ルカによる福音書 12章49節
作戦行動の終了を告げる無電が、機動部隊
艦隊は輪形陣を保ったまま、進路を北北西にとる。外縁の護衛総隊は遠く、その表情はうかがい知れなかったが、陣形の内側で守られた空母の顔には、勝利に酔いしれている様子は無い。苛烈な戦闘を越えた、安堵でもない。
それは、私に曳航される「黒船」、空母ヲ級の存在によるものだった。
先の戦闘で大破炎上するも、
とはいえ、空母の肝要である構造を一挙に失うわけであるから、一切の戦闘能力を失逸することになる。
せっかく
彼女の様子はというと、帽子は僅かに残った肋骨をのぞけば跡形もなく吹き飛ばされ、頭も左半分が欠損し、脳漿らしきものが噴き出していた。一体、これでどうやって生きているのかと、信じがたい有り様だった。
艦隊の皆の、凍り付いた顔、顔、顔。無論グロテスクではあったが、それ以上に畏怖、恐怖が勝っていた。
こいつらは、本当に私たちの手に負える存在なのか。いつも行きがけの駄賃と言わんばかりに沈めていくはぐれ艦も、実は昨日沈めた艦が再生したものなのではないのか――バケモノのようになったヲ級の姿は、否応なく、そう思わされるものだった。
ところで、深海棲艦の「生きた」サンプルというものは、非常に希少なものである。
体の小断片程度であれば、それこそひとしきり戦闘をやったあとの海域には、網を曳けばそれなりの量が掬えるほどに散らばっている。その奇っ怪な――高分子と金属の複合体という――構造も明らかになっていた。
だが、生きている個体は貴重だ。深海棲艦とは一言に、人類の安寧を脅かす万人共通の敵である。そんな人類によって作られた私たち艦娘は、これを一切合切の疑問なく排除することが、至上命令としてこの自我の根底におかれている。
そんな訳で、目についた深海棲艦は片っ端から沈めていく。連中の勢力規模が解明されていない以上、そしてその放置が一体何を招くのか、それが善いものでないことは少し考えれば分かることだ。
だから、とにかくすり潰していかなければならなかった。
そういうわけで、生きたサンプルは貴重だった。
おもむろに後ろを振り返ると、ヲ級はやはりそこにいた。吹っ飛んだ頭が、気持ち治ってきたようにも見える。
顔の右半分は無くとも、残った部分だけでもわかった。線の細い、整った顔立ちをしている。
戦闘中は、敵艦の顔を見ることはない。連中を観る色眼鏡が、勝手に補正をしていたのだろうか。だからか、凄く意外だった。
あの帽子を取っておしゃれをすれば、陸に上がっても、それが深海棲艦であるとは思えないだろう。
私は彼女に興味がわいていた。これは、一種のカルチャーショックなのかもしれない。
そんなことを考えていたら、私の個人回線に一本のコンタクトが飛び込んできた。知らないコールサインだった。誰だ、と高速言語で返す。するとすぐに、返事があった。
【私にお話ししましせんか】
平文だった。ところどころぎこちないが、意訳するに、そういうことを言っていた。
ぶったまげた。開いた口が塞がらない。
「ヲ級…?」
彼女だ。彼女が私に、接触を試みてきたのだ。
いや、おかしい。どうして私の回線が分かった?どうして会話が成立してる!?
――――そもそも、艦娘が搭載している「会話」システムは、声によるものと、言語中枢で生じる、「ナマの信号」を伝達するものの2種類がある。後者は射撃音や機関音など、様々な騒音が飛び交う環境となる戦闘中に、互いの意志を確実に伝達する為に装備された機能で、理屈は無線通信と同じ。故に「無電」と俗称されている。
だが、厳密には異なるらしく、通常の無線機器からは傍受されない、艦娘独自の特殊な仕組みになっているらしい。
そんなシステムであるというのに。
深海棲艦がこれを使ってコンタクトをとってくるというのは、一体どういう事なのか。
理由はわからなかったが、分かるかもしれなかった。先程のコンタクトのログを夢中になって思い出した私は、急ぎチャンネルを合わせ、同じく平文で返す。
『今の、アンタ?』
すぐに返事が来る。
【YES,言語中枢が治っていません。まだ】
不自然さはあったが、確かにそれは意味のある言葉であり、私に対して向けられたもので間違いなかった。
『…驚いたわ。それでも…頭を吹き飛ばされても考えられるのね』
【ヒトガタを象るに意味はありませんので、しかし吾々は――】
『ノイズが酷いわね…我々は、の後、なんて言ったの?』
【我々は――】
やはり聞き取れない。ちょうどその部分だけがノイズになっていた。きちんと出力されていないのかもしれない。言語中枢が治っていないからだろうか。そうだとしたら、問うても仕方ないだろう。
『まあ良いわ。それよりもアンタ、どうして私と
【答ます,我々は――――】
また同じノイズにかき消され、肝腎の部分が聞こえない。
私が顔にクエスチョンを浮かべていると、ヲ級は何度も言葉を送ってきた。
でも、どれもノイズがひどい。何を言ってるのか、全く分からない。
それはそれでおかしな話である。最初はしっかり意味の通る言葉が聞こえていたのに。
だが、あの身体だ。修復しているとはいえ、あるいは修復中だからか、無理は利かないのかもしれない。
【〜〜!!1p6ar750l3gcgfji2o0j91】
それでも、会話になっていない会話が続く。ヲ級は絶えずノイズを送ってくる。
【1b4a68d84392b00ag443740d36………】
【643EIH9KI8O300000000…】
だが、ついに諦めたようで、【やっぱり駄目みたいです。この話、やめましょう】と、急に流暢な口ぶりで言ってきた。
【ああ、そうだ。私が少し、あなたとお話ししてみたかった。そういうことにしましょう】
『ちょ、ちょっと…え?』
【身体の修復に戻りますね。すこし、疲れちゃいました】
そう言って、ヲ級は回線を閉じた。
それが最後だった。なんだか、だいぶ置いてきぼりにされていたような気がする。
結局、疑問はなにも解決しなかったし、分からないことばかりだ。
最後になって急にノイズが消えたのはなぜだろうか。
単に言語野が治ったからだ、と言えなくもないが。
それでも急すぎないか、とは思う。
私がまだ彼女を信頼できてないからだろうが、あのノイズがこちらの思考回路に何らかの影響を与える、いわゆるウイルスプログラム的なものだったという可能性も考えられる。
とにかくひとつ言えるのは、「なんだかよく分からない」、これに尽きる。
だが、成果はあったはすだ。
考えれみれば深海棲艦との対話だなんて、滅多に聞くもんじゃない。
私の記憶野に残ったログから、なにか知見が得られるかもしれない。
データだけじゃない。彼女そのものもまた、間違いなく、我々人類にとっては垂涎の代物だ。今後の戦略的にも、おそらく何かしら役に立つものとなるはずだ。
…そうなれば、私は稀代の功労艦となる!
灰色の空と海の境に、愛しい本土の輪郭が浮かび上がってくる。無事に帰ってこれた。今夜は祝杯だ。
※
母港の岸壁が見えてきた。
白っぽい格好のツブツブが、せわしなく動いているのが分かった。
艦娘収容の為に待機している、いつもの整備員達なのだろうが、今日はやけにその数が多い。
ヲ級の対応の為だろうと思ったが、近づくにつれ、「白っぽい格好」がツナギの整備員でなく、全身を防護服に固めた…防疫隊員であることに気付いた。
なるほどなるほど、深海棲艦だもんね。しかも生きてるし。そりゃあそれぐらいの対応はするよね。
【…ッ…瑞鶴?聞こえてるわね?】
翔鶴姉ぇだった。どうしたのだろう。やけに深刻そうな調子だった。
『聞こえてるけど、どうしたの?』
【あなたと…あのヲ級は別で収容するようなの。だからすぐ、艦隊を離脱して。すぐに内火艇が来るわ】
『私?どうし…』
言いかけて、留めた。
それは駄目だ。
私は、私は
『諒解。翔鶴姉ぇ達はどうするの?』
【私たちも、個別に収容されるわ。深海棲艦に接触した艦の、要綱に基づく処置…そういうことになってるみたい】
『ふうん…じゃあ、行くわね。《ヲ級、私たちだけ別で収容だわ。着いて来て》』
【分かりました。瑞鶴さん】
…え?
『あっ…私…ヲ級…?』
【どうか、しましたか?】
『私…どうして話せてるの…?』
【あなたが私のことを覚えているからですよ】
『覚えて…そりゃ、覚えてるけど…』
「無電」会話は、艦娘にのみ実装された機能。故に、艦娘内でのコミュニケーションでのみ用いられる。
記憶は記憶野に保存される。人は記憶を忘れるが、我々は人ではない。
どのような時でも、必要なことを、必要なだけ思い出すことができる。そのように作られている。
我々は誕生の瞬間から、この会話システムを使っている。故に私たちは、何も考えずとも、「思考を言葉とし、声とする」ように、「思考を言葉とし、直接伝達する」ことができる。
だがそれがはたらくのは、艦娘に対してだけなのだ。
…機能の有無ではない。
機能の有無ではなく、私たちは「直感的に、同族に対してこの会話方法を採る」のだ――――
【大丈夫ですか?あなたの思考が流れてきます。…ひどく混乱している】
『あんた…ヲ級…?』
【わたしは、あなたと…」
顔を上げると、内火艇がすぐそこまで来ているのが見えた。