色々な事からレディバグの正体を知ってしまった
アドリアン…シャノワールのお話。

※公式には出てこないヴィランなどが出てきます。
・少しでも苦手と思った方は今すぐUターンして下さい。


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※二次創作です。
パリを守るヒーロー達の恋愛物語。


たった一人のマイレディ。

レディバグが好きだ。

 

 あの日、あの場所で、強く勇敢な彼女の言葉を聞いてから、僕は恋に落ちてしまった。

 彼女の正義感が強いところも、決断力、そして行動力があるところも、機転が速く賢いところも、ほんのちょっぴり抜けているところも、しなやかな身体も、夜空を掻き集めたような髪も、そして、ブルーベルの瞳も。

 レディバグの全てが僕を夢中にさせた。不謹慎なことは分かっているけれど、彼女と一緒に力を合わせてパリを守るヒーローとしての仕事は僕にとってとても刺激的で、何より幸せなことだった。

 

 彼女のことが好きだから、彼女のことをもっと知りたいと思っていた。仮面を外した姿も、普段の生活も、好きなものも嫌いなものも。

 深く、深く知りたかった。そして、願わくば、仮面の有無関係なく彼女のそばにいたい、なんてそんなことを考えていた。

 どれだけ彼女に冷たくあしらわれても、好きな人がいるのだと打ち明けられても、その気持ちは僕の中で確固たるものであり、不変のものであった。

 

 

「随分とのんびりだな?今日は学校じゃないのか?」

 

 

 レディバグのことをぼんやりと考えながら天井を見上げていた僕の視界にするりと黒い影が割り込んでくる。

 カマンベールチーズの匂いをたっぷり身に纏いながら近寄ってきたのは黒猫のクワミであるプラッグだ。

 いつもより目が開いていないところを見るとつい先程眠りから覚めたのだろう。

 

 

「今日は休日だよ。でもニノとアルヤと、それからマリネットと映画に行く約束をしてるんだ。だからそろそろ準備しないと」

 

「ええ〜休みの日くらいゆっくりしようぜ」

 

「休みの日だからこそ出掛けるんだよ」

 

「よく分かんねえなあ〜」

 

 

 まだ眠たいのかそんなつれないことばかり言うプラッグに用意していたカマンベールチーズを差し出す。

 文字通り目の色を変えて飛びついてくる姿に苦笑いを零しながら、「分かんないか」と独りごちる。

 少し前まではこうして友達と遊びに行けるなんてありえないことだった。モデルにフェンシングに中国語にピアノ、僕は言われたことをこなすだけのロボットのような存在だった。

 それ以外の時間はずっと部屋の中で一人っきり。

 学校に行くこともできず、友達もおらず、ただ窓から外の景色を無為に眺めるだけの日々。

 僕が僕である所以を、少しも見つけることができずにいた。

 

それが突然プラッグが目の前に現れて、シャノワールとして活動するようになってから僕の世界は格段に広がった。

 知らない景色を知った。食べたことのなかった味を知った。

 自分の言動ひとつで人を悲しませてしまうことを知った。

 はじめて友達ができた。……恋をすることの楽しさと苦しさを知った。初めて自分らしくいられることの爽快感を知った。

 あのとき、飛び出していなければ味わえなかった経験だったと思うと、全てが愛おしく感じる。

 

 そして何より、今もこうしてレディバグと一緒に戦えているのが他でもない自分だと言うことが本当に嬉しい。

 シャツのボタンを留める手を止め、思わず「はあ、」と息を吐く。彼女のことを考えるだけで、こんなにも胸が高鳴る。

 ドキドキ、ドキドキ。この鼓動の音が世界中の人に聞こえてしまっているのではないかと本気で思うほどに。

 苦しくて切なくて、決して楽しいばかりの感情じゃないけれど、僕にとって何よりも大切なもの。

 

 

「……やっぱり特別なんだよなあ」

 

「そうだな、今日のパリは一段と特別だ」

 

「……え?」

 

「おいアドリアン、窓の外見てみろよ」

 

 

 カマンベールチーズを抱えながら窓の外にふよふよと佇むプラッグに倣うようにして外の景色に目を向ける。

 視界いっぱいに飛び込んできたそれに、思わず息を呑んだ。

 

 パリの街が、厚く黒い霧のようなものにすっぽりと

覆われてしまっていたのだ。

 

 普段なら窓から見える石造りの街並みやそびえ立つエッフェル塔、セーヌ川などの馴染みの光景は消え、代わりに辺り一面を正体不明の霧が立ち込めている。前が見えないからか人びとの混乱する声や、車のクラクションの音が鼓膜を振動させた。

 

 どうやら、僕たちの出番らしい。

 

 

「プラッグ」

 

「いいのか?」

 

「ああ、きっとニノたちは話せば分かってくれる。

それに僕たちが行かなきゃパリの街が危ないからね」

 

 

 プラッグ、クロウアウト!と言い放つと黒い影はシュルシュルと指輪に吸い込まれていく。

 仮面をつけ、黒いヒーロースーツを身に纏えば僕は街を守るヒーローのひとり、シャノワールだ。

 美しいパリの街並みを取り戻して人びとを混乱から救うためにも一刻も早くアクマを浄化しなくてはならない。

 勢いよく窓を開け、そのまま黒く変色した街へ思いっきり飛び込む。

 近くの建物に着地し、まずはこの霧の正体を突き止めるべく、強く屋根を蹴った。

 

 

 

 窓から見ても凄い霧だと分かっていたけれど、実際にその中に入ってみると想像を絶するものだった。

 目を凝らせばかろうじて視界は確保できるものの、ほとんどの建物が霧で覆われているため移動もままならない。

 今自分のいる場所すらあやふやになってしまう。

 

 それも十分厄介だが、一番は呼吸の苦しさだった。

 シャノワールは普段の姿でいるときよりもずっと鼻が効く。

 そのため普通に呼吸をするだけで敏感に感じ取り、反応してしまう。

 こんなにひどいと思ってなかったため、口を塞ぐことができるマスクなども持っておらず、手で覆って凌ぐのも限界が見えていた。

 

 ゴホッと咳き込み、そのあと無意識に深く息を吸ってしまったのがいけなかった。

 肺いっぱいに入り込んできた濃い空気に脳がぐらりと揺さぶられる感覚がする。

 背後から膝裏の部分を強く押されたようにガクッと傾いた身体を誰かが支えてくれる。苦しい息の中に、ふわりと優しく甘い香りを感じた。

 

 

「繊細すぎるのも困りものね、猫ちゃん?」

 

 

 声のする方へ視線を投げれば最愛の相棒である彼女がニヤリとした笑みを貼り付けて立っていた。

 

 

「やあ、マイレディ。きみが支えてくれて助かったよ」

 

「あら、随分と素直なのね。いつもは冗談ばかりいうお口なのに。鼻がダメになった方が猫ちゃんはいい子になるのかしら」

 

「普段は助けられてるんだけどなあ、きみの匂いを感じられるからね」

 

「しんどいならハンカチでも貸そうかと思ったんだけど、そんな調子のいいこと言える元気があるなら大丈夫そうね」

 

 

 目の前に差し出されたのは、白いハンカチ。

 弾けるようにレディバグの顔を見ると、彼女は笑みを携えたまま僕の口へぎゅっとそれを押しやった。

 

 

「っ、でも、きみがしんどくなるだろ?大丈夫だよ」

 

「さっきふらふらになってた人が何言ってるの?わたしは平気だから使って。きみがいないと敵は倒せないもの」

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして。さあ、アクマのところに行きましょう。この霧をなんとかしなきゃ」

 

「どこにいるのか目星はついてるの?」

 

「ええ、不鮮明な視界に気を取られがちだけど、耳をすませば微かにシューって歯擦音が聞こえるでしょう?きっと継続的にこの霧を発生させているのね……音を辿れば自ずとたどり着けるはずだわ」

 

 

 レディバグはそう言うと、手持ちのヨーヨーを煙突に引っ掛けて飛んで行ってしまう。

 僕は慌てて彼女から貸してもらったハンカチを口に当てながら、後を追う。

 直接鼻腔をくすぐる彼女の香りに、少しでも気を緩めると酔ってしまいそうだった。

 

 彼女の背を追いかけながら、真っ直ぐに自分の中に入ってくる匂いを感じる。

ドキドキ、ドキドキ。また、胸が高鳴る。

 前を走るレディバグに聞こえてしまうのではないかと本気で思うほどに。

 今は戦闘の最中で、一刻も早くアクマを見つけ出し任務を遂行しなければならないのに、けたたましく響く心音は鳴り止みそうにもなかった。

 

 

 

 彼女の言う通り、微かに聞こえる音を辿れば機関車の上に付いている大きな煙突のようなものを抱えたヴィランがエッフェル塔の頂点でドス黒い気体を発射させていた。

 汽車の運転手のような制服を纏った彼はヘイズ・コンダクターと名乗り「街中の交通機関を乱してやる!」と叫んでいた。

 どうやら元は車掌として働いていたものの、トラブルに巻き込まれ働く上でのプライドを傷つけられ、心が弱ってしまったところにホークモスのアクマが入り込んでしまったらしい。

 

 彼は僕たちに気づくと、辺りに撒き散らしていた霧を止め、煙突を抱え直し空気砲のようにして小刻みに発射させた。

 放つたびにボン!と大きな音がなるほど威力は凄まじく、辺りの建物を破壊していく。

 いまだに視界が安定しないため考えなしにヘイズ・コンダクターに近づくこともできず、逃げ続けることで凌ぐのも時間の問題だった。

 

 

「どうするマイレディ、何か案はある?」

 

「っ、そうね……そうだわ、この霧を利用して相手を翻弄すればいいのよ!」

 

「どちらかというと翻弄されてるのは僕たちの方じゃない?おっと!」

 

「わたしたちが視界が悪く動きづらいように、本当は相手から見ても見えにくいはず。それでも攻撃できているのは、わたしたちが頻繁に動いているからよ。このままじゃ相手にわたしたちの位置を教えているのと同じことだわ。この霧に隠れて、一回相手の視界から消えるの。それから奇襲を仕掛けるのよ!」

 

「そりゃ名案だ!でもどうする?」

 

「着いてきて!」

 

 

 彼女はそう言うとヴィランがいる方とは真逆の方向へヨーヨーを引っ掛け、地面を蹴る。

 彼女の言葉通り僕はその背中を追った。

 距離を取ったことで不鮮明な視界によりヘイズ・コンダクターの姿は見えなくなってしまった。

 

 レディバグは敵からの視線がなくなった隙にラッキーチャームを発動させた。空から降ってきたのは袋に入ったビー玉。

 色とりどりの結晶たちは暗い視界の中で鈍い輝きを放っていた。

 

 

「ビー玉?これでどうしろって言うの?」

 

「綺麗だから癒し効果はあるかもね。あのピリピリしてる車掌さんに見せてあげたらどうかな」

 

「んん……」

 

 

 彼女は仮面の向こう側でブルーベルの瞳をきょろきょろと動かした。

 レディバグが難しい顔をしてこの仕草をするときはアイテムをどう活用するか考えているときだ。

 真剣な眼差しは何度見ても思わずドキッとしてしまうほどに美しい。

 そんな僕の心情など知る由もない彼女は「使い方が分かったわ!」と表情を明るくさせると、口元に手を当ててそっと僕の耳に顔を近づけた。本当に、僕の気持ちなんて御構い無しの困ったレディである。

 

 

「あなたは敵の気を引いて。ここからヘイズ・コンダクターの姿は見えないけれど、彼がいるエッフェル塔の影は十分確認できる。あの影をめがけて進めば、自ずと彼のところへ行けるわ。彼と遭遇したら出来るだけ激しく戦ってほしい。たくさん動いてもらうの」

 

「お任せあれ。きみはどうするの?」

 

「わたしはその隙にエッフェル塔の後ろに回って不意をつくわ」

 

「OK、じゃあ1、2の3で行こう。せーの、」

 

 

 1、2の、3!

 

 掛け声と同時にお互い走り出す。

 僕は彼女の指示通り一目散にエッフェル塔へ向かった。

 当たり前だけれどヴィランに近づくにつれて霧はどんどん濃くなっていく。

 レディバグに貸してもらったハンカチをグッと押し当てて、黒く染まった街を駆ける。

 

 パリのシンボルである巨大なエッフェル塔の姿をはっきりと捉えられるようになってきたころには、敵であるヘイズ・コンダクターの姿も見えるようになっていた。

 こちらが相手を確認できるということは、向こうからも見えているということ。

 僕の姿を見つけるなり、またしても巨大な空気砲を容赦なく撃ってくる。なんとか避けながら、ときにスティックでその空気砲を打ち返す。

 そうすると今までずっとエッフェル塔の高い場所から撃つだけだったヘイズ・コンダクターが、それを避けるために移動するようになった。

 

 一瞬の隙をついて自らもエッフェル塔の上に降り立つ。

 近くに来るとレディバグが言っていた歯擦音がよく聞こえた。

 どうやら煙突から出ている空気の音らしい。

 

 

「あれ?車掌さんの攻撃はこんなもの?煙を使って間接的な攻撃しかできないなんてさ」

 

「なんだと……!」

 

 

 もともとストレスが溜まって怒りゲージがいっぱいの相手を挑発させるのは容易いものだった。

 空気砲を使わず直接煙突で殴りかかってこようとする相手にすかさずカタクリズムを使い、手に持っていた煙突を破壊する。

 狼狽え、暴れ出した彼の拳を交わしていると、背後から

 

「シャノワール!飛んで!」

 

 という声が聞こえた。

 

 その言葉を信じて飛び、エッフェル塔にほど近い建物に着地すると、レディバグは手に持っていたビー玉をさっきまで僕が戦闘していた床に思いっきりばら撒いた。

 煙突を破壊され、混乱からジタバタと暴れていたヘイズ・コンダクターは足元を取られ、盛大に転ぶ。

 その際に外れた制帽を彼女はヨーヨーを使ってキャッチすると、勢いよく引き裂いた。

 

 

「リベール・ドゥ・マール!」

 

 

 中から出てきたアクマをレディバグがヨーヨーで捕まえ、浄化させる。

 そのままラッキーチャームで使ったビー玉を天高く投げ、「ミラキュラス・レディバグ!」と叫ぶとパリの街を覆っていた厚い霧も、空気砲などで壊れた建物も、視界の悪さで混乱していた交通網も全て元通りになり、青空に照らされて輝くいつもの街並みが戻ってきた。

 

 

「任務完了!」

 

 

 これも、僕と彼女のいつも通りのやりとり。

 任務が無事終わった後お互いの拳を付き合わせるのだ。

 それと同時にピピピとレディバグのピアスが鳴る。

 彼女のピアスの黒い斑点が残り2つになっていた。

 もうじき変身が解けてしまう。彼女は慌てたように

 

「もう行かなきゃ!」

 

 と零すと、そのまま近くの建物の煙突にヨーヨーを引っ掛けた。

 そそくさと帰ろうとする彼女を慌てて呼び止める。

 

 

「待って、マイレディ」

 

「どうしたの?わたし急いでて……この後も映画を観に行く約束をしているの。きっと待たせてしまってるわ」

 

「でも、」

 

「じゃあねシャノワール、また今度話を聞くわ!」

 

 

 僕の制止の声を聞かずに、トンッと地面を蹴って彼女は遠くの街並みに消えてしまった。

 はあ、と息を吐きながらポケットにしまっていた白いハンカチを取り出す。

 レディバグに借りたまま返すタイミングを完全に失ってしまった。

 何度も口を押し当ててしまったし家で洗って次会ったとき返せばいいだろうか。

 普通に洗濯に出してしまうと間違って処分されてしまうだろうから夜中にこっそり洗いに行こうか。

 そんな風なことを思いながら再びポケットにしまおうとした、

 

 そのとき。ハンカチの隅に

小さく何か刺繍されていることに気がついた。

 

 そこに刻まれた文字に、僕は思わず自分の目を疑った。

 

 

「……マリネット……?」

 

 

 だって書かれていたのは僕のよく知る大切な友人の

名前だったのだから。

 

 

 

***

 

 

 

 あの日から僕は今までよりずっとマリネットの存在を意識するようになった。

 彼女は僕にとって本当に大切な友人のひとりで、デザインのセンスや学級委員としてクラスのみんなを率いまとめる姿はいつも尊敬している。

 とてもいい子で優しい女の子だけど、正直これまでそういう目で見たことはあまりなかった。

 まあかわいいな、と思ったことは何度かあるけれど。

 

 僕はレディバグが好きだ。

 その気持ちが揺るぎないから、他の女の子のことまで考える余裕がなかった。

 僕がシャノワールの仮面を外したらアドリアン・アグレストになるように、彼女もレディバグの仮面を外したらひとりの人間なのだ、と頭では分かっていたけれど、レディバグという存在が鮮烈すぎて理解しきれていなかった。

 それにこんなにも身近な人物だとは思わなかったのだ。

 まさか、あのレディバグが、ずっと近くにいたなんて。

 

 本当にマリネットがレディバグなのか?と疑ってみたが、レディバグが他人の持ち物を人に貸すような人だとは考えにくいし、別れ際「この後映画に行く」と言っていたことを踏まえるともう認めざるを得ない状況になっていた。

 マリネットという人も、この後映画に行くという人もパリ中の人に聞いて回れば該当者がいるかもしれないけれど、その二つの事象が同時に重なる確率はグッと低くなるだろうから。

 

 あの後慌てて集合場所へ向かうと、同じタイミングでマリネットがやってきた。

 アルヤが「ほんとあんたたちいつも遅刻のタイミングが一緒ね」と呆れて笑っていた。

 「ほんとに遅れてごめんね!」とひたすら頭を下げる彼女の姿を眺めながら、今まで心のどこかでずっと引っかかっていたものがするりと腑に落ちる感覚に陥る。

 

 真面目で正義感が強いマリネットが遅刻常習犯であるということに本当は少し違和感を覚えていた。

 嘘がつけない性格であるから、遅刻の言い訳も、はたまた早退の言い訳も不自然で、どうしてだろうとずっと思っていた。

 でもそれも、彼女がレディバグとして街の平和を守っていたからだと言われれば簡単に納得できる。

 

 一度パチリとピースが嵌ってしまえば、他のピースも面白いほど簡単に当てはめられた。

 華奢でスレンダーな身体はアジアの血が入っている彼女ならではのものだろうし、正義感の強さや思い切りの良さも彼女の学級委員ぶりを見ていれば納得ができる。

 困っている人を放っておけないお人好しな部分はレディバグと瓜二つであるし、夜空色の髪も、ブルーベルのような瞳も、ふっくらとしたサーモンピンクの唇も、見れば見るほどレディバグそのものであった。

 

 ずっと好きだった人の正体が分かったというのに、僕の心はどうしてか晴れ晴れとしなかった。

 薄い靄がかかっているかのように薄暗く、不鮮明で。

 あんなにレディバグの正体を知りたがっていたのは紛れもない自分自身であるはずなのに。

 出口の見えないトンネルにひとり、ポツンと置き去りにされたような心地だった。

 

 

「何をそんなに浮かない顔をしてんだ?」

 

 

 学校から帰宅し、カバンを放り投げてそのまま真正面からベッドへダイブした僕の頭上を黒い影がふわふわと飛ぶ。

 少し揶揄の色を孕んだその声色はプラッグのものだ。

 もぞもぞと首だけを動かしてプラッグにじとりとした視線を送ると、面白いものを見たかのようにケタケタと笑われる。

 

 

「マリネットと話しているときのアドリアンの不自然さと言ったら、傑作だな!二人してどもるから全然会話になってなかったぜ」

 

「うるさいなあ……マリネットがレディバグだって気づいてから、うまく話せないんだ」

 

「やっと好きな子の正体を知れたっていうのにもったいないなあ。さっさと告白しちまえばいいのに」

 

「そんな単純な問題じゃないんだよ」

 

「どうして?」

 

「だって……僕が好きなのは、レディバグだから」

 

 

 プラッグがぐぐぐと首をかしげる。

 言わんとしていることはなんとなく分かる。

 分かるけれど、自分で自分の気持ちがよく分からない。

 僕は思っているよりずっと混乱しているらしい。

 

 

「レディバグはマリネットなんだろ?じゃあアドリアンが好きなのはマリネットじゃないのか?」

 

「そう、なんだけど……僕はずっとレディバグが好きで、彼女ばかり追いかけてきた。だから、マリネット自身のことはよく分かってないんだ。それなのに、マリネットがレディバグだからって彼女に告白するのは、なんていうか……失礼な気がして」

 

「難しいこと考えるなあ」

 

 

 俺はカマンベールチーズさえあればなーにんも要らないけどな!と笑うプラッグを再び睨んでふいと顔を逸らす。

 頭上にある枕を手探りで手繰り寄せ、思いっきり顔を埋めた。

 頭の中でレディバグとマリネットの表情が交互に浮かんでは消えていく。

 もしも二人から同時に手を差し出されたら、どちらの手を取ればいいのか、今は分からない。

 レディバグがマリネットだと分かっていても、簡単にイコールで結びつけて考えしまうことにどうしても抵抗がある。

 

 ふと顔を上げて机の上を見れば、レディバグから貸してもらったマリネットのハンカチが置いてあるのが目に入る。

 結局人に洗ってもらうのは避けたくて、こっそり寝静まったころを見計らって自分で洗ったハンカチ。

 彼女の匂いは消えてしまったけれど、記憶に刻み込まれたあの香りがふわりと蘇ってくる。

 ドキドキ、ドキドキ。高鳴るそれを抑え込むようにぎゅっと胸を押さえた。

 彼女のハンカチを、僕はいまだに返せないでいた。

 あれからレディバグに会えていないというのもあるし、マリネットにどんな顔をして返せばいいのか分からない。

 「どうしてきみがこれを持っているの?」と聞かれたら、僕はどう答えたらいいのだろう。

 

 いつかレディバグが「わたしたちはお互いを知りすぎてはいけない」と言っていたことを思い出した。

 ああ、確かにそうだ。

 その方がきっとずっと楽だった。

 こんなに悩むこともなかっただろう。

 でも、知らなければよかったとはどうしても思えなかった。それくらい僕はどうしようもなく彼女が好きだったのだ。

 

 曇る心と、見えない答え。

 たまらなくなってそのままベッドの中で蹲る。

 ふともう消えてしまったはずのあの甘く優しい香りが鼻腔をかすめた、気がした。

 

 

 

***

 

 

 

 曖昧な気持ちを抱えたまま、今日も学校へ向かう。

 教室に入ると、1つ後ろの席にはもうマリネットが座っていた。

 何やら親友のアルヤと楽しそうに会話をしている。

 ジロジロと見すぎてしまったためか、彼女の瞳がふと僕をとらえた。

 ドキッと胸が鳴る。マリネットはわたわたと手を動かしたあと、はにかむように笑いながらそっと言の葉を贈ってくれた。

 

 

「お、おはよう、アドリアン……!」

 

「おはよう、ま、マリネット」

 

 

 そう返すのが精一杯で、そのまま素早く自分の席に着く。

 前まではもっとスマートに彼女と会話できていたはずなのに、本当にうまくいかない。

 隣の席と斜め後ろの席から笑い声が聞こえてくる。

 

「雑誌の表紙を飾るほどの人気モデルも、ひとりの男なんだな」

 

と茶化してくるニノに、じとりとした視線をお見舞いしておいた。

 

 

 

「ねえ、今から映画に行かない?」

 

 

 今日の授業が終わり、教材やタブレットをカバンに詰め込んでいると背後からそんな声が聞こえてきた。

 ちらりと振り返れば、アルヤがイキイキとした笑顔を浮かべながら続ける。

 

 

「この間はどっかの誰かさんたちが揃って遅刻するから観たいやつ観れなかったしね、リベンジってことで!どう?マリネット」

 

「えっえ?わ、わたし?わたし、えっと、映画大好きで、その……!あっ、あのときは遅れて本当にごめんね!」

 

「それはいいのよ。そんなことより映画、行きたいの?行きたくないの?」

 

「い、行きたい!もちろん、アドリアンたちが良ければ……だけど……」

 

 

 上目遣いでうかがうようにそう問うてくる彼女に不覚にも胸がぎゅうと締めつけられる。

 そんな風に聞かれて断ることができる男がいるのなら教えてほしい。

 僕には到底無理だ。

 無意識に強く握りしめていた拳にまた力を加えることでなんとか平静を保ちながら、おもむろに言の葉を紡ぐ。

 

 

「あの日は僕も遅れちゃったからお詫びがしたいと思ってたんだ。行こう!いいかな、ニノ」

 

「ああ、そうと決まればはやく行こうぜ!いい席がなくなっちまうかもしれないしな」

 

 

 パチリとウインクをしてポンと僕の肩を叩いてくれたニノのおかげで、張りつめていた緊張の糸がほんの少し緩んだ気がした。

 どうやら僕の表情はよっぽど引き攣っていたらしい。

 表情をつくることが仕事だと言っても過言ではないモデルをやっている身であるのに、僕もまだまだなんだなあとそっと息を吐いた。

 

 

 

 平日ということもあり、パリの街には比較的穏やかな空気が流れている。

 空には絵の具を塗りたくったような青が咲いていて、太陽の光が容赦なく僕らを照りつける。

 僕の前にはニノとアルヤが並んで歩いている。

 ちょくちょく鼓膜をくすぐる彼らの会話の端々から推測するに、今から観る映画の結末をお互いに予想しているらしかった。

 わいわいと盛り上がっている前の2人に比べて、僕たちの間には何とも言えない空気が流れていた。

 

 隣を歩くマリネットは先ほどからずっと下を向いていてしばらく目が合っていない。

 僕が話しかけてリードすべきだとは思うのだけど、いざ会話をしようと思うと言葉が詰まって上手くいかない。

 だって、彼女はレディバグなのだ。どれだけ手を伸ばしても掴めなかった彼女が、今僕の隣を歩いている。

 そう思うと緊張した。

 そして、それと同時に複雑な気持ちになるのだ。

 

 マリネットとレディバグを重ねて見ることは、きっとマリネットにとって失礼なこと。

 普段の素敵な彼女の一面を知っているからこそレディバグがマリネットだから好きなんて、とてもじゃないけど言えなかった。じゃあ、レディバグが好きだという僕のこの気持ちは、どこへやればいいんだろう。

 

 堂々巡りだった。心に蔓延る靄は、一向に消えてくれない。

 もがけばもがくほど迷子になってしまうようだ。

 ふう、と息を吐いて隣を歩く彼女を見る。

 青みがかった黒髪が、太陽の光に反射してキラキラと輝いていた。

 

 

「……マリネット」

 

 

 彼女の大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。

 まるで世界中の星々を閉じ込めたかのような綺麗な瞳。

 そこに映る僕は、やっぱりちぐはぐな顔をしていた。

 

 ポケットにしまいこんだハンカチを確かめるように触る。

 これを彼女に返して、ちゃんと打ちあけよう。

 「レディバグはマリネットだったんだね」と言うんだ。

 そうすれば、この悩みも晴れるかもしれない。

 レディバグはマリネットだと、イコールでしっかり結びつけることができるかもしれない。

 ドキドキ、ドキドキ。

 今にも暴れだしそうな心臓の音が、僕の緊張を煽っていく。

 

 

「な、なあに、アドリアン」

 

「マリネット、きみって、」

 

 

 言いかけた、その刹那。近くでキャー!という甲高い悲鳴が聞こえた。

 弾けるようにそちらを見れば、大柄の男がベビーカーを押しながら歩いている女性のバッグを奪い、逃走しようとしてる瞬間が目に入った。

 休日と比べるとそんなに人通りが多くないことが災いしてか、その男を追いかけるような人は見られない。

 女性本人も赤ちゃんがいるためすぐに行動に移すことができないようだった。

 

 追いかけないと!と足を踏み出すよりも先に、隣にいた彼女が走り出した。

 大柄の男はその巨体のせいなのか足が遅く、運動神経のいいマリネットはすぐに追いついてしまいそうだ。

 フェンシングの体験をしたときも、すごく筋が良かったから。

 ニノたちには「すぐ戻るからそこにいて!」と伝えて急いで彼女を追いかける。

 

 前を走るマリネットはカバンから毛糸のようなものを取り出すと、ぐるぐると出しはじめた。

 確か、今度のデザインに使うと言っていた真っ赤な毛糸だ。

 大きな輪っかのような形にすると、男の方へ向かって思いっきり投げる。

 少し遠くまで飛んだ毛糸に、一瞬外したのかと思ったけれど走り続ける彼の足に見事に引っかかり、足を取られた男はそのまま転んでしまった。

 

 その拍子に男の手から外れたカバンをすかさず拾うと、起き上がる前に残りの毛糸で身体をぐるぐると巻いた。

 身体を縛られ、身動きができなくなったところでマリネットはすぐさまスマートフォンを取り出し、どこかへ電話へかけ始める。

 彼女の会話からおそらく相手は警察であることが分かった。

 

 

「お前……!」

 

 

 鋭くマリネットを睨む男。

 そんな視線を軽くあしらって彼女は堂々と言い放つ。

 その声色には怯えの色なんてひとつも孕まれていなかった。

 

 

「人のものを盗むなんて、卑怯です。悪いことは悪いこと、それはどんなことがあっても、変わらないわ」

 

 

 真っ直ぐで、迷いのないその言葉に、あの日のことが思い出される。

 エッフェル塔の上で、パリ中の人に「守ってみせる」と堂々と宣言した、レディバグの姿と全く同じだった。

 

 遅れてやってきた被害者の女性にしっかりとバッグを届けると、マリネットははにかむように笑いながら感謝の言葉を受け止めていた。

 鮮やかで迷いのない的確な行動のおかげで新たな被害者を出すこともなく、無事に持ち主の元へ奪われたものを返すことができた彼女の功績は、もっと讃えられるべきものであるはずなのに。

 マリネットはお礼をしたいという女性の申し出を断って、ベビーカーで眠る赤子に優しく微笑みかけた後、急いで僕の元へ戻ってきた。

 

 ああ、どうして今まで気づかなかったんだろう。

 レディバグがマリネットだったんじゃない。

 マリネットが、レディバグだったのだ。

 

 あの正義感が強いところも、決断力、そして行動力があるところも、機転が速く賢いところも、ほんのちょっぴり抜けているところも、しなやかな身体も、夜空を掻き集めたような髪も、そして、ブルーベルの瞳も。全部全部、マリネットの中にあったもの。

 

 他でもないマリネットがレディバグだからこそのものだったのだ。

 

 ドキドキ、ドキドキ。胸が鳴る。

 あのときレディバグは、「音を辿れば自ずとたどり着けるはずだ」と言っていた。

 ずっと僕の中で鳴り続けていたこの鼓動の音を辿れば、その先にあるのは僕の中で確固たるものとなっていた彼女への恋心。

 プラッグの言う通り、難しく考える必要なんてなかったのだ。

 

 

 だって、僕はきみが好きで、どうしようもなく好きで。

 それが全てなのだから。

 

 

 

「あ、アドリアン!ごめんね、勝手に走り出しちゃって……何か言ってくれようとしてたのに」

 

「……」

 

「アドリアン?あの、本当にごめんなさい……わたしっていつもそうなの。アルヤにもいつも突っ走ったら周りが見えなくなるって言われてて、」

 

 

「きみが好きだよ、マリネット」

 

 

「そうよね、こんなわたし嫌われても当然……え?」

 

「好きなんだ、ずっと、ずっと前から」

 

 

 彼女は信じられないものを見るように僕を見た。

 ゆらゆら揺れる瞳には、混乱と戸惑いがこれでもかというほど目一杯に詰め込まれていた。

 マリネットの表情を見るたびに、あんなに曇っていた心がみるみる晴れていく心地がする。

 あれだけ渡すのを躊躇っていたハンカチを、そっとポケットから取り出せば、彼女は「あっ」と小さく声を漏らした。

 

 

「それ……」

 

「返すのが遅くなってごめんね。本当に助かったよ」

 

「ど、うして、アドリアンがそれを……?そのハンカチは、別の人に貸したはずなんだけど……」

 

 

「いいや、僕が、きみから借りたものだよ、『マイレディ』」

 

 

「……っ!?」

 

 

 動揺からか慌てる彼女がかわいくて、ハンカチを渡したその手を取ってそっとキスを落とす。

 これからはシャノワールというペルソナを付けなくてもきみに愛を囁くことができると思うと、たまらない。

 

 

「さあ行こう、ニノたちが待ってる」

 

「ま、待って!まだ話は……ひゃっ!」

 

 

 彼女の手を引いて走り出すと、視界には目一杯の青空が飛び込んできた。雲ひとつない、晴れやかな空。

 まるで今の僕の心を映しているようだった。

 

 きっといちばん大切だったのは、自分の気持ちに素直になること。

 焦らなくていい。本当に大切なものはなんなのか、じっくりと見極められればそれで良かったのだ。

 

だって僕たちの物語は、まだ始まったばかりなのだから。

 

 

 

君は僕の…たった一人のマイレディ(マリネット)

 

 

 


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