葉月の異常な愛情~または僕は如何にして心配するのを止めて近界民を愛するようになったか~ 作:Amisuru
――長い長い一日が、終わろうとしている。
いや、まだ夕方なんですけどね。でもそう思うんだよ。こうしてボーダー本部基地を後にして、カゲさん達に別れを告げて、紳士と二人で茜色の空の下を歩いている間も、今日経験した幾つもの出来事が絶え間なく蘇り続けて、気分はすっかり回想モードだった。このまま眠りに就けたらさぞ幸せな夢が見られることだろう。
眠りといえば、結局あの後もカゲさんは無謀なる昼寝チャレンジを繰り返していたのだが、僕らが作戦室でぎゃあぎゃあ騒ぎ続けていたのもあって全ての試みが失敗に終わっていた。もうしわけない。正隊員になって給料が入ったら安眠枕でもプレゼントしてあげよう。
ああでも、まずは貯金からか、やっぱり。仮にも今の僕は借金持ちなのだ。散財は許されない。いや待て、恩人への贈り物というのは散財に当たるのだろうか。むしろこれ以上に有効的な金銭の使い道などこの世には存在しないのではないだろうか。むむむむ。悩ましい。まあ、兎にも角にも現ナマが手元に入ってから考えるべき話か。
「楽しそうですな、少年」
ふと、隣を歩むウィルバー氏から声を掛けられた。
僕は現在、彼に連れられてウィルバー氏の
……それにしても、何だかお屋敷みたいなデザインだな。本当にボーダーが建てたのかこれ?
「ええ、楽しいですよ。なんていうか、生まれ変わったみたいな気分です」
「ほう。異世界転生というやつですかな」
なんか余計な単語が付いてきたような気がする。
「まあ、そんな感じですね」
「ふむ」
深く考えずに、肯定を返した。僕はこの会話に、大した意味が込められているとは思っていなかった。丘の上の屋敷に辿り着くまでの間、会話もなしに歩き続けるのは退屈だろうとウィルバー氏が気を遣って話題を振ってくれたのだろう、その程度の考えしか持っていなかった。
「――しかし、少年は本当に、
だから、僕はすっかり、忘れてしまっていた。気付くことが出来なかった。
影浦隊の作戦室へと赴く前、ウィルバー氏の中に、
そして今、紳士が
僕は足を止めた。紳士も足を止めた。
「……どういう意味ですか?」
僕は誤魔化した。ウィルバー氏が何の話をしようとしているのかは、内心、察しが付いている。
けれど、よもやこの紳士の手によって、その話が掘り起こされるとは思ってもいなかった。僕に徹底して『楽しむこと』を叩き込もうとしてきたこのひとが、この土壇場になって、僕にとっての
「覚えておられますか少年。お美しいお嬢さんが初めて、トリオン体になったあなたを目の当たりにした時の反応を」
「……ええ。覚えています」
「あの時、私は少年の精神に揺らぎを感じたがため、徹底してあなたのことを『少年』と呼び続けましたが――」
ああ、そこまで話してしまうのか。気付いていたけれど。
「――あの時のあなたは、紛れもなく『
……そうでしょうね。
そのことにも、気付いていましたよ。勿論。
何となく、どういう理屈でそうなったのかは想像が付いている。少々下世話――というか、生々しい話になってくるのだが、そこは御容赦願いたい。
まず、これまでにも何度か話したとおり、僕の身体は両親によってホルモンバランスを弄られており、同世代の男子と比較しても、限りなく男性的特徴が抑えられた構造になっている。外見も、おそらくは中身も。
それでも、
……では、
――遠い世界の父さん母さん、おめでとうございます。
あなた達の理想は、ようやく実現しましたよ。あなた達のいなくなった世界でね。
そもそも、トリオン体とは
いや待て、そういえば那須さんにはその、あったな。胸が。しかし少年の浪漫をぶち壊すようなことを言うのなら、あれも所詮トリオンによって再現された
というか脱線が酷過ぎる。女性の胸の話にこうも夢中になってしまうのだから、やはり僕は男性以外の何物でもないな! よし! 解散!
「ちなみにこちらが、訓練中に撮影させて頂いたトリオン体のあなたの御姿になります」
うん。
まあ、それで終わりに出来るとは思っちゃいなかったけれども。
写真まで差し出してきますか。写真。今どき。
「――――――――」
――しかし、結果的に言えば、ウィルバー氏の判断は正しかった。
仮にスマホを差し出されていたら、僕は間違いなく液晶画面を叩き割って、氏への借金に余計な金額を上乗せする羽目になっていたことだろうから。
あの写真立てと同じように。
殺した筈の私と寸分違わぬ顔をしたものが、ボーダー隊員の隊服を着て、フィルムの中に蘇っていた。
僕ではない何かが、那須さんの隣で、楽しそうに笑っていた。
刹那で写真を引き裂いてから、誰よりも真っ先に、僕の母親に恐怖した。あの人の想像力というやつは、あの人自身が陶酔していた通り、大したものだった。或いはあの人の言うフェイスアプリとやらの性能が凄まじかったのか。トリガーによって生み出されたトリオン製の
ああ――それにしても。
覚悟していたとはいえ、流石にこれは、気分が悪い。
僕は
死んだ筈の、
「……そのお嬢さんこそが、少年にとっての本当の
紳士の瞳は相変わらず冴えていた。出来損ないの僕の目と、取り換えてほしいくらいだった。
「宜しければお聞かせ願いたい。そちらのお嬢さんと少年は、一体どのような御関係なのです?」
関係なんてありません、もう終わった話です――心情的には、そう突っぱねてしまいたかった。
けれど、現実にこうして影響が表れている以上、今更そうも言ってはいられない。何より、これもきっとウィルバー氏の言う『ちゃんと助ける』という意思から来ている行動なのだろう。ただでさえ返しきれないほどの恩を受け取っている身でこれ以上頼っていいのかという気持ちもあるが、だからこそここに来て突っぱねてしまうのも憚られた。そっちの方が、よっぽど恩知らずだ。
話した。喋った。洗いざらいをぶち撒けた。
僕は本来双子として生まれる筈だったのだが、その片割れは生まれる前に母の胎内で消えてしまったこと。
両親はその片割れに『陽花』という名前を与え、自分はその『妹』として育てられてきたこと。
その過程で両親によってホルモンバランスを弄られたがために、僕の身体は限りなく女性的な物になっていること。
『私』から『僕』に戻るきっかけを与えてくれた祖父とのエピソードや、家を出た時の話まではしなかった。それもまた紛れもない僕の
「――だからおそらく、トリオン体の僕が
最後に、先程思いついた考察も語ってみた。
言葉にしてから、思った。そうだ。
ほら、詳しくないけど、今流行りなんでしょ? 女体化とかTS転生とか。それと一緒だよ。僕はボーダーという異世界で、女の子に生まれ変わって、トリオンという名のステータスに恵まれて
オリ主って何だろうね。
「大丈夫ですよ。女の顔をしているのに中身は男だなんて知られたら、一部の人からは変な目で見られるかもしれませんけど、何とかなります。大したことじゃないです。当時は意識してなかったですけど、僕が
そう。全部
こんな事例もある。おそらくからかい半分のつもりで僕のスカートを捲ったとある男子生徒が、
申し訳ないことをしてしまった。変な性癖にでも目覚めていなければいいのだけれど。
暫しの間、ウィルバー氏は無言だった。こんな話をした後でも、彼の中に僕への嫌悪だとか忌避だとかそういったものは
「……一つ、大胆な仮説を申し上げても宜しいですかな、少年」
間を置いてから、ウィルバー氏はそんなことを口にした。
夕日が沈みかけ、空の色が変わろうとしていた。それでもまだ、太陽は空にしがみ付いていた。
「お嬢さん――陽花嬢は、お母様の胎内で生まれることなく消えてしまったと、少年は仰っておりましたね」
「ええ」
そう、僕の双子は消えてしまった。
もう、終わった存在。その筈だ。
「では、消えてしまった陽花嬢は、果たして
「……?」
どういうことだろう。何処へも何もない。何処へも辿り着くことのないまま消えてしまったのがそいつだ。残酷なことだがそれが現実だ。まさかウィルバー氏まで、大庭陽花は
「私はお美しいお嬢さんの
「……それはまた、えらい偶然ですね」
「ええ、偶然です。――さて、その患者の少年は中学生までは何不自由なく健康的な生活を送っていたそうですが、ある時から腹部に膨らみが目立つようになり、いよいよ耐えかねるほどの痛みを覚えたことで病院へと駆け込み、そこで異物の摘出手術を受けました。少年、この
「…………」
「
……参ったな。
そんな話をされるくらいなら、
「陽花が――水子が、
「トリガーの身体再現機能というのは、少年が思っているほど杜撰な性能ではありませんよ。男性であれば男性、女性であれば女性の顔を、一切の狂いなく再現致します。後からトリオン体の設定を変更することで外見を弄ることは確かに可能ですが、初期設定自体に狂いが生じるとは到底考えられません。仮に
「いえ、構いません。続けて下さい」
「――
根本的な部分。トリオン体を形成するために必要なもの。僕の
恵まれているのだと、そう思っていた、
「――少年の身体にトリオンを供給している、
「……いえ」
聞き流すには惜しい、実に興味深い仮説だった。むしろ何だか、一周回って面白いと思った。
だってそれなら、
本当に、まったくもって、
だから紳士ウィルバー、そんな顔をしないで下さいよ。そんな
きっと今、僕、
2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。