「マスター、少しよろしいでしょうか?」
廊下を一人で歩いていると、コトルシィが図書室の扉から顔を覗かせながら呼び掛けてくる。
コトルシィがこういう風に呼んでくる時は大体、自分ではどうやっても分からないような疑問を抱いた時であった。
これは難題だろうな……そう考えながら、コトの部屋に向かい歩を進めた。
「ありがとうございます、どうぞお入りください」
薄暗い空間、しっとりとした本の香り、静寂に包まれたコトの自室は、心落ち着くような雰囲気を醸し出していた。
薄暗い部屋を見渡しながら、本の積まれた奥のテーブルへと向かい、そのいくつかをどかしながら席に着く。
コトルシィはテーブルの上のランプに火を灯してから静かに席に着く。
「………………」
………………。
……暫くの沈黙。微かに響く音も、いくつもの本に染み渡り、消え去る。
この無音が、これから打ち明けられるであろうものの重要さを予期させた。
「…………ん……」
凍りついたように固まったコトルシィの表情。
その中に、微かな迷いの色が見えた。恐らく、どう切り出せば良いのかと悩んでいるのだろう……。
普段のコトルシィは、思ったことは何でも単刀直入に言うような素直な性格をしていた。
だがしかし、今回は違った。それだけのものであるのか……。
…………それで、一体どうしたんだ? 何でも話してくれ……自分が力になれるのなら、どんなことでも力を貸すさ。
「…………実は、……最近、調子が悪いのです」
一瞬の微かな安堵の後、ゆっくりと口を開くコトルシィ。
しかし……調子が、悪いと……?
メンテナンスは見様見真似ではあるが、最低限しっかりと行っている筈だが……?
「……ええ、確かに、メンテナンスは上手く出来ていますし、そこでも特に異常も見つかってません。
しかし、それにも関わらず、謎の痛みや思考のエラーなど、多くの不調が見受けられるのです。」
それは……中々に深刻な問題だな……何故なのだろうか……? コトルシィ、何か思い当たる節や、こういう時に起こる、みたいなのは無いか?
「…………無い、……訳では……無いのですが……」
突然言い淀むコトルシィ。その表情には、明らかな葛藤の色が見えた。
……どんなことでもいい、言ってみてくれないか?
「…………分かりました、マスター。
……実は……お姉様が原因、かも……しれません……」
……なるほど、それは言い淀む訳だ……ソフィのことを、あんなにも慕い親しんでいるのだから……。
しかしソフィが原因だと……? それはまた何故?
「ワタシに起こる不具合のほぼ全てが、お姉様と一緒に居る時、もしくはお姉様のことを考えている時に起こるからです……。
胸部の痛みやコア部分の異常稼働、思考への無視できないノイズなどが、お姉様のことを思い浮かべた時、お姉様のお姿を見付けた時、お姉様の側に居る時、お姉様に褒められた時などに起こってしまうのです……」
深刻な表情、悲痛な面持ちで語るコトルシィ。
……だが、……いや……。
……うぅむ……これって、……もしかして……?
「今だってそうです、お姉様が原因かもしれないと思うと、胸部が締め付けられるように苦しく、思考に深刻なエラーが起こってしまいます……。
それと同時に、お姉様のことを考えているのが原因か、コア部の異常稼働の他に体内温度の上昇や視界の白化と共に起こる意識の一瞬の消失、顔面部の赤化、呼吸器官の異常に伴う息苦しさ、かふk」
あぁ、もう良い……大丈夫だ。
そう言って、止まることのないコトの口を目の前に掌を突き出しながら停止させる。
「……何でしょうか、マスター。
ワタシはまだ、マスターにワタシの不具合の全てを伝え切れていないのですが」
真面目に取り組んでくれていないと思ったのかは定かでは無いが、どこか不機嫌な様な表情で異議を申し立てるコトルシィ。
だがしかし、これ以上コトの不具合について聞く必要も無いだろう……何故なら、コトルシィのその不具合に、思い当たる節があるからだ。
「……それは、本当ですか……? ワタシの不調の原因が、もう理解できた、と……?」
……恐らく、だがな。
困惑の表情を浮かべていたコトルシィだったが、それを聞くと、驚きの表情と共に前のめりになる。
「それは、何なのですか? 早く教えて下さい、マスター」
……それは、……恐らく、恋慕なんじゃないか?
「…………恋……慕……?」
ああ……恋しく、愛おしく想い、心から慕う……恋慕、恋愛感情を……ソフィに対し抱いているのではないか……?
「……ワタシが、お姉様に恋愛感情を……?」
そう言うとコトルシィは、暫し沈黙する……恋愛感情など、考えもしなかったのだろう。
しかし、あれらの症状は典型的過ぎる程の、恋の病であった。
コトルシィは、普段の行動からもお姉様を心から慕っているのは明らかであり、コトルシィは感情というものを持っていながらも自覚できず、また感情の知識も乏しいアンドロイドだ。心から慕うソフィに対し、知らず知らずの内に恋愛感情を抱いても自然であろう。
「…………なるほど、データと自身の行動を参照した所、恋愛感情が原因である可能性は十分ありえそうです。
……ですが、それには大きな矛盾点があります」
ある程度は納得しつつも、どこか腑に落ちないような顔をするコトルシィ。
「恋愛感情とは、つがいになりたいという感情では無いでしょうか。だとすると、通常つがいは同種族の異性同士でなるものとデータにあります。
お姉様は人間で、ワタシはアンドロイドです。
そして、お姉様もワタシも女性であり、つがいは成立しない筈ではないでしょうか。
……それに、お姉様のつがいはマスターである筈です。ワタシが、お姉様に恋愛感情を抱くことは、まずあり得ないのでは無いでしょうか」
ひたすら自身の抱いたであろうこのものを否定をするかのように紡がれたその疑問、それは至極真っ当なものであった。
……それが、“知識”として、恋愛を見たのだとしたのなら、そう思うのは当然であろう……。
……だが……。
「………………っ…………」
俯いたコトルシィの、そのあまりにも悲痛な表情を見れば、それが正しい答えではあっても、本当の答えであるとは思えないのだ。
……そっと、コトルシィを撫でる。
……いいか、コトルシィ……。
恋っていうのはな、そんな理屈で作られたものではないんだよ。好きになることに、理屈なんて必要ないんだよ、コトルシィ。
「理屈など、必要ない……?」
ああ、好きだという気持ちに、理由なんて要らないのさ。そう想うから、好きなんだよ。
これはどんな感情であっても一緒だ。自分がそう思ったのならば、そこに理屈や理由など付けず、素直に、胸を張って、自分はそう思うって言っていいんだ。
……だから、種族が違うだとか同性同士だとか、そんな程度のもので、自分の気持ちを、想いを……諦めちゃいけないんだよ。
「…………でも、お姉様とマスターは既につがいですし……それに、ワタシは良くても、お姉様がどう想っているか……」
……まあこれは、人それぞれの感性に依るんだけども、自分は……本気で愛していて、全員が納得しているのなら、愛する相手は一人だけじゃなくても良いんじゃないかな、と思っているよ。
まあ、そうじゃ無かったらイルミカともソフィとも結婚するなんてことはしないからね。
……そして、それはソフィもきっと同じさ。
「…………で、でも……」
不安か? ソフィに受け入れて貰えるか……。
「………………はい……」
……なら、今から直接、本人に聞いてみたらどうだ? 自分の素直な気持ちを、ソフィに伝えてね。
「…………ワタシの、素直な……気持ち……」
コト、君の大好きなお姉様は……その素直な気持ちを、ただ無下にするなんて人間か?
それは違うっていうことは、コトルシィ……君が一番分かっているだろう?
「…………お姉様……」
……さ、行ってこい! 大丈夫だ、お前の素直な気持ちを伝えられたのなら、きっと上手くいくさ。
「…………素直な、気持ち……は、……。
……ワタシは、お姉様のことが、……大好きで、……尊敬していて、慕っていて、……愛していて……。
…………分かり、ました……ワタシ、お姉様に……ワタシの素直な気持ち、この想いを……伝えて来ます」
ああ、行ってこい!
コトルシィは決意に満ちた表情で立ち上がり、扉に向かっていく……。
「……はい。行ってきます、マスター」
実を言うと、自分には一つ大きな確信があった。
それは、ソフィならばコトルシィのその素直な気持ちを受け入れ、ソフィも必ずそれに応え、愛する筈であるということだ。
ソフィは皆を、心から愛している。
それに、自分以上にコトルシィと触れ合ってきたのはソフィなのだ。そのソフィが、コトの気持ちに気付いてない筈が無いのだ。
……きっと、ソフィはコトルシィが自身の恋心を自覚して、そしてそれを打ち明けてくる日を待っているのだろう。
ソフィは、そういう人間なのである。
扉を開いてソフィの元へと向かおうとするコトルシィを、温かな気持ちで見守る。
扉が閉まるのを見届け、さてコトルシィの嬉しさに溢れた顔を本でも読んで待つとするか……と思っていた所で、唐突に扉が開く。
「マスター、一つ忘れていました」
……なんだ、一体どうしたって……。
「……マスター、ありがとうございます」
そう言って優しく微笑むと、コトルシィは今度こそソフィの元へと向かって行った。
その言葉を受け、ふっと笑みを零しながら、閉じゆく扉にどういたしまして、と呟くのであった。