葉月の異常な愛情~または僕は如何にして心配するのを止めて近界民を愛するようになったか~ 作:Amisuru
――『
こうして間近で目の当たりにしてみると、改めて僕のイメージする仮設住居とはかけ離れた建物だなと思わされる。そもそも建物と呼べる規模の広さがある時点で何かがおかしい。仮設住居って言ったらアレだよ、
そういう建物に案内されるものだと思っていたのに、この貴族か何かでも住んでいそうな佇まいは一体何なのか。いや実際に住んでたのか。貴族っていうか紳士が。そう考えたら、なんだか急に全てを許せるような気になってきた。紳士は仮住まいも紳士的。うん。そんな感じで。
ただ、その豪勢な見た目に反して、なんとも寂れた印象もあるのが、その屋敷の奇妙なところであった。人の気配が感じられない。これだけ広い建物であれば何人もの隊員が利用していてもおかしくなさそうだというのに、まるで
そもそも、外観からしてなんか浮いてるんだよなこの建物。ファンタジーの世界から迷い込んできたみたいというか、こんなものが
「……本当に、ここが、そうなんですか?」
「ええ」
不安になって思わず訊ねてしまったのだが、返ってきたのはあっさりとした肯定であった。
「ただ、一つ訂正をしておきましょう。先刻、私はこの建物をボーダー設営の仮設住居と申し上げましたが――実際はこの『白屋敷』、
「――は?」
「一説によれば、この屋敷は
「……仮にそれが正解だとしたら、その
「さて、意外と我々の身近におられるかもしれませんよ? なんといっても
急に英国紳士らしいネイティブな発音で言うものだからちょっと笑ってしまった。いや、その人本来の言語を喋っているのに笑うというのもおかしな話なのだが。そうだな、欧米人のウィルバー氏が流暢な日本語で僕とコミュニケーションを取れているように、人間の見た目をして僕らと同じ言語を用いていれば、
「……どうしてボーダーは、自分たちの敵に
「――ふむ」
そんなことを考えていたせいか、ふと思ってしまった。
隣人。或いはお隣さんとかご近所さんっていったら、普通はもっと親しみやすい存在を連想する筈だ。けれど、この三門市で生まれ育った僕は、すっかり
「実は敵という訳でもない、と言ったら少年は信じますかな?」
「――まさか。侵略者でしょう、あいつらは」
二年前、三門市を襲った正体不明の怪物による、未曽有の大災害。『大規模侵攻』。その危機に立ち向かったのが皆さんご存知、界境防衛機関ボーダーである。そのボーダーが世間に向けて明言したのだ。この町を襲った者の正体は、
一度植え付けられてしまった価値観というのは、そう容易く塗り替えられるものではない。僕にとって
「まあ、少なくとも二年前に三門を襲った者達についてはそうでしょうな」
「……まるで、他にも
「さて、どうでしょうな? それこそ実は、
さらりとそんなことを言うので、僕は思わずウィルバー氏の心を
ウィルバー氏との出会いの瞬間を思い出す。病室の扉を開きながらも、僕が招き入れるまでは決して踏み込んでくることのなかった紳士。
自称、
……え、マジなの?
「冗談です」
「……心臓に悪いですよ」
「ですが、
ウィルバー氏の物言いに何となく、
「過去、ですか」
「ええ。過去です。私の物語も、白屋敷にまつわる物語も――或いは少年、あなたの物語もまた、
『
……この感覚の正体は、一体何なのだろう。この
それでも、僕の人生が
だから。
「僕にとっては、あなたもまた今を生きている、
――だから僕は、心の底から、そう言える。
たった一日、ほんの一日。それだけの繋がりしかないけれど、僕は目の前の紳士から、返しきれないほどの恩を受け取った。こんな言葉一つで返せるなどとは勿論思っていないが――それでも、僕はこの人を過去の存在だなんて思いたくはないし、思えない。僕がそう考えていることだけは、どうしても伝えておきたかった。
……ああ、でも。
どの道これから、過去に
お別れするって、
しんみりするつもりはなかったのだけれど、寂しいな、やっぱり。
「――では、私が少年にとっての
紳士もまた、そのことに気が付いていたのか。
忘れ物を思い出したとでも言うように、そんなことを口にした。
「少年。進学のご予定は?」
「え。……六頴館、でした、けど」
「ふむ、ボーダー提携校の一つですな。でしたら話は早い」
「い、いやちょっと待って下さい」
流石にもう、紳士の行動パターンというのも読めてきた。彼がこれから一体何を言い出すのか、
――しかし、しかしだ。今度ばかりは、まず、前提として。
「……お気持ちはありがたいのですが、僕にもう、進学の意思はありません」
「ふむ。それは何故ですかな?」
「将来ボーダー職員になるために最低限の学歴が必要だというのであればともかく、僕は既に、ボーダーへの就職を果たしつつあるので」
要するに僕は、
面接の際、ウィルバー氏に語った志望動機は本気のものだ。今となってはそれが全てではないとはいえ、僕の中にある確かなものだ。
が。
「高校へと通うことで、新たな知見を得られることもあるかもしれませんよ」
「……そうでしょうか?」
「そうですとも。学び舎という舞台がなければ、あなたは
――それを言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
確かに僕は、学校という環境においても、人生を変えるきっかけが得られることを知っている。不要のものだと切り捨ててしまうのは、早計だったかもしれない。高校生とボーダー隊員、二足の草鞋を履くことによる苦労もあるだろうが――まあ、続けていくのが困難だと思ったら、その時になってから考えよう。
……この言葉に頼り過ぎるのも、あまり良くないことかもしれないが。
「……学費は借金に上乗せでお願いします」
「結構。卒業式の日にでも取り立てに赴かせていただきましょう」
ああ、ついにウィルバー氏の口からも『卒業』という単語が出てきてしまった。いや、僕の言う
――うん、やっぱり大事だな、学校。蔑ろにするところだったけれど、真面目に考えてみよう。
「では、最後にもう一つだけ」
一体いつの間に何処から取り出したのか、ウィルバー氏の手に帽子が握られている。漢字でいう『皿』の形状をした、いわゆる、そう、紳士帽だ。最後まできっちりと決めてくれる人だ。
……ああ、これで
けれど今は、その気持ちをぐっと堪えて、ウィルバー氏の次なる言葉を待つ。
『そう焦ることはありませんよ』と言ってくれた、紳士の言葉に耳を傾ける。
「少年。仮に私の説が正しく、あなたの中に亡くなられた筈の水子が潜んでいるのだとしても――即座に切り捨ててしまうのではなく、まずは一度、向き合ってみることです」
「――向き合う?」
「ええ。本来であれば共に生まれてくる筈だった命なのです。それこそあなたの半身――
「……僕にとって、
「おや、それはいけませんな。世界で最も売れている本にも、こう記されておりますよ?」
そう言って、紳士はついに帽子を被り、僕に背中を向けて――
首だけでこちらを振り返り、口元に笑みを浮かべて、一言。
「――自分自身を愛するように、汝の
そんな言葉を残して、僕の
遠ざかっていく彼の背中が完全に見えなくなったとき、空の色も紅から黒へと変わり、そうして僕は、宵闇の中で独りきりになった。
「……御機嫌よう、紳士ウィルバー」
――
さあ、これからが大変だぞ、大庭葉月。
確かに大変だとは言ったが。
のっけから、こんなところで躓く羽目になるとは思わなかった。
僕の住む部屋って一体何処やねん。
屋敷の門を潜り、エントランスと思しき空間まで辿り着いたはいいが、そこで見事に詰まった。肝心なことを聞きそびれたまま卒業してしまった。今からでも
「――迷った?」
と、受付係らしき女性に声を掛けられた。猫科の耳みたいにぴょこんと跳ねたくせっ毛と、襟足ともみあげが一体化して『J』の字を描いているようなもっさりとした髪型(失礼)が特徴的な、美人のお姉さんだ。那須さんが大人になったらこんな感じになるだろうか。でもその髪型は如何なものかと思いますよ。まるで
「ええと、すみません。ここの一室を借りていたという方から、部屋を引き継がせていただいた者なんですけど」
そんな感想はおくびにも出さず、しれっと訊ねる僕である。受付の女性は「ああ」と短く相槌を打って、
「紳士さんから話は伺っているわ。ついて来て、案内してあげる」
言うが早いか、フロントの脇からすたすたと歩み出て、そのまま僕を先導するように屋敷の廊下を進み始めた。ありがとうございますと背中に告げつつ、その後に続く。
長い廊下を歩いている間に幾つかの部屋の前を通ったのだけれど、やはりというか何というか、住人の気配がない。まさかとは思うのだが、今この屋敷に住んでるのって僕一人だけだったりするんじゃないだろうな。
階段を上り、1階から2階、2階から3階へ。そこから更に二つの部屋を通り過ぎていく。301。302。そして――
「ここがあなたの部屋よ」
――
そこが、僕の辿り着いた部屋の名前であった。
「すみません、助かりました。……ええと、今日からお世話になります」
そう言って女性に頭を下げてから、なんか大家さんへの挨拶みたいだなと思った。
というかこの女性、随分とラフな格好をしているけれど、本当にボーダー職員なんだろうか? 鎖骨のくっきり見えるカットソーに薄手の黒い上着を一枚羽織っただけ、おまけに上着のボタンもお腹の一ヶ所しか留めていない。下は下で太股が際立つショーパン+ブーツスタイルだし。これが大人の女性のファッションというやつか。間違っても僕が参考にする機会など来ないけれど。
「そう畏まる必要はないわ。――そんなことよりも」
顔を上げると、何やら女性が値踏みするような視線で僕を眺めていた。
……何だろう、嫌な目だな。何が嫌かって、僕が誰かを
「
「――は?」
たましい。
魂って言いましたか、今。この
どうやら僕は、知らない間にオカルティックな空間へと足を踏み入れてしまったようだぞ?
「羨望、嫉妬、嘲笑、侮蔑――ドロドロとしたもので溢れて、
こんな嬉しくない好意の表し方初めて見たぞおい。
というか――ダメだ、
「
「あの、ありがとうございました。失礼します」
口早に形だけの礼を述べてから、逃げるようにウィルバー氏から貰った鍵を差し込み、回した。回った。これで開かなかったらどうしようかと思った。
即座に鍵を引っこ抜き、大急ぎでドアを開いて、隙間に滑り込み、閉める。バタンと大きな音がするのにも構わず、鍵を掛けて、暫し――待ち。
何も起こらないのを確かめてから、深い深い溜息を吐いた。いやもう、完全に失礼を極め切った対応なのだが、仕方がない。身の危険を感じたのだ。しかし困った。今日は何とか乗り切れたが、明日から僕は何処を通って屋敷の外に出ればいいんだ。エントランス以外の出入口なんて存在するのか? いっそ窓から飛び降りて出るとか――馬鹿馬鹿しい、トリオン体じゃあるまいし。
……明日のことは、明日になってから考えよう。今日はもう、疲れてしまった。人生最良の一日だと思っていたのだが、最後の最後でえらい目に遭ってしまった。
まあ、トータルではまだプラスの筈だ、うん。そんな大敗した後のギャンブラーみたいな思考を抱きつつ、僕は部屋の奥へと進んでいった。
リビングに出る。真っ先に目に付いたのが、ワニの歯みたいに鋭く尖った三角形が幾つも並んだ壁の模様だ。迂闊に近づいたら
視線を移動する。机の上には布を下敷きにした花瓶と、一枚のメモ。机の周りには柔らかそうなソファーと木製の椅子、そして棚の上に芸術品の如く飾られているのは――ば、バット? 博物館に展示されている刀か何かじゃあるまいし、こんな管理の仕方をするものだろうか、バットって。
というかこのバット、まさかウィルバー氏の私物なんだろうか。野球。ウィルバー氏が野球――スイング一回で腰をいわせるイメージしか浮かんでこない。投げる方というか、ワインドアップは割と様になりそうなのだけれど。背高いし。
とりあえず、パッと見で目に付いたものと言えばそのくらい――いや待て、もう一ヶ所だけ気になるところがあるな。
ウィルバー氏の話によれば、机の上には僕のための通帳やカード類が用意してあるとの話だったのだが、それらしいものは見当たらない。となればこのメモ用紙に、その件に関する説明が載っているものだと思ったのだが――そこに書かれていたのは、まったくもって意味不明の内容だった。
ルールその① この部屋では考えたことを隠すことはできない
ルールその② この部屋で得た情報は外に持ち出すことはできない
……なんじゃこりゃ。一体何の
それよりも、どうやら裏にも別の文章が記載されているようだ。うっすらと文字が透けている。
きっとこっちが本題なのだろう。表側の文章に意識を割かなかった分、僕は殆ど流れるままに、用紙を捲って――
――その一文のインパクトに、思わず持っていた用紙を取り落としてしまった。
……なんてタチの悪い悪戯だろう。何が卑怯かって、表の文章に取り消し線を引くことで、
いや待て、そもそも僕を驚かせるために用意されたものだという前提がおかしいのだ。何かこう厨二病的な、自分の住んでる部屋にこんな秘密があったら面白いよね的なノリで書いたメモを後日恥ずかしくなって取り消したとか――うん、我ながら苦しいのは理解っている。
それにしても――12/■■。日にちの方は何故だか黒く塗り潰されていて確認出来ないのだが、とにかく今は12月だ。そして僕の身近にも、
考え過ぎかもしれない。ただの偶然かもしれない。それでも僕は、確かめなければならないと思った。僕は今クローゼットを開くという行為に若干の恐怖心を抱いているけれど、こんなものは正体が判らないから怖いだけなのだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花。蓋を開けてみればそんなところだろう。
そう、心と同じだ。
――ああ、その漫画で言えばもう一つお誂え向きな台詞があったな。扉の向こうから
あの漫画、本誌の方はどういう展開になっているんだろう? デンジ君は扉を開けてしまったのかな? 開けてしまったとして――その先に、一体何が待っていたのだろうか。
僕はまだその答えを知らない。早く続きを読みたい。その衝動と同じくらいに、
あったとしても、その死体は、
クローゼットの扉に手を掛ける。
開く。
正体が、露わになる。
――
~立てばジェントル座れば紳士、歩く姿はマジ紳士~
・紳士ウィルバー
『賢い犬リリエンタール』からのゲスト出演。
葉月くんの入隊にあたって面接役は必要だけれど水沼さんではパンチに欠ける、
かといって忍田さんみたいな大物が出てくるのも不自然だしどうしようかと考えた結果、
作者の趣味によって捻じ込まれたライブ感の象徴。
リリエンタール未読者にも伝わるように書いたつもりではあるけれど、
『相手がもっと弱ければいいんじゃないかと……!』の元ネタはこの人である。
勝手に唐沢さんと同年代にしてしまったが、原作では年齢不詳。
2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。