怪獣失楽園:アニゴジ世界で怪獣プロレス。 作:よよよーよ・だーだだ
「……聞こえた?」
わたしが声を潜めて訊ねると、エミィも応えた。
「ああ、聞こえた」
エミィは個室の中でカチャカチャと音を立てながら、脱いでいたズボンを履き直していた。いざというとき即座に逃げられるようにだ。
そしてわたしは腰のベルトから護身用のピストルを抜き、トイレの外を窺った。
ぼんやりとした人影と、水っぽい響きを伴った足音。
何か、人間大のものが近づいてきているのは間違いないが、暗がりでよく見えない。
「……誰?」
暗闇に目を凝らしながら呼びかけたが、のそのそと蠢く気配だけで返事はない。
わたしはピストルと一緒にハンドライトを構え、そいつの姿を照らした。
そしてわたしは、そいつの姿に息を呑んだ。
照らされたそいつは、身長2mの大男。
その口から漏れでているのは、堪えきれないクスクス笑い。
そしてそいつの顔は、切り株にびっしりと生えたキノコによく似ていた。
わたしは、世にもおぞましいそいつの名前を口にした。
「マタンゴ……!」
キノコ怪獣、マタンゴ。
動物と菌類の性質を併せ持つことから、『第三の生物』とも呼ばれている怪獣。
そんなやつが、笑いに似た呻き声を挙げながら、病院の廊下を我が物顔で歩いていた。
『怪獣黙示録』の時代に発生してから地球連合軍の防疫部隊に駆除されたと聞いていたが、まさかこんなところでお目にかかるなんて。
そしてこのマタンゴは元人間の可能性が高い。
マタンゴの正体はキノコ、つまり怪獣化したカビだ。生きた動物を苗床として感染し、身体を喰い尽くして同じキノコ怪獣に変えてしまう。
目の前にいるマタンゴは顔も体も分厚い菌糸で包まれていたが、二本の脚で直立し、二本の腕を持ったそのシルエットはどうみても人間だ。
ヒトだと思った途端、ピストルの引き金にかけた指が躊躇した。
……もしもこれを撃ったら、殺人になってしまうのではないだろうか。
殺し屋でも軍人でもない自分が撃ってしまっていいものなのか。
しかし迷っている暇はない。
逡巡しているわたしに、ツキヨタケ=マタンゴはゆっくりと、だが着実に歩み寄ってくる。
マタンゴがわたしのことを狙っているのは明白だ。
……たしかに元人間かもしれない。
だが、ここまで状態が進んでしまったら怪獣と同じだ。
もうどうすることもできない。
自らの身を、そしてエミィを守るため、わたしはピストルを撃った。
パン、パン、と乾いた発砲音が廊下に重なった。
護身用として最低限の
銃弾が頭のツキヨタケを数本ブッ飛ばし、胸と腹部を撃ち抜く。
血飛沫の代わりに胞子を撒き散らしながら、マタンゴの胴体が真っ二つに折れて床に崩れ落ちた。
「どうしたリリセッ!」
銃声を聞きつけて個室を飛び出してきたエミィに、わたしは叫んだ。
「マタンゴだ!」
エミィに気を取られた、ほんの僅かな隙だった。
わたしは足首をぐいと掴まれた。
「!? どわっ!?」
不意に足下を掬われ、わたしは背中から仰向けに引っ繰り返ってしまった。
尻餅を突きながら足元を見ると、銃で蜂の巣にしてやったはずのツキヨタケ=マタンゴが、わたしの足首を掴んでいた。
胴体が真っ二つになったのに、ツキヨタケ=マタンゴはまだ元気に動いている。
そしてわたしは倒れた拍子にピストルを落としてしまった。拾おうと腕を伸ばしてみるけれど、遠くに転がってしまって手が届かない。
「離せっ、このっ、このっ!」
わたしは、掴まれていないもう片方の足でマタンゴの顔を蹴りつけた。
だけど、マタンゴは決して離そうとしない。
ブーツ越しに触れたマタンゴの顔はフワフワと柔らかかった。
……まるでクッションを蹴ってるみたいだ。
人間の顔を蹴っている感じが全然しない。
わたしとマタンゴが格闘している最中、隣の男子トイレからヌラリと二つの影が現れた。
二つの影は、どちらも人間の姿をしていなかった。
白いイボのついた赤いキノコで全身を覆われた、ベニテングダケ。
しわくちゃにした茶色い布を被ったような顔をした、シャグマアミガサタケ。
新手のマタンゴは二人組だった。
銃声を聞きつけた二名のマタンゴは、顔のない顔をエミィの方へ向けた。
笑いに似た呻き声を挙げながら、エミィの方へとゆっくりと歩み寄ってゆく。
他方、エミィは身がすくんでしまって動けないようだった。
そんなエミィに、わたしは怒鳴った。
「エミィッ、逃げなさい!! はやくっ!!」
そこで我に返ったエミィは、トイレの中へと駆け込んでゆく。
その後を追おうとするマタンゴたちの足首を、わたしは両手で掴み思い切り引っぱってやった。
マタンゴは大柄だが、動きは緩慢だ。
白昼夢を見ているかのように覚束ない足取りのマタンゴは、わたしの腕力で引っ張られただけでいとも簡単に引き倒されてしまった。
……ざまーみろキノコ野郎。
顔面から引っ繰り返ったマタンゴ二名を見ながら、わたしは心の中で悪態をついてやった。
だけど、そんな風に勝ち誇っている場合などではなかった。
転んだマタンゴ二名はすぐに起き上がると、自分たちを転ばせたわたしに標的を変えた。
シャグマアミガサタケ=マタンゴがヌメヌメの手で、わたしの両腕を羽交い締めにした。
ベニテングダケ=マタンゴは、飛び散っていたツキヨタケ=マタンゴの肉片を拾い上げると、わたしの口を覆っているタオルを引っぺがして、キノコを口元へ押し付けてくる。
「……っ!?」
背筋にイヤなものが流れた。
まさか、こいつら、
――マタンゴを食べたら、その人間はマタンゴになってしまう。
マタンゴのキノコを一口でも食べたら最後、そいつはマタンゴへ仲間入りだ。
そしてマタンゴは、捕まえた獲物に自分たちのキノコを食べさせることで仲間を殖やそうとする習性を持っていた。
キノコであれ胞子であれ、体内に入り込まれたら終わりだ。
「んっ……!」
マタンゴたちの狙いを察したわたしは、口を真一文字に結んで固く閉じた。
捕まえた獲物がキノコを食べようとしないのを見たベニテングダケ=マタンゴは、わたしの頬をぐいと掴み、人間だったら指がへし折れていそうな力でこじ開けようとしてきた。
わたしは、渾身の力で歯を噛み締め、死に物狂いでもがいた。
「んっ、くっ、んむっ……!」
しかし多勢に無勢だ。マタンゴが三人も掛かってこられては到底勝ち目などない。
とにかく抵抗するわたしと、何が何でもキノコを食べさせようとするマタンゴ。
万事休す。そう思った。
そのとき、エミィの声がした。
「リリセ、目を瞑れ!」
その指示のとおり、わたしは目を固く瞑った。
「オイこっち向け、キノコ野郎!! これでも喰らえ!!」
振り返ったマタンゴたちに、エミィはバケツの中身をぶちまけた。
盛大な水音と共に、冷たい水がわたしの全身を濡らした。
ただの水ではない、泡立った感触があった。
エミィが浴びせたのは消毒剤を溶いた水だった。
三人組のマタンゴは、わたしと一緒に、消毒剤を顔面から被ることになった。
消毒剤の作用で菌糸を焼かれ、笑い声とも悲鳴ともつかない絶叫を挙げながら、マタンゴたちはばたばたと倒れた。
「こんにゃろっ!」
わたしは、怯んだマタンゴを押し退け、なんとか立ち上がることが出来た。
「……ありがと、エミィ!」
「とにかく逃げよう!」
苦しみ悶えるマタンゴたちを尻目に、わたしたち二人はホールの方へと駆け出した。