを取り出し、小脇にかかえてトコトコと歩き出す。
「あ、コラ、リリセ!!」とおじさんの声を振り切って、わたしは男の子のところへと走った。
「ねえねえ、おじさん」
人混みをすり抜けて掻い潜り、男二人のところで袖を引っ張った。
不意に袖を引かれた男は、わたしの方へと振り向いた。
「……どこから来たんだ? お父さんお母さんはどうしたの?」
そう訊ねるのも当然だ。
年端も行かない見ず知らずの女の子が、突然服の袖を引っ張ってきたのだから。
男の質問に答えないまま、わたしは言った。
「あのね、おじさん、これ、あげて」
わたしが差し出したのは『キャラメル』。
非常食兼わたしのおやつとして持ち出していた、缶のキャラメルだった。
わたしは言った。
「これ、その子にあげる」
……無敵すぎるだろ、五歳児のわたし。
軍人相手になんてクチ利いてんだ。
あんなにイラついた空気感でそんなマネして、逆ギレされたらどうすんの。
なんて怖いもの知らずなんだと寒気すらする。
だけど、その人は怒ったりしなかった。
男の子を抱いていた父親は膝を屈め、優しく笑いながらわたしの頭を撫でてくれた。
「……ありがとう、お嬢さん。
でもあなたの分がなくなってしまうから、一粒だけ貰えるかな?」
その申し出に、わたしは内心ほっとした。そのときは全部あげてしまう覚悟を決めていたけど、自分の分が残ったのはやっぱり嬉しかったのである。子供ってほんとゲンキンだよね。
そんなケチ臭いことを考えてたくせに、それでもカッコつけたかったわたしは男の子にこう言ったのだ。
「いいものをあげよう」
あのときの『お姉さん』と同じ台詞。
そして缶から一粒取り出し、包みを破って、泣いている男の子に手渡す。
男の子はキャラメルを一生懸命に頬張って、そして泣き止んでくれた。
美味しいキャラメルのおかげだ。
きっとお腹が空いていたのだ。
「コラッ、リリセ!」
ちょうどそのとき、ゴウケンおじさんが、わたしのところまで小走りでやってきた。
「勝手にあちこち行くんじゃないっ」
わたしを小声で叱り飛ばしたゴウケンおじさんは、男の子の父親に頭を下げた。
……今だからわかるけど、相手が軍人だからなおさら腰を低くしてたんだろう。
ごめんね、おじさん。
「すみません、うちの子が……」
そうやってペコペコ謝るゴウケンおじさんに、男の子の父親は出来るだけ声を潜めて笑いかけた。
「いや、こちらこそ助かりました。
お嬢さんのおかげで、うちの子も泣き止んでくれましたので」
そしてゴウケンおじさんに一礼し、男の子の父親は古い記憶を思い起こすように額へ指を当てながらこう続けた。
「……ところで、つかぬことを伺いますが、あなた、オペレーション=ロングマーチの戦線にいらっしゃったことはありませんか? たしかタチバナ准将の……」
その言葉を聞いたとき、ゴウケンおじさんも何かを思い出したようだった。
「まさか、あのとき調査に来た……!?」
「ああ、やはりそうでしたか。御無沙汰しています、ヒロセ=ゴウケン中佐」
どうやらこの父親はゴウケンおじさんの知り合いだったらしい。
男の子の父親とその相棒の男、そしてゴウケンおじさん。
大人たちはより一層声を潜め、何か内緒話を始めた。
……まあ、大人たちの内緒話なんて、子供のわたしたちには関係がない。
あげたキャラメルをもきゅもきゅと美味しそうに食べている男の子に、わたしはお人形遊びの子守りを思い出しながらこう
「おねえさんがいっしょにいてあげるね」
わたしは男の子を優しく抱き締めた。
この子の身体はなんてあったかいんだろう、と思ったのをよく覚えている。
子供相手だとスキンシップ過剰になるのは、きっとこのときの経験がきっかけなんだろうな、って気がする。
あのぬくもりを、今も体が覚えている。
どーん、どーん、どーん……
足音、鳴き声。立ち去るゴジラ。
その気配が遠ざかるまで、わたしはずっとその子の傍にいたのだった。
……それから、何時間経っただろうか。
わたしは、最初にゴウケンおじさんと陣取ったスペースで荷物に寄りかかって眠っていた。
地面を揺らしていたゴジラの足音は過ぎ去っていて、陽が昇りつつあるのか、わたしたちがいる展望台もぼんやりと明るくなりつつある。
眠い目をこすりながら起き上がったわたしは、周囲の大人たちがみな一様に窓の外を眺めていることに気づいた。
……みんな、何を見ているのだろう。わたしにも見せてよ!
外を見ようとわたしは精一杯背伸びしてみたけれど、手すりが高すぎてよく見えない。
ぴょんぴょん飛び跳ねてみても、朝焼けで真っ赤になった空しか見えなかった。
見かねた大人の誰かがわたしを抱き上げて、窓の手すりに乗せてくれた。
おかげでわたしも外を見ることができた。
……空が赤かったのは、朝焼けではなかった。
太陽なんて、まだ昇ってすらいなかった。
本当に燃えていたのだ、東京の街すべてが。
滑走路を見通し、さらに海を渡った先の方。
幕張からお台場にかけて、東京の街がすべて真っ赤な劫火に包まれていた。
一晩経ったというのに火勢はまるで衰えていない。
それどころかより激しく燃え盛っているようにさえ見える。
……わたしたちにはどうすることもできない。
出来ることがあるとすれば、ただ茫然と惨状を眺めることだけだ。
悲鳴を上げたり泣き叫んだり、そんな人はいなかった。
愕然とした……というよりも、どうしたらいいのかよくわからなかったのだと思う。
たとえアメリカ中国ヨーロッパ、その他全世界が怪獣に踏み潰されたとしても、この東京だけは絶対安全で焼かれることなんか有り得ない。
皆そんな風に思っていたのかもしれない。
まぁ、そんなわけはないんだけどね。
太平洋は元々ゴジラの縄張りだ。
他の怪獣だってゴジラが怖くて寄りつかなかっただけ。
むしろ、そんな危険地帯に面しておきながら何も起きなかった今までこそがとんでもない幸運に過ぎなかったのだ。
だからゴジラの気分が変わればこういうことだって起きる。
子供でも思いつくことなのに、当時の大人たちはどういうわけか誰も考えてなかったらしい。
あるいは、東京とゴジラを結びつけて考えたことすらなかったのかもしれない。
今まであまりに考えてなかったから、実際に目の前で燃えている東京を見て泣けばいいのか怒ればいいのか、何も思いつかなくて困っている。そんな感じだったのかも。
……結局みんな他人事だったんだろうなぁ。
「……ちきしょう」
そのとき、誰かがぽつりと呟いた一言。
振り返って見たけれど、真っ暗だったから誰が言ったかはわからない。
ただ、その誰かさんは繰り返した。
「ちきしょう、ちきしょう」
何度も何度もその言葉を、まるで力いっぱい噛み締めるかのように。
あれから十七年。
そういやあの『男の子』はどうなっただろう。
わたしがキャラメルをあげてあやしてあげた、あのちっちゃな男の子。
ゴジラが過ぎ去ったあと人混みに揉まれてしまい、あの親子とわたしたちは二度と会うことはなかった。
もしかすると今も生きているかも。
あれから十七年、当時三歳だとすれば今はもう
今となってはどんな顔だったかもよく思い出せないし、向こうだって覚えちゃいないだろう。
だけどとても可愛かった印象は覚えている。
もし成長していったら、きっと凛々しい二枚目のイケメンになっているだろう。
そんな確信があるのだ。
地球のどこかで暮らしているかもしれないし、あるいは移民船で宇宙に脱出できたラッキーボーイっていう可能性も否定しきれない。
元気でやってるだろうか。もし会えたら会ってみたいなあ。
……本当に移民船で脱出したクチだったら、会えるはずはないんだけどね。
名前は……なんだっけ?
せっかくだし思い出してみよう。
もうずいぶん前のことだしあんまり自信がないけど、わりとシンプルで三文字くらいだった気がする。
少なくともケンパチローではなかったはずだ。
カツミ、セイジ、ヒロシ、ユタカ、シンジ……いや違うな。
イサオ、トオル、ケンゴ、ツトム、ミズホ……これも違う気がする。
アンディってことはないと思うんだよね。どう見ても日系だったし。
えーっと、ア、カ、サ、タ、ナ、ハ……ハ……
『ハルオ』
うん、そうだ、彼は『ハルオ』だ!
苗字は忘れたけど、ハルオで間違いない!
あー、スッキリした。
……いや、思い出したからどう、ってこともないんだけどね。
気になっちゃうと思い出したくなるじゃない? ならない?
何はともあれ。
元気かなー、ハルオくん。
元気でやっててくれたらいいな、なんてね。