「やあ、比企谷。勿論部活には行くんだろうな?」
放課後を告げるチャイムの後、教室を出た俺を待っていたのは腕を組みながら壁に寄りかかり、此方をじっと見つめる平塚先生だった。
なんというか、カッコイイなこの人。
「いや、行くつもりでしたよ。え、もしかしてそれを言う為に待ってたんですか?」
「君が部活に行かずに直接帰る可能性もあったからね。それに、君に用があったから丁度いいだろう?」
そう言うと寄りかかっていた体を戻し「行くぞ」と短く言うと先を歩いていく。…やっぱ後ろ姿とか色々含めて、この人男前だよなぁ…。
「それにしても、本当に意外だったよ。まさか君から友達になろうなんて言うとはな。」
「…ああ、そう言えば聞いてたんでしたっけ。」
「本当は途中で入っていこうと考えていたのだがね。水を差してしまうと思ったよ。」
まあ、昨日の雪ノ下を見る限り言い争う確率は高かっただろうしな。たまたま俺が親近感を覚えただけだし。
「それで、用ってなんなんですか?」
「ああ、そうだった。聞きたいことがあってな。…比企谷から見て、雪ノ下はどう思う?」
「どう…とは?」
「君から見た印象でいい。純粋に思った事を言ってくれればいいんだ。」
俺から見た印象…難しいな。
「…そうっすね。か弱い少女って感じですかね。若しくは箱入り娘って言い方でもいいかもしれません。」
「ほう?あまり雪ノ下にその印象を抱く人間は少ないと思うのだがな。」
確かに雪ノ下は高嶺の花的な怖い印象があるしな。俺も話してなかったら強くて完璧な人間だと思っていたかもしれない。
「…なんというか、昔の俺に似てたんですよ。今まで積み重ねてきたものを間違えていたって思うことが嫌で、必死に否定している事が。」
昔、俺は虐めを受けたことがあった。最初はよくあるもの。ヒキガエルだとか、比企谷菌と呼ばれるだけ。今じゃくだらないと思うものでも、当時の俺は嫌でしょうがなくて、必死に変えようとした。
俺を嫌う理由がわからなくて、その理由を自分に求めた。もしかしたら勉強が足りなかったのかもしれない、運動能力が低いのかもしれない、清潔感がないのかも…そんな具合に。
必死に足掻くうちにそれは更にから回った。ヒキガヤの癖に勉強出来るのがキモい、ヒキガヤの癖に運動できるのがキモい、クラスの名前を覚えているのがキモい、こっちを見るのがキモい…。
まあ、つまるところ俺=キモいという印象で固められていただけ。特に理由などなかったのだろう。それに気づく頃には、世界の残酷さに目が澱んでしまっていた。腐ったと形容してもいいかもしれない。
「雪ノ下は強いですけど、その強さは裏返せばそれは雪ノ下の弱さで出来てると思うんですよね。自分は正しいのに周りがそれを否定する。雪ノ下は、その正しさを曲げれない。」
それが、雪ノ下の“強さ”で、“弱さ”だ。
「俺はそれを正しいとも間違いとも思わないです。清濁併せ呑むとまでは言いませんけど、この世界って正しいだけじゃ生きてけないのは知っているんで。
…でも、正しさを貫くのも間違いじゃない。それが独りじゃ難しいことは既に知ってるんで。」
目が腐った雪ノ下は見たくないしな。
「…ふふ。やっぱり君を奉仕部に入れて良かったと思うよ。」
平塚先生はそう微笑んだ。その微笑みはとても綺麗で、なんでこの人結婚出来ないんだろうなぁと切実に思った。
多分、男よりも男前だからなんだろうなぁ…。
「うす。」
平塚先生と別れて奉仕部の扉を開く。一応ノックをしてからだ。昨日平塚先生に指摘してたし、そういうところは厳しいのだろうか。因みに二回だと一般的にトイレなどの空室を確認するノックになるらしいので受験生の諸君は注意だ。
「…ああ、本当に来たのね。」
読んでいる本から目を逸らさず雪ノ下はそう言った。
「入部するって言ったろ。」
「そう。なら今度からノックは無しでいいわ。一々反応をするのも手間だから。」
「そうか。」
それなりに緩いらしい。まあ、確かに毎回返事するのも面倒くさいだろうしな。
昨日出した椅子の下に荷物を下ろして自分も座る。一応、席は出したままにしてくれたようだ。
「ああ、そう言えば。平塚先生が依頼を多く解決した方が勝ちのバトル方式にするってよ。昨日伝え忘れたらしい。」
「…そう、いいわ。あなたには負けないから。」
少し此方を見てそう告げる。…なんかライバルみたいな事言われた。敵対視されてるのか、それともただの負けず嫌いか。別に俺は勝ち負けはあまり気にしてないんだが…。
「…あなたは、あまり私に話しかけて来ないのね。」
「…は?え、話しかけて欲しいの?」
それから十五分くらい経っただろうか。いきなり雪ノ下が話しかけてくる。え、意外と寂しがりだったりするのだろうか。因みにぼっちは結構な頻度で寂しがりだったりする。例のC組の厨二病とかな。アイツたまに千景と一緒にいる時後ろに尻尾が見えるもんな。
「そうじゃなくて。…私に近づく男子は大体下心込みだったから。そういう人間は聞いてもないのによく話しかけてくるのだけれど、あなたはそういう素振りを見せなかったから…もしかして、あなた同性愛者だったりするのかしら。」
「ちげーよ。」
まあ、確かにコイツ程可愛ければ男子は大体下心持つだろうな。なんとなく癪だが。
「…まあ、可愛い妹がいるから、それで慣れてるんじゃねーの。あとそもそも期待してないからな。」
小町は愛しの妹という贔屓目を除いても美少女と言っても過言じゃないだろう顔立ちはしてるし、それに中学の頃唯一話してた女子もモテるタイプだったから意外と美少女慣れはしてるのだろう。…他人を美少女って認めるの、意外と恥ずかしいな。
「…あなた、シスコン?」
「否定はしない。」
千葉の兄妹はそういうものなのだ。高坂さん然り、千種さん然りな。
そんな話をしていると、コンコンとノックの音がした。
「どうぞ。」
「し、失礼しまーす…。」
控えめなノックの音と、少し緊張しているのか上擦った声の女子が入ってきた。桃色がかった茶髪をお団子にして、服装は少し崩している。イマドキの少女って感じの見た目だ。…なんか見たことある、というか同じクラスじゃないか?トップカーストの一人だった気がする。
「あれ、なんでヒッキーがここにいんの!?」
「呼ばれてるぞ雪ノ下。」
「どう考えてもあなたでしょう、ヒキコモリ君。」
あ、そのあだ名呼ばれたことあるな。少し懐かしい思いをしてしまった。…いや、蔑称だな?
「…というか、ヒッキー?」
「ひきがや、でしょ?だからヒッキー!」
あ、名前知られてるんだ。少しときめいてしまった。ちょっろ、俺。
「確か二年F組の由比ヶ浜結衣さんだったわね。」
「あ…あたしの名前知ってるんだ…。」
へえ、すげえな雪ノ下。同じクラスの俺ですら名前は覚えてなかったのに。もしかしたら学年の全生徒と顔と名前は知ってるのかもしれない。
「…まあ、雪ノ下の事だから一学年分の生徒の顔と名前は覚えてるんじゃねーの?知らんけど。」
「全員は覚えてないわ。あなたの顔は知らなかったもの。」
「嬉しくない特別扱いどうも。」
「あら、もっと感謝してもいいのよ?私からの特別扱いなんて、普通の男子生徒なら泣いて喜ぶわ。」
逆にそれで泣いて喜ぶ男子生徒キモくないか?実際やったらゴミを見る目で見るだろうに…。
「なんというか…面白そうな部活だね!」
「え、今ので?」
俺がただ罵られてるだけじゃなかった?そういう趣味を持ってるのだろうか。
「それで、依頼内容はなんなのかしら。」
「あ、その…えっと…。」
雪ノ下が話を戻すと由比ヶ浜が俺をちらっと見た。
「…あー、なんか飲み物買ってくるわ。お前らは?」
「私は紅茶でいいわ。」
躊躇なく頼めるのはお前らしいよなぁ…。
「由比ヶ浜は?」
「えっ?あ…じゃあレモンティーで…。」
「了解。」
「あ」
「あれ、ハチ。部活中じゃねぇの?」
なんか最近学校でよく会うなぁコイツ…。飲み物を買いに自販機に行ったら千景に会った。
「まあ、パシリだよ。つかお前今日バイトなかったか?」
「バイトは一昨日先輩の代わりに出たから今日代わってもらったの。…なんつーか、楽しそうでよかったわ。昨日あんな事言ったけどさ、結構心配してたんだぜ?」
普段あまり見せない真剣な表情でそう言ってくる千景。…なんか過保護じゃないか?母親か?なんならうちの母さんよりも過保護まである。
「奉仕部だっけ?頑張れよ、なんかあったら手伝うからさ。」
そう言って自分の教室の方へ戻って行く。…放課後に教室で何やってんだろうな…。うちのクラスのトップカースト勢にも言えるけど。
まあ、なんだかんだ言って俺の友達は優しいやつなのである。俺が女だったら惚れてるんだろうなぁ…いや、今のイメージが強過ぎてやっぱ無理だわ。想像したくない。
「…で、なんで家庭科室?」
「手作りクッキーを食べて欲しい人がいるそうよ。でも自信が無いから手伝って欲しいんですって。」
場所は変わって家庭科室。部室に帰ったら誰も居なかったので隠れんぼの時のトラウマが蘇った。雪ノ下の書置きがなかったら泣いていたとこだった。
…にしても、手作りクッキーねぇ…。リア充してんなぁ…。
「お前、いつも喋ってるやつがいるだろ。そいつらに頼まねぇの?」
「その…あんま知られたくない雰囲気っていうか…このマジっぽい雰囲気と合わないっていうか…。」
そうぽしょりと呟く。まあ、あのメンバー自体料理出来なさそうな奴の集まりだしなぁ…。
「平塚先生の話だと、この部活って生徒のお願い聞いてくれるんだよね?」
「いいえ、それは違うわ。奉仕部はあくまで手伝うだけ。飢えた人に魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えて自立を促すの。」
「ほえー…なんかすごいね!」
絶対わかってないぞこいつ。もしかしてアホの子なのだろうか。
「…で、手作りクッキーだよな?そういうのが得意な知り合いを知ってるから、呼んでいいか?」
さっき手伝うという言質もとってるからな。ここは使わせてもらうことにしよう。
残念ながら俺はお菓子は作れないし、味見だけになってしまいそうだからな。
「まさか、もう呼ばれるとは思ってなかったわ…。」
と、いうわけで千景を呼びましたと。あとさっきから雪ノ下と由比ヶ浜の見る目がすごい。如何にも「あんな知り合いいたんだ」とか「ああ、虐められてるのね」みたいな顔をしている。
「あ、自己紹介な。ハチの友達で茅ヶ崎千景でっす。雪ノ下さんと…あと、隼人とか翔の友達の子だよな?よろしくなー。」
「隼人君と戸部っち知ってるんだー!あ、あたし由比ヶ浜結衣!えっと…ちがちー、よろしくー」
「ちがちー?初めてだわその呼ばれ方。じゃガハマちゃんな。」
うわ、すげぇ、もう仲良くなった。というか…ちがちー…ヒッキーの時も思ったが名付けのセンス独特過ぎないか…?
「…えっと、茅ヶ崎君…あなた本当にクッキーを作れるのかしら。失礼だけれどそういうのを作る風には見えなくて。」
「あー、チャラいってよく言われるもんな俺。大丈夫だよ、ハチのお墨付きだから。なんだったら先に作ろうか?」
因みに千景がお菓子作れるのは、小遣いが貰えない千景がバレンタインのお返しをどうするか悩んだ結果、安価で大量生産出来る手作りになった…という理由である。
こいつ、モテる癖に律儀に全部返すからその評判が回って更に貰う量と返す量が増えたらしい。
取り敢えずお墨付きって事を示すため頷いておいた。4年間の努力が垣間見える美味しさである。
「…比企谷君も頷いてるみたいだし、どうやら本当のようね…。そう、なら先に茅ヶ崎君に作ってもらって後から私と一緒に作りましょうか。それでいいかしら、由比ヶ浜さん。」
「うん、ありがと!雪ノ下さん、ちがちー!」
「んじゃ軽く説明しながら作ろうか。」
「…で、なにこれ。ホームセンターの炭?」
「違うもん!ヒッキーのバカ!」
「どうしてあれだけミスを重ねられるのかしら…。」
「独創性の塊だなぁ…初心者にありがちな。」
手本として作った千景のクッキーは…まあシンプルに美味かった。由比ヶ浜と一緒に作っていた雪ノ下の手際も充分によかった。
…それを上回って由比ヶ浜の料理の腕は酷かった。桃缶を入れようとするな、しかも直で。
「ま、まあ味はいいかもしれないじゃん!?」
「本当にそう思ってんの?」
「噛めないカカオ100パーセントチョコみたいな味だと思うけどなぁ…。」
まあ、食うけどな。一応俺は味見しかできないし。というか千景はさっきからフォローしてるのかしてないのかわからないな?
…にっが。
「さて、どうすれば良くなるか考えましょうか。」
一応その後に全員で食べてみた結果、由比ヶ浜は半泣きでレモンティーを飲んでるし、雪ノ下ですら食べた瞬間に紅茶で流し込んでた。千景もなんか微妙な顔をしている。
「由比ヶ浜がもう料理をしないこと。」
「ヒッキーひどい!」
酷いのはお前の料理の腕である。
「それは最終手段よ。」
「解決しちゃうの!?」
がびーんと驚いた後、ため息を吐いて愚痴をこぼす。
「…やっぱあたし料理向いてないのかなぁ…。才能?っていうの、そういうのないし。」
「…努力あるのみよ。」
「え?」
「由比ヶ浜さん、あなた今才能がないって言ったわね。まずその認識から改めなさい。最低限の努力をしない人は才能を羨む資格もないわ。成功できない人間は成功者の努力を想像できないから成功しないのよ。」
…やはり、雪ノ下は正しすぎる。その正しさは眩しいもので…普通の人間には眩しすぎて毒である場合もあるのだ。
「でも、そういうのみんなやらないって言うし。こういうの合ってないんだよ…。」
そして恐らく、由比ヶ浜にもきっと。
「その周囲に合わせようとするの辞めてくれるかしら。酷く不愉快だわ。」
痛すぎる毒であると思うのだ。
──そして、俯いた由比ヶ浜は声を絞り出す様に声を出した。
「か…かっこいい!」
「は?」
「ふはっ、ははは!雪ノ下さんもガハマちゃんもやべーな!」
驚いた様に声を上げる雪ノ下と、本当に面白そうに笑いだした千景。そして俺は…声すら出なかった。彼女の真っ直ぐさに、真っ直ぐついていける人間がいるとは思わなかったから。
「建前とかそういうの全然言わないんだ。なんかそういうの、かっこいい!」
「は、話聞いてた?結構キツいこと言っていたつもりだけれど。」
「うん、確かに言葉は酷かったし、正直引いた。…でも、本音って感じがするの。
あたし、今まで他の人に合わせてばっかりだったから。ごめん、次はちゃんとやる!」
今まで、こんなリアクションをされた事がなかったのだろう。雪ノ下は固まって動けなかった。俺は雪ノ下の肩をポンと叩き声をかける。
「教えてやれよ、正しいクッキーの焼き方。」
そんな俺と雪ノ下を優しい表情で見つめる千景を見つけて、なんだか無性に恥ずかしくなった。
そして出来た次のクッキー。先程よりかはクッキーらしくなったモノが出来上がった。
「全然ちがーう…。」
「どうすればわかってもらえるのかしら…。」
ぐったりと机に伏せる雪ノ下。
「ごめん雪ノ下さん、もう一回だけ付き合って!」
握りこぶしを二つ作ってやる気を見せる由比ヶ浜。何かを思いついたのか自分のノートに何かを書き込んでる千景。
「…なあ、なんで美味いもんを作ろうって思ってるんだ?」
「え、どういうこと?」
「そうだな、十五分くらい時間をくれ。俺が本当のクッキーってのを教えてやるよ。」
今回、何も出来てないからな。ここから先は俺のターンだろう。
「…茅ヶ崎君、比企谷君はクッキーを作れるのかしら?」
「んー?俺は聞いた事ないかな。ハチの料理レベルは小学校六年レベルだったはず。」
「で、これがあなたの言う本当のクッキー?」
「なんか、あんまり美味しくなさそう?」
「まあまあ、取り敢えず一枚食ってみてくれよ。」
因みに千景は俺の真意に気づいているだろう。さっきからにやけているし。ムカつくから脇腹を突いといた。
「これは…」
「…あんまり美味しくない。」
ポソりと由比ヶ浜が呟く。それはそうだろう。
「…そっか、美味しくなかったか。悪い、じゃあ捨てるな?」
ここで凄く申し訳なさそうに言う。相手に罪悪感を与えるように。
「え!?べ、別に捨てなくても!食べてたら美味しいかも!」
由比ヶ浜が慌てて否定してくる。
「まあ、これはさっき由比ヶ浜が作ったやつなんだけどな。」
そう、俺は今の十五分間にクッキーは作ってない。時間を見計らって三人を呼んだだけなのだ。
「まあ、何が言いたいかって言うと…結局こういうのって心が大事なんだよ。由比ヶ浜、ぶっちゃけで聞くけど、渡す相手って男子だろ?」
「え?その…うん。」
「なら、せっかくの手作りクッキーって事をアピールした方がいいだろ。なんならちょっと悪い方がいいまである。由比ヶ浜みたいな女子が頑張って作ってくれたクッキーなんだ、単純な男子の心は揺れまくるだろうよ。」
「…ヒッキーもゆれる?」
「ああ、揺れる揺れる。」
俺の適当な返事に由比ヶ浜は「そっか」と小さく呟いて顔を俯かせた。
「…依頼はどうするの?」
「…うん、雪ノ下さん今日はありがとね。一回家で頑張ってみる。」
「…そう、少し心配だけれど…頑張って。」
「ありがとう!───ゆきのん!」
由比ヶ浜が雪ノ下に抱きつく。えっ、これがキマシタワーってやつ?
家庭科室の片付けが終わると部活終了時刻五分前と迫っていた。雪ノ下と由比ヶ浜は今日だけでかなり仲良くなったみたいだ。…そのことが、何故かたまらなく嬉しかった。
「あ、ガハマちゃん。これ今日見てた感じダメだったとこ書いといたから参考にあげる。…特に最後大事なこと書いたからちゃんと見て欲しいな。」
「え、ありがとちがちー!…あ、うん。頑張るね。」
「ん、頑張れ。」
何かを書いてたと思ったらそんな事だったのか。…なんとなくこういう所がモテるんだろうなぁって思いました、まる。…由比ヶ浜が紙を見た時少し表情が曇った気がするけど気の所為だろうか?
「ガハマちゃんと雪ノ下さん、二人ともいい子だったな。」
「なんだよ、それ。」
一緒に帰るの、結構久々な気がするなぁ…高一の最初の方?ハチ、あんま学校で見かけないから。俺もバイトあるから中々時間が合わないってのもあるんだろうけど。
「…良かったじゃん。」
「なにが。」
「雪ノ下さんとガハマちゃんの話。」
なんとなく、ハチは雪ノ下さんに過去の自分を重ねているのがわかった。出会った頃、何処か消えてしまうんじゃないかっていう目をしてたあの頃のハチに。
今のハチも目は腐ってるけど、あの頃はもっと酷かった。そんなハチが普通に笑えて、普通に他人を気遣える今がたまらなく嬉しい。
そう言えば、雪ノ下さんとガハマちゃんとハチの組み合わせ。何処かで既視感を感じる三人だったけど、最後の方で気づけてよかった。
去年の交通事故の関係者の三人が集まっていたのは、なんて運命のイタズラだろうか。
…多分、ガハマちゃんのクッキー渡したい相手はハチだろう。それに気づいたから、アドバイスと一緒にメッセージを書いといた。
『犬の飼い主さんへ、ハチに渡す時は誤魔化さずなんで渡すか言うように!!』
きっと、ハチは自分から気付いたら拒絶するだろう。優しいだけの女の子だと勘違いして。だから、自分から行かないといけない面倒臭い奴なのだ。
「頑張れよー、ハチも。ガハマちゃんも雪ノ下さんも。」
「ヒッキー!あの時、サブレを助けてくれてありがとうございました!」
翌日、放課後由比ヶ浜に呼び出され頭を下げられた。
え、何?サブレ?お菓子?
「あ、サブレって言うのはうちで買ってる犬の事で…その、入学式の日に…」
入学式…ああ、なるほど。入学式の日に俺は犬を庇って事故に遭っている。その飼い主が由比ヶ浜だったのだろう。
「…確かもうお礼は貰った気がするが。」
気づいたら無くなっていたが確かお高めのお菓子を貰っていた気がする。
「…その、あたし個人から渡したくて…だからその。クッキー、良かったら受け取ってください!」
ふと、トラウマが蘇った。小学校の頃、唯一仲良くしてくれた女子がいてそれが俺の初恋だった。虐められていた俺にも優しくしてくれたから。そんな中聞いてしまったんだ。
『ヒキガヤ、…うん、気持ち悪いよね』
本当にそう思っていたのかは知らない。周りに流されたのかもしれない。…それでもその時に気づいてしまった。俺に優しい女の子は、きっと周りにも優しいのだ。
そして、由比ヶ浜は優しい女の子だ。
「───まあ、そのなんだ。有難く貰っとく。」
中学の頃、俺は千景を遠ざけようとした事がある。俺といる世界が違うんだと勝手に判断して、会わないようにした。
その時に言われた言葉を今なんとなく思い出した。
『俺の気持ちを勝手に決めつけんなバカ!』
由比ヶ浜は、俺を真っ直ぐに見つめていた。
「…まあ、また奉仕部に来いよ。雪ノ下とも会えるだろ。」
…もう一度くらいは、優しくて真っ直ぐな女の子を信じてみてもいいかもしれない。
因みに茅ヶ崎家はお小遣い制ではありませんが、実は父親に言えばお金は出してくれます。千景君はその事を知りません。父親もこれから先言う事はないでしょう。