怪獣失楽園:アニゴジ世界で怪獣プロレス。 作:よよよーよ・だーだだ
咄嗟につぶった両目を開けると、わたしは死んでいなかった。
ハイドラの牙はわたしの顔を通り抜けていた。
わたしの方からハイドラの首に手を伸ばしてみると、やはりわたしもハイドラの体には触れられない。
まるで立体映像、幻、虹をつかもうとしているみたいだ。
わたしもハイドラも、お互いに姿は見えているのに、触れることが出来ていない。
他方、憤怒の形相で唸るハイドラは、牙をカチカチ鳴らして吐息を荒げながらわたしの方を睨みつけている。
どうやってもこちらに手出しできない現状に、かなり苛立っているようだった。
……ふん。
鼻で笑ってやったら、ハイドラはますます怒り狂っていた。
なんて器の小さい奴だ。怪獣のくせに小娘風情に煽られてブチキレてやんの。
「……おい、ルシファー。
おまえは今、その人に何をしようとした?」
忌々しげに首をくねらせているハイドラに、地響きよりも低い声が掛かった。ハイドラは喉が詰まったかのように動きを止め、恐る恐る振り向く。
ハイドラの背後では、メカゴジラⅡ=レックスが怒り狂っていた。
「このウソツキめ!!
『人間のことは絶対に傷つけない』って言ったくせに!!」
ハイドラの胸倉を鷲掴みにして吼えるレックスの剣幕は、これまでわたしが見たことないほどの凄まじいものだった。
アンギラス、マタンゴ、ラドン、メカニコング、他のどんな怪獣と戦ったときだってこんな恐ろしい形相はしていなかったろう。
他方、自分が致命的なミスを犯してしまったことに気づいたハイドラは、慌てた様子でレックスへと語り始める。
ピロピロケタケタイヒヒヒ……
「『ボクらの夢を邪魔するものを取り除いてあげようとしただけ』?
ふざけるな、この場で見てたんだぞ!
おまえはただリリセを傷つけようとしただけじゃないか!!」
胸倉を掴まれたハイドラは逃れようと体をくねらせているが、レックスの爪から逃れることがどうしてもできない。
レックスはハイドラを掴めるのに、ハイドラの方はいくらもがいてもレックスの身体を素通りしている。
レックスとハイドラが何を話し合っているのかはわからないが、レックスの怒りを買ってしまったこの状況にハイドラがひどく狼狽しているのだけはよくわかる。
そんな様子を見ていたわたしには、このハイドラの正体がわかった。
こいつは『悪魔のルシファー』だ。
そもそも『ルシファー』とは悪魔の名前だ。
いや、正確には堕天使、悪いことをしてクビになった天使だったかな? まあどっちでもいいけど、とにかくルシファーは『最初の女性:イヴを唆して悪いことをさせる』という悪行をしでかした伝説で知られている。
こいつは、そのルシファーの化身だ。
かつてイヴを唆して悪いことをさせたように、今回はレックスを狙ったのだ。
……そうだよ、レックス。あなたはきっと魔が差してしまったんだよ。
そうでなければあなたが、こんなおぞましい怪物と組むはずがない。
同時にわたしは、このルシファー=ハイドラの弱点も理解した。
誰かに取り憑き誑かすこのルシファー=ハイドラ、裏を返せばこいつには
その憑代だったレックスが耳を貸さなくなればこのとおり、小娘一人捻り潰せないどころか触ることすら出来なくなってしまう。
レックスはこいつのことを『高次元存在』と言ったが、実際のところはそんな御大層な存在じゃない。
自分だけでは何も出来ないのだから。
ピロピロケタケタイヒヒヒ……
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ、ルシファー!!」
言い訳がましく弁解していたハイドラだったが、レックスは聞く耳を持たなかった。
レックスはカギ爪の伸びた両手でハイドラの首根っこを締め上げながら、ゴジラみたいな大声で怒鳴った。
「おまえみたいなウソツキ、もう信じるもんか! どっかに消えろ!!」
そんなレックスの怒声と同時に、ハイドラの姿はブツンと消えてしまった。
……まぁ、あんなくだらない奴のことなんかどうでもいい。
わたしはレックスへと目線を向けた。
独りぼっちになってしまったレックスは、吐き捨てるように「……ふん、まあいいさ」と鼻で笑っていた。
「あんなどこの馬の骨ともわからないヤツに頼ったのが間違いだったんだ。どいつもこいつも当てにはならない。最後はやっぱり自分だけだ」
そんな決意を自身に言い聞かせている。
「こうなったらリリセの言うとおり、全世界の全生物を洗脳して……」
「もうやめて、レックス」
恐ろしいことを口にしようとするレックスを、わたしは止めた。
「すべてをあなたの思い通りに出来る世界、それは何もかもをあなたが背負う世界だ。そんなの無茶だよ、あなた一人で背負えるわけがない。いつか必ず破綻する。それくらい、あなたもわかっているはずだ」
「けど、けど……!」
口をパクパクさせて窮するレックスに、わたしは畳みかけた。
「それにそんな楽園、誰も望まないよ。
人間なんて強欲だもの。あなたがいくら尽くしたところで、どうせ皆は文句を垂れるだけだ」
「じゃあどうしたらいい!?」
突然、レックスは大声で喚いた。
「どいつもこいつもわがままばっかり! なんなんだよう!! どうしたらいいんだよう!!」
そして地団太を踏んで周囲に八つ当たりを始める。
無意味、無駄なのはわかっているはずだ。なにしろ世界最高の電子頭脳を持っているのだから。
だけどそれでもやめられないのだろう。理性ではなく、心が限界に達してしまった。
つまりは癇癪。溜め込み続けた憤懣がついに爆発したのだ。
「どうしたら、どうしたら!!」と駄々っ子みたいに拳を振り回し、ワアワアと怒鳴り散らしながら泣き喚いて暴れるレックス。
……これがメカゴジラⅡ=レックスの正体だ。
普段のニコニコ笑顔と献身的な善い子の態度、その下にひた隠していた素顔はひどく幼稚で子供っぽかった。
こうなるのは当然のことだ。もっと早く、
だって、レックスは普通の子なのだから。
ちょっと空気が読めなくて、大失敗をすれば正直に
人類最後の希望、救世主、そんな御立派な肩書なんて到底似合わないような子なのだ。
レックスはもっと早くこんな風にキレるべきだったのだと思うし、そんなレックスの弱さを周囲の大人たちは受け止めてあげるべきだったのだと思う。
だけど実際の大人たちはそうじゃなかった。
人類最後の希望。周りの大人たち――それはわたし自身も含めてだけど――はレックスを都合のいい道具みたいに使って、挙句の果てに恐ろしい怪獣にしてしまった。
この世界はいつもそうやって、立場の弱い相手に責任を擦りつけて食い潰したがっている。
……いいや、この世界はもっと残酷だ。
レックスより力がなくて、レックスより不幸で、レックスみたいな怪獣にすらなれず、誰からも見向きもされないまま食い潰されてゆく弱い人たちなんて、それこそゴマンといる。
そしてそんな救い様のない犠牲者たちの上に成り立っているのが、わたしたち『普通の人たち』の世界なのだ。
……こんなサイテーの世界なんて、とっととゴジラに滅ぼされてしまえばいいのに。
わたしがそんな風に思っている中、レックスは相変わらず暴れ続けていた。
「どうしたら、どうしたら……!!」
知恵を貸してくれていたルシファー=ハイドラはもういない。タチバナ=リリセからも否定された。レックスが縋れる相手なんて、もうどこにもいない。
散々地団駄を踏み続けていたレックスは、やがてゼンマイの切れた玩具のように力なく俯き、ぽつりと呟いた。
「……どうしたらいいの……?」
なんだか迷子の子供みたいだ。
実際、迷子なのだろう。こんなとき、ちゃんとした大人ならきっとレックスと真摯に向き合って、彼女をあるべきところへ導いてあげることもできるんだろう。
……わたしはどうしてあげたらいいんだろう。
今にも泣き出してしまいそうなレックスの頬へ、わたしはそっと触れた。
レックスの肌は冷たい鋼で出来ているはずなのに、不思議と温かく感じる。
――『人間のことは絶対に傷つけない』って言ったくせに!!
さっきレックスはそう言って、ハイドラからわたしを護ってくれた。
ハイドラと手を組んだのもきっと『人間を傷つけない』という条件の下だったのだろう。
その約束を
……よかった。
レックス、あなたは人間に絶望していても、人間のことを嫌わずにいてくれたんだね。
「……いいんだよ、レックス」
わたしはレックスに言った。
「世の中の不幸はあなたの責任じゃない。
みんなのワガママを救ってあげる義務なんかないし、みんなの代わりに責任を取ってあげる必要もない。
あなたが悪者になってまで叶えてあげなきゃいけない願いや夢なんて、そんなのどこにもないんだよ」
……メカゴジラⅡ=レックス。
あなたは作り物の模造品なんかじゃない。
本物の人間よりもずっと人間らしい、素敵な心を持っている。
それに比べて本物の人間ときたら、どいつもこいつも仲間同士で争い合ったり弱い者いじめばかりしている、そういう最低最悪のクズばっかり。
だけどレックスは、そんなどうしようもない人間たちじゃなくて、人間をそういう風に腐らせてしまうこの世界の方を憎んでくれた。
そして世の中はむごいことや嫌なこと、理不尽や不条理に溢れている。時には何もかも嫌になって『全部ゴジラに踏み潰してほしい』と思うことさえある。
レックスが憎むのも当然だ。
だけどね、レックス。
「あなたは、こんな世界が許せないんだろうけど、実際こんなどうしようもない世界だけど、どうかこれ以上憎まないで欲しい。
だって、こんな世界じゃなかったら、わたしはあなたに会えなかったもの。
……それともあなたにとっては、わたしと会ったことも憎くてたまらないのかな。
もしそうだったら、ちょっと寂しいよ」
わたしの言葉に、レックスは何も答えられないようだった。
わたしは続けた。
「もしわたしの希望があるとしたら、レックスにはやっぱり神様になんかならないでほしい。
レックスにこれ以上、他人のワガママを押し付けられて欲しくない」
そんな気持ちもやっぱりわたし、タチバナ=リリセのワガママだった。
『そんなインチキな楽園はイヤだ』『レックスが人を誑かすところなんて見たくない』『みんなゴジラに踏み潰されてしまえばいい』……散々エラそうに言ったけど、ワガママばっかりなのはわたしの方で、レックスに身勝手なエゴを押し付けてばかりいるのもわたしの方。
『あなたがわたしの何を知ってるというの』だって? それを言うならわたしこそ、レックスの気持ちの何がわかるっていうんだ。『みんなゴジラに踏み潰されてしまえ』?? 何様なんだっつーの。
正しいこと、全人類の幸福をとるなら、レックスの願いどおりにしてあげるべきなのだ。そうした方がレックスの不幸も報われるんだろうし、みんながハッピーになれるならきっとそうするべきなんだろう。
でも、わたしは、そのスイッチをどうしても押すことができなかった。
……たしかにレックスの言うとおりだ。
『あの人』みたいな犠牲者はもう二度と出しちゃいけない。
だけどわたしがレックスの誘いに乗ったら、今度はレックスが次の『あの人』になってしまう。
『皆のために誰かを犠牲にする』
そんな風にレックスひとりに全部押し付ける大正解なんて、クソ喰らえだ。
そんな薄汚れたハッピーエンドを迎えるくらいなら、みんなでバッドエンドを背負えばいい。
どんなに重たい不幸な結末だって、みんなで背負えば少しは軽くなるはずだ。
怯えるように後ずさろうとするレックスを、わたしは抱き寄せた。
「レックス、わたしの願いはね……」
そのとき自分が何を願ったのか。
わたしは覚えていない。
ぱきっ、と石がひび割れる音がした。
そして、わたしの耳元で声がした。
「……キミは最低だ」
「……ごめん」
「タチバナ=リリセ、キミは大馬鹿だ。
そんなことで何もかも棒に振るなんて。
もう、誰も救われない。ゴジラに人類は滅ぼされるんだ」
「本当にごめん」
「きっと歴史に残るよ。
それは人類史上最低最悪だった、って。
生き残った人たちが知ったら、子々孫々までキミを愚か者と罵るだろう」
「ごめん、本当に、本当にごめん」
ごめんね、ごめん、本当にごめん。
いくら謝っても足りなかった。
『皆の幸せ』を心の底から願い、そのために自分自身さえも捧げようとしていたレックス。
その最後の、最高の手段を、友達だと思っていた相手に裏切られてぶち壊されてしまった。
……そのことをレックスは恨んでいるだろうか。それとも怒っているだろうか。
わたしは、今のレックスの姿を見た。
右目のガルビトリウムに走った亀裂が、レックス自身へと拡がりつつある。
神であろうとした存在が、神であることを否定されて自壊し始めていた。
鋼で創られた万華鏡世界が砕け散り、銀色の花吹雪の中で、萎れた花が墜ちるようにレックスの存在が散ってゆく。
そんなレックスを、わたしは強く抱き締めた。
……一緒についてくよ、レックス。
たとえこの世界が消えたって、あなたをひとりにはさせない。
だから、いっしょに行こう。
あなたが願った、夢の楽園に。
「……リリセ!!」
割れた万華鏡の隙間からエミィが腕を伸ばし、わたしの襟首をぐいと掴んで引きずり出そうとする。
……トン。
わたしを、胸の中のメカゴジラⅡ=レックスは突き放した。
涙の滲むわたしの視界から、メカゴジラⅡ=レックスの存在が遠くなってゆく。
そして最後に、彼方から声が聞こえた。
……ありがとう――――……
……ががが、ぎぎぎ。
他方、現実世界。
ナノメタルで出来た〈ルシファー=ハイドラ〉の体が、錆びついた金属の軋む音を立て始めた。
外宇宙の法則という神性を付与していたガルビトリウム・テルティウス=オプタティオと、ナノメタルの動きを制御していた
特に致命的なのはガルビトリウムの破損だ。
ルシファー=ハイドラの体を構成する
世界の
このままでは第五原質とこの世界の結びつきに綻びが生じ、ハイドラはこの世界から消滅してしまう。
――すべてはメカゴジラⅡ=レックス。
――くだらん泣き落としに靡きやがって。
――忌々しい、出来損ないのピノキオめ!
だが、問題ない。
ルシファー=ハイドラは体内に備わっていたバックアップを始動し、第五原質の体を、第四原質へと転換した。
この此岸にある第四原質、これならガルビトリウムが動かなくとも、この世界の法則がルシファー=ハイドラの体を形作ってくれる。
もう
その僅かな隙を突かれた。
ルシファー=ハイドラの身体が凄まじい力で吹き飛ばされ、それと同時に宇宙を揺さぶる叫び声がこの世界に轟いた。
――な、なんだ!?
何が起こったのかよくわからないまま、鎌首をもたげたルシファー=ハイドラ。
そして、見てしまった。
大地へと焼き込まれる焦げた足跡。
大気を燃やしてゆく、灼熱の殺意。
剥かれた牙の隙間から唸りが溢れ、そして怒りの咆哮が響き渡る。
その威容を見たものは平伏せずにいられない、恐るべきキングオブモンスター。
その名は〈ゴジラ〉。
堂々と立つその姿は、まさに破壊の神だ。
――バカな、なぜ動けるのだ!?
ルシファー=ハイドラは仰天した。
ハイドラの毒による侵蝕が止まったことで、花畑に書き換えられかけていたゴジラは破壊の権化としての性質を取り戻しつつあった。
ルシファー=ハイドラの身に何が起こったか、そんなのはゴジラにとって知ったことではない。
瞳に再び光が灯り、自身に絡みついていたハイドラの触手を引き千切って、全身から芽吹いた花たちを振り落とす。
そんなゴジラを見たルシファー=ハイドラは、ようやく気がついた。
……もしもゴジラが本気を出したならば、弱ったルシファー=ハイドラごとき葬るのに数分も掛からない。
ゴジラ復活。
破壊の神VS大宇宙創造の神。
あるいは怪獣王による『処刑』が始まった。
大変長らくお待たせいたしました。次回プロレスです。