葉月の異常な愛情~または僕は如何にして心配するのを止めて近界民を愛するようになったか~ 作:Amisuru
初めて味わう、感覚だった。
大庭葉月。妙な気紛れで自分が手を差し伸べてしまったその少年は、ただの少年ではなかった。
一つの身体に、二つの感情。普通の人間であれば、決してあり得ることのない異常。影浦雅人の
刺さる。刺さる。不快とまでは言わないが、無闇矢鱈に
――影浦に対する、『怯え』の感情が。
そうだ。どうということもない。元よりこんな外見だ、他人に怖がられるのは慣れている。
ただ――
仮にその、覗き見ようとする感情が『怯え』よりも勝っていたのなら、自分は
……もっとも、そうやって忌み嫌っていたもののおかげで、救うことの出来た
「……遅ェ」
馴染みのソファに寝転がったまま、作戦室備え付けの時計に視線を向ける。
16時半。夕方までには帰ってこいと、仁礼光は大庭葉月に言った。1月の日暮れは早い。今にも夕日が沈み始めそうな時間だ。にも拘わらず、あのバカは未だに帰ってこない。聞けば今時スマホも持っていないと言うので、こちらから連絡の取りようもない。相手をただ待つことしか出来ない時間というのは、影浦にとって退屈以外の何物でもなかった。
「そーかぁ? ユーガタっつったらだいたい5時とか6時とかそんくらいじゃねーの?」
「んなモン季節によって変わるに決まってんだろ。大体、夕方
「あれ、もしかしてカゲ、葉月くんが帰ってくるのを割と待ち望んでる感じ?」
「きもちわりー言い方してんじゃねーよゾエ。はたくぞ」
どうも最近、この友人はあのバカ絡みのことになると妙なからかい癖が付いたような気がする。
馬鹿馬鹿しい。誰が心待ちになどするものか。自分はただ、仁礼光の提案を了承しただけだ。『ハヅキがしょーかくしてウチのチームメイトになったらよ、
「俺ァ腹が減ってんだよ。葉月のことなんざ関係ねえ、俺
「お? 先行って焼いててくれんのか? カゲにしちゃ珍しく気が利くじゃねーか」
「…………」
駄目だ。光も話にならない。
「アホか」と一言吐き捨てて、より深くソファに頭を沈めた。
考えていた。大庭葉月の中に潜む
自分が
何よりもそう、あの『怯え』だ。自分はこれから先、あんなものに気を遣いながら部隊を率いていかなければならないというのか。冗談ではない。そういう息苦しさとは無縁でいたかったから、北添と光、自分と気の合う連中だけを集めて部隊を組んだのだ。影浦隊の作戦室、この空間は自分にとって、
ここが一番落ち着ける。この作戦室は、そう思える存在であるべきだ。
自分にとっても、
「…………」
『怯え』。
どうということはない。自分にとってはそうであっても、
仮にこの先、大庭葉月の妹とやらが、自分に対する『怯え』を克服出来ないようであれば――
ようで、あれば。
「……くそったれ」
――面倒臭い。
本当に、面倒臭いやつらへと、手を伸ばしてしまった。
――で、どうしてここに来てウチの妹様は足を止めてしまうのかね。
『…………』
とうとう帰ってきた
まあ、薄々こうなる予感はしていたのだ。みんなと別れた直後はあれが楽しかったこれが面白かったと大はしゃぎだったくせに、作戦室が近づくにつれてどんどんトーンダウンしていったから分かりやすかった。
だけどおまえ、つくづく往生際が悪いというか……地獄の門を潜ろうってワケでもあるまいし、何をそこまでビビり散らしているのか。関係ないけど"この門を潜る者は一切の希望を捨てよ"とかいう例のフレーズ、いいですよね。おまえが期待しているようなことは何も起きないぞ、と冷酷に突きつけてくる感じ。地獄の入口に相応しい前書きだと思います。
『……私の今の心境も、割と
――そいつは流石に心配し過ぎだよ、マイシスター。
大丈夫だって。今日一日ある程度おまえを自由にさせてみたけど、割かし誰とも良い感じに付き合えてたじゃんか。志岐さんとばったり出会った時は自分からフォローまで入れてくれちゃって、お兄ちゃん正直おまえのこと見直したくらいだぞ。
というかぶっちゃけ、おまえの方が僕よりもカゲさんに好かれるまであるんじゃないか? 僕は割とカゲさんからウザがられてるの知ってるからな!
……はっはっは……ははは……。
『人のこと励ましたいのか落ち込みたいのかどっちなの』
……まあ、僕のことはひとまず脇に置いておくとしてもだよ。
那須さんの言ってたことは当たってるよ。おまえが本当にどうしようもない奴なら、僕はみんなにおまえのことを紹介しようだなんて思わなかった。そもそもおまえと一つになろうとすら、僕は思えなかった筈だからな。
受付のお姉さんも言ってただろ。僕らは
『……あの部屋の判定って、正直割とガバガバだったんじゃないかって私は思ってるんだよね』
まーたこの妹は今更おかしなことを……。
何が信じられないっていうんだ?
それこそアレだよ、
『…………』
おい、ここは嘘でもそんなことないよって言うところだぞこんちくしょう。
『……お兄ちゃんはさ、今日一日私が何を思ってたのか、知らないよね』
――楽しかっただろ? ずっと。
『そうだね。楽しかったよ、すっごく。……でも、ところどころで私が抱いてしまった、
……なんじゃそりゃ。おまえが一体、誰に何を思ってたって?
OK、お兄ちゃんに正直に話してごらんなさい。何を言っても怒んないから。
僕が怒るようなことは口にはしないって、信じてるから、おまえを――
『「――てらしまサンはすごい剣の才能があるのに、誰にも使われないような変なトリガーのためにそれを捨てちゃって、バカみたい」』
その言葉を皮切りに、僕が今まで知らなかった妹の本心が、次々と露になっていく。
僕が決して口にする筈のない言葉を、私の喉が紡いでいく。
『「かざまサンはちっちゃいのに無理して大人ぶってるなって思うし、よねやサンは綽名の付け方がそのまんま過ぎるのどうかと思う。あと私と名前が被ってる。いずみサンは私よりも
恐怖の対象から逃げ出して、今なお扉を開けられずにいる少女が、吐き捨てるように。
『「――小夜子ちゃんはやっぱり、怖いものから逃げてるだけだって思う。……
……ああ、なるほど。
こいつが即座に彼女の男性恐怖症に気付いた、本当の理由っていうのは、そういうことか。
『「……言ったでしょ?
――納得した。
己の存在をそういう風に捉えているのなら、そりゃあ確かにカゲさんと会うのは怖いだろう。
どれだけ笑顔を取り繕っても、善人のように振る舞っても、カゲさんの
自分の心が汚れていると、そう思っている人間であれば。
「……だけど、
正直に言うと、ほんの少しだけ、安心した。
先の寺島さん達に対するこいつの感想も、辛辣でこそあるが、理解は出来る反応だ。きっと未だにボーダーの中にも
こいつは
人の身体を持っていないのに、内臓だけの存在なのに、僕なんかよりもよっぽど
『「……ふつうじゃないよ」』
「どうしてそう思うんだ?」
『「だって――私が生まれてから
……そういうことね。
確かに、
防衛組織だなんていう、ご立派なものに属しているからだろうか? ボーダー隊員の皆様方は、誰も彼もが人間が実に出来ている。きくっちー君だって口の悪さが目立つくらいで、中身は至って善良な男の子だった。そして何より、言動に反して根っこのところがどうしようもなくお人好しな人といえば、それこそ――
「……でもな。それは別に、おまえが特別汚れてるわけじゃないんだよ」
そう――僕に言わせれば、陽花が汚れているというより、
僕はこの
……いや、決して陽介が異常であると言いたい訳ではないのだけれど、とにかく。
「
『「……フォローされてる立場で言うのもなんだけど、本当に慰め方が下手だね、お兄ちゃん」』
「ほっとけ」
こういう時、栞さんとかだったらもう少し上手くやれるのかな。僕の知っているベストオブ聖人といえば、栞さんか紳士ウィルバーかの二択だ。後者に関しては、恩人補正でバイアスが掛かっているかもしれないが。
僕は決して聖者になんかなれないし、なろうとも思わない。それでも、まあ。
大庭葉月は、大庭陽花のお兄ちゃんなので。
「――とにかく、僕が言いたいのはあんまり後ろ向きに考え過ぎるなよってことだ。自分のことをクソだと思ってたら、いつまで経ってもクソのままでしかいられなくなるぞ。僕みたいにね」
『「……"こいつ死ねばいいのに"って感じの大庭葉月?」』
「そういうこと。おまえ、僕みたいになりたいのか?」
『「……それは嫌だなあ」』
「だろ」
――こんな具合に、上手いこと妹の気分を解してやるのである。
たとえ道化を演じてでも。
『「……でも、私が自分自身に肯定的になったところで、そんな私をあのひとが認めてくれるかって言ったら、別の話だよね」』
「いや――どうかな」
彼の前では決して、己を偽ることは許されない。先に僕はそう考えた。
ならば――逆に、
『「ありのままの、私……」』
「そういうこと。無理して善人ぶったところでどうせ全部バレるんだから、最初から何もかも曝け出しちゃった方が話が早い」
『「――ひどいこと言うね」』
「汚れは簡単に落とせるものじゃない、そう言ったのはおまえだぞ」
『「……そうなんだけど。でも、それじゃあさ」』
相も変わらず、今の
それでも、妹の声は酷くか細く、震えていたので。
少なくとも、笑えるような気分ではないんだろう。それだけは、理解出来た。
『「――もしも私が、あのひとに受け入れられなかったら――お兄ちゃんは、どうするの?」』
「……そうだな。その時は――」
そんな私から表情筋を奪い返して、
今のこいつが自力で笑えないのなら、僕の笑顔を代わりに張り付けて、自分が笑っているような気持ちになってくれればいい。そう思った。
「また新しい家を探すだけだな!」
――さて。
今の台詞、上手く笑って言えていればいいのだけれど。
――唐突に、作戦室の扉が開いた。
インターホンは鳴っていない。内側から誰が開けた訳でもない。となれば、来訪者の正体は一人しかいない。
「お、やーっと帰ってきやがった! おいハヅキおっせーぞ!」
「ヒカリちゃんさっきと言ってること違くない?」
「ってカゲが言ってた!」
「言ってねーよ」
反射的に否定してから、いや言ったっけかと思い返す。だがまあ、どうでもいいことだ。
とにかく、放蕩野郎がようやく戻ってきた。今まで他所で何をやっていたのかは興味がないが、これでやっと飯へとあり付ける。そう、冗談抜きに腹が減っていたのだ。
だがその前に、済ませておかなければならない話というものがある。面倒だ。心底面倒だが――やるしかない。
これでも一応、自分はこの
「……おい、葉月――」
ソファから身を起こし、ぼりぼりと頭を掻きながら口を開いたところで。
「
そう言って、大庭葉月の顔をした何かが、笑った。
次回でB級初日編終わると思います。多分。